黒き翼と、つなげる命(みらい)

和泉ユウキ

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Episode3 理想の狭間

第18話

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「なるほど。いきなり突き飛ばされて、閉じ込められたのかね」

 腕を組みながら、エルスターが溜息交じりに確認してくる。
 リヴェルは部屋でベッドに座りながら、ステラと共に尋問を受けている真っ最中だった。
 基本的に男性寮に女性が入るのはご法度なのだが、ステラは魔法で隠れながら難なく部屋に辿り着いてしまった。その姿たるや、堂々と胸を張り、泰然たいぜんとしすぎていたため、「ほんとに隠れてるのか?」とリヴェルが何度も周りを振り返って挙動不審におちいってしまったのはご愛嬌だ。

「裏庭から帰る最中だったんだけど、……何でだろうな。逆方向に突進してたみたいなんだ」
「ふむ。まあ、リヴェルは最近、いきなりわめいたり突っ伏したり悶えたりと、変人さながらに忙しかったからね。不思議ではないのだよ」
「っ、ぐ。君、少しはフォローしてくれても良くないか?」
「ふ。可憐かれんで美しい女性ならともかく、お前さんはただの男性なのだよ。ありえないだろう?」

 きらきらと、自身で輝きを生み出しながら前髪を掻き上げるエルスターに、変なうめきが漏れる。友達甲斐がいが無い。
 だが、これが無くなったらエルスターでも無い気がする。何だかんだで、こういった変態――もといお調子者の一面も含めて、リヴェルは彼が好きだった。
 彼とのやり取りで、心も先ほどより落ち着いてきた。
 おかげで、思考も晴れて色々考えられる様になってくる。疑問が生まれた。


「……そういえば、何でエルスターは倉庫に来たんだ? 寄宿舎からだと、裏庭を越えて更に遠かったと思うんだが」


 今冷静に考えれば、不思議だった。
 猫がいる裏庭は、体育館倉庫と寄宿舎の中間地点だ。倉庫方面はリヴェルの行動範囲と全く重ならないし、よく見つけられたなと思う。
 だが、エルスターには何てことない質問だったらしい。何を今更、と目を細めながら肩をすくめた。

「まあ、偶然ではあるのだがね。お前さんを探しに裏庭まで行ったら、魔女殿が慌てて駆けていくのが見えたのだよ。だから、追えたのさ」
「……本当に、そういう変なところ運いいよな、エルスターって」
「そのせいで、見たくもない逢引きを目撃してしまったのだがね。はあ、何が悲しくて、女性といちゃいちゃしているところなど……心配して本当に損したのだよ」
「悪かったなっ! けど、逢引きじゃないからな!」

 やれやれと額を押さえる彼に、リヴェルは強く否定する。
 だが、彼はまるで聞こえていなかったかの様に、話を戻した。友達甲斐が無い。

「それで? 魔女殿、何があったのだね」
「知らない」

 簡潔だ。
 あまりに簡潔な答えに、リヴェルだけではなくエルスターの口元がひくりとわななく。

「お前さん、は……もう少し考えるとか、努力をしないかね!」
「だって、知らない。扉を開けたら、リヴェルが泣いて喜んだ」
「うおっ! おい、ステラ! ちょっと黙っていてくれ!」
「わかった」

 あっさり肯定されてしまい、自分で自分の首を絞めたことにリヴェルは今更ながらに気付く。
 案の定、エルスターの視線が疑わしげにこちらに向いたので、うぐっと心ごと身を引いた。

「ふーむ。……それで? 何故、泣いていたのかね。教えてもらおうではないか」
「げ……っ」

 にやにやと見下ろされ、リヴェルは今すぐベッドに突っ伏したかった。正直、泣いていた云々は消去したい。抹消したい。余計なことをと、ステラを恨みたかった。
 だが、そうも言っていられないのは重々承知だ。涙を呑んで、あの時の状況を掘り起こす。

「えっと、……突き飛ばされる前も妙に静かだったり、大地が揺れた様な感じがして、変だなって思ったんだけどさ」
「……、ふむ。それで?」
「倉庫に突き飛ばされた後に、すぐ扉が閉められて。真っ暗な中、……」


 周囲の闇が、一斉に笑いながらリヴェルを見つめていた。


「……っ」

 体に入り込んできたうごめきを思い出し、体中ががたっと大きく震えた。

「リヴェル?」
「……っ、やみ、が……、っ」

 両腕を回して抱き締める様にかばうと、エルスターがいぶかしげにしゃがみ込んできた。ステラも少しだけ目を細めて顔をのぞき込んでくる。
 普段なら、女性なのに近付いたら駄目だ、と説教できるのに何故かできない。誰かがそばにいるというこの事実が、怯える心にどうしようもなく安堵を与えた。

