文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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ラスト/2つの選択肢



 アウローラの屋敷の前。

 俺は石畳に座り込んでいた。  

 門灯の光に照らされた白い外壁は変わらず美しく、俺だけが変わり果てていた。

 扉が開き、アレクサンダーが姿を現した。  

 夜会服の黒いコートが、彼の整った顔立ちを際立たせていた。

「お前、しつこいな。
 もう我が家とは関係ないんだぞ」

「お前じゃない。アウローラと話をさせてくれ」

 アレクサンダーは鼻で笑った。

「あのな、俺は正式にアウローラの夫になった。名実共にだ。  
 平民で、アウローラの夫でもないお前が、貴族の俺にそんな口をきいて許されるのか」

 胸が締め付けられた。

「しかし、頼む……頼みます。
 ……もう後がないんだ……」

 地面に頭を付けると、アレクサンダーは肩をすくめた。

「あのさ、お前が幼馴染みと関係を持たなければ、あの女だけ放逐されて、お前は使用人として残れたよな?  
 使用人でいれば衣食住は保証された。  

 仮に、あの女が病気にならなくても“夜の接待”ができるのは、年齢的にあと8年が限度だった。  
 そうしたら物置での生活も終わって、普通の使用人に戻れた。  
 使用人として出世すれば、それなりの待遇にもなった。  
 それは考えなかったのか?」

「まさか……病気になるとは……」

「不貞がなければ持参金は返してもらえて、1ヶ月後には自由だったのに」

「1ヶ月……?」

 その時、屋敷の扉が開いた。  

 アウローラが、淡いラベンダー色のドレスをまとい、子供の手を引いてきた。

 子供はアウローラに似た白金の髪と、アレクサンダーと同じ灰色の瞳をしていた。

 アレクサンダーが、説明する。

「貴族の子供は、5歳まで家から出さない。  
 だが、それを過ぎると逆に“お披露目会”や“茶会”が始まる。  
 その時に、俺が戸籍上も父親になっていないと色々不便だろう。  
 だからこの子が5歳になるのに合わせて、お前とアウローラの婚姻を無効にし、俺たちが入籍する予定だった。
 それが1ヶ月後だ」

 頭が真っ白になった。

「つまり、お前が婚約者でも夫でもなくなるということは、アウローラ以外の異性を選んでも不貞にならないということだ。  
 契約書に“不貞した場合、持参金は慰謝料として没収”とあっただろう。  
 アウローラと無関係になれば、不貞は成立しない。
 俺達が入籍すると同時に、お前の持参金も返還する手筈だった」

 アウローラは一言も発さず、ただ静かに俺を見ていた。  

 その瞳には、怒りも憐れみもなかった。  
 “終わった人間を見る目”だけがあった。

 俺は声も出せず、ただ石畳に崩れ落ちた。

 白壁が滲んで見える。  

 アレクサンダーは冷たい瞳で俺を見下ろし、ため息をついた。

「持参金があれば、使用人をしながら裕福に暮らすか、アウローラに使用人契約破棄の慰謝料として差し出し、実家に帰って新しい縁談や仕事を探してもらえたかもしれない。  
 しかし、お前が幼馴染みを抱いたために、そうなった」

 頭を抱えた。  

 あの時は、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちだった。  

 自分が守っているはずだった幼馴染が、あんなことになって、物置に押し込められて──  

 せめて体でも繋げないと、やってられないと思った。

 だが考えてみれば2人は、いつか結婚するのに、俺が邪魔になったはずだ。  

 そしたら婚姻無効に……。  
 そこまで考えていなかった。

 未来が見えず、自暴自棄になってしまった。

 アレクサンダーは、冷笑を浮かべた。

「いいこと教えてやる。  
 お前は“幼馴染みが可哀相だから”と色々言い訳を並べたが、実際はただヤリたかっただけだ。  
 だから『居候させたい』と言い、アウローラに拒否されても食い下がったんだ」

 胸が痛む。  
 否定できない。

「考えてみろよ。  
 ディアナス伯爵家に泥を塗った浮気の加害者が、謝りもせず衣食住保証され、たまにしか働かなくていい“誰にでもできる仕事”って、何だ?  
 しかも、給料から虚偽と不名誉に対する賠償を天引きできる額の仕事」

