幸福に生きる為に魔女が欠かさずしていること

ぃて くるみ

文字の大きさ
7 / 36

第六話

しおりを挟む
 「確かにそうだけどさぁ、でもよ、人喰い鬼の手鏡があるからそれは当てはまんねぇだろ。継がせるってんなら、余計にさ」
「そうだねえ、封印解けたら一応伝説の人喰い鬼が出てくるわけだしねえ。我々から見たら、おっそろしー爆弾が眠ってるみたいなもんだ」
 光子がちらと視線を湯呑から外し、二人の会話を見てからまた視線を落とす。
「人喰い鬼の手鏡も、ただのお伽噺かと……祖父母とも、色々なお伽噺をよく話してくれましたから……」
 昼間の力強く拓也を睨みつけたあの勢いは、すっかり鳴りを潜めている。車で超自然生活安全課についてと人喰い鬼の手鏡について説明されている間に、じわじわと大人しくなっていったのだ。
 家族について今更とんでもない事を聞いたのだから、驚くのは当然なのだろうけれど。
「……マサさん達のこと、幻滅した?」
 源次郎が尋ねる。その表情は柔らかい笑みで、答えはわかっているようだった。
 光子は即答した。
「いいえ。そんなことはありません」
 ただ、驚いただけです。その返答は拓也も予想出来ていた。
「人喰い鬼の鏡については、署長が詳しいよ。あ、因みに署長はね、階級が僕より三つ上の警視監なんだよ。わかる?警視監。警視総監の下、警視長の上」
「じゃあ明日から連休だし、本部ビルに来て貰おう。署長、出張から帰ってくるんだろ?すんげー気が進まねえけど……明日暇?憲法記念日」
「ひ、暇ですけど、本部だなんて!私は手鏡をどうする気もありません。このまま祖母の教えの通り……」
 その時だ。光子が突然はっと顔をあげ勢いよく立ち上がり、そのままの勢いでドアへと目線を投げた。その顔は恐怖が滲む緊張で強張り、テーブルについた両手がぎゅうと拳を作る。空気が変わった。拓也が源次郎を見ると、常に浮かべていた笑みが消えた、少々険しい顔の源次郎と目があった。
 光子の顔が、徐々に青く変化していく。真っ青になった頃、じわ、と黒い雰囲気がこの森の入口に差し掛かったのを、拓也と源次郎も感じた。今までうろうろしていたサビ色の猫が、何かに興奮してばたばたと走り回りだしたとき、光子は走り出した。
「あ!ちょ!」
「拓也くん、光子ちゃん気付くの速いねえ。出遅れちゃったよ」
「のほほんとしてんじゃねえよ、馬鹿!」
 リビングから廊下に出れば、直ぐに玄関である。外へ飛び出したままらしいあけっぱなしの玄関から、庭を駆け抜け石畳の道を曲がる。
 曲がってすぐのところで、光子は茫然と立ちすくんでいた。その視線の先を追って顔を上げると、道路に赤黒い影としか言いようのない生き物が石畳を一歩踏みしめ、ゆらゆらとふらつきながら立っていた。
 誰だってきっぱりと、これは悪いものだと言い切れる、黒と赤が入り混じった禍々しい色合いをしている。首と胴体が同じ太さで、腕は地面すれすれまで長く、足は無い。一見すると大男が袖だけ付いている布をかぶって、ぼんやりふらふら立っているかのようだ。特出すべきは、微かに香る生臭いにおいだ。ゆらゆらとその影が動くたびに、じりじりと黒煙のようなもやが昇っては消え、その度に生臭い臭いが鼻につく。
 自分達とは違う世界を生きているものだと、臭いがきっぱり告げている。
「な、何……あれ……」
 光子の震える声を待っていたかのように、頭らしい部分がぱくりと裂けた。口を真似しているのだろうが、向こうの景色が見えているただの半円の穴だ。その穴がぱくぱくと、ふらつきを強くしながら動く。
 ぉおぅの、ちぐぉ。声と言うか、ただの空洞音に近かった。影からここまで5メートル程離れているが、声はもっと遠くでもしくは近くで囁かれているようなざわつきがある。きちんと言葉になってないのも相まって、光子の全身に鳥肌が立った。上手く喋ろうと努力しているらしく、おおぉ、ううぉに、としきりに繰り返し、その度に音量が上がって行く。おうおぉお、にのお、おにの、音は思ったよりもすぐに上手く話せるようになった。
 おおおにの、ちから、よこせ!あっと言う間に大きくなった叫びは、鼓膜を直にガンガンと叩いて来て、光子は思わず短い悲鳴を上げて両耳を塞ぐ。恐ろしいのに、影から目が離せない。叫び声とともに影の両手が挙がり、光子めがけてびゅるりと伸びて襲いかかって来た。
「おっと!させねえよ!」
