黒き翼と、つなげる命(みらい)

和泉ユウキ

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Episode3 理想の狭間

第15話

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「ふう、落ち着くのだよ。やはり、休日とはくあるべきものだね……」

 街中のカフェのテラスにて。
 紅茶を口に含みながら、きらきらとした眼差しを天に注ぐエルスターは、今日も絶好調の様だった。
 思わずリヴェルも空を見上げてみると、確かに気持ちの良い晴天だ。きらきらしたくなるのも分かる気がする。

「もー、エルスターって、変なところでカッコつけ黄昏たそがれマンになるのよねー。そんなんだから、たった一人の女性に会えないのよ。カッコ悪いわー」
「な、ななな何だと!? お前さんこそ、色んな男性に言い寄られているくせに、たった一人の男性に巡り会えていないではないかね!」
「あらー。だって、まだ欲してないものー」
「え!」
「はーあ。どこかに顔が良くて背が高くて優しくて包容力もあってお金もあって自分一人だけ見てくれる誠実で素直な男性はいないものかしらねー」
「な! ぐ、ぬぐぐぐっ……」

 マリアの息継ぎすら無い無茶な条件に、何故かエルスターが歯を食い縛ってうなる。
 そんな彼を眺めながら、ふふーん、と両肘を突いてアイスコーヒーを優雅に飲む彼女は楽しそうだ。二人はいつも衝突していて世間の名物にもなっているが、この口論が無いとお互いに物足りないのかもしれない。

「相変わらず仲いいな。エルスターは負けっぱなしだが」
「ふふふ。マリアちゃんも、素直になればいいのにね」
「ん? 素直? 何がだ?」
「エルスター君もそんなんだから、いつまで経っても進展ないんだよねー」
「進展? 何の話だ?」
「……リヴェル君は、そろそろ察しが良くなろうよ。そんなんだから、いつまでもたった一人の女性に気付かないままなんだよ」

 ぐっさりとクラリスに言葉で刺された。
 二人の仲睦まじさにほのぼのしていたのに、何故攻撃をされなければならないのか。彼女の言葉は難解過ぎて、さっぱり理解できない。
 にこにことした彼女の笑顔に気圧けおされて、リヴェルは誤魔化ごまかす様にオレンジティーをすする。
 優しい、しかし力強い甘さを舌に感じ取り、むふーと息を吐いて堪能たんのうした。やはり、オレンジは美味だ。果物、いや、食物の頂点である。

「はあ、しかしクラリスよ。今日は一体どうしたのだね。席が五つあるところにしようなどと」
「ああ、そうだな。いつもは四人がけのところにしてるのに、誰か来るのか?」
「うん、実は……あ、来た来た」

 エルスターの問いに乗っかってリヴェルも問うと、クラリスが右手を上げて誰かを招いた。
 誰だろう、と疑問に思って――リヴェルの表情が固まる。エルスターも隣で、「げ」と潰れた声を漏らしていた。
 クラリスが手を招き、導かれてやって来たのは、黒いコートを華麗に風になびかせた女性だった。
 最近では本当によく見慣れた人物であり、しょっちゅう裏庭で逢瀬おうせを重ねている存在。相も変わらず、はためくコートは黒い翼の様に映って、凛々しかった。

「……す、ステラ!?」
「こんにちは」
「あらー、こんにちは。よく来てくれたわねー。クラリスが急に誘ってごめんなさーい」
「別に」

 こっちこっちとマリアに招かれ、彼女の隣にステラが座る。ちょうど、リヴェルとは真向かいの席だ。
 何故、彼女がここに。
 左隣でにこにこと良い笑みをするクラリスに、こそっと耳打ちしてしまった。

「おい、どうして呼んだんだ? 聞いてないぞ」
「何か、都合の悪いことでもあるの?」
「い、いや。無い、けど」

 ちらっとステラの方を見やれば、一瞬、あの日の猫が寄り添う姿を思い出す。


〝危なくなったら、ちゃんと逃げて〟


 近付いたと思ったのに、また遠ざかった存在。
 だが、そんな遠いはずの彼女の足元には、進んで猫が寄り添っていた。今もまさに足元に猫が丸まっている様な気がして、何となく気おくれする。

