その愛は、何と比べて真実なのかしら?【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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続く苦難



  
 部屋の扉が勢いよく開き、トーシハンが入ってきた。  
 
 同時に鳩尾を打たれる。

 うう……朝食が出てしまう……。

「お前という奴は! それでも男か!」

「は……?」

「なぜ婚約者を庇わない?!」

 昨日の観劇のことか。

「え、相手は王子と、その婚約者ですよ?」

 無理だろう。

「だから、なんだ?
 お前も女公爵夫になるのだろう」

「いや、でも今は伯爵子息だし……」

 トーシハンは呆れたように冷たい目で、こちらを見た。

「では、伯爵令息として王子殿下に『よろしくお願いします』と言ったのは、正しかったか?」

「殿下が『正式な挨拶しなくていい』と言ったんで──ぎゃあっ」

 身体が跳ねて、床に転がった。

「『以後、お見知りおきを』だろうが!」

「す、す、すみません」

 トーシハンは深く、ため息をついた。

「今回は、向こうも失礼だったから詫び状はいい。
 ただし反省文は書け」

「また、で──ぎゃっ」

 言い終える前に、鋭い拳が飛んできた。

「……わ、分かりました。すぐに書きます!」

 そこからは、いつもと同じ地獄だった。

 書いては突き返され殴られ、書いては突き返され殴られる。

 トーシハンは、淡々と指摘する。

「言い訳が多い」  
「主語がない」  
「責任の所在が曖昧だ」  
「改善策が書かれていない」  
「感情を書いて、どうする」

 紙が山のように積み上がり、手は震え、呼吸は浅くなる。  

 時間の感覚が消えていく。

 ようやく、トーシハンが破らずに机へ置いた。

「……これでいい」

 その一言で、全身の力が抜けた。  
 椅子に崩れ落ちる……。



 慌てて反省文をラキに渡しに行き、部屋へ戻ると、トーシハンが腕を組んで待っていた。  

 灰色の瞳が鋭く光り、空気が一瞬で張りつめる。

「教科書の企画書を書け。
 教育大臣から仰せつかってきた」

「はえっ?! な、内容ですか?」

「当たり前だろう、バカ」

 短い言葉なのに、胸に重く落ちる。

「何を、どう書けばいいです──ぎゃっ」

 言い終える前に、身体が跳ねた。

「質問する前に手を動かせ。まず書け」

「す、すぐ書きます」

 急いで書き、震える手で差し出す。

 トーシハンは紙を受け取り、目を通した瞬間、眉をひそめた。  

 その表情だけで、背中が冷たくなる。

「……リサーチしたのか?」

「何をですか?」

「実際に平民街に行って、その生活を見て、何が必要か調査したのか?」

「ええ、ええ、平民街にはよく行くので、平民のことは分かっています」

 トーシハンは額に手を当て、深く息を吐いた。

「……本当に、これでいいんだな?」

「ええ、完璧だと思います」

 トーシハンはしばらく黙り、やがて静かに言った。

「分かった。大臣に渡す。
 今日の授業は、これまでだ」

「やった……!」

 胸の奥で喜びが弾けた。  

 ようやく終わった。  

 ようやく休める。寝よう!





 企画書を渡して数日。

 重い扉が開き、僕は城の会議室へ通された。  

 長い机の向こうには、リュシアンヌ父娘、王弟、ケネシー侯爵夫人、そして教育大臣が並んでいる。

 緊張で喉が乾いた。

「まずはドレイモンド伯爵令息の企画書を、ご覧ください」

 大臣が複写した企画書を、全員に配った。  

 紙が配られる音だけが、静かに響く。

 ページを開いた瞬間──  
 僕以外、全員が青ざめた。

 空気が重く沈む。

 ラキが頭を下げた。

「申し訳ありません。大臣、ケネシー侯爵夫人」

 リュシアンヌも深く頭を下げる。  

 僕だけが、ぽかんとしていた。

 何がそんなに悪いのか、よく分からない。

 ラキが言った。

「こちらで責任を持って、書き直させます。
 1ヶ月ほど時間をください」

 大臣は険しい表情で頷いた。

「今回は大目に見ますが、次は陛下の耳に入れます」

 その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がさらに冷えた。  

 王弟は目を閉じ、ケネシー侯爵夫人は扇子を握る手に力を込めている。

 僕は、ただ紙を握りしめたまま立ち尽くしていた。

 自分が何をしでかしたのか──  



 帰りの馬車も、夕飯も、まるで葬式のような空気だった。  

 誰も口を開かず、重苦しい沈黙だけが続く。

 さすがに僕も、これはマズいと思った。



 部屋に戻り、湯に浸かってようやく身体の緊張が少しだけ緩んだ。  

 湯上がり、メイドが訓練で受けた“衝撃の痕”に湿布を貼っていく。

 腕、肩、脇腹、背中──  
 触れられるたびに、鈍い痛みが走る。

「毎日こんな酷い目に遭ってるっていうのに、まだ足りないって言うんだぜ?」

 メイドは黙って頷いた。  

 声が出せない彼女は、いつもこうして仕草で返す。

「ああ、そうか。お前、口がきけないのか……話し相手にならないな」

 そこで、ふと思いついた。

「ノラが居れば……そうだ。ノラに企画書を書いてもらおう。
 平民の彼女の方が、何が必要か分かってる」

 僕は机に向かい、急いで手紙を書いた。

・自分の代わりに企画書を書いてほしい。平民の視点が必要だ。教科書の内容を任せたい。  

・婿入りが成功したら一緒になれる。だから協力してほしい。  

・公爵家で酷い目に遭っている。  



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