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海と断崖
皇妃の晩餐会
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〈皇帝の宿〉から出ると、アレックスが少し歩こうと言った。静かな美しい夜である。リリィの涙もおさまっていた。兄に肩を支えられるようにして歩いてはいるが、感情はたかぶっていない。あまりの悲惨さに体中の力が抜けてしまったのだ。
二人は夜の庭園を歩いた。早咲きの薔薇のかぐわしい匂いがする。秘密の恋人たちも、今夜は庭園を歩いていない。二人はしばし心地よい静寂に身を任せた。
「あの人たちはどうなるのかしら?あの人たちの家族は家に帰ってきて喜ぶかしら」
リリィが熱に浮かされたような口調で言う。
「国のために戦った人たちだ。帰るべきところに帰るさ。そうだね、大変な苦労をするだろうけれど」
リリィは空虚な笑みを浮かべて、噴水の音のする方へフラフラと歩いていった。
「お兄さまはどうやって折り合いをつけているの?どうやって前へ進むの?あんな恐ろしいことを経験して」
リリィが言う。
アレックスは一瞬難しい顔をして、かぶりを振った。リリィが目を伏せ、悲しげな笑みを浮かべる。
皇女は噴水の中の水に手を浸して、目を閉じた。ひんやりと冷たい。
「死んだ人は生き返らない。人の命のことなら、なるようにしかならないんだ」
アレックスが静かに言った。
「あの人たちに行き場はないわ。さっき、いっそ殺してあげた方がいいんじゃないかって思ったの。死ぬまでの苦痛なのに」
リリィがそう言って、唇を震わせる。
「彼らには帝国が居場所をつくっている。働かなくても生きていけるんだ。お願いだからリリィ、彼らのことを憐《あわ》れむのはやめてくれ。兵士たちはみんな覚悟してるんだ」
兵士たちが覚悟しているのは名誉の戦死だ。脚を失って国のお荷物になることでも、視力を失って美しいものを二度と見えなくなることでもない。剣に倒れるなら我慢できよう。だが、死ぬまで一人で歩けなくなるのだとしたら?死ぬまで永遠に暗闇の中だとしたら?
「メアリーに本当のことは言わないの?」
話題を変えた。
「言うべきだろうね。でもひょっとしたら気付いているかもしれない。察しがいいから」
メアリーのある種、攻撃的な性格は母の過去を知っているからなのかもしれない。彼女は何か強烈なコンプレックスを抱えているのだ。
「お父さまがトマス卿にマティアスとメアリーの縁組のことを話していたわ。何だか変な感じ。私には二人が結婚するようには思えないわ」
淡々とした口ぶりで言う。
「父上には好都合な話だろうね。トマス卿は忠臣だし、昔反乱を起こした老トルナドーレ卿はメアリーの監視で繋ぎとめておける。だけど、リリィの言う通り、変な感じだ。マティアスがメアリーのことを憎からず思っているのは知っている。でも、ずっと一緒に育ってきたからね」
リリィにはわかっていた。メアリーはこの縁談を聞いたら怒るだろう。皇帝の命令であろうと承諾するはずがない。
その頃、メアリーは〈皇妃の館〉の大広間で座っていた。ヘレナに招かれるままに、皇妃の隣に座り、会話に付き合う。
皇妃はエメラルドグリーンのサテン生地のガウンに黒いレース飾りの裾をひきずっている。誰とも踊る気がないらしい。今夜の夜会は皇妃の主催したものだ。皇帝はヘレナの開く夜会に一度だって顔を出したことはなかった。
「教えて、メアリー。今日のお目当ては誰なの?」
ヘレナがささやく。メアリーが皇妃の大胆な質問に笑った。
「ある騎士です、皇妃さま。でも踊るつもりはありませんの」
メアリーが上座から大広間を眺めて言う。ツンと澄ました様子で扇子《せんす》を畳んだ。
「トルナドーレなら今夜も来るでしょう」
ヘレナが耳打ちする。
「いいえ、あの兄弟じゃありません。マットという〈兵舎〉出身の騎士です」
ヘレナはちょっと身を離して、メアリーを横から観察した。メアリーは時々、変わったことをするものだ。
