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16.俺の秘書が名探偵で泣き虫な件。
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「社長、こちらカモミールティーです。少しでもお気持ちが落ちつきますように……それにこれからお休みになるなら、コーヒーよりもこちらのほうがよろしいかと思いまして」
目の前に置かれたティーカップの、淡い黄色の水面がゆれる。
それとともに甘めの花の香りが、ふわりと鼻先をくすぐってきた。
「あぁ、すまない、ありがとう」
お礼を言ってひとくちすすれば、いつものガツンとカフェインを感じるコーヒーとはちがう、やわらかな香気をまとった液体に、ホッと肩の力が抜けていく感じがする。
いつのころからだろうか、こうして帰宅してすぐにリビングでお茶をするようになったのは。
たぶんそれは、白幡が秘書だったころに作られた習慣だ。
ふだんからコーヒーを好んで飲んでいた俺のためにと、よく白幡が家でも淹れてくれたっけ……。
やっぱり寝る前に出すそれは、山下とおなじようなことを言ってデカフェタイプが出されることが多かった、なんてことを思い出す。
どこの豆を使っていたのかわからないけれど、困ったことにあの味を越えるコーヒーに出会うことは今のところまだなかった。
もう二度と飲めないのかと思うと、それが少し寂しい気もする。
キリ……と胸が痛みを訴えてくるのをごまかすように、カップをかたむけて、もうひとくち飲んだ。
「あぁ、うまいな……ハーブティーはあまり飲んだことはなかったが、これも悪くない」
「本当ですか?!ありがとうございます!」
……そういえば、白幡のときはそれがあまりにもあたりまえすぎて、きちんと誉めたことはなかったっけか……?
そりゃ、愛想も尽かされるはずだ。
これまでのゲームの世界の俺がある種の『ダメ人間』だったってことを、こういう些細な出来事で思い知らされていくのは、胸がじりじりと焼けるような気持ちになるものだ。
油断をすれば落ち込んでしまいそうで、あわてて意識を切り替えた。
それにしても、はじめのころは山下も危なっかしい手つきだったのが、ティーポットだとかの食器類をあつかうのも、この一月でだいぶ様になってきた。
はじめてコーヒーを淹れてもらったとき、自宅にあるそのカップの値段を聞かれてこたえたときは、顔を真っ青にしてふるえていたことを思うと、ずいぶんな進歩をしたと思う。
「せっかくだから、山下もいっしょにどうだ?好きなものを飲んでくれ、なんなら運転代行を頼むから、酒でもいいぞ?」
「ありがとうございます。では社長とおなじものを……」
そんなやりとりをしていても、相手の顔から緊張の色が消えることはなかった。
自宅のクラシカルな雰囲気のリビングの窓からは、だんだんと明るさを増していく空がよく見える。
あぁ、もう夜明けの時間だ。
思わず現実逃避をしそうになって、軽くあたまをふって、小さく息をつく。
イーグルスター社内でなにがあったのか、正確ではないにせよ、だいたいのところは山下に伝わってしまっているんだろう。
それでも、あらためて自分の口から言葉にするのはツラかった。
どう伝えるべきか、しばし逡巡する。
でもそれ以上に山下の顔が、緊張のあまりに強ばっているのが見えた。
テーブルセットに向かい合わせに腰かけたところで、相手の視線は、今は服の下に隠れている俺の手首のあたりを見つめているのに気づく。
「そんなに……この手首が気になるか?」
「し、失礼しました!」
声をかければ、山下はあわてて顔ごと横を向けて、あやまってきた。
