examination

伏織綾美

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廊下と居間の破片を片付け、床を拭いてる間、飛鳥は洗面所に胡座をかいてとし子からの弁当を食っていた。


「おい、今日は学校休むぞ」


足跡を拭き終わってから、飛鳥の元に戻ると、彼女はそんなことを言った。


「はぁ?何でだよ」


綺麗に食べ終わった弁当を床に置き、飛鳥は口に手をやって考え込む素振りを見せた。そのまま思考の世界に入り込んでしまったようで、俺の質問は無視だ。


わけが解らないまま、携帯で学校に休みの連絡をした。風邪を引いたことにする。飛鳥の分の連絡はシラネ。


『どうしたんでありんすか?』

『考えてるだけよ。ところで貴方、いい感じに肥えてて、美味しそうね』

『ヒエェ………触らないでくんなっし!』


興味深そうに獲物をつつく捕食者。俺はその捕食者に「飛鳥は何か企んでんの?」と訊いた。


『多分ね。犯人が解りそうなんじゃないかしら』

「颯斗さんを呪ってる犯人?」

『もしくは、一服持ってる犯人よ━━━━っと、誰か来たわよ』


西王母は玄関の方を指差した。と、同時に玄関のチャイムが鳴る。


『コージロー!ミキちゃんだよ!』


玄関に置きっぱなしにしていた鞄から、保食が顔を出して叫んだ。なんだか嬉しそうな声である。そうかそうか、そんなにあの天使が好きか。


硝子の引き戸をがらがらと開けると、本当にミキちゃんが居た。


「おはようございます!」


ま、眩しい。ミキちゃんの光のオーラに対し、背後の洗面所からは飛鳥のどす黒い気配を感じる。そうだ、飛鳥はミキちゃんが嫌いなんだった。


「あれ?お兄ちゃん、ここに住んでるんですか?」

「あ、いや、ちょっと用事があって来ただけ。どうしたの?」


小学生相手に、妙な勘ぐりをされまいとなんとか言い訳しかけたが、こんな天使がそんないかがわしい考えなんて持つわけないか。


「用事?………………あっ」


ミキちゃんは首を傾げて、俺の襟元を見た。さっき飛鳥に掴まれた時にボタンが取れていたようで、少しはだけていた。それに気付いたとたん、ミキちゃんの顔が真っ赤になった。

いかがわしい考え持ったじゃねぇか。「持つわけない」つったの誰だよ。俺だけど。


「あっ、あのっ、これ」


俯きながら、手に持った封筒を渡してくる。


「なにこれ」

「今朝、うちの玄関の前に置いてあったんです」


洋型の封筒の宛名には、ミキちゃんの名前が書いてあった。毛筆で書いたような字だ。少し丸みを帯びた筆跡。


「なんだか気持ち悪くて………」


ひっくり返して裏側を見る。今にも開きそうなくらいに緩く、糊で封をされていた。中央に小さな固いものが入っているようだ。


「貸せ」


いつのまにか傍らまで来ていた飛鳥が、俺の手から封筒を奪う。飛鳥のあられもない寝間着姿を見て、ミキちゃんがますます赤くなる。

飛鳥は封筒を頭上に持ち上げて、朝の太陽の光に透かして見た。






「物騒だな」


大抵、封筒とは便箋を入れるものだが、その封筒の中は、ほぼ空のようだった。


中央の固いもの、小さな平行四辺形の形をしたものと、片隅に何かの影がある。


「剃刀の刃だな。ちょうど開けて中を見ようとしたら、指を切るぐらいの位置だな」

「この、隅っこのは何だろう?」


飛鳥と同じ視点から見ようとしたら、不本意にも顔が近くなるわけだ。ミキちゃんが目を逸らす。何を勘違いしてんだ小学生。


「解らん。だが触らないほうが良さそうだ。カッターで指を怪我させてから、この━━」


飛鳥が封筒を反対に傾けると、それはサラサラと封筒の中を流れた。


「粉を触らせたかったんだろ。そうなると、有毒なものなのは間違いなさそうだな」

「一体誰が…………」

「それを今日暴きに行く。
 おいガキ、お前も今日は学校休め。万が一ってことがあるから、この家に居ろ」


それを聞いたミキちゃん、とても衝撃的なことを言われたかのように目を剥いた。


「いいいいいや!遠慮します!お邪魔でしょうから!」


だから誤解だってば。


「うるせえ、入れ!」


ドンッ!!!!(効果音)

