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僕だけの“タクミ”

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 細くしなやかな拓海の首に、そっと腕を巻きつける。
 重ねた唇は、互いに角度を変えるうちに深くなり、やがて舌も絡む濃厚なものとなる。
「ん……むっ」
 浴室で一緒にシャワーを浴び、その後、寝室へと直行した二人は、生まれたままの姿でベッドの上に重なり合い、四肢を絡ませ合った。
 肌と肌が擦れ、そのたびに触れるなめらかな感触が、ただでさえ濃密なキスで盛り上がる二人の熱情をさらに掻き立ててゆく。
「んぅ、っ!」
 不意に胸の弱い場所を探られ、覚えず蒼は甘い悲鳴を上げる。
「あ……や、っ」
 さらに拓海の器用な指先は、蒼の蕾を素早く抓み上げると、人差し指と中指の腹でくりくりと捻りはじめる。
「あ、ぅんっ……やっ」
「相変わらず弱いね。ここ」
 唇を解いた拓海が、鼻先で嬉しそうに囁く。その甚振るような言葉に、蒼はむず痒いような、照れくさいような気分を抱いた。が、不思議と不愉快にならないのは、とりもなおさず相手が拓海だからだろう。
 拓海の愛を、そして、そんな拓海を愛する自分を心から信頼できているからこそ、言葉の一つ一つに悦びを感じることができるのだ。逆に言えば、その信頼がなければ、どんなに甘い言葉をかけられたとしてもそれは心からの悦びにはなりえない。
「……好きだよ、蒼」
 拓海の唇が、蒼の口の端を、頬を、こめかみを次々と啄む。柔らかなキスの雨を一身に浴びながら、蒼は、ひょっとすると自分は、自分で気づくよりもずっと前から、拓海のことを愛しはじめていたのではないかと想像した。
 確かなことは分からない――ただ、そんな気がするというだけで。
 さらに拓海は蒼の首筋に顔を沈めると、鎖骨から肩、胸板へと丁寧に口づけを落としていった。そして――
「あ……はぁ、っ」
 不意に湿らかな粘膜に蕾を包まれ、蒼は切ない声を上げる。
 さらに拓海は、丸めた舌先できゅ、きゅっと突起を吸い上げる。すでに指先の愛撫で感覚を鋭くさせられていた蒼の蕾は、この新たな刺激にさらなる愉悦を訴え、いよいよ蒼の身体を切なくさせた。
「や、やめ……あっ、」
「でも、本当に止めたら嫌だろ?」
 顔を上げ、試すような口ぶりで訊ねる拓海に、しかし蒼は、なに一つ反論の言葉を持たなかった。誰よりも拓海の言葉が真実だと気づいていたのは、ほかならぬ蒼自身だったからだ。
 なおも拓海は、蒼の乳首を執拗に責めつづける。
 丁寧に舐め、吸いつつ、もう一方の乳首を唾液で濡らした指先で転がす。そのたびに蒼は、自分でも驚くほどあられもない嬌声を洩らす羽目になった。
 その間も拓海の唇は、蕾のみならずその周囲にもしつこくキスを植えつける。
「白いから、いっぱい痕がついちゃった」
「い、言うな……はずかし、っ」
 抗議の声を上げる蒼に構わず、拓海はその口づけを下へ、下へと移しはじめる。脇腹に唇を這わせ、尖らせた舌先で臍を弄り――
 そして。
「あ……っ!」
 不意に襲った強烈な刺激に、覚えず蒼は声を溢れさせる。拓海の唇が、すでに痛いほど膨らんだ蒼の自身を包み込んだのだ。
「うあ……ん、っっ」
 さらに拓海の唇は、唾液でたっぷりと濡らしながら蒼のそこをじっくりと扱く。とりわけ裏に舌を這わされると、それだけで蒼の腰は激しく揺らめいた。