それを見ながら、あらためてシャツの袖口のボタンをはずす。
「あぁ、やっぱり……」
明るいところでまじまじと見たのは自分でもはじめてで、やはり変に抵抗しようとしたせいか、内側にすり傷が残ってしまっている。
おそらく時間の経過とともに、薄くなって消えるだろうけれど、どうしたものか……。
と、そこで視線に気づいて山下のほうを向けば、顔をそむけていたはずなのに、結局山下は横目でこちらを凝視していた。
「そんなに気になるなら、直接見ればいいだろ」
まぁ、こんなもの見てもおもしろくもなんともないだろうけれど、そう言って腕を差し出せば、おずおずと山下が己の手を下から支えるように添えてくる。
たぶんケガの度合いとしては、きわめて軽いもので、数日後にはほとんど消えてしまうだろう。
なのに、そんな赤い筋だのすり傷だのを見た山下は、まるでこの世の終わりのような顔をする。
「な……なにを、そんな泣きそうな顔をしてる?!別にそんな痛くはないぞ?」
「だって社長!これ、赤くなってるところの幅からして、原因はいつものネクタイですよね……?」
「っ!?」
そのものズバリ言いあてられて、ドキッとする。
「こんなに痕が残るほどキツく縛られていたのなら、きっとネクタイだってシワだらけになったでしょうし、そりゃ新しいものに変えざるを得ませんでしょうね?」
……どうしよう、俺の秘書が名探偵すぎる。
別に後ろ暗いようなことを自らしたつもりはないのに、なぜだか緊張してしまう。
「ふつう、仕事をしに行っただけなら、その日につけていたネクタイをはずして、痕が残るほどキツく縛るような事態には陥らないでしょう?だから、ナニかがあったのは明白です!───それも、合意のうえではないナニかが……」
「ちょっ、山下?!」
名探偵もかくやの推理を披露したはずの山下は、しかし最後は号泣と言っていいほどの滂沱の涙をあふれさせていた。
「自分がついていながらっ、みすみす社長を狼の巣に送り出すようなまねを……っ!大事なときにお護りできず、申し訳ありませんっ!!」
ささげ持つようにした俺の手に額をつけ、山下はぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。
「なんで山下が泣くんだ!?」
参ったどうしよう、泣いてるヤツのスマートななぐさめかたなんて、どうしていいのかわからない。
というより、どうでもいい相手ならともかく、そうじゃない相手だからこそ困る。
「だって、社長~~……うぅっ、ぐすっ……自分が不甲斐なさすぎて、嫌になります!」
さっきまでの緊張から一転して、感情を爆発させた山下の涙は、止まる様子もなかった。
涙をぬぐおうともせず、ただしゃくりあげている山下の手がふるえているのは、自分の腕をとおして伝わってくる。
なんなんだろう、大の男が人目もはばからずに大泣きをしている。
俺の常識からすれば、それはとてもはずかしいことのはずなのに。
といっても、ここにいるのは俺たちふたりだけだけど、だとしても仮にも俺は山下の雇用主なわけで。
曲がりなりにもそれは本来、『はばかる人目』に相当するはずだ。
俺の立場上、山下をいさめなくてはいけないのかもしれないのに、なぜだろうか、ふしぎと止める気が起きなかった。
それどころか、わけもなく胸がいっぱいになってくる。
胸を満たす感情の名は───『よろこび』だ。
くすぐったくて、あったかいその気持ちは、とてもじゃないけど言葉でなんかあらわしきれなかった。
「そうか……俺は、そんなにお前に心配をかけてしまっていたんだな……」
気がつけば口もとには、自然な笑いが浮かんでいた。
あぁ、どうしよう、他人から心配されるのは、こんなにうれしいことだったなんて知らなかった!