「……っ、大丈夫だ」
「何を言うかね。顔が真っ青どころか、血が足りていないのだよ。……話せるかね?」
「ああ、……、その、気のせいかもしれないんだけど、さ」

 どう話せば伝わるだろうか。
 考えたが、結局ありのままを話すしかない。思ったことをそのまま白状することにした。


「周りの闇が、何だか一斉にこっちを見て、笑っている感じがしたんだ」
「――」
「しかも、その闇が、次々と体の中に入ってきて、……いずり、回っている様な、……っ」
「――――――――っ」


 また震えそうになる体に力を入れていると、二人が間近で息を呑んだ。
 え、と思う間もなく、ステラが強引にリヴェルのあごを持ち上げる。あまりの強さに、いたっ、と小さく悲鳴を上げてしまった。

「す、ステラ? な、何だ?」
「静かにして。リヴェル、こっちを見てて」
「え、あ、……」

 ばちっと、至近距離で視線がぶつかった。
 初めて見た時から、ずっと変わらない。磨き抜かれた黒曜石の様な瞳は艶めき、吸い込まれそうなほど美しい。例えこのまま落ちたとしても、歓喜に包まれるだろう自信がある。
 かあっと、熱が頬に集まってくるが、ステラの瞳は至って真剣だ。時折吐息が唇に触れ、リヴェルは必死に上がりそうになる悲鳴を呑み込んだ。


 ――何で、ステラは平気なんだっ。


 こんな間近で、下手をすればキスしてしまいそうなほどの距離なのに、何故彼女は顔色一つ変わらないのだろうか。吐息の熱さにも、心の底が震えてたまらない。
 視線を逸らせず、かと言って抗議を上げることも出来ず、落ち着かないまま彼女の瞳を見つめていると。


「……、うん、大丈夫」


 すっと、唐突に彼女が離れて行く。
 一緒に顎にかけられた彼女の指も遠ざかっていって、少しだけ顎の熱が無くなったことにさみしさを覚えた。

「……っ、だから! 俺、変態!」

 がばっと、頭を抱えてリヴェルは唸る。あああ、と悶えて己の思考回路の酷さに自己嫌悪を覚えた。
 大事な話をしているのに、何故自分はこうなのだろうか。誰の目もなければ、きっと泣いている。

「……リヴェルよ。いつにも増して、変人っぷりに磨きがかかっているのだよ」
「うるさい。俺は、エルスターみたいに女性慣れしてないんだよ。ほっとけ」
「ふふ、希望するなら今度、僕が女性講座を開いてあげようとも!」
「それは興味ないからな」
「ぐふっ! どいつもこいつも、僕をぞんざいに扱い過ぎなのだよ……っ」

 打ちひしがれるエルスターには構わず、リヴェルはステラの方に向き直った。
 彼女がいきなり瞳を見ろと言ってきたのだ。何か理由があるに違いない。


「それで? ステラ、何が大丈夫なんだ?」
「うん。リヴェルの中に、魔法の残滓ざんしは無い。だから大丈夫」


 全く分からない。


 相も変わらず簡潔過ぎて、魔法使いではないリヴェルにはさっぱりだ。
 横で、エルスターがホッとしているのが羨ましい。流石は王族。魔法にも明るいと、会話がスムーズになるのだろう。

「えっと、すまない。意味がわからないんだが」
「つまりだね。そのリヴェルが受けた感覚は、お前さんを乗っ取るというか、操る様な精神的な魔法の可能性があったのだよ」
「の、のっと!?」

 物騒な推測をされて、上手く返せなかった。
 乗っ取る。操る。
 そんなことになっていたら、今頃リヴェルはどんな扱いを受けていたのだろうか。想像しただけで身震いする。

「そ、それって、……俺、操られそうになってたってことか? 前に襲ってきたあの青年みたいに?」
「わからない」

 またもあっさりした返事だ。
 むしろ、潔すぎて感心する。

「えーっと、わからない、のか」
「リヴェルの中に残り香みたいなのがあれば、特定できたけど。でも、なんにも残ってない。不思議」
「え、不思議?」
「そう。普通は、操られなかったとしても、残り香くらいはある。でも、リヴェルは無い。だから、不思議」
「へ、へえ」

 真剣に首を傾げられるが、リヴェルも同じ様に首を傾げるしかない。
 そもそも、残り香があるなしなど、魔法の『普通』を、魔法使いではないリヴェルは全く知らないのだ。賛同も出来ない。
 だが、エルスターは違った様だ。考え込む素振りを見せてから、ふむ、と一つ頷いた。


