上 下
5 / 31
乳幼児編

おばあさまが見てる

しおりを挟む
凍太は「はいはい」が出来る様になった様です。
可愛いものですが、長としてはあの子の経過を見届ける義務があります。
決して邪な気持ちではありません。
面白いなんて思っていませんからね?
ただ一点私には見過ごせない点があるのも確かです。それを直すのが先。
あの子がどんな反応をみせるのか試してみるとしましょうか・・・



朝起きて、凍太の様子を見に行く。これは凍子の日課になっていた
自室を出て二つとなりにある、凍太の部屋を目指す。木でできたいつもの廊下を歩いていたときだった。
「あーぅ」
凍太の姿が廊下に見えた。

凍太がはいはいを初めてしていた。
生まれてから5か月とちょっとだろうか。普通の子よりも発育が早い気がした。雪人ユキビトの知識しかない私にとって凍太は日々驚きを与えてくれる存在になった。町長は凍太を警戒していながらも、そこそこに可愛がってくれているようだったし、乳母がわりの紗枝さんは元々子供好きなのか凍太をでれでれに甘えさせていた。雪人の私には朝日がちょっぴり強いけれど、今日もいい天気になってくれている。洗濯もはかどりそうだし、
何より凍太の笑顔が可愛い---そんなことを思いながら凍太を見ていると、突然、凍太がコロンと横に倒れてしまった。まだ頭が重たいのか、バランスもむずかしいみたいな感じに見えた。
頑張れ。頑張れ。凍太。お母さんのとこにおいで。「こっちだよー」優しくこっちに注意が向くように
ぱんぱんと、手を叩いて凍太を誘導する。やがて、凍太のくりくりな目がこっちを見た。
「おいで」
時折、ふらふらしながらもハイハイで私の腕の中ゴールに近づいてくる。もうちょっと、あとちょっと。腕を大きく広げてハグの体制で待ち構える私。やがて---ぽすんっと私の腕の中へ凍太はゴールする。同時に抱っこして褒めてあげる。
「よしよし。すごいね!凍太!頑張ったね!!」
頬ずりしながらちっちゃな体を、抱きしめる。相変わらず凍太は、ふわふわのぷにぷにだった。


「くしゅん」トウコさんに抱きしめられながら、くしゃみが出た。やっぱりトウコさんは今日も低体温だった。というより、まるで冷えピタぐらいの冷たさで----少し抱きしめられていると若干だったけど、寒くなってくしゃみが出る。もう慣れたけどね。
同時に、女の人特有の柔らかさといい匂いがする。やっぱりここがベストポジションだなぁなんて思いながら、赤ん坊らしくはしゃいでみるのだ。



「お呼びでしょうか」
襖を隔てて、声がかかる。襖の前に片膝を立てて頭を垂れる一人の女。
「入りなさい」静かな声とともに入室を促される。
女は音もなく立ち上がると周りを目だけで一瞥しすぐさま、襖を開いて素早く中へ入る。
「ご苦労です。紗枝」
声の主はゆっくりと振り返ると、女に向かってねぎらいの言葉を掛けた。町長の雪乃である。
「いえ。なんということも在りません」
紗枝は頭をたれたまま、何度と繰り返された言葉を返す。ややあってから、楽にしなさい。と指示が下ってやっと紗枝は主の顔を見た。
「いい天気だわ・・・・ねぇ。紗枝」
眼前いる主はいつものように、緩やかに笑って見せた。口元は隠していない。
----ああ、今日は機嫌が良いらしい----紗枝は主の顔をみてそう判断した。
「まずは一息つきなさい。お茶でも飲みながら報告を聞くとしましょう」


報告に大差はなかった。
「まだ尻尾は出しませんか・・・」
「はい。いたって普通の人族と見受けられます。多少発達は早いような気もしますが・・・類推の域を出ません」
あの子供が言葉を理解しているであろう事を雪乃は感じていた。
ブラフを仕掛けてみたところ、確かに反応があった。ただの赤子ならば決してしないような反応をあの子は見せた。一瞬ではあったけれど。
(そろそろ、化かしあいはおしまいにしましょうか。凍太。)
雪乃はお茶をすすりながら、次なる1手を模索していた。


