ワールド・スイーパー

秋谷イル

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三章【限りなき獣】

突撃

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 白い怪物、彼は濃霧の中を飛び続けていた。人間のような感情は持ち合わせていないが、もしもそれを有していたらきっと『焦って』いる。ニャーンが連れ去られてから、すでにかなり長い時間が経過した後。接続が切れているので彼女の安否も確かめられない。
 彼も罠にかかった。アイム達に先んじて第七大陸まで追跡して来たまでは良かったものの鉱山の手前にある霧に包まれた街へ突入した途端、どうしても霧から抜け出せなくなってしまったのだ。
 空間が歪んで侵入を阻む迷路を形成している。極めて高度な『魔法』を用いたものでとても突破できそうにない。魔法に関する知識に乏しいアイム・ユニティ達にもこれを抜けることはできないだろう。
(救出成功確率はゼロ)
 今のところ、そういう計算結果しか出ない。だからといってやめることなど彼にはできなかった。怪塵は与えられた命令に従うのみ。ニャーン・アクラタカから新たな命令を受け取らない限り別の行動を取ることもまた不可能。
 自分はこのまま永遠に霧の中を飛び続けるのだろうか? 不吉な演算結果が浮かんでくる。だが、それを打ち砕く力が突如として飛来した。

 赤い雷光が雲を切り裂く。

『!』
 あれはニャーン・アクラタカの持つ『破壊』の力。おかげで三つのことがわかった。彼女は今も生存しており、何者かと戦っている。
 そして、この空間に出口が生じた。人間よりも遥かに膨大な情報量を取得できる彼のセンサーが結界に生じた亀裂を捉える。
 迷わず滑り込んだ。機械的な判断だからこその迅速さ。次の瞬間にはまた亀裂が閉じてしまったものの、すでに彼は霧で覆われた街への侵入を果たしている。
 接続も再確立された。彼女が助けを求めている。
『今、行きます』
 白鳥はその身を変形させて一本の矢となり、目標地点に向かって真っすぐ空を駆けた。



 ユニ・オーリ――その名を聞いた瞬間ニャーンの中の『ナデシコ』が激しく反応した。
「貴様ッ!」
 およそ彼女らしくない二人称が口をついて出る。受け継いだ記憶、遥か昔のここではないどこかの世界の惨劇が脳裏に浮かんで来る。

 三柱の不在。最強の竜の殺害。
 魔王誕生。試練の神の乱心。
 神子の英雄譚。
 そして一連の事件の黒幕でありながら一切責任を取らずに逃げた男。
 始まりの魔法使い、ユニ・オーリ。

「何度繰り返せば気が済む! どれだけ奪えば満足するんだ!」
 ニャーンの全身から赤い雷光がいくつも放たれる。それは部屋の壁や天井を触れただけで破壊し、無数の瓦礫を降り注がせた。
 ユニは部屋の端に移動して距離を取ったものの、それ以上は避けようともせず哄笑を上げる。
「ハハハハ! それだよ、それが見たかったんだ! 素晴らしいぞニャーン君! いや、それとも今の君はナデシコかい? 久しぶりだね王女殿下!」
「ユニッ!」
 次の瞬間、笑い続ける男に一際巨大な雷光が直撃した。雷はそのまま壁を突き抜けて建物の外へ飛び出す。
 だが光が消えた後もユニはそこに立っていた。変わらぬ姿で。

「憐れだね君は」
「ッ!」

 驚くニャーン。その内心では安堵もしている。ユニはその精神性こそ憐れむ。
「今の一撃、殺意さえあれば僕を倒すことができた。君なら可能なのに、植え付けられた倫理観に邪魔されている。せっかく表出したナデシコの意識まで抑えつけるとはね」
 命は尊く、ゆえに他者を傷付けてはならない。そう教わって来たニャーンの心が殺傷力を奪ってしまった。それによって最大のチャンスも逃した。彼の言う通り彼女にはこの男を倒せたのだ。
「過剰な優しさは自分も他人も殺す。それを今から教えてあげよう、君の全て、身も心も凌辱して屈服させることで」
 拘束具を突き破り、ユニの背中から無数の触手が這い出して来る。彼はそれを躊躇わずニャーンに向かって伸ばした。言葉通り彼女の尊厳を砕いて抵抗の意志を奪うために。
 だが――

