山椒の書置き所。

山椒

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完全無欠の二重奏 六話

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 俺と藤原先輩は一階に降り、本来ならないはずの地下へと向かう階段が存在していた。俺を先頭に藤原先輩が俺の後ろについて地下に降りていく。

 今のところ藤原先輩のおかしな言動がないところを見ると、やはり何かおかしいのだと分かる。この短時間でそれに気づかせてくれる藤原先輩はすごいのかやばいのか分からないけど、気分はとても楽だ。



 俺は火の玉を出して明かりにする汎用術式を使って暗い足元で踏み外さないように階段をおりていく。その間もずっと何も言わずに不安そうな顔をしている藤原先輩を尻目に、階段を下りた先には廃病院ではなく洞窟のような薄暗い場所だった。

 しかもただの洞窟ではなく、何かの儀式を執り行われるような飾りつけをしている場所だった。俺と藤原先輩が地下に踏み入れると、俺たちを誘うかのように両端にあるかがり火が手前から真っすぐに灯っていく。

「……誘いこまれているのか?」

 この誘い込まれている感じに嫌な予感しかしなかった。一旦この空間から逃げて学園長に指示を仰ぐ方が正解かもしれない。幸い、この周りに人はいないから少し放置しても被害は出ない。被害が出るとすれば俺たちだ。

 俺は絶対に大丈夫だけど、藤原先輩を守れるまで術式を使いこなせていないから俺だけならともかく藤原先輩と行くのはリスクが大きい。

「藤原せん――」
「行くわよ」
「えっ?」

 やっぱり藤原先輩を外に出してから俺だけで向かおうと思って藤原先輩に声をかけようとしたが、その前に藤原先輩が俺の横を抜けて先に進み始めた。

 だが、その雰囲気が異常だった。俺が知っている言動がヤバい先輩の雰囲気はなく、冷たい雰囲気を纏った藤原先輩になっていた。多重人格であると言われた方が納得がいく。

「藤原先輩、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
「……さっきみたいにふざけた真似をしなくて良いんですか? 何なら俺がしましょうか?」
「あなた、自分で何を言っているのか分かっているの?」

 まさか藤原先輩にそんなことを言われるとは思っていなかったァッ! これはとうとう藤原先輩が多重人格であることが濃厚になってきた。もう多重人格の域だろ。

 俺が困惑している中で、藤原先輩は俺の手を引いて先に進んで行く。もしも藤原先輩が多重人格であるとしても何ら問題はないのか? 何かに憑依されていればかなりヤバいが。

 もしもの時は、俺の術式を使わざるを得ないけど、今のところ自衛のために自身に術式をかけることは百%成功している。でも俺以外の人間に術式を使うのは攻撃以外は自信がない。やったことがないからな。

 藤原先輩? に手を引かれて両端にあるかがり火を頼りに先に進んで行くと、広い場所に出た。そこは神か何かを祀るような場所をしていて、お供え物などが並んでいる。

 時並先輩や征天さんからは自衛の術を叩きこまれていたし、授業でもそういうことを詳しく習わなかったからそっち方面の知識はそれほどない。

「ようこそ、いらっしゃいました」

 その祭壇の前にいるのは燕尾服を着てモノクルを付けた柔らかそうな雰囲気の老年の男性が深々とお辞儀をしている。

 その佇まいは素人の俺でも美しいものだと感じるところではあるが、その老人は間違いなく妖魔であるから俺は警戒を解かない。しかも上にいた妖魔とは別格の、それこそ自我がしっかりと存在していることから高位の妖魔だ。

「お――」
「少し下がっていろ」

 俺がすぐに術式を行使しようとすると、隣にいた藤原先輩に凄まじい速さの拳を腹に受け、後方に吹き飛ばされた。

「ぐっ……!」

 俺は壁にぶつかり壁にのめり込むほどの衝撃だった。俺は地面に倒れ込んで俺の上にはバラバラと落ちてくる壁の欠片を受けながら、やられたふりをして藤原先輩と妖魔の様子を伺うことにした。

 ぶつかった時はダメージを受けていた俺だが、今は廃病院に来た時と同じ健康体になっている。ダメージを受けないからダメージを回復する術式の使い方をする必要がないのではと思っていたけど、その指導もしてくれた征天さんに感謝だ。

「酒呑童子さま、あちらの男性は?」
「あれはワシのおつまみよ。陰陽師としてはからっきしみたいだけど霊力の量はバカにならないくらいに強いから後で食べるわ」
「そうでございますか。それでは儀式の方に参りますか?」
「そうね」

 二人の会話を聞いていたけど、酒呑童子ってどういうことだよ⁉ 酒呑童子ってあの鬼で有名な妖魔だよな。それが藤原先輩に乗り移っているということか?

