海の中の見果てぬ夢

にのみや朱乃

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海の中の見果てぬ夢

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 その港町には立派な灯台が有りました。
 一筋の光が漆黒の闇を裂き、そこに帰るべき街が有るのだと船乗りたちに知らせます。灯台は船乗りたちにとって大切な存在でした。
 同時に、灯台を操る灯台守の女性も大切な存在でした。灯台守が居なければ、灯台はただの煉瓦造りの塔になってしまうのです。船乗りたちは灯台守に日々感謝し、海から戻れば欠かさず挨拶していました。

 灯台守はある船乗りと恋に落ちました。将来を誓い合い、灯台守は輝かしい未来を思い描きながら海に光を投げ込んでいました。
 いつまでも、いつまでも、海に光を与えなければ。愛するあの人が無事に帰ってこられるように。灯台守は強い使命感を抱いていました。

 灯台守は海星に尋ねます。不老は何処に有りますか。
 海星は答えました。海老が知っているでしょう。
 灯台守は海星に尋ねます。不死は何処に有りますか。
 海星は答えました。海老が知っているでしょう。けれど海老は遠い海から暫く戻りません。戻るまでぼくたちと遊びましょう。

 灯台守は海に住う者たちと親しくなりました。
 海星は穏やかな浅瀬を案内しました。灯台守は喜んで浅瀬で遊びました。
 珊瑚は青く澄んだ海を案内しました。灯台守は喜んで海に潜りました。
 小魚は穏やかな海域を案内しました。灯台守は喜んで小魚と泳ぎました。
 誰もが灯台守を愛しました。灯台守は灯台が無くても海に光を与えていました。
 海に住う者たちと幸せに過ごすうちも、灯台守がその使命を疎かにすることは有りませんでした。船が大海原を駆ける時はいつでも、帰るべき場所を照らしていました。


 けれど、その光が途絶える時が来たのです。
 灯台守が愛した船乗りは、異国から訪れた貴族の美しい娘に心を奪われてしまいました。栄える大国の娘は、島国に生きるどの娘よりも美しく、そして気品に溢れていました。
 灯台守が偽りの愛だと知ったのは、船乗りと異国の娘の逢瀬を目にした時です。灯台守は何も尋ねることができませんでした。彼らは既に身を重ねていたのです。
 灯台守は嘆きます。嗚呼、その御心は最早わたしの元に無いのですね。心の底まで染まった貴方を、どうして取り戻すことができましょう。嘘偽りを並べた貴方を、どうして取り戻そうと思うでしょう。
 いつまでも、いつまでも、海に光を与えなければ。たとえこの身への愛が全て失われようと。灯台守は強い使命感だけで動いていました。
 その使命感が灯台守を動かせるのは、ほんの数日でした。

 ある日、海星は灯台守に尋ねます。もう不老不死は求めないのですか。
 灯台守は涙を流しました。もう不老不死は無用です。無限の時間はわたしへの拷問となりましょう。
 海星は全てを知りました。海に身を投げんとする灯台守を、海星は懸命に引き止めました。お待ちなさい。ぼくには貴女が必要なのです。
 けれど、灯台守は悲しみに沈みます。貴方は海に生きる御方。住む世界が異なる貴方と、どうして共に生きることができましょう。
 海星はただ灯台守の傍に居ることしかできませんでした。

 海星は怒り狂いました。裏切り者の船乗りの話を珊瑚に伝えました。ぼくは納得できません。何故その者は天に裁かれないのですか。
 珊瑚は怒り狂いました。裏切り者の船乗りの話を小魚に伝えました。私も納得できません。どうにかその者を裁くことはできませんか。
 小魚は怒り狂いました。裏切り者の船乗りの話を海に伝えました。誰も納得できません。海よ、何故その者の罪を見過ごすのですか。
 海は怒り狂いました。何と罪深いことか。天が赦そうとも我が赦さぬ。二度とこの身を渡ることなど許されぬと思え。



 その日から海は荒れ狂います。如何なる船も海に漕ぎ出すことは敵わず、大きな船舶でさえも高波に飲まれて藻屑と化しました。
 船乗りたちは恐れ慄きました。何故海が荒れ狂ったのか、誰にも判りませんでした。けれど確かなことは、船を捨てざるを得ないということでした。
 灯台は光を失い、煉瓦造りの塔は悲しみの牢獄となりました。