「う、あぅ、っ、あ……や、ぁ……」
「可愛いよ、蒼」
 尖らせた舌先で傘の裏を辿りながら、拓海はそっと囁く。
「もっと啼いて。俺のために」
「や……やだ、っ」
「どうして?」
「だって……は、恥ずかし……あぁ」
 自分で口にしてから、余計に恥ずかしさを覚えた蒼は慌てて手のひらで顔を隠す。まるで、そうすることで自分を拓海から隠しおおせると思い込んでいるかのように。だが――
「駄目」
 その手を、拓海の手は残酷にも取り払う。そのまま拓海は蒼の両の手にそっと指を絡めると、顔を落とし、震える蒼の唇にそっと口づけてきた。
「ちゃんと見て。俺が蒼を愛するところ……ね?」
 綺麗な二重瞼の奥から、黒い瞳がじっと蒼を見つめる。その瞳は、誰かの代わりにされたことの屈託や怒りは微塵も感じさせず、ただ、まっすぐに蒼を見つめている。
「お……お前さ」
「なに?」
「どうして――」
 そんなふうにまっすぐに誰かを愛せるんだ。と言いかけて蒼は口を閉ざす。これ以上、拓海を調子づかせるのは、蒼としては何とも癪だったのだ。
 ひねくれ者の蒼は、代わりに、全く別の言葉を口にする。
「いちいち、そんなこっ恥ずかしいことを平気で言えるわけ」
 すると拓海は、うーんと首をひねって、
「そもそも……どうして恥ずかしいと思わなきゃいけないわけ? 愛する人に、ただ、愛してるって伝えるのがそんなにおかしなこと?」
「日本人なら、そういう時は『月が綺麗ですね』って言うもんだろ」
「へぇ、そうなんだ? 初めて聞いた!」
「っていうか、仮にもアーティストの端くれならそれぐらい知っておけよ。読んだことないのかよ漱石」
「そーせき? 何それ? 誰の本?」
「……たまに思うけど、お前ってほんと、いろんなものが欠けてるよな。とくに常識とか」
「ああ、それなら大丈夫。足りないところは蒼が埋めてくれるし、な?」
 子供の笑みで言われると、蒼としては反論のしようもない。
「わ、わかったよ……」
 蒼の返答に満足げに微笑むと、拓海は、ふたたび蒼の芯をそっと口に含んだ。
「ん……あぁ、っ」
 背筋を駆け上がる愉悦に覚えず声を洩らす。
 拓海の唇が上下するたび、ぐちゅ、ぐちゅと唾液のかき混ぜられる卑猥な水音が部屋に響く。改めて見ると、その表情はどこまでも真剣そのもので、蒼を悦ばせるために何をすべきかと、今この瞬間も必死に頭を巡らせる様子がいやでも伝わってくる。
 思えばずっと、拓海は蒼に対してまっすぐだった――にもかかわらず蒼は、そんな拓海には目もくれず、ただ虚しく幻想を追いかけるばかりで……
「……ごめん」
 蒼の言葉に、ふと顔を上げた拓海が「どうした?」と問うてくる。どんな時でも蒼の言葉を聞き漏らさない拓海に、蒼は精一杯の笑みで答えると、その頬を指先でそっと撫でた。
「どうした? 何で泣く?」
「えっ……?」
 拓海の言葉に、蒼は初めて自分が泣いていることに気づいてはっとなる。慌てて指先で涙を拭うも、一度漏れた涙は壊れたように止まらなかった。
「う、うるさい、黙って……やれっ」
 吐き捨て、ぷいと顔をそむける。これ以上は、みっともない顔を晒したくはない。
「うん。蒼が泣き止んでくれるように頑張る」
 滲んだ視界の隅で、拓海がふっと微笑むのが見えた。
 やがて芯への愛撫が再開される。吸われるように扱かれるにつれ、蒼の腰に、あの熱した鉛にも似た重い熱が生まれはじめた。それは、拓海の愛撫によって確実に高められ、育てられ――そして。
