ワールド・スイーパー

秋谷イル

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最終章【鳥と獣と箒の女神】

ズワルタ

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 ニャーンの心は僅かな間、深い悲しみと後悔の念に囚われた。
 けれどすぐに彼の言葉が、その声に込められた信頼が解き放ってくれた。

「ズウラさん……」

 涙しながら瞼を開く。もう彼女は迷わない。たった一人でも信じてくれる人がいるなら、この道を進み続けよう。神として歩むこれからの長い道のりを。

「ありがとうございます」

 感謝する。彼に対してだけではなく、あの星に生きる多くの仲間達に。
 たしかにグレンは疲れ果て、不安に苛まれているようだ。クメルを守り切れなかった自分自身と彼女を傷付けた怪物、そして神々への怒りにも燃えている。
 それでもなお彼の心には、やはりアイムとニャーンへの信頼がある。だから今も戦い続けている。その想いもまた伝わって来る。

【信じているぞアイム、ニャーン! お前達なら、必ずやってくれると!】
「はい……やります!」

 全身に青い輝きを帯びるニャーン。自分を信じる者達の心、信仰が集まって来る。ユニと戦ったあの時のように、それが神格を高め、さらなる力を引き出してくれる。
 遠く離れた宇宙の中心にいながら彼女は母星を攻撃する抗体達に干渉した。

「やめなさい!」

 母星の上空、何も無い空間から無数の赤い雷が放たれ凶星達を打ち据える。そして支配権を書き換えていく。
 驚愕して動きを止めるグレン。けれど、そんな彼をもう何者も攻撃しない。

【これは……!?】
「効率が悪いな。ニャーン・アクラタカ、これを君に渡そう」

 アルトゥールが手の平を上に向け、光を生み出してニャーンに渡した。受け取った彼女はそれが何かを瞬時に悟る。

「免疫システムの……!」
「ああ、管理権限だ。元から君が管理者なら書き換える手間を省けるだろう。使いなさい」

 この宇宙の秩序を保つためのシステムの鍵。それを託したことは深い信頼の証。ニャーンもまた深く感謝しつつ素直に免疫システム本体の新たな主となった。
 瞬く間にその情報が全ての怪塵、すなわちフェイク・マナに伝播し始める。宇宙の全ての場所で赤い怪塵が白く塗り替えられていく。破壊の使命を中止して救済を開始する。
 再び喜びの感情が伝わって来た。これはユニの想い。

【……オカ、エリ】

 度重なる被弾と凶星への対処で見るも無残になっていた母星を取り巻く輪が、今度は自ら分解を始めた。ニャーンが命じたわけではない。それらの操作権限を任されたままのユニが脅威の去ったことを確信し、人々の救援を優先すべきと判断した。そのおかげである。
 大量の白い怪塵が傷付いた人々の元へ降り注ぎ、救命処置を行う。

