ワールド・スイーパー

秋谷イル

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外伝・箒神新話

光跡の先で

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 アルバルと娘クアルナンは船に乗り、第四大陸から第一大陸へと向かっていた。久方ぶりのこの旅には、もう一人同行者がいる。

「ありがとう、メェピンさん」
「なあに、帰るついでだしね。あんたらだけじゃ心配だし」
「おいおい、私だって元兵士だよ。腕にはそれなりに覚えがある」

 フンと鼻息を吹いて袖をまくるアルバル。旅装束の彼は、今は腰に長剣を一本履いている。
 たしかに歳の割には衰えてないように見えるが、だからといって頼もしいかと問われれば疑問符が浮かぶ。
 素直なメェピンは遠慮の無い娘同様に呆れ顔になった。

「アルバルさん、怪塵狂いの熊にやられてニャーン様に助けられたって聞いたけど?」
「だよね。若い頃からへっぽこじゃない」
「うぐぐ……く、熊は強いだろ。普通は勝てない」

 野生の獣。しかも怪塵に狂わされて凶暴化した獣に勝てる人間なんて、そうそういるものではない。そう言い訳するアルバル。
 実際、彼の言い分ももっともである。だからこそメェピンも堂々と勝ち誇った。

「だったらやっぱりあたしの力が必要だろ。第一大陸もまだまだ復興中なんだからさ、第四大陸より危険がいっぱいなのさ。ズウラ王のお膝元じゃないってんで悪さする馬鹿もいるしね。祝福されし者がいりゃ安心だろ?」
「私は素直に頼ってますよ」
「よしよし、いい子だクアルナンは」

 頭を撫でるメェピン。それを素直に受け入れるクアルナン。この子は戦後に誕生した第一世代なので、いまだに戦前の世代から可愛がられている。
 若者二人、しかも女二人が相手では勝ち目無しだと、アルバルも両手を上げて降参した。

「わかったわかった。今回は頼らせてもらうよメェピンちゃん」
「ちゃんじゃなくて、さーん。もういい年の大人だよあたしゃ?」
「君が歳を取った分、こっちも歳を取ってるんだよ。婆さんになってもメェピンちゃんはメェピンちゃんだ」
「勘弁して。ニャーン様みたいに不老ならいいんだろうけど、あたしゃそうなる予定はないんだから。はぁ」

 ため息をついたメェピンも、同じように両手を上げる。
 そんな二人のやり取りをクアルナンは微笑ましく見守った。父は昔の仲間と話していると本当に楽しそうである。



 それからまあ、いくつかの小さな艱難辛苦を乗り越え、五日ほどかけて第一大陸の西端に辿り着いた。
 船に乗ったばかりの頃とは逆にメェピンへの感謝の言葉と賛辞を繰り返すアルバル。

「いや、本当にメェピンちゃんに来てもらって良かった」
「ねえ? 大助かりだわ」
「思ったより便利に使われた」

 にこにこ顔の親子とは対照的に疲れた様子で嘆息するメェピン。彼女の祝福されし者としての能力は重量操作。昔は自分自身の重さしか操れなかったが、今は他者の重さも変化させられる。
 それを船から降り、陸路になって以来ずっと使わされ続けてきた。馬の体重と乗っている二人の体重を軽くし、負担を軽減させて普通なら半月かかる距離を三分の一の期間で横断したのである。
 船は第一大陸の東端にある港に接岸し、そこから中央の『牙の都』ワンガニを経由して西の果てへ。
 港とワンガニはそれなりにきちんとした街になりつつあったが、ここはまだ小さな家が数軒立っているだけの小さな小さな漁村に過ぎない。
 中へ入ると、数人の子供がこちらの姿に気付いて近づいてくる。

「しらないひとたちだ!」
「ねえねえ、だれ? どこからきたの?」
「わんがにのひと? それともよそからきたの?」
「こら、質問攻めにしない」

 年長の十代半ばの少女がやって来て諌めてくれる。とはいえアルバルたちも邪険にしていたわけではないので、子供たちは叱られても離れようとはしなかった。

「はは、気にしないでお嬢さん。元気でいいじゃないか」
「父さん、しつけだから」
「そうだよおじさん、甘やかしてばかりじゃ子供のためにならないって。というわけでお前ら~」