「この忌々しい藤原の小娘に生まれ変わり、よもやワシとは別の人格が生まれるとは思わなかった。だがそれももう今日までよ。今日からはワシが、この日本の支配者として君臨するわ!」

 もう急展開過ぎて付いて行けない。あの言葉から推測するに、酒呑童子は藤原先輩として生まれ変わったけどヤバい先輩である藤原先輩の人格が存在していて上手く表に出ることができなかったということか?

 でもこれはかなりヤバい展開になっていると思う。だって酒呑童子が復活するということだろ? そいつに俺が負けはしないけど、勝てるかどうか分からないからその前に止めるのが一番良いだろう。

 そう思った俺は、まず一番邪魔そうな高位の妖魔に術式を使い、四肢や首、胴体などあちこちを捻り上げて血の雨を降らせる。

「まさか、無事だったのね。しかも無傷」
「無傷じゃないですよ。ちゃんと傷は受けていました」

 壁の欠片から俺はホコリをはたきながら出てきた。それを少しだけ驚きながら藤原先輩こと酒呑童子は愉快そうな笑みを浮かべて話しかけた。

「それで? お前はどうするつもりなの? 藤原千を殺すつもりなの?」
「まさか。俺は陰陽師ですよ。俺が殺すのは妖魔です」
「それこそ不可能よ。だってワシは藤原千で、藤原千はワシ。ワシを殺すのは藤原千を殺すのと同義なのだから」

 さっきの話を聞いていたらそうなのだろうなと思っていた。それにおそらくこのことは時並先輩や征天さんなど陰陽舎が分かっていて、それを解決することができなかったんだと思うから今こうなっている。

 ならばどうするか。そんなものは藤原先輩を叩き起こすしかない。

「どうやら、少々あなたのことを見くびっていたようです。油断してしまいましたよ」
「お前、久しぶりに傷を受けたんじゃないのかしら?」

 そして俺が全身を捻り上げた妖魔はもう元通りになっている。油断してくれる雰囲気は既になくなっているが、俺は負けるつもりはない。

「あちらの男性は私にお任せください」
「そう、分かったわ。ワシは優雅にあのわっぱの無様なさまを見ているとしようかしら」

 藤原先輩改め酒呑童子は祭壇に腰かけ、高位の妖魔はこちらにゆっくりと向かってきていた。

「私に怪我を負わせたあの術式は見事でした。どのような術式で?」
「そう聞かれて術式を教えるわけがないだろ。戦いの中で確認すればいいだけの話だ」
「それはそうですが……、すぐに終わってしまったら聞けるものも聞けないので」

 その瞬間、俺の目の前に高位の妖魔が出現して俺に殴りかかろうとしていた。だが拳が来る前に術式を使って高位の妖魔の背後に立った。

 それに気が付いた高位の妖魔はすぐさま俺に振り返って攻撃しようとするが、また俺は老人の割によく動く妖魔の背後に立って難を逃れる。

「面白い術式ですね。背後に立つ術式ですか?」
「そう思いたいのならそう思えば良い」
「ふむ、それならばこうするまでです」

 再び妖魔が俺に喰らえば死を免れない拳を向けてきたが、今度は反対の腕の肘を背後に向けて攻撃を放っている。

 つまりは俺の術式が背後に立つ術式だという仮説なら、この状況は絶体絶命になるわけだ。まぁ、これくらいでやられるわけがないが。

「……どういうことですか?」
「見ての通りだ」

 妖魔と俺の目の前には、俺を殺す勢いであった拳は俺の開いた手の人差し指と中指で止められていた。衝撃もなく、威力がどこかに消えていた。

「俺の術式は何だと思う?」
「陰陽師が使う汎用術式とは違う。固有術式の複数持ちですか」

 妖魔は俺から距離を取り、俺の質問にそう答えた。ただその質問に俺は何も言わずにいたが、もちろんそれは間違いだ。俺の固有術式は一つだからな。

「体を捻り上げる術式、背中に移る術式、威力を殺す術式。どの術式も共通するものはありませんから、複数ですか」
きん、わっぱは相手を言葉で自身の肉を喰わせていたわよ」
「言うことを聞かせる洗脳の術式ですか……、ついに意味が分かりませんね」