「お願いします、ユニさん。私もすぐに戻りますから」

 これ以上の細やかな操作は流石に現地に行かなければ難しい。そう判断して戦いで傷付いた人々の救助は一旦彼と現地の人々に任せるニャーン。母星へ伸ばしていた意識の枝も元に戻す。
 でも、なおも彼女には母星の人々の想いが伝わって来る。彼女を信仰する者達のそれはどれだけ距離を隔てても届くらしい。
 温かい熱、熱い高揚感が胸の中心から広がっていく。戦いは終わったと確信して喜ぶ彼等の顔を早く直接見たい。
 そんなニャーンの気持ちをアイムも汲み取った。片手を挙げてウーヌラカルボに謝罪する。
「すまん、飯はまた今度で」
「おい!? 約束が違うぞ!」
 糧神はすでに調理を始めていたため手を止めて抗議した。ただしニャーンが「すみません!」と頭を下げて、やっぱり食べてから行きましょうよと進言するとコロリと態度を変える。
「しょうがないなあ……こんなサービスは滅多にしないんだからね」
「えっ?」
 彼女にもウーヌラカルボが何をしたのかはわからない。ただ、どういうわけか突然母星から届く人々の感情の波がさらに強くなった。何か物凄く喜んでいる。
「ほら、さっさと行きな。故郷に待ってる連中がいるんだろ? そっちの失礼な犬はともかく君は仲間だからな、感動の再会を邪魔したりはしない」
「えっと……ありがとうございます」
 困惑しながらも感謝するニャーン。他の神々も引き留めたりはしなかった。
 だからすぐに扉を開く。もうアルトゥールにそうしてもらう必要は無い。今の彼女はこの宇宙のどこにだろうと一瞬で移動できる。これもまた守界七柱の特権の一つ。
 そう、ここにだっていつでも戻って来られる。
「あの、では、少しだけ行ってきますね」
「急ぐ必要は無い」
 苦笑するアルトゥール。どういうことかと問うと意外な事実を教えられた。
「君は要領が悪かった。数多くの星を巡ってくれたおかげで急を要する案件は無い。私の眼が予知する限り、次の出番は数十年先だ」
「そんなに!?」
「気の長い話だと思うだろうが、それも今だけだぞ。神の生は長い。時間の感覚も次第に人のそれからかけ離れていく。だから今のうちに楽しみなさい、その数十年の余暇で人としての生を」
「!」

 彼女の言わんとしていることを察し、やっぱり頭を下げるニャーン。
 改めて深く深く感謝を捧げる。

「ありがとうございます!」
「もう行きなさい。君のこれからの『人生』に幸多からんことを」
「はい! 幸せになってきますね!」
「直截な娘だ」
 また呆れ顔になるアルヴザイン。そんな彼や他の神々にも何度も頭を下げてから扉をくぐる少女。少し遅れてアイムも後に続いた。

 彼もやはり、最後に一度だけ振り返って告げる。

「また来るわい」
「次は飯を食えよ!」
 ウーヌラカルボの言葉に片手を挙げて答え、扉の先へ姿を消す。
 残された神々はそれぞれに余韻を楽しんだ。
「この庭園がこんなに賑やかだったのは久しぶりだな」
「ああ、これからは当面こんな調子だろう。あの新入りはなかなかに姦しい」
「ふふっ、楽しみだわ。子猫ちゃんの友達にも可愛い子が多いし招待させましょう」
「ほどほどにしろよ」
 釘を刺すテムガモシリ。ケナセネスラは女色を好む。ニャーンはこれから先、この女神への対応で四苦八苦させられるだろう。流石に強引に押し倒したりはすまいが。
 そんな彼等の背後で鍋をかき回すウーヌラカルボ。
「ったく、また飯を無駄にしやがって」
「その割には穏便な対応だったな」
「むしろ優しすぎ。どうしたのいったい?」
「ニャーン嬢のためだよ! あんな状態で放置したらまた頑張りすぎるだろ! 僕の役割まで押し付けちゃ可哀相だ。とりあえず犬との約束もアレを食ったら果たされたことにしてやる」
「随分気に入ったようだ。この調子じゃ皆あの小娘に絆されそうだな」
「そういうアルヴが実は一番気に入ってるんじゃないの?」
「似てるものな、ウィンゲイト様に」
「……フン」

 あの少女はたしかに創造主ウィンゲイトを彷彿とさせる。それは認めるアルヴザイン。
 だが、だからと言って甘やかすつもりはない。自分はこのまとまりに欠ける六柱、もとい七柱の目付け役でもあるのだ。他が新入りに甘い分、嫌われ役を担っていかねば。
 アルヴザインはまた嘆息する。

「損な役回りだ。これだけはあの方を恨むわい」
 結局のところ彼もニャーンを好ましく思っている。ネスラの指摘通りだとうっかり漏らした本音から知り、他の五柱は密かに笑った。
 言葉を操る神だというのに、アルヴザインは嘘を付くのが下手なのだ。