 自身の重量を操り、軽く地面を蹴って空中にふわりと浮かび上がるメェピン。顔を険しくして子供たちを睨みつける。

「悪い子は食っちまうぞ~」
「ぎゃあああああああああああああああああああっ!?」
「おばけ! おばけおばさん!」
「んなっ!? まだおばさんじゃない!」
「きゃああああああああああああああああっ!」

 逃げる子供たち。追いかけるメェピン。年長の少女は心配そうにおろおろする。

「あ、あの、ちょっと」
「大丈夫、遊んでるだけだから。あのお姉さんは祝福されし者だよ。君のおじいさんと同じ」
「えっ?」

 驚いて振り返った少女の顔をしげしげ眺め、アルバルは頷く。

「おばあさんの若い頃にそっくりだ。君はクメルさんのお孫さんだろう? ご家族はみんな元気かな」



「こちらです」

 少女に案内されて漁村の端、白い砂が眩しい砂浜を訪れると、そこに一人の黒髪の女性が立っていた。

「おばあちゃん」
「あら?」

 呼びかけられて振り返った彼女は顔に傷があり、片目を閉ざしている。ニャーンとアイムが不在だった間の戦いで負傷し失明してしまったからだ。
 しかし、美しい。そろそろ五十に近い年齢だったはずだが、老けにくいのかここでの生活が体に合っているのか、今なお若々しく見える。
 アルバルたちが手を振ると、向こうもすぐにこちらが誰か気付いてくれた。

「アルバルさん、メェピンさん、クアルナンちゃん」
「お久しぶりですクメルさん。でも、ちゃんはやめてください」
「あ、ごめんなさい。もう大人なのよね」
「そうですよ。結婚もしました」
「手紙ではお伝えしたけれど、こうして直接会えたのは嬉しいわ。改めておめでとうクアルナンさん」
「ありがとうございます」

 唇を尖らせたままの娘より早く礼を言うアルバル。同時に横から肘鉄を食らう。

「ちょっとおじさん、クメルさんはきちんと改めてくれたけど?」
「いや、はは……そうだな、すまんメェピンさん・・

 船の上での会話をいまだに根に持たれていたとは。苦笑するアルバル。
 そんな彼にクメルが問うた。

「あの人に話を聞きたいとか?」
「ええ、人生最後の大仕事をと思いまして、ニャーンちゃんのこれまでの歩みをまとめた本を書こうかなと」

 これもあらかじめ手紙で伝えておいた。ひょっとしたら渋られるかもと思っていたが、クメルは笑顔のまま軽く頷いてくれる。

「主人も是非にと言っておりました。今は息子と漁に出ておりますが、そろそろ帰って来ると思いますよ」
「おお、それはありがたい」
「でも、長旅でお疲れでしょう。まずは我が家でおくつろぎを」

 元メイドらしい丁寧な態度と気遣いで三人を自宅に誘うクメル。そこへ、さっきメェピンに追いかけられてから遠巻きに見守っていたあの子供たちが海を指差して声を上げた。

「あっ、きた!」
「とうちゃんたち!」
「グレンじいちゃーーーーーーん!」

 沖に二艘の小舟が見えた。そのうち片方から眩い光が放たれ、瞬時にアルバルたちの前までやって来て凝固する。
 人の形になったそれは、白いヒゲをたくわえ、以前より確実に年老いた姿で微笑みかけた。

「よく来たな」
「グレンさん!」
「お久しぶりです、グレン様」
「わあ……もう、完全におじいちゃんだね」
「だろう?」

 かつての大英雄は、老いたことをこそ誇った。



 光の精霊に祝福されし者グレン・ハイエンド。祝福されし者たちの中でも飛び抜けた実力を誇り『神の子』などとも称された彼だったが、戦後の復興にある程度の目処がついた時点で第四大陸を離れ、妻クメルやまだ幼い息子アザンと共に故郷の第一大陸へ戻った。
 そしてワンガニの復興が始まってから十数年が経過した頃、今度は彼自身の故郷であるこの西端の漁村に戻り、ただの漁民に戻ったのである。
 グレンの家で、彼と差し向かいで座りながら話を聞くアルバル。手にはペンと紙を持って真剣な眼差しで耳を傾ける。

