喫茶店のかなえさん

まむら

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09 捨てた感情

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同級生である優人の弟の義人は、優人と歳も近いせいか顔がよく似ていて、すぐに兄弟だとわかる。
 
それに比べて長男であるかなえと優人、義人はあまり似ていない。
 
そして一番下の孝人も、三人の兄とは似ていない。
 
彼らはこの家で兄弟だけで生活しており、両親の話は一度も聞いていないが、きっといないのだろう。
 
 
 
「着替えさせた時、かなえの体にある傷を見ましたか?」
 
「…うん、見た。勝手に見て、申し訳ないと思ってる」
 
「そんなっ、謝らないでください!怒っていませんからっ」
 
「でも、あの傷は…、本当は俺は見てはいけなかったんじゃないのか?あれは誰がどう見ても、事故でなったモノとは思えないし、だからと言って君たちが付けたモノでもないだろう」
 
「…っ」
 
 
 
そう言われ、義人が少し苦しそうに表情を歪ませた。
 
視線を彷徨わせしばらく黙っていたが、決意したように顔を上げる。
 
 
 
「この先も、かなえのそばにいてくれますか?俺たち、啓太さんがかなえを気遣ってくれてるの、見ていてよくわかります。何を見ても聞かないように、見ないようにしてくれてるのも気付いてます。まだ出会って少しの期間しか経っていないけど、啓太さんがかなえを大切にしているの、わかってるんです」
 
「…」
 
「かなえの雰囲気が少し変わりました。いつも表情はなくて、笑っている時もありますけど、無理矢理笑顔を作っているかなえを毎日見てきました。でも、啓太さんといる時のかなえは違っていて、感情表現は薄いですけど、嬉しそうにしているんです。啓太さんはどうですか?かなえといて、嫌ではないですか?」
 
「嫌だと思ったことは一度もないよ。かなえさんといると楽しいし、もっと話がしたいと思ってる」
 
 
 
啓太は本心からそう言った。
 
かなえと出会ってまだ数えるほどの日数しか経っていないが、かなえと過ごすことは一度も苦痛ではなく、寧ろ楽しいと思っていた。
 
これからも会って話がしたいし、一緒に過ごしたいと思っているのだ。
 
それを聞いた義人の強張っていた表情が少し緩む。
 
 
 
「…全て話すことはまだ難しいです。かなえが苦しむから、あまり言わない方がいいのかもしれないですが、俺は知ってもらいたいと思いました。かなえに接する啓太さんの姿は同情や哀れみというものではないように思います」
 
「同情ではないし、可哀そうだからっていう気持ちは違うな。どちらかというともっとこう、家族とか友人に向けるような感情に近いと思ってるよ」
 
「家族や友人ですか」
 
「それが一番近い感情、ってことかな。正直、俺も何て言っていいのかわからないんだ。ただ、大切な人だってことは確かだから」
 
「啓太さん、それは、きっと…、いえ、そうですね。かなえのこと、大切に思ってくれてて嬉しいです。かなえも啓太さんのことをそのように思っているようですし」
 
 
 
義人は何かを言いかけたようだが、言わなかった。
 
話はこの家の事情について移る。
 
 
 
「結果から言うと、かなえの精神はとても脆くなっていて、今は感情がほとんどありません。表情は本人がどうにか繕ってはいるようですが、見ていてわかるようにあまり上手ではないです」
 
「…うん、そのようだね」
 
「普段の生活で喜怒哀楽という感情が薄いことにかなえ自身があまり気付いていなくて、もしかすると心では何かしら思っていることもあるのでしょうが、それを言葉にすることもほぼ無いです」
 
「…」
 
 
 
喫茶店で仕事をしている時のかなえはいつも無表情で、嬉しいのか悲しいのか、何を考えているのか分からない人も多いだろう。
 
特に最近のように、足首の痛みを我慢していたようなのに、痛みを訴える直前まで痛そうな顔ひとつせずにいたし、今日だって熱が出ていることをかなえ自身が気付いていない様子だった。
 
誰しも痛くて苦しい時には表情は歪むし、嬉しい時や悲しい時にはその感情が顔に出るはずなのに、かなえにはそれが全くない。
 
啓太はそれを思い出しながら、静かに義人の話に耳を傾ける。
 
 
 