「もしかすると、リヴェルはそういう精神的な魔法には耐性があるのかもしれないね」
「え?」
「魔法使いでなくとも、まれにいるのだよ。攻撃的な魔法はともかく、操るなどの精神作用は効かない、という者がね」


 ぴっと人差し指を立てて説明され、リヴェルは曖昧あいまいに頷くしかない。
 魔法をある程度知っている彼が言うのなら、そうなのかもしれない。ステラも、少しだけ視線を下にずらしてから頷いた。

「可能性はある。残り香がなかったのも、効かないからはじいていたのかも」
「は、弾く。そんなこと、できるのか」
「うん、可能。だから、少なくとも操られる危険性は無い。と、思う」

 断言しないところが彼女らしい。嘘を吐かれるよりはよほど良いし、好ましい。
 しかし、一般人であっても、魔法を弾くことも出来るのか。
 ならば。

「そういえばさ、いっつもステラって魔法使いとそうでない者と、どうやって見分けてるんだ? 成れの果ての区別とかもさ、俺にも見分けられたりしないのか?」

 少し疑問に思っていたことだ。
 ステラは、いつも相手を魔法使いとそうでない者と一発で見抜く。相手が魔法を使ってこようと、そうでなければ違うと断言していた。
 ならば、魔法使いと堕ちた者の差もあるのだろうか。
 万が一の時、リヴェルでも見分けられたら、今回の様な危険も減るかもと軽い気持ちで聞いてみた。
 だが。

「魔法使いと一般人は、その人自身の魔力の有無の差。だから、見分けやすい」
「ああ、なるほど……」
「でも、成れの果ては、……知性が高すぎると、見ただけじゃわからない」
「……、え」

 何だか恐い事実を聞いた気がする。
 それなら、どこで判断し、始末をしているのだろう。あの日の夜のことを思い出し、少しだけ喉が鳴った。

「言葉とか空気に、狂気の匂いが混じっているのが成れの果て。魔力も狂ってる」
「あ、ああ」
「でも、取り繕うのが上手くて、魔法使いとして溶け込んでいる者も中にはいる。そういうのは、尻尾をつかむまでに時間がかかる」
「……、へ、へえ」
「だから、リヴェルには見分けられない」

 気持ちが良いくらい断言された。
 彼女が無理と言い切る時は、無理だ。曖昧であれば、そう表現するだろう。
 しかし。

「……ってことは、近くに成れの果てがいるかもしれないってことだよな」

 一般人として――魔法使いからは普通の魔法使いとして認識され、リヴェルの周りに何食わぬ顔をしているかもしれない。
 今回リヴェルを操ろうとした者が、実は講堂で隣の席に座っていることだってあるかもしれない。
 それは。

「……っ」

 先程の、不気味な闇の笑みを思い出し、小さく心が震える。
 あんな恐ろしい攻撃を仕掛けてくる者が、平然と己と言葉を交わしているかもしれない。
 考えただけで、ぞっとした。

「……、言葉」

 そこまで考えて、「そういえば」と思い出す。
 闇にばかり気を取られていたが、あの時起こった出来事はそれだけではなかった。


「そういえば、……声が、聞こえたな」
「「声?」」


 二人の声が見事に重なる。
 エルスターがあからさまに嫌そうに顔をゆがめていたが、リヴェルとしては微笑ましい。先程までの恐怖も、少し払拭ふっしょくされた。頼もしい限りだ。

 ――そういえば、この二人は今は普通に話しているな。

 その事実が嬉しくて笑っていると、何となくエルスターに睨まれた。二人に対する疑問はあったが、とりあえず話を進めることにする。

「えっと、何か壊れたレコーダーみたいに、あなた、って繰り返し言われたぞ。よくも、とも」
「よくも? ……それは奇妙なのだよ。リヴェル、心当たりは?」
「いや、……俺、あんまりこの学院での交友関係広くないしな。あなた、よくもってそればっかり繰り返された後、確か」


〝あなたは、だれのもの?〟


 にたりと、粘り気の強い笑い方をしながら、聞いてきた。
 息を直接耳元に吹きかけられた様な残り方に、リヴェルは反射的に右耳を押さえる。

「……俺は、誰のものだって。そんなこと言ってきた、かな」
「……誰の、もの、かね」
「ああ。だからライフェルス家のものだって言ったら、何か、驚いてた様な……」

 きかない。なぜ。

 確かにあの時、声はそんな風に呟いていた。
 動揺して、一緒に体に入り込んでいた闇も怯み、そのおかげで無理矢理闇を引き千切れたのだ。

「ふむ。やはり、操る魔法だった様だね。その言葉は、よくある操り人形魔法の一つなのだよ」
「あ、操り……人形」
「リヴェル。良かった、効かなくて。効いてたら、気絶するまで殴らなきゃならなかったから」
「え、あ、そ、そう、か。……それは、良かったな、ははっ」