『わあ……!』
 母星の上空に転移したニャーンは、そこで初めてウーヌラカルボの贈り物がなんだったのか理解した。また感謝の言葉が口をついて出る。
『ありがとうございます!』
 二年前のユニの蛮行、そして度重なる凶星との戦いによって荒廃しきっていた大地に緑が戻っている。青々とした植物が各大陸を覆い尽くし、色とりどりの果実がたたわに実る。
 これで食糧問題は解決された。あれだけの恵みがあれば当面は誰も飢えずに済むだろう。
 グレンのいる宙域に転移したため、すぐに彼も気が付き、迎えに来た。
【アイム! ニャーン!】
『グレン様!』
『久しぶりじゃのう、よく生き延びた』
【その姿は……!】
 ニャーンの変貌を見て動揺するグレン。どれほどのことがあったか察せられたようで、彼の中にあった僅かな不信感や二人に対する怒りは瞬く間に霧散した。
 代わりに伝わってくるのは感謝と労りの気持ち。
【大変だったんだな……】
『グレン様も。クメルさんのことはもう知っています、私に任せて下さい』
【どういうことだ?】
『今の私なら目覚めさせてあげられます。怪塵を使えば脳の治療だって可能なんです』
【……そうか】
 憎むべき敵だった怪塵の力を借りることには、やはり少し抵抗があるようだ。それでも彼は提案を受け入れてくれた。強い信頼と安堵が伝わって来る。クメルに対する愛情も。
【頼む】
『はい、必ず助けます!』
 請け負って、それからアイムの方へ向き直るニャーン。
 宇宙空間に転移したので彼は狼の姿になっている。そんな彼を見上げ、試練の旅から戻って以来ずっと我慢していたことを申し出た。
『あの、アイム……お願いしてもいいですか?』
『なんじゃ?』
『できればその、また背中に乗りたいなって。ほら、もう長いことキュートに乗せてもらうか翼で飛んでばかりだったから……』
『ほう、なるほど』
 聞いて納得するアイム。もちろん断る理由は何も無い。
 たった一つを除いて。
『ヨダレを垂らすな。それさえ約束できりゃ乗せてやる』
『はいっ!』
 ニャーンは喜んで懐かしい背中に飛び乗った。すると翼になっていたキュートが分離して白い鳥の姿になりアイムの眼前へと移動する。微かに感じる敵愾心。
【今回は譲ります】
『対抗心を燃やすな。お主の方がこれからもこやつを運ぶ機会は多い』
【たしかにそうですね。たまの触れ合いくらいは許しましょう】
『なんで上から目線なんじゃ。こやつも随分変わったな』
 あの旅が成長させたのはニャーンだけではなかったらしい。アイムは笑いながら母星への降下を始めた。彼に並走して飛ぶグレンとキュート。
 ニャーンはアイムの背中から母星を見つめ、自虐的な冗談を飛ばす。
『私は真っ白になっちゃいましたけど、ズワルタは元に戻りましたね』
『そうじゃな』
【あれは君のおかげか?】
『いえ、ある意味アイムのお手柄です』
『やめよ』
【面白そうな話だ。後でゆっくり聞かせてくれ】
『はい!』
『やめいっ!』

 彼等の星、その名はズワルタ。虹色の惑星。
 名付け親は陽母、つまりオクノケセラだと言われている。遥か昔、この星を同じように宇宙から見下ろした彼女は言ったのだ。空に輝く数多の星々、遠くから眺めるとシンプルな単色の光でしかないそれらに比べ、なんと色彩と生命に溢れた星なのか。

 彼女が愛したその星にアイムとニャーンは二年ぶりに帰還した。メェピンを肩に担ぎ、スワレと抱き合い、ズウラに約束していた答えを告げ、祝福の声を浴びる。
 二人の主観ではさらに長い時を経た旅路の果て、第四大陸で生存していた数千人に歓迎されての、とても賑やかな帰郷だった。
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