 言われてみれば、そうだ。  
 高額な仕事なんて、接待しかない。

 アレクサンダーは、更に追い打ちをかける。

「本当に幼馴染みが大事なら、自分が1人前になって自由になる金が増えてから外に囲うだろう。  
 何で、わざわざ正妻の家に連れてくる?  
 何故、内容が不透明な仕事をさせるのに同意する?」

 返す言葉がなかった。  

 俺は、ただ膝を抱えて震えた。

 アレクサンダーの言葉は、どれも正しかった。  

 俺は“守るため”なんて言い訳をして、結局は自分の欲望と甘えで全てを壊したのだ。

 兄の言葉を思い出した。  

 お前が長男だったら──

 確かに……俺がアウローラの立場なら、割のいい仕事をエステルに与えるはずがない。  

 アレクサンダーは、呆れながら続ける。

「普通は、アウローラに冷ややかな対応された時点で相手の怒りに気付いて、婿入りの立場を省みる。  
 結局お前は“家格は実家が上だから”“今まで文句を言われなかったから”とアウローラを軽んじて、それが一生続くと甘い夢を見たんだ。  
 ──なぜって?
 幼馴染みの体を貪れるまで、後1歩だったから。
 お前の頭の中には、それしかなかったんだよ。  
 その結果が今だ」

 アレクサンダーの言葉は、どれも事実だった。

 エステルが多くの男と関係を持った時、“汚い”と思った。  

 自分だけのものになるはずだったのに、と怒りも湧いた。

 契約書に“不貞”の項目があったことも知っていた。  

 それでも手を出したのは──  

 長い間エステルに対して抱えていた欲望の行き場がなくなったからだ。

 “守っていたはずの幼馴染”があんな扱いを受け、俺自身も未来が見えず、何もかもが崩れ落ちていく中で──

 抱かなければ、過去の自分が報われないと思った。

 純粋な性欲ではなかった。  

 そうでもしないと、やっていられなかったのだ。

 アレクサンダーの言葉が、胸の奥に深く沈んでいく。

 アウローラは、薄紫の瞳で静かに俺を見下ろした。  

 その姿は7年前と変わらず美しく、そして今はもう手が届かない。

「多くの貴族の三男は1人でも生きていけるように、婿入りしても立場が弱くならないように、自力で騎士爵や準男爵の位を取るのよ。  
 あなたは爵位を取らなかったんじゃなくて、取る実力がなかった。  
 どうして、それでも大事にされると思ったの?  
 ノワイエ男爵令嬢のことがなくても、あなたは結局こうなったと思うわ」