今日は家庭科がとか何とかゴニョゴニョ言いながら、ミキちゃんが踵を返して逃げようとする。彼女の腕を掴もうとしたがそれよりも早く、飛鳥が右手を伸ばした。

ミキちゃんの首を後ろから掴むと、両側を指でグッと押した。


途端にミキちゃんの体から力が抜け、足元からゆっくりと崩れ落ちた。それを受け止め、周囲を確認しながら玄関に引き摺り込む俺。犯罪者の気分。


「お前、今のそれ、何だ?」

「スター・トレックで見たんだよね。なんか、出来るかな?と思ってやってみたら、出来ちゃった」


出来ちゃった、じゃねぇよ。
一応確認しとこうと思って、ミキちゃんの胸に己の耳を当てた。規則正しい心音がして、一安心。しかし、脈を確認するんなら手首にしとけばよかったと後悔。飛鳥さんが、まるでおぞましいものを見たような顔をしてらっしゃる。


「何やってんだ手前ェ。女児の胸に顔を埋めてクンクンすんなよ!ロリコン!あたしの胸じゃ物足りないっての!?」


クンクンしてなんかいないけど、お前の胸(のボリューム)が物足りないのは確かだな。そう思ったけど、言ったら殺されるので我慢。




別に暗いのなんか怖くない、ただ暗い室内が苦手なだけだ、と言い訳しまくる飛鳥さんの声を聞き流しつつ、ミキちゃんを背負ってとりあえず二階の寝室に連れて言った。断じてやましいことはしてません。僕には若すぎます。


「で、次はどうすんの」

「私は着替える。そのあと墓地に行くぞ」

「そろそろ俺にも教えてくれませんかね」

「ん?何が」


寝室のドアを閉めると、俺は階段の一番上の段に腰を下ろした。背後に飛鳥が立つのが解る。彼女が後ろに立つと、毎回何かが背中にのし掛かるような感覚がする。それはある種のプレッシャーに似ているが、どこか暖かみがある。


「お前は一体何が解ったの?
俺もある程度把握しておかないと、色々困りそうじゃない?」

「いや、全く。大して頼れないのは変わらないしな」

「泣くぞ」

「泣け。写真撮るから」


ちくしょう。
俺が何も言い返さないのを確かめて、飛鳥は足音もなく立ち去った。着替えに行ったのだろう。すぐ近くにある寝室のドアが開く音がしなかったので、恐らく別の部屋だ。いつも家の掃除をさせられているのに、俺はどこに何の部屋があるのか、いまいち理解してない。

この家のことも、飛鳥のことも、解らない。
多分、その理由は俺が馬鹿だから、ってだけではなさそうだ。


ここでは全てが、近いようで遠い。まるでこの世のものじゃないような存在。


解ってほしいような、だけど知らないままでいてほしいような、飛鳥からはそういう雰囲気を感じる。何かを我慢しているのに、俺にはそれが何なのかまでが解らない。



何の役にも立ってない。












「そうでもねぇぞ」


いつものセーラー服姿に着替えた飛鳥が、俺の横に座った。


「お前は十分頑張ってるよ。馬鹿のくせに」

「一言多くねぇか」


肘まで袖を捲った彼女の左手首には、あの得体の知れない鈴がくくりつけられている。そういえば、いつも着けてたな。そして膝に、木製の鞘に収まった刀。


「こういうのは、あまり使わずに問題解決するのがいいんだがな。今日はそうもいかないだろう」

「何するつもり?」

「颯斗さんをあの墓地に連れてく。それ以外の作戦はまだない」



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