「リヴェル?」
「――」

 そんなリヴェルの視線に気付いたのか、彼女がこちらに振り向いてくる。そのまま、じーっと真っ直ぐに見つめてきた。
 慌てて背筋を伸ばせば、こてんと首を傾げられる。その仕草がどことなく可愛らしいと思い――。

「あ、ああ! 今日は天気が良いな! ははははは!」

 慌てて声を上げ、ぱっぱっと頭の上を振り払った。今の感想は何だと、自分で自分に突っ込みを入れる。

「……リヴェルよ。お前さん、変人になっているが大丈夫かね?」
「……もう、変な輩認定されてるからいいんだよ……」
「うんうん、敵を知るにはまず情報収集だよ!」
「……敵? 情報?」
「あらあら、こっちの話よー。まあ、リヴェルは普通に話していなさいな。観察したいだけだからー」

 クラリスの言葉に不穏さを感じたが、隣のエルスターが悟りの目を開いていたので、大人しく従うことにした。
 何となく、女性陣には逆らわない方が身のためだ。そんな風に思う時は、大抵それで間違いない。

「ステラさん、今日はありがとう! 一度、お話してみたかったの」
「……。……、そう」

 クラリスの歓迎に、ステラは相変わらずの無表情で応対していた。
 何となくはらはらしてしまうのは、リヴェルのお節介というものだろうか。

「先輩……って呼んだら駄目だったかしらー? 呼び捨てでもいい?」
「構わない」
「じゃあ、遠慮なく。ステラ、じゃあ早速何か注文しましょー。何が好き?」

 ずいっとメニューを勧められ、ステラは黙って視線を落とした。
 彼女が、こんな風にカフェに、しかも誰かと一緒という光景が珍しい。慣れなくて、まじまじとリヴェルは彼女を眺めてしまう。
 ――と。

「リヴェル」
「ふわっ! は、はい!」
「リヴェルは、何が好き」
「え? あー、俺は、……オレンジ、パイ、だ」

 思わず片言かたことになってしまったが、特に不審には思わなかったらしい。じっとメニューを一通り眺めた後、彼女はおもむろに顔を上げ。

「じゃあ、それで」
「え、俺と同じか?」
「自分の好きなのって、よく分からないから。リヴェルの好きなものが食べてみたい」
「あー、あー、……うん。じゃあ、注文するか! すみませーん!」

 じわじわと上ってくる熱を振り切る様に、リヴェルは手を上げて店員を呼ぶ。
 隣のクラリスからの視線が痛かったが、何もやましいことはしていない。びしっと姿勢を正して貫くのみだ。

「ステラさんって、好物ってないの?」
「食べられれば何でもいいって思ってる」
「えー。じゃあ、虫とかでもいいとか思ってるー?」
「おい、マリア。それはさすがに酷いだろ」

 一応リヴェルが弁護する様にたしなめたが、ステラはどこまでもステラだった。

「非常時は、それでしのいでた時もある」
「え。……そ、そうなんだー」
「……なかなかサバイバルな方ねー。いいわー、私、好きよー」

 あっさりとゲテモノも食せると認められ、クラリスは中途半端な笑顔で固まってしまった。マリアはむしろ興味深げに聞いていたので、好意を持ったかもしれない。彼女は結構感性が豊かで、受け入れ幅も実は広いのだ。
 しかし、先程からエルスターの口数が少ない。いつもは女性がいたら、立て板に水の如くべらべらしゃべるのにとリヴェルは横目で見て――ぎょっとした。


 彼の普段の快活な翡翠の瞳は今、ステラを射殺す様な鋭さで睨んでいた。


 ぴりぴりと、肌が焼ける様に痺れる。
 ステラの方も気付いてはいるだろうが、素知らぬ風を装っていた。女性二人は感付いているか分からないが、触れることはないだろうと直感する。
 何故、彼はこんなにステラを敵視しているのだろう。裏庭の一件が原因だろうか。
 それとも。

