新撰組わんこ奇譚

沖田水杜

文字の大きさ
上 下
3 / 4

一、新しい玩具(1)

しおりを挟む


どうやら、本当にここは江戸時代末期、幕末の京都らしい……。

一晩中街を練り歩き、琴子は朝日と共にその結論に辿り着いた。

財布もなければスマホもない。宿を取ることすら出来ずに歩き続けた体は、既に疲弊し切っていた。ぐう、と空虚な音を立てた腹部をさすり、琴子はため息をついた。

立ったまま眠れそうな程の睡魔は去らないし、空腹も堪える。だが、それよりも堪えるのは。

着物を着て髪を纏めた女性が、店の看板を持って表へ出てきた。団子屋だ。開店準備をしているらしきその黒い双眸が、琴子の前で止まった。

染めてもいないのに薄茶に色付いた髪、Tシャツに膝丈のフレアのスカート。

明らかに街で浮いたその姿を我を忘れたように凝視し、何か良からぬ物を見てしまったかのように頬を染めて顔ごと視線を逸らしてしまった。

中にはあり得ないとでも言いたげな目をちらちら向けて来る年配の女性もいたりで、ひどく居心地が悪い。体を縮めるようにしてこそこそと道の端を進み、琴子はハッとした。

死屍累々を築き上げる道。乾いて地面に壁にこびりついた血痕。野次馬たちが顔をしかめながらも様子を見ている建物。

昨夜、琴子が目を覚ました場所だ。

そう気付いた瞬間、弾かれたように駆け出していた。

人垣から少し離れた場所に、浮世離れした後ろ姿が佇んでいた。

陽に透けて蜂蜜色になる髪を、丁寧に一つに束ねた小倉色の袴姿の男。ほっそりとしているのが、和服の上からでも分かる。防具を付けていない今は、背中だけでも昨夜より一段と美しく見えた。

琴子は側に寄り、昨夜とは逆に、彼の袖を引く。

ぱっと髪を翻して振り返った彼、沖田総司が一瞬の内に刀の柄に手を掛けたのを見、咄嗟に身を引いた。

「あっあの、沖田さん、ですよね。あの、私、昨日助けてもらった……」

あっ、という顔をした沖田は、強張った顔を綻ばせた。

「あなたでしたか。どうしたんです、こんな朝早く」

血刀を引っさげていた時とはまるで違う、柔和な笑みに、無意識に胸をなでおろす。

「沖田さんは新撰組なんですよね?」

意気込んで問うと、沖田は頷きつつ目を瞬いた。

新撰組というと、京都の治安を護るために結成した部隊だと聞いている。

ならば。琴子は真剣な声色で続けた。

「ちょっと私、困ってるんです。助けてもらえませんか」




甘味屋でぜんざいをつつき、沖田はううんと唸った。

「アハハ……信じられませんよね」

乾いた笑い声を上げ、琴子は後頭部を掻いた。私は百五十年以上未来から来た、違う時代の人間なんです……だなんて。信じてもらえるわけがない。

小豆を木の匙ですくい上げ、それをまた器に戻し、でも、と沖田は口を開いた。

「僕は信じるしかないと思いますね。異国人を見かけた人の話では、あなたのような奇抜な服は着ていなかったはずですし。そんなに足を出して咎められないのなら、やはり文化や環境が違う所から来たと考えるのが妥当かな、と」

奇抜な、と言われ、自分の服装を見下ろしてしまう。確かに、洋装でも膝よりも短いスカートを履き始めるなんてずっと先だろう。

「知らない世界、そして文無し。可哀想になぁ」

他人事のように言い、沖田は遊んでばかりだったぜんざいをようやくぱくりと頬張った。幸せそうに咀嚼する。

「とりあえず、お金を貸すだけでは解決しないと思うんですよね。住む場所もないのだし、戻る方法はあるのかも分かりませんし」

言葉を切り、首をひねる。仕草が不相応に子供っぽく、ともすれば美少女にも見える容貌をさらに少女めいて見させている。

「ともかく、うちの者に掛け合ってみましょう。部屋くらいは提供できるかもしれない」

本当ですか、と言いかけた琴子の口が最初の一文字を発音した直後、人のいない店内に男が二人駆け込んで来た。

顔面蒼白で、店内に沖田の姿を認めた瞬間大声を上げる。

「あーッ!!いた!!」

「総司!!」

沖田がちろりと舌を出した。



騒々しく店内に入ってきた二人は、沖田に「永倉と原田です」と簡潔に紹介され、奇妙な装いの琴子を怪訝そうに見つめた。

「彼女、ちょっと事情がありまして。昨夜の戦いの中で動けなくなってた所に居合わせたんです。それでお騒がせしたお詫びにご馳走と相談を」

「昨夜って、あんた」

「『その』前の話だよ。一度僕、ほんの少しだけ場を離れてたんです。土方さんには内緒でお願いしますね」

いたずらっぽく笑う沖田に、原田と紹介された男がやれやれと肩をすくめた。永倉の方は、眉をひそめて難しい顔をしている。

「内緒はいいけどよぉ、総司」

原田が元々大きいらしい声で沖田を非難する。

「病人が一人足りないってんで、屯所は大騒ぎだったんだぜ。特に鬼がな。連れ戻せってせっつきやがる」

「それについては謝ります。じゃあ戻りましょうか。丁度僕からも鬼に話がある」

沖田は目で琴子を促しながら、自らも腰を浮かせた。まだ七割以上残っているぜんざいを一瞥して、原田に意味ありげな視線を送る。

まったく、と悪態をつく原田は、匙も使わずにぜんざいを喉に流し込んだ。見事な食いっぷり、いや、飲みっぷりだ。

「よっしゃ、行くか」

音高らかに器を机に叩きつけ、原田は店奥に気さくに礼を言い、琴子を手招いた。

「あんたも来な!」

「はいっ」

息を吸って居住まいを正し、大きく頷く。

これから、鬼の巣窟へ行くのだ。

鬼と呼ばれた新撰組副長、土方歳三の元へ。


しおりを挟む

処理中です...