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第十三話

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 拓也の中の感情が膨らんでいく。真っ直ぐと立って道路を見つめ、何事も無かったかのように車を待つ光子の横顔を見ながら、ポケットティッシュを差し出したポーズのまま、ふつふつと感情が膨らんでいくのを感じる。ふつふつ、大きくなるとそれの効果音が聞こえてきた。
 拓也は大きく息を吸って、その効果音を口にする。
「ムカムカする……」
 息を吸った量の割に、少々小さな声だった。は?道路に集中していたらしい光子は、怪訝な顔をして拓也を見上げる。本当にそれは静江を待っている為の集中なのか、拓也はやっとわかった感情を更に膨らますかのように、改めて大きく息を吸い込んだ。
「ムッカムカする!すげえムカつく!なんだそりゃ!」
「え、えっと、あの」
「何なんだもう、クッソ!」
 ああまずいと、脳の隅で思う。光子が怯えている。そりゃそうだ、自分より背の高い異性にムカムカすると突然怒鳴られたら、大抵の女性は怯えるだろう。さっきの言い合いとは違って、拓也の声はとげとげしい。
 そう思いながらも、拓也は撤回もせずそのままの勢いで繰り返す。ムカつくんだよ!
「こうなったら、全部調べてやる!正直初任務への義務感だけだったし、断った光子ちゃんにはもう俺のおつかいは関係ねえけど!知るかそんなの!ああもう、腹立つ!」
「し、しばたさん?」
「拓也って呼べ!柴田じゃ父さんとかぶる!」
「ご、ごめんなさ……」
「ストップ!」
 謝罪の言葉をさえぎるように、拓也はポケットティッシュを光子に押しつけた。びくりと、完全に怯えている光子が反射的に受け取るのを見て、拓也はふんと鼻息を荒くし、ぽかんとしているその顔を指差した。
 びしっと、音が聞こえてきそうなほど真っ直ぐ指差されて、光子はまたびくりと怯えた。
「俺が聞きたいのは、してほしいのは、謝罪でも拒絶でもない!そんでもって、泣くことを飲み込む事でもない!しかしだ!俺は光子ちゃんが、どうしてこんなんになったのか知らねえ!何でこんなふうに背筋ピーンとさせてるのか、全部つきとめてから文句言う!次は存分に泣けるように、バスタオル用意してやっからな!」
 言い切った拓也が肩を揺らしながら見た光子の瞳は、迷子の幼児のように幼かった。
 満足した拓也は腕を下ろし、光子へくるりと背を向ける。あ、あの、背中越しに戸惑った光子の声が聞こえたがお構いなしに建物へ戻る。
「調べてくるから、静江さんと一緒に帰っといて。今の俺は、今の光子ちゃんは無視していい」
 あれだけ勢いよくまくしたてた後なのに、拓也の声は落ち着いていた。
 ウィンと自動ドアが再び開いて一歩踏み出した時、最後に言い放つ為に光子へと振り返る。もう数メートル離れてしまった小さな体は、微かに震えているようだった。
 それがなんだ。拓也は再び鼻息荒く光子を睨む。
「ただ、覚悟しといて待ってろ!」
 思えば光子にややこしくなる苗字の方とはいえ、名前を呼ばれたのは初めてだ。たまたま太陽に雲がかかったのか、薄暗くなった光子の姿をしっかり目に焼き付けて、拓也はまた背を向けた。寒々しくて薄暗い所で蹲って待ってろ、大股で勢いよくガツガツと足音を立てて、拓也はエレベーターへと突き進む。
 取り残された光子は、ずんずんと遠くなる背中を呆然と見送った。足が動かない。何の言葉も思い浮ばない。前髪がビル風に乱れて眼鏡にひっかかったが、それを直そうとも思えない。
 結局、後ろから車に乗った静江に声をかけられるまで、呆然としていた。拓也くんは?首を傾げ運転席の窓から身を乗り出し見渡す静江に、光子は何も言えなくなった。ティッシュを学校鞄にしまいつつ前髪を整え俯いて、掠れた声でやっと
「調べることが、あるそうです」
 と言うのが精一杯であった。
 静江はあっさりと信じて、そっかあと乗り出していた体を元に戻し、助手席の鍵を開けた。
「じゃあ光子ちゃん、助手席ね!乗って乗って!」
 静江のその笑顔が、今は眩しい。固まっていた思考がゆっくりを動きだして、拓也の言ったことを今になって反芻する。
俺が聞きたいのは、してほしいのは謝罪でも拒絶でもない!じゃあ、なんだと言うのか。動きだした脳は助手席に乗って落ち着いて考えても、結局なんの答えも出してくれなかった。
 
 
 