【管理者の安全確保を優先】
「おや?」

 天井を貫いて飛来した何かが瞬時にニャーンの背中に取りつく。そして白翼と化し、迫って来た触手をことごとく打ち払う。
「おっと、これは予想外の援軍だ。霧の結界を抜けて来るとは」
 身構えるユニ。単に増援が来たというだけでなくニャーンの心が落ち着いている。忘我の状態でなら容易い相手だったが冷静さを取り戻した今は流石に油断できない。なにせ彼女の背中のあれはアイムすら苦戦させるほどの怪物なのだ。
「来てくれたんだ、ありがとう!」
『当然です』
 少し前に主従となったばかりの即席コンビ。しかも、この組み合わせでの実戦はまだ一度も経験していない。
 だとしてもニャーンは新たな仲間を信じることにした。そうしなければ絶対、この邪悪な男には勝てない。
「勝てるつもりかい? それは流石に思い上がりだよ!」
「負けません! 勝てなくたって負けるもんか! 私だってアイムと同じ『英雄』なんです!」
 そうなると決めたから、ニャーンは逃げずに新たな相棒と共に立ち向かって行く。



『アイム様! 今の赤い雷、もしかして!』
「ああ、ニャーンの力じゃ!」
「生きているな」
 背中合わせになって今しがた見たものについて話し合うズウラとアイムとグレン。彼等もすでに第七大陸に上陸している。だが肝心のニャーンが連れて行かれたであろう鉱山の街に霧がかかっていて、その霧からどうしても抜けられずに立ち往生していた。
 しかも、そんな彼等にさっきからひっきりなしに異形の獣達が襲いかかって来ている。強さこそ大したことはないが、どれだけ倒してもキリが無い。しかもこの霧だ、離れ離れになるとお互いを見失ってしまう恐れがあるので一か所に固まって迎撃していた。
 アイムの目には赤い雷が生み出した亀裂に飛び込んでいく白鳥も見えた。おそらく先行したあの怪物もこの霧に囚われていたのだろう。そして脱出した。
「次にまた雷が見えたらチャンスじゃ! 一気に結界を抜けて外へ出るぞ!」
『はい!』
 返事をしながら魔獣を切り伏せるズウラ。すると、早くもその頭上を二度目の雷光が駆け抜けた。彼の顔は岩の甲冑の中で自然と綻ぶ。
(生きてる! ニャーンさんはまだ生きてるぞスワレ! 目を覚まして戦ってる!)
 だったらまだ間に合う。助けられる。すぐに反転して光の発生源へと走る彼。アイムとグレンも動き出す。
 いや、誰よりも速くグレンが雷光の生み出した亀裂に飛び込み、そこで自らも光を放った。白い輝きが閉じかけていた亀裂を無理矢理に押し広げる。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
『すごい! 閉じるのを防いでくれてる!』
「感心しとらんで飛び込め!」
『うわっ!?』
 尻を蹴られて宙を舞うズウラ。そんな彼を空中で担いでそのまま亀裂に飛び込むアイム。二人が外へ出たのを確認してグレンも脱出する。
 直後、追いかけようとした異形の獣達を置き去りにして結界の亀裂が閉じた。
「いてて……何するんですかアイム様」
「急ぎじゃ、許せ」
 ふうと息を吐いて立ち上がるアイム。そして久方ぶりに目にする鉱山の街の風景を見て、さらに長い吐息を漏らした。
 何も変わっていない。何一つ変えられていない。グレンとズウラも嫌悪感を顕わにして目の前の光景にしばし言葉を失う。
 無数の死体が動いている。死してなお自由を奪われ労働力として扱われている。突然の侵入者に一切反応せず黙々と与えられた役割をこなすだけの憐れな人形達。
 もっと早く、こうしてやるべきだった。

「皆、眠るが良い」

 とりあえず手近な死体の腹部に腕を突き刺し、操っている人工生物を抜き出した。もう後のことなど考えるつもりは無い。いや、後のことを考えているからこそ、こうする。
 アリアリ・スラマッパギは必ず倒す。今日この街で。だから彼の犠牲者達にも安息をもたらしてやろう。
「ズウラ、君はやらなくていいぞ」
 光を剣の形に変えるグレン。その隣でズウラも鉄剣を構える。
『いえ、やります! 人の形をしていることに抵抗感はあるけど、この人達にとってはもう、これだけが救いなんですよね。やらせてください!』
「よし、行くぞ」
 若者の覚悟を聞いてアイムは走り出した。赤い雷光が止んでいる。ニャーンの身に何かあったのかもしれない。あまり時間はかけられない。
「奴とニャーンは、おそらく奥にあるあのでかい建物にいるはずだ! 進め!」
 動く死体を次々に打ち倒しながら駆けるアイム。その後に続き、同じように犠牲者達を弔う二人の能力者。
 そのうちに霧の中で出くわしたのと同じ異形の獣達がまた襲いかかって来た。しかしこの三人を止められるはずもない。こともなげに蹴散らして前進を続ける。
「死ぬなよニャーン! すぐに行くからな!」
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