二人で癒す孤独

路地裏乃猫

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客人

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「あなたは客人なのだ」
 叩き付けるように告げられた言葉に、健吾は手元の茶碗からつと顔を上げると、テーブルの向こう、今もむっつりと食事を取る敦を見た。
 不機嫌だな、という印象はあった。今夜はいつになく不機嫌だなと。もっとも普段は――といっても、せいぜい床の外ではという意味だが――これという感情を健吾の前で晒すことはなく、喜怒哀楽を持たない人形を気取っているから、当然、上機嫌な敦など見たことはなかったのだけど、それでも今日の敦が恐ろしく不機嫌なことだけはよくわかった。
 が、ここが健吾という男の妙なところで、だとすれば尚のこと、この能面男を昂らせてみたくなる。
「知ってるぜ。で? だから何だよ」
 すると敦は、端正な柳眉を軽く寄せて、
「あなたは客人だと申し上げたのだ。その客人が、私の許可なく使用人の仕事を奪ってもらっては困る」
 主の棘のある物言いに、自分が責められていると思ったのだろう、テーブルの隅で次郎がびくりと首をすくめる。
 実際、健吾は今日、次郎や新藤の買出しの品を運んだり米を搗いたり、果ては、爆撃でやられた屋根の一部を修理したりと、八面六臂とまではいかないまでも、なかなかの働きを示した。そのことで、新藤や次郎にずいぶんと感謝されたが、まさか、当の主である敦から、迷惑だといわんばかりの物言いをされるとは想像もしていなかった。
 が、そうでなくとも、敦の言葉は決して納得できるものではなかった。
「じゃ……じゃあ何だよ。あんな重たい米袋を、えぇ? 今にも腰を抜かしそうな爺さんに運ばせろってのか? 足場の悪い屋根を次郎に修理させろと?」
「そうだ」
「は? そうだじゃねぇよ。ガキだの年寄だのがあれこれ働いてるってのに、テメェは知らんふりしてろってのか?」
「そうだ、と言っている。なぜなら、それが彼らの仕事だからだ」
「し、仕事っったって、そもそも今は人手不足なんだろ? 現に屋根や壁の修理は済んでねぇわけだし。だったら、手の空いてる奴が手伝って何が悪いんだよ、えぇ?」
「……とにかく今後、彼らの仕事に手を貸すことは禁じる」
 異論は無用だ、とばかりに言い切ると、敦は早々に席を立った。そのまま健吾に背を向け、食堂兼応接間を出ていこうとする。
 その背中に、健吾は言った。
「じゃあ、俺を雇えよ」
 健吾の言葉に、敦は足を止める。
 振り返る様子はない。ただ、背中で確かに聞いているという気配は確かにあった。その背中に、健吾はさらに続ける。
「ナニの件は別にしてよ、俺を雇えっってんだよ。報酬は、とりあえず三食ちゃんと食わせてくれりゃそれで結構。要するに今、俺が食わせてもらってる飯がそのまま給料になるわけで、あんたとしても悪い話じゃねぇだろ?」
 敦の言葉は筋が通っている。それでも健吾は、どうしても敦の言葉を呑むことができなかった。
〝情〟がないのだ。敦の言葉には。
 お世辞にも、健吾は立派な人間ではない。生まれも卑しければ、その半生も決して人に誇れるものではない。
 が、そんな健吾にも、ここで折れるべきでないぐらいのことは分かる。
 今日、初めて二人の仕事を手伝った健吾は、今更のように二人の苦労を思い知った。
 思えば、これほど厳しいご時世で〝人並み〟の暮らしが守られているだけでも、それは奇跡に近いのだ。当然、そのために二人が払う努力は並大抵のものではない。
 掃除に買い物、洗濯に料理――だけではない。たとえば夜中、屋敷に忍び込む不逞の輩を追い払うのも新藤たちの仕事だ。
 片や健吾は、客人として毎日能天気にタダ飯を貪り食っていたわけだ。
 ――ここで折れたら、本当に俺は人の屑に成り下がっちまう……
「とにかく俺は、あんたが何と言おうと次郎たちを手伝う。屋根の修理だってまだ途中だしな」
 敦の細い肩が、小さくため息をついたように見えた。
「わかった」
 言い残すと、それきり敦は黙って部屋を出ていった。
 襖がぴしゃりと閉ざされると同時に、テーブル脇に立つ次郎が床にへたり込む。
「ななな、何をおっしゃるんですかぁぁ急にぃ!」
「何って、当たり前のことを当たり前だッッただけだろ。こんなご時世だ。堅いことは抜きにして、お互い助け合っていかなきゃよ」
「だ、だからって……旦那さまは子爵さまで、僕らはその使用人で……」
「知るかよ。そもそも、国そのものが倒れた今となっちゃ子爵も柄杓もねぇだろうが」
 その言葉に、次郎がふと怪訝な目を寄せる。
「……田沢さんって、ひょっとして、主義者の方ですか?」
「は? 主義者?」
「いえ、ですから、その……いわゆる革命主義の方かと……」
 どうやら今の言葉で、健吾を共産主義者か何かと勘違いしたらしい。健吾はケッと吐き捨てると、訝る次郎をぎろりと睨み返した。
「冗談じゃねぇ。あんな、口ばっかり達者な世間知らずのガキ共と俺を一緒にすんじゃねぇよ。ったく虫唾が走るぜ」
 反吐よろしく吐き捨てた、その時だ。
 不意に襖が開いて、部屋に戻ったはずの敦が再び応接室に顔を出す。床にへたりこんでいた次郎が、玩具のようにぴょんと跳ね上がるのが何とも可笑しかったが、今の健吾に笑う心の余裕はなかった。
「……んだよ。今度は何の用だ」
 次郎に向けていた目をそのまま敦に移す。が、敦は健吾の方を見ようともせず、まっすぐ次郎を見据えると、
「田沢さんには、早急に、新しい下駄を用意して差し上げるように」
 と言った。
「お客さまにお古を、それも、使用人宅のものを使わせるとは何事だ。すぐに新しい下駄を用意しなさい。あの下駄は、二度と使わせないように」
 いかにも坊ちゃんらしい世間知らずな台詞に、健吾は思わずむっとなる。今の台詞こそは、敦が次郎たちの苦労を何も分かっていないことの証だった。
 この物資難のご時世に、下駄一つ取っても新品を揃えることがいかに難しいか。
「俺は別にお古でも構わないぜ」
 よせばいいのに、気付くと健吾はそう口を挟んでいた。
「金さえ積めばモノが買えるなんてェのは、いかにもお大尽らしい豪気な発想だがな。生憎と世間は甘くねぇんだよ。特に今のご時世はなぁ」
 挑発めいた健吾の口調に、返されたのはしかし、氷のように冷ややかな眼差しだった。
「あなたではない。これに言っているのだ。――では失礼する」
 ほとんど捨てるように言い残すと、今度こそ敦は応接室を後にした。 
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