「あ、あっ!」
 ひときわ甲高い嬌声とともに、蒼は拓海の口中で盛大に果てた。
「はあっ、はぁ……」
 荒い息をつきながら、蒼はえもいわれぬ充足感とともに呆然と天井を見上げる。こんなに深く充たされたのは、拓海とのセックスではこれが初めてだったかもしれない。
 いや――それを言えば、今まで経験したセックスの中で、の間違いだ。
「……いい?」
 いつの間にか身を起こした拓海が、伺うように訊ねる。
「えっ? な、何が……」
「何がって……ここだよ」
 言いながら、拓海は指先で蒼の窄まりを小突く。見ると、拓海の自身は早くも天井を指して屹立しており、本人同様、蒼へのまっすぐな欲情を示していた。
 その堂々たる屹立に、不覚にも蒼は喉を鳴らしてしまう。
「い……いいよ……」
 あまり物欲しげな言い方をすると、それはそれで拓海を調子づかせてしまう。できるだけ気乗りのしない口調を装いつつ答えると、拓海は、それはもう嬉しそうに微笑んだ。
「じゃ、いくよ」
 言いながら、早くもその指先は奥へと侵入を図ってくる。その先端がやけにぬるついているのは、蒼から吐き出されたものを使っているせいかもしれない。
 指先が緩やかに上下するたび、窪みの奥にぬる、ぬる、と指先が嵌る。その、ある種マッサージにも似た感覚が気持ちよく、次第に身体の奥が蕩けてゆくのを、蒼は止めることができなかった。
 いっそこのまま蕩けてしまえばいい――そう願ううちに、次第に指は深くなり、ついには第一関節が埋まるほどの深さになる。
 だが。
 すでに何十、いや何百回と雄を受け入れたそこが、そんな悠長な愛撫に満足できるはずもなかった。
 拓海が欲しい。今すぐに。
 その熱が。
 激しさが。
 何より――存在が。
「た、拓海、っ」
「なに?」
「き、来てっ、早く……じゃなきゃ、僕、お、おかしくなる、っ」
 一瞬、拓海は驚いたように瞼を見開くと、やがて、こく、と小さく顎を引いた。
「わかった」
 そして中から指を抜き取り、蒼の膝を肩に抱えながら、その身体を二つに折るようにのしかかってくる。
「えっ? ま……前から?」
 拓海の意外な行動に、蒼は軽く面食らう。これまで幾度となく拓海と繋がってきた蒼だが、その際は、必ずバックの体勢で背後から挿れさせていた。その方が相手の姿を見ずに済み、より〝タクミ〟を想いやすかったからだ。だが――
 今この瞬間、蒼にとっての〝タクミ〟は目の前にいて。
 だとするなら、向き合わずにいる理由などどこにもない。
「ん? 駄目?」
「う、ううん……いいよ」
「そう」
 蒼の返事に応じるように、拓海の先端が蒼のほぐれた窄まりにキスする。その熱さと、そして硬さに蒼が喉を鳴らしたその時、拓海の塊が、ぬる、と中にすべり込んできた。
「……あ、はぁ……っ」
 中を充たされる感覚にぞくり背筋が粟立ち、覚えずベッドのシーツを握りしめる。
 圧迫感とともに、与えられる膨大な愉悦に覚えず声が漏れたとき、腰を掴んだ拓海の手が、不意に蒼の身体を引き寄せ、塊を一気に奥へと押し込んだ。
「んはぁっ!」
 奥を埋めたまま、さらに拓海は二度、三度と腰を揺らす。振動を与えられるたびに蒼の弱い場所に先端が擦れ、そのたびに蒼は切なく啜り泣いた。
「あ、い、いや……ぁ」
「蒼は本当にわがままだな。欲しいって言ったり、でも嫌だって言ったり」
「だ、だっ、て……はうっ!」
 烈しく揺さぶられながら、悲鳴とも嬌声ともつかない声を上げる蒼を、拓海は満足そうに眺める。
