文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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まさかの平民落ち



 契約書への署名を終え、ようやくエステルのところへ行こうと立ち上がった瞬間だった。

 扉の前に立っていた使用人が、静かに頭を下げた。

「ノワイエ男爵令嬢は“使用人候補”です。  
 あなたは“領主代理補佐”。  
 職務上の接触以外は禁止です」

「ふざけるな! 俺が連れて来たんだぞ!」

 声を荒げると、家令が間に入る。  

「これ以上騒ぐなら、屋敷からお引き取りください」

「出ていけって……?
 本気で言ってるのか?」

「お嬢様の判断ですので」

 俺は婚約者であっても、ここでは何の決定権もない。

 そのままエステルには会えず、応接室に取り残された。

 ──本当に、これで大丈夫なのか?



 夕食の時間になり、ダイニングへ向かった。  

 長いテーブルには、アウローラと両親の席が整えられている。

 だが──

 俺の席だけ、何も置かれていなかった。

「これは何だ? 俺の分がないぞ」

 アウローラは、淡々と告げた。

「契約書に“虚偽申告があった場合、使用人として働く”とあったでしょう。  
 あなたの幼馴染みは、至って健康だったわ」

 足が凍りついた。

 ──まさか……。

「だから、これからは使用人の食堂で食べてちょうだい。  
 部屋も次期当主夫婦の部屋から、使用人部屋に移ってもらう」

 ふざけるな!

 エステルを家に置くのが嫌で、嵌めたな。

「診断を偽装させたんだろ」

 俺が言うと、アウローラは薄く笑った。

「そう言われると思って、うちと“反対派閥”に属している貴族の侍医に来てもらったわ」

 絶句した。  

 つまり、アウローラは最初から俺の言い訳を潰すために準備していたのだ。

 証拠として完璧。  
 反論の余地がない。

 アウローラは、ほくそ笑んで続けた。

「良かったじゃない。
 使用人の食堂だったら、幼馴染みと一緒に食事ができるわよ」

 確かに、そうだ。

 婚約者のブスッとした顔を見るより、エステルと食べた方がいい。

 それに──使用人として働いても、表向きは婚約者であり貴族であり未来の婿だ。

「じゃあ、行ってくる」

 俺は喜んで使用人食堂へ向かった。




 翌朝、まだ薄暗い時間に使用人に叩き起こされた。

「トリスタン様、荷運びと庭掃除の時間です」

 寝ぼけた頭で外に出され、重い荷物を運び、朝食を挟んで、庭の落ち葉を集める。  

 冷たい風が頬を刺し、手はすぐにかじかんだ。

 ──何で俺が、こんなことを。

 苛立ちが渦巻く。

 これなら実家に戻って、新しい縁談を親に探してもらった方がいい。  

 もし見つからなくても、父の執務補佐として働いた給与で、エステルを養えばいい。

 そんな考えを抱えたまま、アウローラに会いに行くと──  

 玄関ホールにいた彼女は、白金の髪を整え、外出用のドレスを身にまとっていた。

 ミリンの兄アレクサンダーと、茶会に出かけるところだった。

「なぜ自分がパートナーでない?」

 思わず声が荒くなる。

「王子妃主催の茶会だもの。平民は王宮に入れないわ」

「は?」

「昨日、婚姻届を出した後、父が当主権限で、あなたの貴族籍を抜いたの。  
 あなたは私の夫だけど、平民なのよ」

「な、そんな……あり得ない。嘘だろ?」

 除籍は本人の許可がなくても、当主が手続きできる。

 しかも貴族籍は、復籍が極めて難しい。  

 それを本当に、やったというのか。

 アウローラは冷たく言い放つ。

「嘘をついて家に入り込もうとする人間に、力を持たせたまま置くはずないでしょう」

「違う! エステルは、本当に病弱なんだ。
 最近たまたま調子がいいだけで」

「ならば、これまでのカルテを提出して。  
 あなたが手配して、あなたが証明するのよ」

「だからエステルは実家で冷遇されてて、医者を呼んでもらえなかったんだって」

「本当に働けないほど病弱なら、あなたが医者を呼んで費用を負担してたはずよ。
 毎日、一緒にいたじゃない。
 送迎して昼食も奢ってプレゼントもあげてたのに、診察代は払わないの?」

 言葉が出なかった。  
 エステルが“病弱”だというのは、俺が勝手に信じていただけ。

「だけど……でも……平民だなんて、あんまりだ。酷いじゃないか」

 アウローラは、淡々と告げた。

「では離婚してあげるから、実家に戻って復籍してもらって。  
 ただし、こちらは“今まであったこと"を王宮に報告するから、ほぼ100%復籍できないけどね。  
 むしろ逮捕されるわ」

 背筋が凍った。

「もう行かないと」

 揃いの衣装を着たアレクサンダーが、アウローラの肩に腕を回して促す。

「待たせて、ごめんなさい。行きましょう」

 アウローラは玄関を出る前に、振り返って言った。

「忘れてるみたいだけど、“虚偽申告があった場合一生使用人として働く”と契約してるから、離婚して実家を頼っても、こちらへ出勤しないといけなくなるわ」

 息が止まりそうになった。

 アウローラは最後に、淡々と告げた。

「それから、これは大事なことだから言っておく。  
 私達は白い結婚よ。
 私が、あなたを愛することはない。  
 では行ってきます」

 扉が閉まり、メイドが「早く去れ」と言うように、俺を見る。

 しかし、足が動かない。

 絶望が胸に広がる。  

 ──どうすればいい?

 次の瞬間、背後から使用人の声が飛んだ。

「サボるな! 庭の掃除がまだ残ってるぞ」

 俺は追い立てられるように、再び外へ出された。

 ──もう逃げ道はない。

 そう思いながら、冷たい風の中で黙々と働き続けた。



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