これまでの俺なら、『心配したところでなんの役にも立たないのだから、それよりも己でできることを着実にやればいい』としか思わなかっただろう。
そのかんがえかたもまた、特別まちがいではないけれど、でも味気ないことに変わりはないわけだ。
それに笑顔も。
これまでだったら、外交用の作り笑いは不自由なくできていたけれど、心の底から楽しいと思って笑うことなんてなかった。
だけど、うれしいと感じたときに自然とわきあがってきたこの笑みは、なんとも言えない面映ゆさがある。
「ありがとう、山下……こんな俺のために泣いてくれて」
ささくれていた心が、癒されていくような、そんなふしぎな感覚。
気持ちが満たされるというのは、こんなにもおだやかな気持ちになるものだったのか……。
「社長……なぜ、なぜあなたはそんなにきれいな顔で笑えるのですか?ひどい目に遭われたばかりだというのに……」
すすり泣く山下が俺を見上げて、まぶしそうに目を細める。
「お前が俺の代わりに泣いてくれたから、だろうか?ほら、これでも使って顔を拭くといい」
いつかのときとは逆に、今度は俺から山下へとハンカチを差し出す。
あのときの俺にとっては、そのたった1枚のそれが、とてもあたたかく感じられたんだ。
「社長~~っ!!もったいなくて、使えませんんん!!!」
だからそんなあたたかさを山下にもかえしてやりたくて、差し出したというのに、山下の目からはふたたび大量の涙があふれてきた。
「自分は一生、あなたについていきます……っ!!」
おいおい、ハンカチくらいで大げさすぎるだろう。
そうツッコミたかったのに、目の前の青年が泣き止むことはなかった。
目の前に置かれたティーカップの、淡い黄色の水面がゆれる。
それとともに甘めの花の香りが、ふわりと鼻先をくすぐってきた。
「あぁ、すまない、ありがとう」
お礼を言ってひとくちすすれば、いつものガツンとカフェインを感じるコーヒーとはちがう、やわらかな香気をまとった液体に、ホッと肩の力が抜けていく感じがする。
いつのころからだろうか、こうして帰宅してすぐにリビングでお茶をするようになったのは。
たぶんそれは、白幡が秘書だったころに作られた習慣だ。
ふだんからコーヒーを好んで飲んでいた俺のためにと、よく白幡が家でも淹れてくれたっけ……。
やっぱり寝る前に出すそれは、山下とおなじようなことを言ってデカフェタイプが出されることが多かった、なんてことを思い出す。
どこの豆を使っていたのかわからないけれど、困ったことにあの味を越えるコーヒーに出会うことは今のところまだなかった。
もう二度と飲めないのかと思うと、それが少し寂しい気もする。
キリ……と胸が痛みを訴えてくるのをごまかすように、カップをかたむけて、もうひとくち飲んだ。
「あぁ、うまいな……ハーブティーはあまり飲んだことはなかったが、これも悪くない」
「本当ですか?!ありがとうございます!」
……そういえば、白幡のときはそれがあまりにもあたりまえすぎて、きちんと誉めたことはなかったっけか……?
そりゃ、愛想も尽かされるはずだ。
これまでのゲームの世界の俺がある種の『ダメ人間』だったってことを、こういう些細な出来事で思い知らされていくのは、胸がじりじりと焼けるような気持ちになるものだ。
油断をすれば落ち込んでしまいそうで、あわてて意識を切り替えた。
それにしても、はじめのころは山下も危なっかしい手つきだったのが、ティーポットだとかの食器類をあつかうのも、この一月でだいぶ様になってきた。
はじめてコーヒーを淹れてもらったとき、自宅にあるそのカップの値段を聞かれてこたえたときは、顔を真っ青にしてふるえていたことを思うと、ずいぶんな進歩をしたと思う。
「せっかくだから、山下もいっしょにどうだ?好きなものを飲んでくれ、なんなら運転代行を頼むから、酒でもいいぞ?」
「ありがとうございます。では社長とおなじものを……」
そんなやりとりをしていても、相手の顔から緊張の色が消えることはなかった。
自宅のクラシカルな雰囲気のリビングの窓からは、だんだんと明るさを増していく空がよく見える。
あぁ、もう夜明けの時間だ。
思わず現実逃避をしそうになって、軽くあたまをふって、小さく息をつく。
イーグルスター社内でなにがあったのか、正確ではないにせよ、だいたいのところは山下に伝わってしまっているんだろう。
それでも、あらためて自分の口から言葉にするのはツラかった。
どう伝えるべきか、しばし逡巡する。
でもそれ以上に山下の顔が、緊張のあまりに強ばっているのが見えた。
テーブルセットに向かい合わせに腰かけたところで、相手の視線は、今は服の下に隠れている俺の手首のあたりを見つめているのに気づく。
「そんなに……この手首が気になるか?」
「し、失礼しました!」
声をかければ、山下はあわてて顔ごと横を向けて、あやまってきた。
それを見ながら、あらためてシャツの袖口のボタンをはずす。