 あのステラの魔法で問答無用で殴られていたら、今頃リヴェルは五体満足でここにはいなかっただろう。
 ステラにコテンパンに殴られるところを思い浮かべ、冷や汗がだらだらと背中を流れていく。本当に操られなくて良かったと心の底から胸を撫で下ろした。

「ふふ、まあ、それだけ恐い目に遭えば、扉が開いた時には泣いて喜ぶだろうよ。リヴェル、恥ずかしがらなくて良いのではないかね?」
「――」

 反論しようとしたのに、一瞬言葉に詰まった。咄嗟とっさに目を伏せてしまって、おや、とエルスターの空気が揺れる。
 目を見開いた様な気配に、しかしリヴェルはすぐに顔を上げられない。
 この時点で、もう気付かれたな、と己の迂闊うかつさに嘆いたが、白状する気にもなれなかった。


〝ごめんなさい。おねがい、だして。……おばあさまっ……〟


 ――ずっと、諦めていたことだ。


 扉を開けてくれることを、誰かに助けてもらうことを、リヴェルはとうの昔に諦めていた。
 なのに、今回は何故か諦めきれなくて、みっともなく足掻あがいて扉を叩き続けた。
 エルスターを、マリアを、クラリスを、ステラを。
 みんなの顔を思い浮かべて、助けにきてくれると自然に希望を抱いていた。


 ――それも、学院生活が終わるまでなのに。


 実家に帰れば、決定権は無くなる。自由も奪われる。友人と会うことも難しくなるだろう。全て、祖母に制限されるのは最初から決まっている。

 ――どれだけ、理想を追いかけたいと願っても。向き合いたいと願っても。最後は、全部潰される。

 昔から、そうだった。何度願い、潰されてきたか分からない。
 だから少しでも希望を抱いた自分が愚かで、――けれどそれを笑う気にもなれなかった。
 何故なら、倉庫の扉が開くのを待っていた様に。

「……リヴェルよ」

 ずっと――。

「……な、何だ?」

 声がうわずった気がしたが、無理矢理笑った。
 ぽりっと頬をかいて誤魔化そうとしたが、エルスターは呆れた様に――どこか怒った様に溜息を吐く。


「僕は、お前さんとの仲を、学院生活だけで終わらせるつもりはないのだよ」
「――――――――」
「覚えておきたまえ」


 怒りながら、しかし力強く断言される。
 何で、と喉が震えたらもう駄目だった。

「……っ、そう、かっ」

 急いでベッドに突っ伏した。ぼすん、と勢いが付きすぎて顔が痛かったが、それよりも胸が痛くて苦しい。
 何でもかんでも見抜かれている。リヴェルが、諦めようとしていること。


 ――助けて欲しいと、願っていること。


 希望を抱いても無駄なのに、それでも願ってしまう自分に、リヴェルは驚きよりも納得が上回る。
 何故なら、彼らはいつも助けてくれたから。
 大学院での生活の中、リヴェルが沈んでいたら救い上げてくれていた。
 だから、願ってしまうのだ。
 卒業しても、離ればなれになっても。


 ――ずっと、彼らと友人でいたいと。


「……っ」

 目頭が熱くなって、震える。嗚咽おえつが漏れそうになるのは懸命にこらえた。ここで泣いているところまで見せたら、本当に後戻り出来なくなる。
 だって、自分は。

〝あんたは、このライフェルス家の跡取り。それ以上でも――〟

 でも――。


「まあ、とにかくだよ。魔女殿、リヴェルに魔法が使われたらわかる様にしておいてくれたまえ」
「わかった」


 背後で、エルスターとステラが今後の打ち合わせを始める。
 リヴェルを守るためだと知って、また目の奥が熱くなった。つん、と鼻の奥も痛くなって、息が出来なくなりそうだ。
 己の道は決まっている。きっと、変わらない。
 だけど。


〝僕は、お前さんとの仲を、学院生活だけで終わらせるつもりはないのだよ〟


 夢を、見ても良いだろうか。


 リヴェルも彼らとの仲を、いつまでも続けていけるのだと。
 例え、離ればなれになったとしても。
 そう、夢を見ても良いだろうか。

〝息子が死ななきゃ、あんたなんか〟

 己を否定する人よりも、己を肯定してくれる人を信じても、良いだろうか。
 もし、許されるのならば。


 その時は。


 願いながら、祈りながら。
 リヴェルは熱を呑み込んで、いつも通りの笑顔で二人へと振り返った。

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