「あと、熱や痛みといった感覚も鈍いです。啓太さんも見ていてわかると思いますが、直前まで本人が気付かないんです。熱や痛みが急激にやってきたように見えるかもしれないですけど、それは違うんです」
 
「どういうこと?違うっていうのは、我慢しているわけではないんだよね」
 
「はい。熱も痛みもあるはずなんです。でもその感覚がまだ小さい時は表現の仕方がわからないようで、痛いとか熱いとか思う頃には既に遅いんです。突然蹲って苦しみ出して、動けなくなります」
 
「小さな痛みや苦しみが蓄積されて、一気に爆発するってことかな?」
 
「そういうことです。だから、かなえの心もある日突然壊れてしまいました。蓄積された感情が爆発して、狂ってしまいました。俺たちにはどうすることも出来なくて、今は精神を安定させるために複数の薬を毎日服薬して凌いでるという感じです。対処方法がそれしかないんです」
 
「…かなえさんの心が、壊れた理由を俺が聞いてもいいかな」
 
 
 
啓太の顔は強張っていた。
 
義人は緊張した様子で啓太を見ていたが、それでも決心したように頷き、口を開く。
 
 
 
「…優人とはそのことについて話をしています。俺たちはかなえのことを、啓太さんには知っていてもらいたいって思っています」
 
「ああ。聞かせて欲しい、かなえさんのこと、君たちのこと。俺はかなえさんの支えになりたい」
 
 
 
それを聞いた義人の表情がいくらか和らぎ、少し泣きそうになっていた。
 
きっとこの兄弟は、今も苦しんでいるのだろう。
 
意を決して義人は啓太を見て、口を開いた。
 
 
 
「俺たち兄弟の父親は、それぞれ違います。一人目の父親でかなえが生まれ、二人目の父親で優人と俺が生まれました。そして三人目の父親で孝人が生まれたんです。母親は既に亡くなっていて、それぞれ父親はどうしているか知りません」
 
 
 
何となく面影が違うと思っていたが、本当だったようだ。
 
啓太は真剣な面持ちで義人の話を聞いている。
 
 
 
「俺たちの母親は子育てよりも男遊びを優先する人でした。一人目の父親、かなえの父親は暴力的な男だったと聞いています」
 
 
 
義人は昔の記憶を思い出すように目を閉じ、語り出した。
 
かなえが生まれて少しして頻繁に浮気をするようになったそうで、母親はすぐに離婚したらしい。
 
数年後に二人目の父親と再婚し、優人と俺が生まれた。その頃かなえは小学生になっていたが、母親は半育児放棄気味であったため、かなえが幼いながらに弟二人の面倒を見ていたという。
 
その頃から母親は稼ぎのいい風俗で働くようになった。
 
二人目の父親がかなり血の気の多い人で、すぐにキレては仕事を辞め、家計が成り立たなくなっていたからだ。
 
しかし、母親が夜に働きに出るため、それが気に入らない父親は激怒し、暴力を振るようになる。
 
その怒りの矛先は朝は母親に、そして夜は働きに出ている母親の代わりに子供に向けるようになった。
 
中学生になったばかりのかなえは幼い弟二人を守るために、父親の怒りを必死に自分に向けようとしてわざと煽り、苛立ちの増した父親は力の限りかなえに暴力を振るっていたらしい。
 
毎日のように全身に打撲根ができ、口の中は切れ、痛みに苦しんでいた。
 
それでも弟二人の前では心配させまいと気丈に振舞い、怖がる弟の前で大丈夫だ、自分が守るから怖くないと言い、優しく強い兄の姿を見せていたのだ。
 
その頃から、かなえの心は少しずつ擦り減ってゆく。
 
かなえが中学を卒業する頃、暴力的な父親から逃げるように母親はあまり家に帰らなくなっていた。
 
父親が不在の時を狙うように時々顔を見せては姿を見せ、食費をかなえに渡すとすぐに家を出て行く生活だった。
 
ギャンブルばかりしていた父親に食費を奪われないように、かなえは渡された金を隠し、どうにか弟二人を守りながら生活していた。
 
いつも緊張した状態のかなえの精神は益々擦り減り、体重はどんどん軽くなってゆく。
 
それでも弟二人の存在がかなえの生きる糧となっていたため、どうにか精神は保っていたらしい。
 
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