「それでは、精霊との契約はまだ続いているのですね?」
「死ぬまで破棄はできない。だが同化は解いたからな、こうして歳を取るようになった。やがては普通の人として死ぬだろう」
「奥方のためにそうなさったと」
「自分のためでもあるし、今はクメル以外の家族のためでもある。子や孫より長生きしたいとは思わない。ああ、もちろんニャーンやズウラの選択を批判しているわけではないのだが……」
「ええ、それはもちろん。ニャーンちゃん……いやニャーン様もグレン様の選択こそ人としては自然なものだと仰っていました」

 ニャーンは神になった。だからもう不老で不死であることを受け入れるしかない。そんな彼女と共に生きると誓ったことでズウラもかつてのグレンのように精霊との同化を果たし、長い寿命を獲得している。
 そんな二人を批判する者はいない。三十年経ったとはいえ、まだ人々は戦前や戦時中の苦境を記憶したまま。だから心の支えが必要なのだ。
 むしろ、その役割を放棄したグレンを批判する者たちこそ少なくない。彼にはニャーンたちに並ぶ英雄として人々を導く義務があるのではないかと。
 だが、ニャーンが許した。なにより彼女と同じく、愛する者と共に年老いて死にたいと考えることが自然だと認識している者が大多数である。だからグレンの選択に不満を抱いている者たちでさえ、彼のその願いを尊重してくれた。
 老いたグレンは、引き続き選択の理由を述べる。

「若い頃には……いや、ニャーンと出会うまでは俺も道を切り拓き、他者を導く存在になろうと思っていた」
「だが、考えが変わったと?」
「理解したからな。それは俺でなくとも良い。むしろ俺は、そういう柄ではない。祝福されし者として俺は、ただの一本の刃だった。道を切り拓くことはできても導くことなどできはしない。適材適所、そういう仕事には、それに向いた人材をあてがうべきだ」
「つまり、ニャーン様やズウラ王ですか?」
「ああ。悪意を祓う神となり数多の星々を平和に導き続けているニャーンは言うまでもなく、ズウラも上に立つ者としての器量は俺より優れている。ワンガニの王にとの声もあったが、俺にはナラカのように上手くやれる自信は無かった」

 ナラカは凶星との戦いで犠牲となり、ワンガニには王族がいない。そして新たな王にと望まれたグレンが断ったことで、ワンガニでは新たな政治形態が生まれた。議会が政治を担い、その議会に参加する議員たちは民の投票によって選ばれる。
 この仕組みが上手くいくかどうかはこれからわかっていくことだが、グレンは悪くない選択だと思った。平和になったこれからの時代に絶対的な決定権を持つ権力者は必要無い。時間がかかってもいいから、皆で話し合って問題を解決していけばいい。

「それに、俺は責任を放棄したとは思っていない」
「というと、つまり?」
「さっきも言ったように俺は剣だ、道を切り開くことしかできない。だからこの村を復興することにした。ワンガニがこれからも栄え続けるとは限らない。栄えたとして、いつかは助け合える仲間が必要になる。頼れる仲間は多いほどいい」

 ――それがニャーンと出会ってからの日々で学んだことである。アイムからは責任を果たすことの大切さを教わり、ニャーンからは助け合うことの重要性を教わった。
 誰も一人では生きられない。国も一つではきっと成り立たない。様々な文化と様々な考えを持つ数多の国が存在してこそ脅威に対する抵抗力も強まる。
 多様な考え方からは悪意も生まれやすくなるだろう。けれど思想や文化が統一されてしまえば、たった一種の毒で滅びかねない。人が他の種族には見られない多様性を獲得したのは、おそらくそのためなのだ。多岐にわたる可能性を有しているからこそ、あの大災厄さえ乗り越えたのだろう。