音楽が流れ、若くハンサムな男たちが客人にシャンパンを差し出している。演奏もダンスもシャンパンは途切れることなく消費されてゆく。惜しむこともなく、一晩中、世が明けるまで。幸福な恋人たちは頬を染め、踊りで息を切らし、クタクタになるまで一人を見つめ続けた。騎士たちは広間の端から虎視眈々と想い人を狙っている。乙女たちは、女友だちと座って、ただ待っていた……
二人は夜の庭園を歩いた。早咲きの薔薇のかぐわしい匂いがする。秘密の恋人たちも、今夜は庭園を歩いていない。二人はしばし心地よい静寂に身を任せた。
「あの人たちはどうなるのかしら?あの人たちの家族は家に帰ってきて喜ぶかしら」
リリィが熱に浮かされたような口調で言う。
「国のために戦った人たちだ。帰るべきところに帰るさ。そうだね、大変な苦労をするだろうけれど」
リリィは空虚な笑みを浮かべて、噴水の音のする方へフラフラと歩いていった。
「お兄さまはどうやって折り合いをつけているの?どうやって前へ進むの?あんな恐ろしいことを経験して」
リリィが言う。
アレックスは一瞬難しい顔をして、かぶりを振った。リリィが目を伏せ、悲しげな笑みを浮かべる。
皇女は噴水の中の水に手を浸して、目を閉じた。ひんやりと冷たい。
「死んだ人は生き返らない。人の命のことなら、なるようにしかならないんだ」
アレックスが静かに言った。
「あの人たちに行き場はないわ。さっき、いっそ殺してあげた方がいいんじゃないかって思ったの。死ぬまでの苦痛なのに」
リリィがそう言って、唇を震わせる。
「彼らには帝国が居場所をつくっている。働かなくても生きていけるんだ。お願いだからリリィ、彼らのことを憐《あわ》れむのはやめてくれ。兵士たちはみんな覚悟してるんだ」
兵士たちが覚悟しているのは名誉の戦死だ。脚を失って国のお荷物になることでも、視力を失って美しいものを二度と見えなくなることでもない。剣に倒れるなら我慢できよう。だが、死ぬまで一人で歩けなくなるのだとしたら?死ぬまで永遠に暗闇の中だとしたら?
「メアリーに本当のことは言わないの?」
話題を変えた。
「言うべきだろうね。でもひょっとしたら気付いているかもしれない。察しがいいから」
メアリーのある種、攻撃的な性格は母の過去を知っているからなのかもしれない。彼女は何か強烈なコンプレックスを抱えているのだ。
「お父さまがトマス卿にマティアスとメアリーの縁組のことを話していたわ。何だか変な感じ。私には二人が結婚するようには思えないわ」
淡々とした口ぶりで言う。
「父上には好都合な話だろうね。トマス卿は忠臣だし、昔反乱を起こした老トルナドーレ卿はメアリーの監視で繋ぎとめておける。だけど、リリィの言う通り、変な感じだ。マティアスがメアリーのことを憎からず思っているのは知っている。でも、ずっと一緒に育ってきたからね」
リリィにはわかっていた。メアリーはこの縁談を聞いたら怒るだろう。皇帝の命令であろうと承諾するはずがない。
その頃、メアリーは〈皇妃の館〉の大広間で座っていた。ヘレナに招かれるままに、皇妃の隣に座り、会話に付き合う。
皇妃はエメラルドグリーンのサテン生地のガウンに黒いレース飾りの裾をひきずっている。誰とも踊る気がないらしい。今夜の夜会は皇妃の主催したものだ。皇帝はヘレナの開く夜会に一度だって顔を出したことはなかった。
「教えて、メアリー。今日のお目当ては誰なの?」
ヘレナがささやく。メアリーが皇妃の大胆な質問に笑った。
「ある騎士です、皇妃さま。でも踊るつもりはありませんの」
メアリーが上座から大広間を眺めて言う。ツンと澄ました様子で扇子《せんす》を畳んだ。
「トルナドーレなら今夜も来るでしょう」
ヘレナが耳打ちする。
「いいえ、あの兄弟じゃありません。マットという〈兵舎〉出身の騎士です」
ヘレナはちょっと身を離して、メアリーを横から観察した。メアリーは時々、変わったことをするものだ。
音楽が流れ、若くハンサムな男たちが客人にシャンパンを差し出している。演奏もダンスもシャンパンは途切れることなく消費されてゆく。惜しむこともなく、一晩中、世が明けるまで。幸福な恋人たちは頬を染め、踊りで息を切らし、クタクタになるまで一人を見つめ続けた。騎士たちは広間の端から虎視眈々と想い人を狙っている。乙女たちは、女友だちと座って、ただ待っていた……
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