「……でも身体は、すごく、欲しいって言ってる」
 言いながら、拓海は大きく腰を引くと、ふたたび強い力で奥に叩きつけてきた。
そのまま、内壁を擦るように二度、三度と大きく抽挿を繰り返す。そのたびに蒼の身体は、寄せては返す波に浮かぶ小舟のようにあえなく翻弄されるのだった。
 やがて拓海の口から、昂ぶりを伝える声が溢れはじめた。
「い……いいよ、蒼の中……すげぇいい」
「ほ、ほんと……?」
「ああ。ものすげぇ締めつけてくる……た、たまんねぇ……」
 言いながら、さらに拓海は抽挿を速くする。
このまま、一気に最後まで運ばれてゆくのだろう。拓海という巨大な波に翻弄されながら――
「た、拓海……」
「ん? な……なに?」
「抱いて……抱きしめて。僕のこと、もう、離さないように……」
「ああ」
 そんな、蒼の切なる願いに応じるかのように拓海は上体を屈めると、蒼の背中に腕を回し、その身体を強く抱き寄せた。
「離すわけないだろ? ていうか、絶対に離さないから蒼もそのつもりでいろよ」
「……うん」
 俄かに腰の動きが激しくなる。決して派手ではないものの、確実に弱い場所を責める動きに、蒼の身体は否応なく昂ぶらされてゆく。
 そんな蒼の耳元では、拓海もまた息を荒げ、昂ぶりを伝えてくる。
「あっ、た、拓海、っ、いいっ……」
「蒼っ……!」
 二人の吐息が溶け合い、重なり合う。やがて――
「あ……っっ!」
 蒼の深い場所で拓海が弾け、その衝撃に応じるように、蒼もまた自身の欲望を放った。放たれた飛沫が二人の胸をしとどに濡らし、その焼けるような熱に、蒼は、中だけで達かされた事実を否応なく知る。
「はぁ、はぁ……」
 疲れ果て、ベッドの上でぐったりとなる蒼の上に、折り重なるように拓海の長身がのしかかる。その広い肩は、今は荒い呼吸で大きく上下し、拓海の昂ぶりの大きさを無言のうちに伝えていた。
「……蒼」
 その拓海が、蒼の肩に埋めていた顔をのろり上げる。
「ほんと……ありがとな。俺みたいなのと付き合ってくれて……マジ感謝だよ」
 背中から移った手が、汗と涙で汚れた蒼の頬をそっと撫でる。その、壊れ物を扱うかのような手つきに、いかに自分が拓海に愛されているか、どれだけ充たされているかを、今更のように蒼は思い知っていた。
 幻の〝タクミ〟など、もう必要ない。
これからは、拓海一人を見つめて生きていけばいい。
「なぁ、拓海」
「ん?」
「今度の休みにさ……一緒にペアリングを見に行かないか」
「えっ?」
 瞬間、拓海の双眸が、飼い主に褒められた子犬よろしくきらりと輝く。
「買うの? ほんと?」
「あ、ああ……まぁ、最近ちょっと出費が多かったから、あんまり高いやつは買えないけど」
「うふふ。どんなデザインがいいかなぁ。やっぱ羽根とハートは鉄板だよなぁ」
「おい」
 一人勝手な妄想を働かす拓海を、すかさず蒼は制する。
「乙女かお前は。つーかもっとシンプルな奴にしろ。ぶっちゃけキモいだけだろ、男同士でハートだとか羽根の指輪なんて小洒落たもんつけてたらよ」
「そうかな? 俺はぜーんぜん平気だけど?」
 平気な顔で答える拓海に、蒼は心の底から深い溜息をついた。
「お前……ほんっっとにアホだよな」
 まぁ、そこが良いんだが――とは、おそらく無駄に調子に乗せるだけなので、あえて口にはせずにおいた。(了)
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