6 / 12
同居するための契約書
俺は実家へ手紙を出した。
やはり婚前に、こちらへ連れてくるのは無理だと思ったからだ。
『エステルの縁談を潰してほしい。
彼女を保護して、離れに住まわせてくれ──』
だが返事は冷たかった。
『──なぜ親戚でも婚約者でもない赤の他人に、そこまでしなきゃならない?
バカを言うのも休み休みにしろ』
父からだ。
説得はできそうにない。
仕方なく、アウローラに頼むことにした。
“愛人にする”とは言えないので、実家で冷遇されていて学園にも居場所がないから保護したい──そう説明した。
執務机に書類を置いたアウローラは、淡々と言った。
「自分の実家に頼めばいいでしょう」
「頼んだが断れた」
「バルネット侯爵は、何て言ったの?」
「親戚でも婚約者でもない赤の他人を引き取る理由がない、と」
アウローラは小さく息を吐いた。
「当たり前でしょう」
「頼むよ」
俺が食い下がると、アウローラは冷静に言った。
「では使用人として雇ってあげる」
「体が弱いのに働かせられない」
「誰でもできる簡単な仕事。
毎日ではなく、商談のある時だけだから大丈夫」
それでも俺は渋った。
「でも……彼女は本当に弱いんだ。
働かせるなんて……」
婚約者は瞳を細め、静かに言った。
「では、あなたが彼女の生活費を負担するの?
衣食住、医療費、雑費、人件費。全部」
「え……いや、それは……」
「あなたは領主代理補佐で、うちはその給与を払っているのだから、自分のお金で養って」
「それだとメイド1人も雇えないじゃないか」
「では私と婚約破棄して、住み込みの職場を探せばいい」
「ま、待ってくれよ!
そんな極端な話じゃないだろ!」
アウローラは淡々と告げた。
「自分の収入では養えない相手を、私に押しつけようとしている。
“助けたい”と言うだけで、負担は全部こちらに回す。
そんな人を夫にするつもりはないわ。婚約破棄よ」
「……っ、わかった。
使用人として働いてもらう。
本当に簡単な仕事なんだな?」
「もちろんよ」
「では彼女を連れて来る」
アウローラは何も言わず、ただ静かに頷いた。
怒りも失望もなかった。
ただ、冷たい無関心だけがあった。
エステルを連れてアウローラの家に戻ると、白い大理石の玄関ホールで使用人たちが出迎えた。
だが次の瞬間、俺たちは別々の方向へ案内された。
「こちらへどうぞ、トリスタン様」
「ノワイエ男爵令嬢は、あちらの応接室へ」
俺は思わず声を上げた。
「いや、2人でアウローラと話す。
案内は1つでいい」
だが使用人は一歩も引かない。
薄い青色の瞳が、冷たく俺を見据えた。
「次期当主を煩わせるおつもりですか」
「煩わせるって……婚約者だぞ、俺は」
「婚約者であればこそ、礼を欠く真似はお控えください。
『こちらに従わないなら、実家に送り返す。
荷物と婚約破棄の書類は後で送る』と、お嬢様から言付けられております」
その声音は淡々としていて、怒りすら感じられなかった。
ただ、決定事項を告げるだけの冷たい響き。
俺は言葉を失った。
エステルは別室へ連れて行かれ、扉が閉まる音が響いた。
案内された応接室に入ると、そこにはアウローラではなく──
家令と書記官、そして医師が待っていた。
白い壁、整えられた書類、冷たい空気。
まるで取り調べの場のようだった。
家令が淡々と口を開く。
「では、ノワイエ男爵令嬢の健康状態について伺います。
何の病気で、いつから、どのような治療を?」
「えっ……いや、その……本人から病弱と聞いただけで……」
特に何の病気があるかは知らない。
医師が鋭い目で俺を見る。
「診断名は? 主治医は? 処方薬は?」
「そ、それは……実家で冷遇されてて医者に診せてもらえないんだ。
でも普段から頻繁に腹痛やふらつきがあって、季節の変わり目には風邪をひく。
虚弱体質だ。仕事はできない」
事実ながら、自分でも苦しい言い訳だと思った。
すると家令が書類を差し出してきた。
「わかりました。では、こちらに署名を。
“婚約者として不貞行為をしない”という契約書です」
「ふ、不貞って……!」
「ノワイエ男爵令嬢を屋敷に入れる以上、関係が疑われては困りますので」
さらにもう1枚、静かに置く。
「こちらは婚姻届です。
お嬢様との婚約を継続する意思があるなら、署名を」