 灯台守は日々を泣いて過ごしていました。その涙が枯れることはありませんでした。嗚呼、何と惨めなのでしょう。裏切られていたとも知らず、この心を寄せていたなんて。
 ある夜、小さな船乗りが訪れます。背丈は低くまだ子どものようで、灯台守は迷子が灯台に来てしまったのだと思いました。
 灯台守は尋ねます。迷われてしまったのですか。街までお連れしましょうか。
 小さな船乗りは答えます。いいえ、貴女に逢いに来たのです。悲しみに閉ざされてしまった貴女に光を取り戻していただきたいのです。

 灯台守と小さな船乗りの交流が始まりました。
 小さな船乗りは灯台守を励まそうとします。海から綺麗な貝殻を拾い、髪飾りを作りました。海の向こうの魔女の伝説を語りました。夜が明けるまで灯台守の傍に居ました。いつしか灯台守の涙が流れることはなくなりました。
 けれど、代わりに灯台守の心に影が差します。
 灯台守は自らを戒めます。多くを望んではいけません。日が沈む頃に逢えるだけで、満たされなければなりません。常に共に在りたいなど、見果てぬ夢に過ぎないのです。
 どうして。どうして、このようなことが起こるのでしょうか。


 最後の夜でした。
 小さな船乗りは慣れ親しんだ灯台を訪れます。灯台守に逢うために。
 灯台守は波打ち際に立っていました。月明かりに照らされ、寂しそうに海を眺めていました。
 小さな船乗りは心配になりました。灯台守が思い悩んでいることに気づいたのです。

 灯台守は語ります。どうして、そこまでなさるのですか。
 小さな船乗りは応えます。何を仰るのですか。ぼくは貴女が心配なのです。
 灯台守は語ります。哀れな女のために自らの姿さえ捨てられたのですか。
 小さな船乗りは応えませんでした。自らの嘘が暴かれたのだと悟りました。
 灯台守は語ります。ねえ、海星様。どうして、そこまでなさるのですか。
 小さな船乗りは応えませんでした。自らの愛は隠すべきだと思いました。
 やがて小さな船乗りの姿は海星に戻ってしまいました。

 灯台守は察していました。小さな船乗りは、魔女にその姿を変えられた海星だったということ。魔女の魔法は何故か夜にしか効力が無いということ。そして、海星の優しい嘘を暴いた結果、魔法が解けてしまったということ。
 灯台守は涙を流します。感謝、愛情、悲哀、罪悪、何れの感情が溢れ出したのか、彼女自身にも判りませんでした。
 思い違いであれば良かったのに。灯台守の願いは波に飲まれました。


 艶やかな烏を肩に止まらせた銀色の魔女が、灯台だった塔を訪れました。
 海風が銀色の髪を靡かせます。月が美しい白肌を淡く光らせます。
 その魔女の名は、銀雪の魔女。

 銀雪の魔女は言いました。もう私の魔法は要らぬだろう、優しき海星よ。
 海星は哀しげに答えました。はい、魔女様。海に生きるこの身にはやはり見果てぬ夢でした。さあ、この命を甘い夢の対価に捧げましょう。
 灯台守は乞います。嗚呼、魔女様。どうか、どうか、海星様を奪わないでください。わたしの愛する方を奪うのなら、この身を共に捧げましょう。

 海星は知りました。灯台守は知りました。
 共に、見果てぬ夢ではなかったのです。共に、愛していたのです。

 銀雪の魔女は笑います。海星よ、ここに愛は示された。お前の勝ちだ、対価は要らぬ。その甘い夢を見失うな。
 灯台守は願います。嗚呼、魔女様。その愛は叶いません。わたしは人の身。海星様と暮らすことはできず、されど独りで生きることもできず、この地は最早地獄です。どうか、どうか、哀れなこの身をお救いください。

 銀雪の魔女は笑います。ならば、海の中で幸せになると良い。

 銀雪の魔女は優しい魔法をかけます。灯台守は美しい海星になりました。
 そして、海に飛び込みます。自らの新たな世界となる海へ。
 美しい海星は、自らの闇を払った海星と幸せに暮らしました。


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