「あぁ、やっぱり……」
明るいところでまじまじと見たのは自分でもはじめてで、やはり変に抵抗しようとしたせいか、内側にすり傷が残ってしまっている。
おそらく時間の経過とともに、薄くなって消えるだろうけれど、どうしたものか……。
と、そこで視線に気づいて山下のほうを向けば、顔をそむけていたはずなのに、結局山下は横目でこちらを凝視していた。
「そんなに気になるなら、直接見ればいいだろ」
まぁ、こんなもの見てもおもしろくもなんともないだろうけれど、そう言って腕を差し出せば、おずおずと山下が己の手を下から支えるように添えてくる。
たぶんケガの度合いとしては、きわめて軽いもので、数日後にはほとんど消えてしまうだろう。
なのに、そんな赤い筋だのすり傷だのを見た山下は、まるでこの世の終わりのような顔をする。
「な……なにを、そんな泣きそうな顔をしてる?!別にそんな痛くはないぞ?」
「だって社長!これ、赤くなってるところの幅からして、原因はいつものネクタイですよね……?」
「っ!?」
そのものズバリ言いあてられて、ドキッとする。
「こんなに痕が残るほどキツく縛られていたのなら、きっとネクタイだってシワだらけになったでしょうし、そりゃ新しいものに変えざるを得ませんでしょうね?」
……どうしよう、俺の秘書が名探偵すぎる。
別に後ろ暗いようなことを自らしたつもりはないのに、なぜだか緊張してしまう。
「ふつう、仕事をしに行っただけなら、その日につけていたネクタイをはずして、痕が残るほどキツく縛るような事態には陥らないでしょう?だから、ナニかがあったのは明白です!───それも、合意のうえではないナニかが……」
「ちょっ、山下?!」
名探偵もかくやの推理を披露したはずの山下は、しかし最後は号泣と言っていいほどの滂沱の涙をあふれさせていた。
「自分がついていながらっ、みすみす社長を狼の巣に送り出すようなまねを……っ!大事なときにお護りできず、申し訳ありませんっ!!」
ささげ持つようにした俺の手に額をつけ、山下はぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。
「なんで山下が泣くんだ!?」
参ったどうしよう、泣いてるヤツのスマートななぐさめかたなんて、どうしていいのかわからない。
というより、どうでもいい相手ならともかく、そうじゃない相手だからこそ困る。
「だって、社長~~……うぅっ、ぐすっ……自分が不甲斐なさすぎて、嫌になります!」
さっきまでの緊張から一転して、感情を爆発させた山下の涙は、止まる様子もなかった。
涙をぬぐおうともせず、ただしゃくりあげている山下の手がふるえているのは、自分の腕をとおして伝わってくる。
なんなんだろう、大の男が人目もはばからずに大泣きをしている。
俺の常識からすれば、それはとてもはずかしいことのはずなのに。
といっても、ここにいるのは俺たちふたりだけだけど、だとしても仮にも俺は山下の雇用主なわけで。
曲がりなりにもそれは本来、『はばかる人目』に相当するはずだ。
俺の立場上、山下をいさめなくてはいけないのかもしれないのに、なぜだろうか、ふしぎと止める気が起きなかった。
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「そうか……俺は、そんなにお前に心配をかけてしまっていたんだな……」
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これまでの俺なら、『心配したところでなんの役にも立たないのだから、それよりも己でできることを着実にやればいい』としか思わなかっただろう。
そのかんがえかたもまた、特別まちがいではないけれど、でも味気ないことに変わりはないわけだ。
それに笑顔も。
これまでだったら、外交用の作り笑いは不自由なくできていたけれど、心の底から楽しいと思って笑うことなんてなかった。
だけど、うれしいと感じたときに自然とわきあがってきたこの笑みは、なんとも言えない面映ゆさがある。
「ありがとう、山下……こんな俺のために泣いてくれて」
ささくれていた心が、癒されていくような、そんなふしぎな感覚。
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「お前が俺の代わりに泣いてくれたから、だろうか?ほら、これでも使って顔を拭くといい」
いつかのときとは逆に、今度は俺から山下へとハンカチを差し出す。
あのときの俺にとっては、そのたった1枚のそれが、とてもあたたかく感じられたんだ。
「社長~~っ!!もったいなくて、使えませんんん!!!」
だからそんなあたたかさを山下にもかえしてやりたくて、差し出したというのに、山下の目からはふたたび大量の涙があふれてきた。
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