 良いぞ、相手は勝手に俺の術式を誤解して色々なことを考えないといけない。今も四つのことを頭の中に入れて動かなければならないはずだ。ただ、俺の術式が分かったとしても、俺は一向に困らないけどどんどんと混乱してもらった方がこういうアドバンテージを有効活用できない。

「お前も術式を使った方が良いんじゃないのかしら?」
「どうやらそのようですね」

 向こうも向こうで術式を使ってくれるらしいとは、俺に少しの心の準備をさせてほしいものだ。それにしても酒呑童子の仲間ということはこの妖魔は鬼か。鬼の術式って何だ?

「では、参ります」

 妖魔はどこからともなく文字通り鬼の金棒を手に持って肩に担いだ。その金棒は妖魔の体以上の大きさを誇っていた。

 そして妖魔は金棒を担いだまま俺に迫ってきた。俺は内心焦りながらも表情では出さずに金棒が来る直前に妖魔の背後に立った。

 妖魔からの背後への追撃がなかったけど、金棒が地面にめり込んだ瞬間に凄まじい揺れや音、砂埃が巻き起こって俺は体のバランスを保つ。こんなの喰らったら絶対に肉片になってしまうなと思っていると妖魔の追撃が始まった。

 術式を使っているようだけど、何か変わった空間も作られていないし俺に体の異常はない。ただただ、鬼の妖魔の動きが格段に上がって攻撃力も上がっているだけだった。

 俺は何度も何度も背後に回ったり威力をゼロにしているが、一向に妖魔の追撃が収まらないどころか強くなっている。

「鬼の術式はご存知でしょうか?」
「いいや、知らないな」
「おや、これはこれは。若いとは言え陰陽師が鬼の術式をご存じないのはよろしくありませんね」
「……別にいいだろ。それとも術式を大勢に知られているから効果が発揮できないけど、術式を知らない人に対して有効な術式があると言うのか?」
「そういう術式はあります。今回に関して言えば全く関係ありませんが、鬼の術式は日本の陰陽師として知っていた方がよいかと」

 俺が学校の座学で教えられたのは陰陽師のことや霊力、術式のことだけだ。まだ妖魔のことを深く教えてもらっていない。そういうのは自主学習でしろとでも?

「知らなくても勝てるから何も問題はないな」
「随分な自信で。それではここからは人生の先輩からのアドバイスとして鬼の術式を説明して差し上げます」

 敵に塩を送るとはこのことだ。俺としては教えてくれるのならありがたいことだ、それが本当ならな。教えるメリットがないから話半分で聞くことにした。

「鬼の術式は他の妖魔と違い、相手をどうこうする力も領域や事象を干渉する力を一切持ち合わせていません。その代わり、ある一点においてどの妖魔よりも優位に立てることができます」

 妖魔は口を動かしながら俺に金棒で攻撃してくるが、ますます動きが速くなっていることから、そういう術式なのだと何となく理解することができる。

「私の術式は〝術式を発動してから時間が経てば経つほど自身が強化される〟術式です。早く私を倒さなければ、私はあなたが見えないくらいに早くなりますよ?」
「ご親切にどうも」

 シンプルで強力とはこういうことだ。しかも地の力が強ければこの術式と相性がいい。今はもうほとんど見えないくらいの速度で攻撃されているから何とかしないといけないが、術式が使われているのなら元に戻すのなら簡単だ。

「術式はゼロに戻る」
「ッ⁉ これほどとは……!」

 俺がそう口にすると急速に遅くなったと感じるほどに妖魔の速度が落ちた。そしてそれを感じた妖魔は驚いた顔をしながらも笑みを浮かべている。

「言葉を現実にする術式? それとも想像したことを現実にする術式? ……長く生きるものですね、全く分からない術式と出会うとは」

 妖魔は本当に嬉しそうな顔をして俺の術式について考察している。だけど、妖魔の後ろにいる酒呑童子を藤原先輩に戻すという仕事が残っているからこいつと遊んでいる暇はない。

