文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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エステルへの気持ちが冷めた



 朝食の席で、俺はぼんやりとパンを噛んでいた。

 ──なぜ、あんな女を庇ってきたのか。
 なぜ、あんな女のために人生を捨てたのか。

 全部、エステルのせいだ。
 あの女のせいで、俺の人生はめちゃくちゃになった。

 アウローラに謝罪して、婚姻を無効にしてもらおう。
 使用人契約破棄の慰謝料として持参金を渡せば、貴族には戻れないが──

 侯爵令息には戻れる。

 平民でも、裕福な商人の婿なら貰い手はあるだろう。

 まだ、やり直せる。
 まだ終わっていない。



 執務室の前に立つと、胸が苦しくなった。  

 それでも、ここしか頼る場所がないと思い、扉を叩いた。

 アウローラは書類を閉じ、俺を見た。

「ちょうど良かった。2人は物置小屋に移動してもらうわ。  
 あなたは彼女の下僕として、世話と仕事のサポートをして」

「待ってくれ! なんで、そんな話になるんだ?  
 俺は……謝りに来たんだ。
 今までのこと、俺が間違っていた」

 頭を下げると、アウローラは答えた。

「契約書に“ノワイエ男爵令嬢がトラブルを起こした場合、あなたが全責任を負う”と書いてあるでしょう」

 血の気が引く。  

 確かに、署名した。

「トラブル……?」

「使用人を誘惑して風紀を乱した。  
 これがトラブルじゃなければ、何なの?」

「あっ……」

 昨夜の行列を思い出す。

 そこにトドメが刺される。

「それと、“謝罪して許される期間”は、とっくの昔に過ぎてるわ。  
 仕事の内容は、そこのメイドに聞いて。用件は以上よ」

 俺は強引に廊下へ押し出された。  

 自分だけ助かる取引をしようとしたが、書面上の妻は一切聞く耳を持たなかった。



 案内されたのは、屋敷の裏にある古い物置小屋だった。  

 埃と湿気の匂いが鼻を刺し、床は冷たく壁は薄い。

 エステルは、すでにそこにいた。

 俺を見るなり、彼女は顔をしかめた。

「……最悪」

「お前のせいだろ!」

 激しい罵り合いが始まり、全ての鬱憤を相手にぶつける。  

 疲れて声が出なくなると、薄暗い灯りの下で、俺は膝を抱えた。

 どうして、こんなことになったのか。  
 なぜ、あんな女を庇ってきたのか。  
 なぜ、アウローラを裏切ったのか。

 後悔が、胸の奥で渦を巻く。

 エステルは壁にもたれ、疲れ切った顔で眠っていた。  

 その姿を見ても、もう何の感情も湧かなかった。

 ただ、空っぽだった。



 食事は1日3回、使用人が無言で運んでくるだけ。  

 俺たちは“仕事”をしなければならなかった。

 エステルの身の回りの世話とケア、掃除、雑務。  

 少しでも手を抜けば、使用人に冷たく叱責され、容赦なく追い立てられる。

 水を浴びせられたり、腕を掴まれて引きずられたり──  
 “貴族の扱い”とは程遠い、徹底した下働きだった。

 俺は、ただ耐えるしかなかった。



 エステルの仕事が入るたび、俺は彼女に専用の衣装を着せ、別邸へ連れていく。  

 そこで彼女は、来客の要求に応じる。

 俺は決められた位置から、それを見守らなければならなかった。

 ──何を見せられているんだ、俺は?

 終わると、エステルの身体を洗い香油を塗り、髪を乾かし、また物置小屋へ戻る。

 ──ひたすら繰り返しの日々。


 時折、小屋の隙間から、アウローラとアレクサンダーが舞踏会へ向かう姿が見える。  

 豪奢な馬車、笑い声、光。  

 俺はもう怒る気力もなく、ただ作業をこなすだけの存在になっていた。

 ──なぜ家族は、1度も会いに来ないのだろう?

 そう思うことはあった。  
 だが、確かめるのが怖くて、何もしなかった。




 物置で暮らして7年経った、ある日。

 エステルの肌に湿疹が出始めた。  

 最初は小さな赤みだったが、日に日に広がっていく。

 医者を頼んだが、誰も来てくれない。

 焦っているうちに、俺の身体にも同じ発疹が現れた。

 どうすればいいのか分からず、ただ不安だけが募っていく。

 ──そんな時だった。

 突然、使用人たちが小屋に押し入り、俺とエステルは無言で荷馬車に乗せられた。

 行き先も告げられず、理由も説明されない。

 ただ、車輪の軋む音だけが響いていた。



 荷馬車が止まり、俺たちは無理やり外へ降ろされた。  

 眩しい光に目を細めると、そこは見覚えのある庭だった。  

 白いテント、色とりどりの花、上品な音楽──実家のガーデンパーティーだ。

 突然現れた俺とエステルに、貴族たちの悲鳴が上がった。  

 顔中、湿疹だらけ。  
 誰が見ても“異様”だった。

 アウローラは、俺の両親に告げた。

「こういうことですので、ご子息はお返しします」

 その美しい顔には、情も怒りもなかった。  
 ただ“処理を終えた”という冷たい静けさだけがあった。

 俺の両親は蒼白になり、必死で頭を下げた。

「も、申し訳ございません……!」  
「本当に、本当に……!」

 元はといえば俺が悪い。  

 だが──7年も酷い目に遭わされたのに、なぜ侯爵であるうちの父が、あんなに必死で謝っているのか。

 理解が追いつかないまま、長兄が俺の胸ぐらを掴んだ。

「このバカ!」



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