「私も、孫の世話がしたいのだけれど?いいわよね?」
唐突にそんな言葉がつぶやかれた。
「町長が直々に?」
「ええ。あまりに可愛いので私も、その子と少々遊んでみたくなりました。よいかしら?」
茶の間に呼ばれた俺とトウコさん。乳母の紗枝さんの3人は台を囲んで、向き合っていた。
「本当ですか!?雪乃様!」
おばあさまの発言に、トウコさんが少し大きな声を上げていた。
「ええ。本当よ。とってもかわいいのですもの。害はないと判断しましてね」
「ありがとうございます。良かったね。凍太」
抱っこされたまま。頭の上からトウコさんのうれしそうな声を聴く。
しかし、嬉しそうなトウコさんとは逆に、俺は内心、冷や汗をかいていた。びっしょりと。
(まずいことになった・・・。外堀から埋めようって訳かチクショウ・・・)
信用されたと思っているのかトウコさんは俺のおなかをぷにぷにしながら良かったねーなどとしきりに
呼びかけているが、実際はそうじゃないことは明らかだ。
なんのことはない、王将が前線にでばってきただけ。俺が言葉を理解しているのかどうかを確かめるつもりだろう。
(まぁ・・・・予想はしていたよ?うん)
あきらめるしかない。赤ん坊いまのままではどうしようもないし。できることもなかった。
(仕方ない。ここは様子見しかない)
渋々ながらこうして俺は相手の掌で踊ることとなったのだ。


その日の夜、俺はおばあさまと一緒に寝ることになった。

おばあさまの寝室。
10畳ほどの広さの畳らしき床で覆われた部屋。
部屋の中には小さなテーブルと座布団。湯呑セットなどがあったのだが。
欄干に据え付けられていた扇。通常の扇よりも少し大きめで、黒塗りの扇。------
が凍太の目にはおかしく映る。

(大きな扇だなぁ。)
この時の凍太にはそんな感想しか浮かんではこなかった。



敷いてあった布団の上に自らも正座で座ったままで、
「さぁて、よくお聞きなさい」
おばあさまは、俺を膝の上に抱えて後ろから優しくホールドした。
半纏の上から胸をぽんぽんとされながら、傍目からはやさしそうなおばあさんが後ろから孫を抱いているそんな感じにもみえるのかもしれないが----
実際は冷たい刃物を背中に突き付けられたような----そんな感じだった。

「なぁに。簡単なことよ?素直に答えてさえくれればいい。悪いようにはしないつもりでいるしね」
上からのぞくおばあさまの目は楽し気に俺を見おろしていた。


「お前は言葉が分かっていますね?」
こくんーー俺は素直に頷いた。 こんな状態ではできることは一つしかなかった。
下手をすれば命が消える危険性だってある。
それに俺を見据えた、この目は嘘をつくことを許してくれそうもない。
久しぶりに感じる畏怖。圧倒的な力の差。
「ふふ・・・いい子だね。やはりというべきねぇ」
優雅にわらう。目は笑っていないけれど。
「喋れたりは?」
問われた。流石にしゃべるのは本当に出来ないので、首を横に振る。
しばらく沈黙が流れた。
(ああ・・・・ついにばれちゃった)
どん底に落された気分だった。このまま殺されるのか、はたまた気味悪がられて捨てられるのか---
そんな、良くない未来が頭の中で再生されて、ぐるぐると頭の中をまわったそんな時。
「よろしい。よく、素直になりました」
ふいに聞こえた声はとても優しい声だった。
「よく、正直に答えたわね」
そう言っておばあさまは俺を膝の上でクルリと自分の正面へと向きなおらせ----抱きしめて。
「怖かったかしらね?大丈夫。お前のことを捨てたりはしないわ。ただ、嘘をつくのは良くないことよ?それは覚えておきなさいね?」
そう言った。


最初ポカンとしていた。2、3秒遅れて涙が勝手にあふれてきた。
「-------」
泣いていた。声を上げて心の底から泣いていた。
怖かったのもあるけれど、この人は俺のウソに気づいてそれをいけないことだと諭してくれた。
もう、歯止めは利かなくなっていた。 怖くって、でも優しくって。 
わんわん----とうるさいくらいに泣きながら、俺、凍太は、『ゴメンナサイ』を心の中で連呼していた。
しおりを挟む

処理中です...