 高位の妖魔相手に俺がやれる手段は主に三つ。最初に妖魔の体を捻り上げたような物理干渉、妖魔の精神に干渉して意識を落とす、そして妖魔の存在そのものを消す事象干渉の三つだ。

 ただどれもメリットデメリットがあってどれが一番良いというものをすぐさま決められない。

 一つ目の物理干渉のメリットは俺が一番鍛錬しているから失敗しないし霊力の消費が少ない。デメリットとしては高位の妖魔相手、さらには今回の鬼のように肉体が強い相手には時間がかかるという点だ。

 二つ目の精神干渉のメリットは一手で終わらせることができる。デメリットとしてはあまり鍛錬していないから失敗する可能性が大いにあるし効かない可能性がある。

 三つ目の事象干渉は精神干渉に似ているところがある。メリットは精神干渉のように一手で終わらせることができる。デメリットはこれもあまり鍛錬していないから失敗するかもしれない。ただ精神干渉のように効かないことはなく、成功すれば絶対に相手を消すことができる。

 でも、事象干渉の霊力消費は大きいからあまり使いたくないところではある。後ろにいる酒呑童子がいるのだからできるだけ温存しておきたいところではある。

 そう考えれば、俺の取るべき手は精神干渉による意識を失わせること。欲を言えば俺の干渉を残してずっと眠らせ続けたい。

「もう考え事はよろしいのですか?」
「随分と甘いんだな」

 俺が妖魔を見ている中で考えていることがバレてしまっていた。そういう余裕を崩したいと思うのは誰でもそうだろう。俺はそう思っている。

「見たところあなたは陰陽師になって日が浅いようですね。しかしその術式は強さも使い方も素晴らしいものです。これから鍛錬を積めば私のような妖魔も簡単に祓うことができるでしょう。若い才能を見るのはいつの世も良いものです」
「そうか。それで? 大人しく藤原先輩を返して帰ってくれないのか?」
「ご冗談を。あなたのような恐ろしい才能を持った未熟な陰陽師をここで逃すことはしません。ここで芽を摘んでおくべきですから」

 まぁ、普通にそうなるよな。そうしなければ頭がおかしいと言いながら祓うのは後にしていたところだ。

「さぁ、死なないように若い才能を輝かせてください……!」
「……その余裕、すぐにでも消してやるよ」

 強者の笑みを浮かべる妖魔に、すぐにでも事象干渉をしそうになるところを抑えて俺は術式を妖魔に向けて放った。

「チッ!」

 そして一回目は失敗してしまい、妖魔は再び術式を使用して金棒を振り回してくる。術式の並行使用はそれほど練習していないから精神干渉と物理干渉を同時に使うのは厳しいところがある。

 しかもそれに加えて術式をゼロに戻す作業まで入れば俺の修行不足が浮き彫りになる。いや、これは完全に時間が足りなかっただけで修行不足ではないか。

 それでも、この土壇場で成功させるしかない。避けながら、適宜術式をゼロに戻しつつ、精神干渉を成功させる。最低二つ、最高三つを成功させなければ俺に勝ち目はない。

 並行作業で物理干渉が疎かになれば俺は肉片になるし、精神干渉ができなければ延々とこれが続き、術式を戻せなければ反応ができなくなる。

 まぁ、妖魔の後ろに回った後すぐに精神干渉をする暇があれば良かったんだけど、そういう余裕はない。

 ヤバい、すごくドキドキしている。失敗するかもしれないというドキドキでもあるけど、それ以上に命をかけている動物としての闘争本能が刺激されている。今ならできそうな気がする。

「術式行使」

 手のひらを合わせてパンッという気持ちいい音を出して、俺は精神干渉を行った。すると今まで激しく攻撃していた妖魔は前のめりになって倒れた。死んだわけではなく眠っているだけだ。

 術式を並行使用できたことに、俺は今まで感じたことのない達成感とコツをつかんだ気がした。これからも何となく行けそうな気がする。
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