 一瞬、視界が弾けて気絶しかけた。

 俺は“格上の家から来たんだから大事にされて当然”だと思い込んでいた。  

 アウローラの仕事を適当に手伝えば、あとは遊んでいていいと。  

 幼馴染を優先し、両家の名を貶めたせいで、自分に政略結婚する価値がなくなったなんて思い付きもしなかった。

 ──ただただ愚かだった。

 アウローラ一家が、ドアの向こうへ消える。

 別れの挨拶もなければ、なんて声をかけていいのか言葉も出てこない。

 ここから早く立ち去るべきだと思っても、体が動かない。

 使用人が俺の腕を掴み、再び荷馬車に押し込んだ。



 気付けば、薄暗い路地に倒れていた。  

 石畳は汚れ、空気は湿って臭い。  

 唯一の財産だったアクセサリーは、全てなくなっていた。

「あの、すいません……ここは何処でしょうか?」

 近くにいた老人に声をかけたが、無視された。  

 場所を変えて子供に話しかけると、鼻で笑われた。

「金がないなら教えない」

 俺はふらふらと歩き回り、仕事を探した。  

 だが、梅毒で荒れた肌を見た瞬間、誰もが顔をしかめて追い払った。


 やがて倒れ込んだところに、炊き出しの列が見えた。  

 2日に1回の炊き出しで、俺はどうにか命をつないだ。

 だが、どんどん弱っていく。

 使用人のままでいれば、1日3食出ていたのに。  

 風呂にも入れて、着替えも貰えた。  

 給与は天引きされるが、実家から持ってきた物を売れば、多少の贅沢もできた。

 それら全てを、自分で捨てたのだ。  

 せめて残っている私物を取りに行こうと思ったが、ここがどこなのか分からない。  

 貧民街の路地は、どれも同じように汚れて臭い。  

 夜になれば獣のような声が響き、昼になれば人の呻き声が聞こえる。

 もう、どうにもならない──そう思っていた。

 深夜、馬車の音がした。  

 黒い影が近づき、路地の端に何かを放り捨てると、すぐに走り去った。

 金目の物でも落ちていないかと近寄ると、そこに倒れていたのはエステルだった。

 ミルクティー色の髪は泥にまみれ、肌は青白く、唇は乾いてひび割れていた。

「……トリスタン……?」

 かすれた声が、俺の名を呼んだ。

「お前か……何してるんだ?」

 エステルは震える声で答えた。

「……救貧院に行ったら……門前払いされて……でも、諦めずに……何日も粘った。
 ……パンを与えられて……毒に気付かず食べたの……。  
 ……動けなくなったら……馬車で運ばれた」

 梅毒では助かる見込みがない。  
 だから受け入れられなかったのだろう。  

 そして、門の前に居座られては困るから──

「そうか……」

 俺は立ち上がった。  

 エステルを見下ろしながら、2つの選択肢が頭に浮かんだ。

 1つは救貧院へ行き、同じように毒入りのパンをもらうこと。  

 もう1つはアウローラの元へ行き、残りの私物を返してもらうこと。

 どちらを選んでも、未来はない。  

 だが、どちらかを選ばなければならなかった。

 俺は、ふらつきながら歩き出した。

 夜の街は冷たく暗く、静かだった。

 そして、2度とエステルを振り返らなかった。




□完結□


感想 43

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みんなの感想(43件)

ユナ
2026.04.04 ユナ

初めまして。
当サイト自体、あまり使用していないのですが…“魔が差して”チラ見&検索で、作者様の作品を発見しました。
………面白かったーー!
当方の性格が悪いと言われても…作中くらい、勧善懲悪・ドカンと断罪・はい上がれないほど叩きのめされる…が欲しいのです。
…主人公に感情移入し過ぎるのも、理由の一つでしょうが…因果応報・自業自得万歳!です。現実で勧善懲悪はないですからね…(苦笑)。下手したら、被害者が割を食う事も…。
だからこそ、この作品は…有難かったです。ヌルい堕ち方だと「その程度で済んで良かったね(嫌味)」な心境になる事もチラホラ。

加害者視点だったのも良かったです(>ω<)
不幸や不運な被害者(主人公)視点だと可哀想過ぎて辛くなり、その後の凋落が不完全燃焼気味に…。

とても楽しく(で良いのかな?:笑)拝読しました。作者様のこの作品に出会えて、本当に良かったです!
素敵(と言って良いのかな?:笑)な作品を生み出して下さり、ありがとうございました(>ω<)

2026.04.04 星森 永羽(ほしもりとわ)

コメントありがとうございます!
おっしゃること、とてもよくわかります。
私も落ち度のない主人公が、あまりに悲惨だと具合が悪くなります。
また別の作品でも、お目にかかれれば幸いです。

解除
chikizo
2026.04.04 chikizo
ネタバレ含む
2026.04.04 星森 永羽(ほしもりとわ)

いつもコメントありがとうございます!
現実の救貧院も、かなり酷い場所があったみたいです。

感染源がどこかというと、エステルはたまにある仕事以外することがなかったのです。
その間に何かしてたようです……

解除
ao1103
2026.04.03 ao1103

現代の日本の価値観で語れる事ではないのでしょうが、因果応報、自業自得の上をいくようなラストでした。ただ自分はこの世(現在の日本において)は理不尽と不公平で出来ていると思っているので、物語の中でのこのような懲罰はあっても良いのではと思いました。なんだか感想とは言えないようなことを書き散らしてすみませんでした。楽しませていただきました。ありがとうございました。

2026.04.03 星森 永羽(ほしもりとわ)

コメントありがとうございます!
そうですね。半沢直樹が流行る時点で、日本人はフルストレスなのではないでしょうか。
ただアルファポリスのユーザー様は優しい方が多いので、過激ざまぁは合わないのかもしれません。

ご愛読、感謝いたします。

解除

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