「い、今ここで……?」
「当然です。
責任を取る覚悟があるかどうか、確認させていただきます」
逃げ道はなかった。
アウローラの父の“最後通牒”が頭をよぎる。
俺は契約書を読んだ。
──不貞した場合、持参金を慰謝料として没収。
──エステルがトラブルを起こした場合、トリスタンが全責任を負う。
──体調等、虚偽の申告があった場合、一生使用人として働く。
──給与は過去の度重なる侮辱行為(ドタキャンなど)の賠償を差し引いた額を支給。
胸が冷たくなっていく。
しかし、もう逃げられない。
俺はただ、震える手で次々と署名するしかなかった。
あなたにおすすめの小説
幼馴染しか見えない婚約者と白い結婚したので、夜明け前にさよならしました
ゆぷしろん
恋愛
公爵令嬢レティシアは、家同士の都合で伯爵アルフレッドに嫁ぐ。
けれど夫は結婚後もずっと幼馴染のシルヴィばかりを優先し、婚礼の夜から夫婦として触れ合おうともしなかった。名ばかりの妻として伯爵家を支え、領地経営まで立て直しても、彼にとってレティシアは“都合のいい伯爵夫人”でしかない。
やがて結婚一周年の夜、アルフレッドが自分を手放す気はない一方で、幼馴染を屋敷に迎え入れようとしている会話を聞いてしまったレティシアは、ついに決意する。
――もう、この結婚には見切りをつけよう。
夜明け前、彼女は離縁の準備を整え、伯爵邸を出奔。
身を寄せた北の港町で薬舗を手伝いながら、自分の力で生きる穏やかな日々を手に入れていく。そこで出会ったのは、身分ではなく一人の女性として彼女を尊重してくれる青年医師ノアだった。
一方、都合よく尽くしてくれる妻を失ったアルフレッドは、ようやく自分が何を失ったのかを思い知ることになる。
幼馴染ばかりを優先する婚約者との白い結婚に終止符を打ち、傷ついた公爵令嬢が新天地で本当の幸せを掴む、離縁から始まる逆転ラブストーリー。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
俺はお前ではなく、彼女を一生涯愛し護り続けると決めたんだ! そう仰られた元婚約者様へ。貴方が愛する人が、夜会で大問題を起こしたようですよ?
柚木ゆず
恋愛
※9月20日、本編完結いたしました。明日21日より番外編として、ジェラール親子とマリエット親子の、最後のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。
お前の家ティレア家は、財の力で爵位を得た新興貴族だ! そんな歴史も品もない家に生まれた女が、名家に生まれた俺に相応しいはずがない! 俺はどうして気付かなかったんだ――。
婚約中に心変わりをされたクレランズ伯爵家のジェラール様は、沢山の暴言を口にしたあと、一方的に婚約の解消を宣言しました。
そうしてジェラール様はわたしのもとを去り、曰く『お前と違って貴族然とした女性』であり『気品溢れる女性』な方と新たに婚約を結ばれたのですが――
ジェラール様。貴方の婚約者であるマリエット様が、侯爵家主催の夜会で大問題を起こしてしまったみたいですよ?
覚悟はありますか?
翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。
「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」
ご都合主義な創作作品です。
異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。
恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
愛される女と利用される女 ~すぐ怪我する義妹と心配する王子、私はお見合いで何を見せられているのでしょうか~
夢窓(ゆめまど)
恋愛
スミッシィ公爵家のひとり娘ハーミヤは、王太子のお見合い相手に選ばれた。
しかし何度会っても、会話は天気と花だけ。毎回、王子の義妹が怪我をして乱入してお見合いは、途中で終わる。
断ったはずのプロポーズ。サインしていない婚約書類。気づけば結婚式の準備だけが、勝手に進んでいた。
これは、思い込みの激しい王子と、巻き込まれた公爵令嬢の話。