「なあ、エルスター」
「何だね」

 ふっと瞳が元の柔らかさに戻る。
 少しだけホッとしたが、何となく聞ける雰囲気ではなかった。

「ああ、いやな。この前、お忍びの国王を見かけたんだ」
「ほう」

 彼の目つきが更に和らいだ。
 この反応だと、どうやら国王の甥である彼は、ウィルとの関係は良好らしい。安心した。

「ふむ、ウィルが来たのかね。よく、国王だと気付……いや、雰囲気がそれっぽいのだから当然かな」
「あはは、まあ、ステラに言われて確信したんだけどな。エルスター、俺のこと、彼に変な輩とか吹き込んでいないだろうな?」
「うん? いやあ、ははは。リヴェルよ、事実とは時として残酷なものなのだよ」

 つまり、吹き込んでいる。
 悪びれも無く認めた彼の耳を、軽く引っ張ってやった。いたた、とわざとらしく耳を押さえてうずくまる彼に、嘆息する。

「おかげで、ウィルからも変な輩扱いされたんだからな。君の方が変人なのに」
「へー、遂にリヴェルもウィルに会ったのねー。クラリスも会ったことがあったんだっけ?」
「うん! 男前な人だよね。まあ、ちょっと恐いって思うから、わたしは距離を取りたいけど」

 クラリスが眉尻を下げて申し訳なさそうにするのには、リヴェルも妙に納得してしまった。
 ウィルは、にこにこと人好きのする顔をするし、雰囲気も柔らかいから人気はありそうだが、気が抜けない。腹の探り合いに慣れている者特有の話運びに、リヴェルも警戒した。
 ただ。


〝生きて、幸せになって欲しいと思うくらいにはね〟


 根っからの悪い人ではなさそうだ。
 ステラの幸せを願い、彼女の死を跳ねのけるくらいだ。意地悪の可能性も捨てきれないが、あの言葉は本心からにじみ出ていた気がした。

「エルスターは、仲が良いのか?」
「ああ、まあそうだね。彼は食えないが、お人好し過ぎるから、時折少し心配になるのだよ」
「へえ」

 エルスターは、基本的に他人にあまり興味が無い。
 プレイボーイではあるから、常に女性をはべらせてはいるが、誰に対しても本気でないのは流石のリヴェルでも分かる。王族という身分が関係しているのかもしれない。
 だが、現在の国王のことは、それなりに気にかけているらしいことが伝わってきた。
 何となく、彼にも心を許せる人がいると知って喜ばしい。
 表情を緩ませていると、エルスターがいぶかしげに距離を取ってきた。

「何だね。気持ちの悪い顔になっているのだよ」
「エルスターほどじゃないぞ」
「そうね、エルスターほどじゃないわー」
「うん。エルスター君はもっとひどいもんね」
「ちょっと待ちたまえ! ここに、味方はいないのかね……」

 すかさず女性二人が加勢してくれたため、そのままエルスターは撃沈してしまった。「世は無常なり」と、しきりにテーブルに文字を書き始め、本当に危ない人と化している。
 そんなリヴェル達を、ステラはじっと黙って見守っていた。
 話に加わるわけでもなく、ただぼんやりとやり取りを見ている彼女にリヴェルは笑いかける。

「ステラも、ウィルと仲が良いんだよな」
「うん」
「えー、そうなのー。ちょっと意外だわー」

 マリアが好奇心から身を乗り出す。
 クラリスはというと、黙って静かに成り行きを眺める態勢を取る様だ。一歩引く様に、身を引いた。
 何となくその所作が気にかかったが、話が続いたのでリヴェルは聞く姿勢に移行する。

「ウィルは、前から気にかけてくれている。……私が、王族の親戚に連なるから」
「え! そうなのー、初耳だわー。じゃあ、エルスターとも知り合いだったりしたの?」
「……、違う」

