二人で癒す孤独

路地裏乃猫

文字の大きさ
15 / 30

客人

しおりを挟む
「あなたは客人なのだ」
 叩き付けるように告げられた言葉に、健吾は手元の茶碗からつと顔を上げると、テーブルの向こう、今もむっつりと食事を取る敦を見た。
 不機嫌だな、という印象はあった。今夜はいつになく不機嫌だなと。もっとも普段は――といっても、せいぜい床の外ではという意味だが――これという感情を健吾の前で晒すことはなく、喜怒哀楽を持たない人形を気取っているから、当然、上機嫌な敦など見たことはなかったのだけど、それでも今日の敦が恐ろしく不機嫌なことだけはよくわかった。
 が、ここが健吾という男の妙なところで、だとすれば尚のこと、この能面男を昂らせてみたくなる。
「知ってるぜ。で? だから何だよ」
 すると敦は、端正な柳眉を軽く寄せて、
「あなたは客人だと申し上げたのだ。その客人が、私の許可なく使用人の仕事を奪ってもらっては困る」
 主の棘のある物言いに、自分が責められていると思ったのだろう、テーブルの隅で次郎がびくりと首をすくめる。
 実際、健吾は今日、次郎や新藤の買出しの品を運んだり米を搗いたり、果ては、爆撃でやられた屋根の一部を修理したりと、八面六臂とまではいかないまでも、なかなかの働きを示した。そのことで、新藤や次郎にずいぶんと感謝されたが、まさか、当の主である敦から、迷惑だといわんばかりの物言いをされるとは想像もしていなかった。
 が、そうでなくとも、敦の言葉は決して納得できるものではなかった。
「じゃ……じゃあ何だよ。あんな重たい米袋を、えぇ? 今にも腰を抜かしそうな爺さんに運ばせろってのか? 足場の悪い屋根を次郎に修理させろと?」
「そうだ」
「は? そうだじゃねぇよ。ガキだの年寄だのがあれこれ働いてるってのに、テメェは知らんふりしてろってのか?」
「そうだ、と言っている。なぜなら、それが彼らの仕事だからだ」
「し、仕事っったって、そもそも今は人手不足なんだろ? 現に屋根や壁の修理は済んでねぇわけだし。だったら、手の空いてる奴が手伝って何が悪いんだよ、えぇ?」
「……とにかく今後、彼らの仕事に手を貸すことは禁じる」
 異論は無用だ、とばかりに言い切ると、敦は早々に席を立った。そのまま健吾に背を向け、食堂兼応接間を出ていこうとする。
 その背中に、健吾は言った。
「じゃあ、俺を雇えよ」
 健吾の言葉に、敦は足を止める。
 振り返る様子はない。ただ、背中で確かに聞いているという気配は確かにあった。その背中に、健吾はさらに続ける。
「ナニの件は別にしてよ、俺を雇えっってんだよ。報酬は、とりあえず三食ちゃんと食わせてくれりゃそれで結構。要するに今、俺が食わせてもらってる飯がそのまま給料になるわけで、あんたとしても悪い話じゃねぇだろ?」
 敦の言葉は筋が通っている。それでも健吾は、どうしても敦の言葉を呑むことができなかった。
〝情〟がないのだ。敦の言葉には。
 お世辞にも、健吾は立派な人間ではない。生まれも卑しければ、その半生も決して人に誇れるものではない。
 が、そんな健吾にも、ここで折れるべきでないぐらいのことは分かる。
 今日、初めて二人の仕事を手伝った健吾は、今更のように二人の苦労を思い知った。
 思えば、これほど厳しいご時世で〝人並み〟の暮らしが守られているだけでも、それは奇跡に近いのだ。当然、そのために二人が払う努力は並大抵のものではない。
 掃除に買い物、洗濯に料理――だけではない。たとえば夜中、屋敷に忍び込む不逞の輩を追い払うのも新藤たちの仕事だ。
 片や健吾は、客人として毎日能天気にタダ飯を貪り食っていたわけだ。
 ――ここで折れたら、本当に俺は人の屑に成り下がっちまう……
「とにかく俺は、あんたが何と言おうと次郎たちを手伝う。屋根の修理だってまだ途中だしな」
 敦の細い肩が、小さくため息をついたように見えた。
「わかった」
 言い残すと、それきり敦は黙って部屋を出ていった。
 襖がぴしゃりと閉ざされると同時に、テーブル脇に立つ次郎が床にへたり込む。
「ななな、何をおっしゃるんですかぁぁ急にぃ!」
「何って、当たり前のことを当たり前だッッただけだろ。こんなご時世だ。堅いことは抜きにして、お互い助け合っていかなきゃよ」
「だ、だからって……旦那さまは子爵さまで、僕らはその使用人で……」
「知るかよ。そもそも、国そのものが倒れた今となっちゃ子爵も柄杓もねぇだろうが」
 その言葉に、次郎がふと怪訝な目を寄せる。
「……田沢さんって、ひょっとして、主義者の方ですか?」
「は? 主義者?」
「いえ、ですから、その……いわゆる革命主義の方かと……」
 どうやら今の言葉で、健吾を共産主義者か何かと勘違いしたらしい。健吾はケッと吐き捨てると、訝る次郎をぎろりと睨み返した。
「冗談じゃねぇ。あんな、口ばっかり達者な世間知らずのガキ共と俺を一緒にすんじゃねぇよ。ったく虫唾が走るぜ」
 反吐よろしく吐き捨てた、その時だ。
 不意に襖が開いて、部屋に戻ったはずの敦が再び応接室に顔を出す。床にへたりこんでいた次郎が、玩具のようにぴょんと跳ね上がるのが何とも可笑しかったが、今の健吾に笑う心の余裕はなかった。
「……んだよ。今度は何の用だ」
 次郎に向けていた目をそのまま敦に移す。が、敦は健吾の方を見ようともせず、まっすぐ次郎を見据えると、
「田沢さんには、早急に、新しい下駄を用意して差し上げるように」
 と言った。
「お客さまにお古を、それも、使用人宅のものを使わせるとは何事だ。すぐに新しい下駄を用意しなさい。あの下駄は、二度と使わせないように」
 いかにも坊ちゃんらしい世間知らずな台詞に、健吾は思わずむっとなる。今の台詞こそは、敦が次郎たちの苦労を何も分かっていないことの証だった。
 この物資難のご時世に、下駄一つ取っても新品を揃えることがいかに難しいか。
「俺は別にお古でも構わないぜ」
 よせばいいのに、気付くと健吾はそう口を挟んでいた。
「金さえ積めばモノが買えるなんてェのは、いかにもお大尽らしい豪気な発想だがな。生憎と世間は甘くねぇんだよ。特に今のご時世はなぁ」
 挑発めいた健吾の口調に、返されたのはしかし、氷のように冷ややかな眼差しだった。
「あなたではない。これに言っているのだ。――では失礼する」
 ほとんど捨てるように言い残すと、今度こそ敦は応接室を後にした。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  ゆるゆ
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが、びっくりして憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! ノィユとヴィルの動画を作ってみました!(笑)  インスタ @yuruyu0   Youtube @BL小説動画 です!  プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったらお話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです! ヴィル×ノィユのお話です。 本編完結しました! 『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編、完結しました! 時々おまけのお話を更新するかもです。 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

処理中です...