神託ノ恋 ─神ノ巫女と禁忌ノ半神─

儚 青

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夢告ノ夜

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満月が薄雲に隠れ、境内は青白い光に包まれていた。
 
風鈴が微かに揺れ、夜の静寂に鈴の音が溶けていく。

灯籠に火を灯しながら、巫女服の少女――かすみ万桜まおは、ふと夜空を見上げた。

山の中にひっそりと佇むこの霞ヶ関神社には、日中は参拝客が多く立ち並ぶ。

しかし夜になるとほとんど人影はなくなり、不思議と風がよく通う。

神の通り道だと、幼いころからそう教えられてきた。

そしてこの神社には、参拝客の対応をする普通の巫女のほかに、もうひとつの役割を担う者がいる。
 
それは「神ノかみの巫女みこ」――。

霞一族の女性にまれに現れる、“夢見”ゆめみの異能を持つ巫女のことだ。
 
神ノ巫女は夢の中で神の声を聞き、その神託を人々に伝える。
 
かつては国の命運すら左右したと伝えられるその力も、今では――



「占い」と呼ばれ、人々に親しまれている。



多くの人間が恋の成就や未来の幸福を願い、神ノ巫女の夢にその答えを求めに来る。
 
だが、その力の裏には、決して破ってはならぬ二つの教えがあった。


ひとつは、「長き黒髪で霊力を保つこと」

髪は神の依代よりしろであり、切れば霊力は離れ、神の声は届かなくなる。

ゆえに神ノ巫女の髪は、常に月光を映すように艶やかでなければならない。

万桜の長い黒髪は、夜の光を反射して輝き、触れれば冷たい月の気配を伝えた。

もうひとつは、「感情を抱けば神託は濁る」という戒め。

心の揺らぎは穢れとなり、神の言葉を曇らせると言われていた。

ゆえに神ノ巫女は、恋も怒りも知らぬまま、ただ清らかに在ることを求められた。

万桜もまた、その教えに生きてきた。

笑うことも、泣くことも、誰かを好きになることも、決して許されなかった。

彼女の心は、月夜の湖面のように静かでなければならなかったのだ。



***


その晩、万桜は奇妙な夢を見た。

神前に座し静かに目を閉じると、鈴の音が遠ざかり、世界が淡く霞んでいく。

水面に身を沈めるように、意識が夢の底へと落ちていった。



――薄い霧の中。



一人の青年が倒れていた。

その額には青く光る紋様が浮かび、黒い影がその身の傍らで、ゆらゆらと揺れている。

「その男と関われば、お前は不幸になる」

声ではない。

音とも違う“何か”が直接、心の奥に響いた。

万桜は息を呑み、はっと目を開く。

背筋に冷たいものが走り、胸の奥にざらつく不安が残った。

――そして、なぜか心の片隅に、どうにも抗えない、淡い興味の光が差し込むのを感じた。



***


翌朝、朝靄の漂う境内には、すでに参拝客の列ができていた。

万桜は占いの札を配りながら、一人ひとりに穏やかな笑みを向ける。

「おはようございます。本日はどのようなご相談でしょうか?」

若い女性が、緊張した面持ちで口を開いた。

「想い人がいるのですが……私のことをどう思っているのか、教えてください。どうにも、表情の読めないお方で……」

万桜は静かに頷き、目を閉じる。

鈴の音が遠のき、夢の世界が再び開かれていく。

そこに視えたのは――泣いている幼子を優しくあやす男の姿。

その顔には恋の色はなく、むしろ兄のような、穏やかな愛情が漂っている。

「妹のようにしか、思っておらぬようだな」

神の声が静かに響く。

万桜は淡々と告げた。

「……残念ですが、今のところ妹のようにしか思われていないようです。恋心は感じられませんでした」

女性は肩を落としながらも、深々と頭を下げて去っていった。

それを見送りながら、万桜は胸の奥に微かな痛みを覚えた。

けれど、それを表に出すことは許されない。

神ノ巫女は、ただ神の声を伝える器でなければならないのだから。


***


参拝客の列が途絶えると、万桜は箒を手に境内を掃いていた。

春の風が風鈴を鳴らし、花びらが石畳を滑っていく。

「こんにちは、万桜様」

声をかけてきたのは、村の年配の女性だった。

「占い、本当に当たりました。うちの娘、無事に婚約できそうです」

万桜は少し困ったように微笑み、深く頭を下げる。

「ありがとうございます。今日も良き日になりますように……」

その笑顔は穏やかだが、どこか遠い。

まるで光の向こう側から見つめているような、届かない微笑みだった。

神ノ巫女には、神託を受け取る力はあれど、定められた未来を変える術はない。

先程の年配の女性にも、娘さんがある男性と家庭を築いている様子が視えたことを伝えただけに過ぎない。

――私は神の言葉を伝えるだけ。

感情を抱けば、神託は濁る。

胸の奥に、ひとしずくの寂しさが落ちる。

淡い陽光の中、風鈴の音だけが響いていた。
 
その音は、どこかで泣いている誰かの声にも似ていた――。



万桜の胸の奥には、あの青年の姿が消えずに残っていた。


 
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