 一拍、間を置かれる。
 だが、すぐにステラは首を振った。マリアは気にしなかった様だが、リヴェルはやけにその間合いが引っかかった。
 ちらりと横目でエルスターを眺めれば、相変わらずテーブルに突っ伏して「の」の字を書き連ねている。
 しかし、ほんのわずか――本当にわずかにだが、気配がとがった。気のせいでないと感じるのは、さきほどの彼の眼差しを垣間かいま見てしまったからだろうか。

「王族だけど、はしっこの方だから。後継者争いに巻き込まれても面倒だし、あまり知られない様にはしている」
「ふーん。じゃあ、黙っとくわー。……でも、世の中ってせまいわねー。ねー、クラリス?」
「え? うん、そうだね。ビックリして、声出なくなっちゃった」
「ちょっとー、しっかりしなさい。そんなんじゃ、世界が引っ繰り返ったら死んじゃうわよー」
「えー、マリアちゃん大袈裟過ぎだよ」

 きゃらきゃらと話す彼女達は、にぎやかだ。いつも通りの光景で、何事もなく時間は過ぎ去っていく。
 そのはずなのに。


 ――さっきのエルスターの視線が、脳裏に焼き付いて離れない。


 彼は、マリアの弁では確か、ステラに告白した後に光の速さで逃げ去ったのではなかったか。
 しかし、今の彼らからは、そんな恥ずかしいやり取りがあった様な匂いは、欠片かけらも嗅ぎ取れない。
 むしろ――。


「そういえば、ステラ。前にエルスターが光の速さで逃げたらしいけど」
「――っ!」


 考えていたところで、タイミングを見計らったかの様にマリアが話題をぶっ込んできた。
 何故このタイミングで、とリヴェルの頬が嫌でも引きつっていく。思わずちらっと、エルスターの方を一瞥いちべつしてしまった。
 そして、対するステラの方はというと。

「……光の、速さ」

 相も変わらず、彼女はまっさらな無表情だ。しかも、全く状況を把握していない。
 何のことかと、表情どころか全身で物語る彼女に、マリアがぽん、とエルスターの肩を叩きながら恐ろしくも続けた。リヴェルの方が体を跳ねさせてしまう。

「エルスターってば、ステラに突撃したってクラリスが言ってて」
「ちょ、マリア! やめたまえ!」
「私に、突撃」
「そうそう。それで、光の速さで逃げたって」
「光の速さで、逃げた」
「違う! 違うのだよ! マリア、もう、やめてくれたまえ……っ」

 苦々しそうに吐き出すエルスターの表情は、一見するといつも通りだ。茶化されて、ぎぎぎ、と歯噛みする様な反応にしか見えない。
 しかし、今のリヴェルには異なって映ってしまった。
 何となく――本当に何となくだが、彼は苛立いらだっている様に見えた。対するステラの方も、どこか視線を横にそらし、考え込む様にしている。
 妙なところで緊迫した雰囲気になっていくのを、リヴェルが為す術もなく見守っていると。


「――覚えてない」
「――――――――」


 一言。簡潔に、ステラが切り捨てる。
 その言葉に、「あらー」とマリアは残念がっていたが、リヴェルは心底胸を撫で下ろしてしまった。エルスターの方も、どことなしかめていた息を吐き出す様に胸を上下させている。

 ――本当に、俺の勘繰かんぐり過ぎだろうか。

 今のやり取りは、変だ。
 いや、ステラの方の返答は普通に聞こえる。エルスターの方だって、マリア相手に声を普段通り荒げていた。
 だが、――恥を暴露する様なそんな甘酸っぱい雰囲気は、どうしてもリヴェルには感じ取れない。


 ――もしかして。


 そんな風に、別の予感が灰の様に立ち上ってくるのを胸の内で渦巻かせ。
 リヴェルはデザートが運ばれてくるまでの間、尖った針の束の上に座っている様な気まずさを感じ続けていた。

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