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婚約者予算を止められたくない
「俺はミリンの兄で、彼はディアナス伯爵令嬢の従弟で、俺たちは顔見知りだ」
「いや、俺が言いたいのは──」
言いかけたところで、エステルが俺の腕を引いた。
「何してるの。早く行きましょう」
その声に、アレクサンダーがふと俺の手元を見た。
「手に持ってる花は誰が買ったんだ?」
エステルは胸に抱えた花を見せ、微笑んだ。
「もちろんトリスタンよ」
4人の視線が一斉に俺に向く。
──沈黙。
アウローラの薄紫の瞳が、わずかに細められた。
「皆、ごめんなさい。空気を悪くして。
良ければ我が家で晩餐を、ご一緒しない?」
ミリンもアレクサンダーも、従弟も頷いた。
その穏やかな空気に、俺だけが苛立ちを覚えた。
「おい! 男を家に招くな」
声が少し大きくなった。
マリュスが眉をひそめる。
「だから親族だと言ってるのに」
エステルが、俺の袖を引いた。
水色の瞳が不満げに細められる。
「トリスタン、いい加減にして。
お祭りの途中なのよ」
「しかし──」
言いかけた俺の言葉を、アウローラが静かに遮った。
「これ以上しつこいと、“婚約者でない女性”と2人で花祭りに行き、花を贈り、私達に絡んだことをバルネット侯爵に知らせます」
その声音は淡々としているのに、背筋が凍るほどの威圧があった。
名門ディアナス家の次期当主──その重みが、言葉の端々に滲んでいる。
俺は何も言えなくなり、黙って引き下がった。
父に報告されるのは、マズい。
でも、本当は──エステルを送ったあと。
アウローラに花束を届ける予定だった。
あの3人が一緒なら、行ったところで門前払いされるに決まっている。
歯軋りする俺を置いて、婚約者一行は去っていった。
エステルが、俺の横でため息をついた。
「ちょっと。可愛げない婚約者のことなんか、どうだっていいじゃない。
ああやって気が引きたいだけよ」
その言葉に、苛立ちが和らぐ。
そう言われれば、そうかもしれない。
アウローラはいつも冷静で、何を考えているのかわからない。
俺を試しているだけなのかもしれない。
「ああ、そうだ」
自分に言い聞かせるように呟く。
下手に出れば、結婚後思いやられる。
考えないことにしよう。
エステルを送ってから帰宅すると、居間には重苦しい空気が漂っていた。
母はソファに腰掛け、手紙束を握りしめていた。
栗色の髪をきっちりまとめ、鋭い目で俺を見つめてくる。
「アウローラから手紙が来ないの。
どういうこと?」
「は? 返事のし忘れでは?」
しっかりしているように見えて意外と、うっかりしているようだ。
だが母は首を横に振った。
「違う。トリスタンの婚約者予算が減ってるって事は、デートしたりプレゼントしたりしてるって事でしょ。
だったら、お礼の手紙や季節の挨拶が来るはずなのに来ないのが、おかしいって言ってるのよ」
「それは……」
言葉が詰まった。
婚約者予算は、全部エステルに使っている。
アウローラには何もしていない。
茶会もしていなければ、デートもしていない。
手紙が来るはずがない。
そもそも交流がないのだから、婚約者と言えるのかすら怪しい。
さすがに少しは交流した方がいいのかもしれない──そんな考えが頭をかすめた。
「向こうが友達と遊ぶのに忙しくて、こちらを後回しにしてるんだ」
苦し紛れに言うと、母は眉をひそめた。
「そういうタイプじゃないと思うけど」
「母上の前では猫をかぶってるんだよ」
「ふうん。まあ、婚約破棄されて困るのはあなたよ。
この年になったら、もう次の婿入り先なんか見つからないから」
「脅さないでくれよ。
別に、俺たち喧嘩してるわけじゃないから。大丈夫」
そう言いながらも、胸がざわついた。
アウローラに少しは歩み寄った方がいい──俺はデート申し込みの手紙を書いた。
内容は、俺なりに「折れてやった」のを全面に出した。
『お前がエステルに嫌味を言っても謝らず、花祭りで浮気していたのは許せないが、このままだとまた母に文句を言われるので、次の休みに遊びに行く』
事実を書いた。
しかし翌日登校しても、アウローラは何も言ってこなかった。
俺の存在など、最初からなかったかのように振る舞っている。
家に帰っても返事は来ない。
夜になっても来ない。
翌朝、俺は我慢できずにアウローラのクラスへ向かった。
彼女は窓際で書類を読んでいた。
白磁のような肌に朝の光が落ち、まるで彫像のように美しく静かだ。
「おい、何で手紙の返事を寄越さない」
アウローラは、ゆっくり顔を上げた。
薄紫の瞳が、冷たく俺を射抜く。
「あの言いがかりと来訪の混ざった意味のわからない文のこと?
嫌がらせに返事するバカが、どこにいるのかしら?」
「事実を書いただけだろう」
「これ以上食い下がるなら、バルネット侯爵に抗議文を送るわ」
「毎回毎回、そればっかりじゃないか」
言い返した瞬間、背後からエステルの声がした。
水色の瞳で俺を見上げてくる。
「もう、いいじゃない。
こんな無愛想で面白味のない人に、時間を使うことないわ。
トリスタン『アウローラは可愛げない』って、いつも言ってるじゃない」
「それは……」
言葉に詰まった俺を、アウローラは一瞥した。
「どうぞ、そちらの方とお過ごしください。
こちらには、お構いなく」
そう言い残し、自分の席へ戻って行った。
俺など、最初から視界に入っていなかったかのようだ。
胸がざわつく。
こっちが折れてやっているのに、あんな態度を取らなくてもいいだろう。
だが、なんとかして母に“仲がいい”と思わせないと、婚約者予算を止められてしまう。
──そうだ。
うちの晩餐に招待すればいいんだ。
親が一緒なら、アウローラも断れない。
そう思い立った俺は帰宅し、すぐに母に頼んでアウローラ一家を晩餐に招待した。
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