 そう宣言し、拓也は凍り付いた光子を素早く自分の後ろへと押しやって、影と光子の間に滑り込んだ。上着の胸ポケットから印鑑入れの様なケースを取り出し、取り出すと同時に片手で蓋をあけ、流れるように中身を手に取る。それは一本のチョークで、拓也は勢いを止めず自分の足元に一本の線を石畳の上にじゃりりと描いた。
 寸前までのびていた影の両腕は、その一本の線から上に見えない壁があるかのように、ばいん、と空中で跳ね返った。影は明らかな動揺を見せ、輪郭が覚束なくなり、口らしき穴も半円から完全な円になったかと思うと、ぐにゃぐにゃと崩れ歪な穴となってうねり、広がり始める。ああー、反撃されて動揺してどうするのさぁ、拓也はそうのんびりと言いつつ、右耳の軟骨部分を貫いた黒い石のピアスに指を伸ばした。
「おふりぃすん!」
 そう呟きピアスに触れた瞬間、黒い石が仄かに輝いた。拓也が指を離すと光は指先にくっついて線を描き、見る見るうちに拓也の掌の中で黒々とした拳銃へと姿を変える。代わりに耳から一つピアスが消えた。ピアスが拳銃に変わったのだ。
 上部分をがちゃんとスライドさせ構えたそれは、音も鈍い輝きも上部分をスライドさせた時にちらと見えた弾丸も、紛れもない拳銃の重々しさである。
「強盗未遂及び、公務執行妨害の容疑で緊急逮捕します」
 光子が息をのみ見守る中、拓也はそう淡々と言い切ると、何の躊躇いもなく引き金を引いた。
 タン、と思ったよりも小さくて軽い音が一つ鳴り響き、その音とともに影の胴体に握り拳ほどの穴がえぐれるように開いた。影は風船のようにみるみる縮んでいき、ついには一つのビー玉ほどの赤黒い玉になって、こつんと地面に落ち静かに転がった。もうゆらとも揺れる気配を見せない。
 あまりにもあっと言う間だった。拳銃から飛び出た薬きょうも地面に落ちる前にふわんと消えてしまい、今はぴくりとも動かない影だった玉に加え、あまりにも現実味が薄い。呆気に取られる光子に、拓也は拳銃をおろし、安心させる為ににこりと笑う。
 手を下し、ふろいぞん、そう呟くと拳銃が消え、拓也の耳を貫く元のピアスに戻った。
「大丈夫?頭、痛くねえ?」
 まだ顔色が悪く、少し嫌な色の汗をかいている光子を労わる。声をかけられてやっと全身から力を抜いたようで、光子はへたりと制服が汚れるのも構わずその場に座り込んだ。
「……す、すこ、し……」
「うん、よしよし。大丈夫、もう逮捕したから」
 この様子だと、光子がああいった悪意をむき出しにしたものに出会ったのは、初めてのようだ。微かに震えているその小さな体を、手を取ってゆっくりとひっぱりあげてやると、よろりとしつつ何とか立ちあがる。たいほ、掠れた声で光子が言う。拓也はまたしっかりと頷いた。
 いつの間にか来たのか源次郎が二人の横を通り過ぎ、落ちていた玉を拾い上げて、持っていた小瓶にかろんと入れ鞄の中にしまった。よれよれのビジネス鞄をぽんぽんと大事そうに叩いて、源次郎も柔らかく微笑む。
「人喰い鬼の手鏡の力が漏れると、ああいう弱いのが力を求めてわんさか寄ってくるよ。さっきのは、集合体だね」
 えっ、光子がわかりやすく目を丸くして驚いた。もう拓也が支えずとも立てるらしく、再び二人の横を通り過ぎ玄関の方へ戻る源次郎に続く。
「いっ、今ので弱い、んですかっ?」
「強かったら相手の力量が分かるし、ベレッタ……拳銃一発で倒せねえよ。悪意を向けられたのがこれが初めてなら、最初はきつく感じるのが普通だから、あんま気にしないでいい」
 人によっては体調が悪くなって、倒れる人もいる。真っ直ぐな悪意と言うものは、幽霊だろうが妖怪だろうが例え人間だとしても、ただの凶器でしか無い。
 長い間封印されているだろうと高をくくりやってくるあの手のものは、妖怪に限らずこれからもやってくるだろう。力が弱いものは難なく対処できるから問題ないが、問題は力が強いものに感づかれた時である。人喰い鬼の甘い妖気に誘われて、更なる肥やしにしようとここへやってくるかも知れない。
 人喰い鬼の力がどれほどのものなのか、それによって動く方向は変わってくるな。拓也は先程拳銃にしたピアスに手を伸ばし、無意識にこすった。小さな黒い石がはめ込まれただけの、シンプルなデザインのものだ。今は何も言わない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした

有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

処理中です...