文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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同居するための契約書




 俺は実家へ手紙を出した。

  やはり婚前に、こちらへ連れてくるのは無理だと思ったからだ。
 
『エステルの縁談を潰してほしい。
 彼女を保護して、離れに住まわせてくれ──』

 だが返事は冷たかった。

『──なぜ親戚でも婚約者でもない赤の他人に、そこまでしなきゃならない?  
 バカを言うのも休み休みにしろ』

 父からだ。
 説得はできそうにない。

 仕方なく、アウローラに頼むことにした。  

 “愛人にする”とは言えないので、実家で冷遇されていて学園にも居場所がないから保護したい──そう説明した。

 執務机に書類を置いたアウローラは、淡々と言った。

「自分の実家に頼めばいいでしょう」

「頼んだが断れた」

「バルネット侯爵は、何て言ったの?」

「親戚でも婚約者でもない赤の他人を引き取る理由がない、と」

 アウローラは小さく息を吐いた。

「当たり前でしょう」

「頼むよ」

 俺が食い下がると、アウローラは冷静に言った。

「では使用人として雇ってあげる」

「体が弱いのに働かせられない」

「誰でもできる簡単な仕事。
 毎日ではなく、商談のある時だけだから大丈夫」

 それでも俺は渋った。

「でも……彼女は本当に弱いんだ。
 働かせるなんて……」

 婚約者は瞳を細め、静かに言った。

「では、あなたが彼女の生活費を負担するの?  
 衣食住、医療費、雑費、人件費。全部」

「え……いや、それは……」

「あなたは領主代理補佐で、うちはその給与を払っているのだから、自分のお金で養って」

「それだとメイド1人も雇えないじゃないか」

「では私と婚約破棄して、住み込みの職場を探せばいい」

「ま、待ってくれよ!
 そんな極端な話じゃないだろ!」

 アウローラは淡々と告げた。

「自分の収入では養えない相手を、私に押しつけようとしている。  
 “助けたい”と言うだけで、負担は全部こちらに回す。  
 そんな人を夫にするつもりはないわ。婚約破棄よ」

「……っ、わかった。
 使用人として働いてもらう。
 本当に簡単な仕事なんだな?」

「もちろんよ」

「では彼女を連れて来る」

 アウローラは何も言わず、ただ静かに頷いた。

 怒りも失望もなかった。  
 ただ、冷たい無関心だけがあった。



 エステルを連れてアウローラの家に戻ると、白い大理石の玄関ホールで使用人たちが出迎えた。  

 だが次の瞬間、俺たちは別々の方向へ案内された。

「こちらへどうぞ、トリスタン様」  
「ノワイエ男爵令嬢は、あちらの応接室へ」

 俺は思わず声を上げた。

「いや、2人でアウローラと話す。
 案内は1つでいい」

 だが使用人は一歩も引かない。  
 薄い青色の瞳が、冷たく俺を見据えた。

「次期当主を煩わせるおつもりですか」

「煩わせるって……婚約者だぞ、俺は」

「婚約者であればこそ、礼を欠く真似はお控えください。
『こちらに従わないなら、実家に送り返す。
 荷物と婚約破棄の書類は後で送る』と、お嬢様から言付けられております」

 その声音は淡々としていて、怒りすら感じられなかった。  
 ただ、決定事項を告げるだけの冷たい響き。

 俺は言葉を失った。

 エステルは別室へ連れて行かれ、扉が閉まる音が響いた。  



 案内された応接室に入ると、そこにはアウローラではなく──  
 家令と書記官、そして医師が待っていた。

 白い壁、整えられた書類、冷たい空気。  
 まるで取り調べの場のようだった。

 家令が淡々と口を開く。

「では、ノワイエ男爵令嬢の健康状態について伺います。  
 何の病気で、いつから、どのような治療を?」

「えっ……いや、その……本人から病弱と聞いただけで……」

 特に何の病気があるかは知らない。

 医師が鋭い目で俺を見る。

「診断名は? 主治医は? 処方薬は?」

「そ、それは……実家で冷遇されてて医者に診せてもらえないんだ。  
 でも普段から頻繁に腹痛やふらつきがあって、季節の変わり目には風邪をひく。
 虚弱体質だ。仕事はできない」

 事実ながら、自分でも苦しい言い訳だと思った。

 すると家令が書類を差し出してきた。

「わかりました。では、こちらに署名を。  
 “婚約者として不貞行為をしない”という契約書です」

「ふ、不貞って……!」

「ノワイエ男爵令嬢を屋敷に入れる以上、関係が疑われては困りますので」

 さらにもう1枚、静かに置く。

「こちらは婚姻届です。  
 お嬢様との婚約を継続する意思があるなら、署名を」

「い、今ここで……?」

「当然です。  
 責任を取る覚悟があるかどうか、確認させていただきます」

 逃げ道はなかった。  
 アウローラの父の“最後通牒”が頭をよぎる。

 俺は契約書を読んだ。

 ──不貞した場合、持参金を慰謝料として没収。  
 ──エステルがトラブルを起こした場合、トリスタンが全責任を負う。  
 ──体調等、虚偽の申告があった場合、一生使用人として働く。  
 ──給与は過去の度重なる侮辱行為(ドタキャンなど)の賠償を差し引いた額を支給。

 胸が冷たくなっていく。

 しかし、もう逃げられない。

 俺はただ、震える手で次々と署名するしかなかった。



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