 ずかずかとエレベーターに乗り込んだ拓也は、入ってすぐに行きたい階のボタンを押すでもなく、胸ポケットからカードを取り出し、五階のボタンの前にかざすように照らした。
 警察官の制服姿をした拓也の顔写真と名前とともに旭日章、POLICEと刻まれたカードはてらりと輝いて、その輝きに呼応するように何の変哲もない五階のボタンが赤く輝く。
 がこん、と一階で終わりの筈のエレベーターが地下へと動き出す。拓也はカードをボタンからはずし、まじまじと見る。研修が終わった時に貰ったものだ。これが鍵だからね、そう説明されて一か月たっていない今現在、まだ片手で足りる回数しか使っていない。少しの浮遊感でエレベーターは再び止まり、がこんと開くとともに大事にポケットにしまった。
 ぱっと開けたそこは教室ほどの広さの空間に、ぽつりと受付だけが存在していた。よくデパートでも見る、インフォメーションと英語で刻まれている受付には、普通のデパートではまず見かけない、肌の一部が鱗に覆われている水色の肌の女性が二人並んでいた。
 二人の違いは髪型と名札に記された名前だけで、それ以外は顔立ちも体型もうり二つだ。背中まで降りた濡れた様に濃い緑色の髪を、名札に、きり、とある女性はきちりと首の後ろで一つ結びに、名札に、おぼろ、と書いてある女性はきちりと一つのお団子に結んでいる。
 てらてらと光る髪や鱗と肌、ちらと見えた舌が妙に赤いのを覗けば、人となんら代わりの無い二人は、降りてきたのが拓也だとわかると、にこりと完璧な受付嬢の頬笑みで出迎えた。
「おかえりなさいませ、柴田拓也様。巡査部長へ昇進なされて、初の任務を受けたそうですね、ようこそ超自然生活安全課本部へ」
 一つのずれも無く、二人同時に言う。サンキュ、拓也はそう短く返すと受付に歩み寄る。
「きり、おぼろ、ハルか父さん、何処にいる?」
「柴田拓也様、どなたかのスケジュールをお聞きしたい時には、きちんとフルネームで階級を付けて、御用件とともにお願いします」
 しかめっ面でエレベーターから降りて来て、苛立ちを押さえずに早口で要件を言う拓也を、二人はまた一つのずれもなく同時に、にっこりと有無を言わさぬ微笑みで注意する。なんだかよくわからない迫力にたじりとしつつ、拓也は自分を落ち着かせる為に咳払いを一つした。
「安倍清明署長と柴田源次郎警視に、捜査の許可を貰いたいんだけど、今何処にいますか?」
「かしこまりました。只今お二人は本部八階、署長室にいらっしゃいます」
 ゆっくりと言い直すと、きりとおぼろは同時に右方向へ導くように、右手を手のひらを上にして地面に対して水平に上げた。胸の前でくるりと返し顔の真横まで真っ直ぐと上げる様も、全てぴったり同時だ。
 その途端、何も無かった筈の白い壁に、霧が晴れるようにふわりと両開きの扉が現れる。
「どうぞ、本部八階でございます」
 声がそろう。拓也は、おお、と感嘆の声を上げた。
「まだ数回しか見てねえけど、すげえな、ほんと」
「お褒め頂き恐縮です。それでは、いってらっしゃいませ。柴田拓也巡査部長」
「いってきます」
 巡査部長、拓也は口の中で呟きながら、木製のしっかりした扉を開けはなった。
 静かだった受付とは違い、扉を開くとそこは賑やかな廊下だった。後ろ手に扉を閉めつつ、拓也は廊下を見渡す。窓はなく、かといって閉塞感があるわけではない。ドアが両方の壁に、いくつも並んでいる。
 子ども達が走り回っていたビルの廊下よりかは落ち着いていたが、出張から帰ってきたばかりの署長への用事でごった返しているようだ。スレンダーな女性と青い肌の青年が、拓也に気付いて笑顔で手を振る。青年のように明らかに妖怪の血が見える者もいれば、女性のように普通の人間もいて、廊下はなかなかカラフルだ。拓也は笑顔で振り返した。
 誰もがその手に書類を持っていて、数あるドアの中でも一番奥に見える扉へ、忙しなく出たり入ったりしている。扉の上には、署長室と書かれたプレートが掲げられていた。
 出張から戻ってきたばかりのハルは、特に多忙だ。署長!判子下さーい!そう書類を持って走っていく人に紛れて、拓也も中に滑り込んだ。
 署長室の中央には立派な机と皮椅子に座るハル、その横でサポートに立ち書類を分けている源次郎がいた。二人とも拓也にすぐに気がついて、判子を押したり何やら書き込んだりする手を止めず、一瞬だけ拓也の方を向いてまた書類に視線を戻す。
「あら、拓坊。光子嬢ほったらかしにして来たんか。感心しないんだけどぅ?はい、これ済み!」
「お疲れ様です。次はこっちをお願いします。拓也くん、何か用?このままでいいなら聞くけど、次はある程度自分で対処してくれないと困るよ。無断行動とるよりかは、いいけどね。あ、松さん、これは署長じゃなくて大和くんのが早いから、そっちに行ってくれる?」
 てきぱきてきぱきてきぱき。一度にいくつも何かをこなしつつの会話に、拓也は押され、すみません、と妙にかしこまってしまう。そんな息子の姿に源次郎は微笑んで、相変わらず仕事する手は止めずに優しく、何か用?と再び促した。
 押されている場合ではない。拓也は勢いとはいえ、真っ直ぐとここまでやってきたことを思い出し、口を引き結び背筋を伸ばして、賑わう署長室内にかき消されないように叫んだ。
「署長!警視!俺、調べたいことがあるんだ!一人で捜査に出る許可を下さい!」
 微笑ましく拓也を見ていた源次郎と違い、入って来た時の一瞬のみだったハルの顔が初めて再び拓也のほうを向いた。それはやはりたった数秒で書類に戻っていったが、その口は面白かったのか、くつくつと笑っている。
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