「俺はここに国を造るぞ」
「国!?」
「王になるのは俺ではなく、子か孫か、もっと未来の子孫だ。あるいは一緒に来てくれた者たちの血族かもしれん。誰でもいい、相応しい者が玉座につけば。俺は今、そのための道を拓いている。いつかワンガニの友となるために。ゆくゆくは第四大陸や他の大陸とも支え合えるように。あの戦いの時の皆を忘れず、そうあるべき未来を目指そう」

 アルバルは驚愕し、認識を改める。
 第一線を退き、老いて、グレンは余生を楽しんでいるだけだと思っていた。
 けれど違う、この人は今もなお『英雄』で、その責務を果たそうとしているのだと。ニャーンやズウラ、アイムとは異なる形で。
 そして自分自身に対する認識も改めた。

「これは私も、最後の仕事などと言っている場合ではありませんな……この本を書き終えたとしても、次の仕事を見つけて頑張らねば」
「ほどほどにな。俺に触発されて奮起してしまったなどと言われてはクアルナンに恨まれる」
「はは、ご安心を。老いたことはわかっておりますので。あれも、どうやら私の世話を焼くために無理をしているようですからな。本ができたらきちんと休みは取るつもりです」
「ならいいが」
「グレン様もご自愛ください。必要ならば、このアルバルも力をお貸しします」
「ああ、その時が来たら頼らせてもらおう」

 笑いながら語らう老いた男二人。結局、途中からは執筆のための聞き取りでなくただの談笑や昔語りになってしまった。
 そのうちに邪魔になるからと席を外していたクメルやクアルナンたちも戻って来て夕食の支度が始まる。グレンの息子も交えて男たちは酒を飲み始めた。
 子供たちがグレンの英雄譚を聞きたがる。グレンは「またか」と苦笑いした。しょっちゅうせがまれているらしい。
 グレンの息子アザン――彼に良く似た精悍な若者が「いいじゃないか」と笑った。彼も父親の活躍を聞いて育ったのだから、孫たちにも聞かせてやれと。
 その日の食事はグレンたちが獲ってきた魚がメイン。素朴で、それでいて温かく、ほっと心の休まるような味わい。

(こんな国になればいい)

 ――後にアルバルはそう願った。この日のことを思い出し、その思い出が夕日のように温かく、朝日のように眩い記憶となっていることに気付いて、夜空に輝く星々の光を見上げながら思った。グレンの造る国がそんな国であればいいのにと。
 そんな心境を正直に隣の男、一緒に屋根の上に座って星見をしている少年に打ち明けると同意を得られた。

「そうじゃな、そうなればいい。ハッ、あやつめ、そんなことを考えておったとは。死んだ魚のような目で俯いて座り込んでおった小僧がのう……人生というのは、わからんものじゃ」

 彼は言う、新たな楽しみが増えたと。この先も続く長い長い生を歩むための糧を得られると。

「どんな国になったのか、いつか私にも教えてください」
「任せい。だが、お前もまだまだ長生きしろよ。クアルナンの子が見たいじゃろ」
「もちろん」

 グレンが言っていた通りだと思う。光り輝いているのは彼だけではない。
 誰もが可能性を秘めた輝き。ニャーンが初めて目の前で怪塵を操った時、アルバルはそれを知った。彼女によって星が救われ、愛する人と出会ってクアルナンが生まれた時にも改めて思った。
 頭上に流れる星々の川のように、歴史はいくつもの輝きによって形成され、光跡となり未来へ繋がっていく。
 アイムに教わったのだが、自分たちの目に映っている星の輝きの大半は遠い昔の光りなのだそうだ。
 グレンの成し遂げてきた偉業と、これから成し遂げる偉業は同様に遠い未来まで語り継がれていくだろう。

「私の輝きも、彼方まで届くでしょうか?」
「それも、見届けてから報告してやる」
「ありがたい」

 長生きする友がいるのは、いいことだ。アイムがすぐに死にそうにないのでグレンも安心できたのかもしれない。
 そんなことを思いつつ、アルバルは今日も飲みすぎて酔い潰れるのだった。
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