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六章
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しおりを挟む妙に親近感が湧き、この少年が何者で何処から来たのか、全く気にならなかった。 私と少年は途切れることなく会話を続けながら、マンションから出て、街の中を歩いた。
「病院って、あの自殺未遂した人が入院してる病院?」
「それ以外何があんだよ。 『俺のばあちゃんを紹介してやるよ』とか言うわけねーだろうが。 なんでお前なんかをばあちゃんに会わせるんだよ
つーか、話の流れからしてそうに決まってんだろ。 どつくぞ」
「女の子に暴力振るっちゃ駄目だよ」
「あーあー、何かと『女の子』『女の子』って免罪符みたいに突き付けやがって。 卑怯だよな。 男が女を守らなきゃならない義務もねぇし。
それに、俺はお前を女の子とは思ってないから」
「じゃあ何?」
「メスのチンパンジー」
「死ね」
「お前がくたばれ。 なんで服着て靴まで履いてんだよ。 動物園に帰れ」
なんだろう、この一を言ったら百になって返ってくる感じ。 どういう生き方をすれば、ここまで言えるんだろう。
「…………あんた友達居るの?」
「そんなもの、要らん」
「…………」
「何それ? 哀れみ? これ以上そんな目で見るんなら俺はお前の目玉を潰さなくてはならないな」
まあ、結構面白いからいいけど。
少年の端正な横顔をチラと見てみる。 なに見てるんだと言われないうちに、視線を逸らす。 相当綺麗な顔をしているが、ときめくようなものではない。
裕一もそれなりに顔は綺麗だが、少年はそれとは比べ物にならないくらいに美形だった。 しかし生きてる人間には思えない。 見惚れるというより、長く見ていたら魂が凍ってしまいそうだ。
互いに嫌みの応酬(私が確実に押され気味)まがいの会話をしながら歩いていたら、いつの間にやら大きな病院に着いた。
病院らしくない茶色の外壁だが、建物の頂点には大きな赤十字のマークが掲げられていたため、病院だと解った。 広い駐車場の中を通るバスの路線、救急外来の目立つ出入口。
平日の昼間だというのに、駐車場は車で埋め尽くされており、それらの出入りもかなり忙しい(せわしい)ようだった。
堂々と駐車場を突っ切って歩く少年の後を、私は出来るだけ車の邪魔にならないように気をつけながら追った。
「何をチョロチョロしてるんだ。 お前はチョロQか」
「いや、アンタの歩き方が危ないんだけど。 ってか、チョロQって何?」
「知らねえのかよ! 死ね!」
大きな入口から中に入る。 病院というよりも、ショッピングモールのようなホールが広がっていた。 屋内に設置された噴水、有名な百貨店の出張店舗、人が沢山歩いてる。 行き交う人の中に、パジャマ姿だったり、車椅子や松葉杖を使う人がいたりして、辛うじてここが病院なのだと感じさせる。
「こっち」
少年は早足でホールを横切り、エレベーターの前で立ち止まった。 「ボタン押せよ」いや、お前が押せよと思ったが、反論したら倍以上になって返ってくるので、黙って従うことにした。
指定された階数は五階で、病院は8階建て。 しかしエレベーターのボタンは五階までしかなかった。
「6階より上には隔離病棟とか霊安室とか、しゅじゅちゅちつがあるから、一般人が迷いこまないようにしてある」
「滑舌わるいね」
「じゃあお前が言ってみろよ」
「ところで、何処に向かうの?」
「言えよ貴様。 ケツの穴三つにしてボーリングの玉にして転がすぞ」
「セクハラ」
エレベーターが五階に着いて、扉が開いた。 出て左右を見回すと、ホールの喧騒が嘘のように人が居ない。 白い壁白い天井白い床。
病院然とした廊下を、まるで我が家の中ように超然と歩いていく少年。 気後れしながらもついていくが、ここでやっと、不安になった。
「まさか、その隔離病棟とかのある所に行くの?」
「あ? 隔離病棟はここから反対側の7階だぞ? 歩いてったら疲れるだろうが」
「じ、じゃあ何よ」
歩きながら肩越しに私を一瞥、少年はすぐ前を向いた。
「最上階に行く」
北側にある階段まで廊下を歩き、一気に8階まで上って行った。 少年は、先程までの饒舌(じょうぜつ)が嘘のように無口で、私はそれに一抹の不安を感じた。
今までが無駄に喋りすぎていたため、この沈黙とのギャップが実に激しい。
階段を上りきったところで、少年が不意に立ち止まった。
「ここ、何があるの?」
「なあ、ここまで来る時、何か気づかなかったか?」
やっと口を利いたかと思えば、私の質問は無視だ。 文句を言いたかったが、振り返った少年の眼差しがあまりにも真面目だったので、言葉が出なかった。
「下の階と何が違う?」
「え………?」
質問の意味が解らず、私は首を傾げた。 とりあえず辺りを見回し、考えてみることにした。
なんて意味の解らない話をするのだろう。 下の階との違いなんて、あるはずもなく病院は病院だ。
まあ、病院にしては人の数も多いし…………
「…………なんか、上の階に行く毎に静かになってるような気がする、かも」
「そうなんだよ。 比例して生きてる人間の数も減ってるわけだ。 最上階のここには、霊安室がある」
「それだけ? 他にはないの?」
「来れば解る」
そう言って、少年は再び歩き出す。
こんな所に、例の意識不明の少女が居るのだろうか。 今さらになって、少年への不信を感じたが、もう遅い。 ここまで来てしまった以上はこの目で確認するしかない。
少年は白い廊下を迷いなく進んでいき、私はその後ろを恐る恐るついていった。
途中、病院の看護師や医者などに見つかったら、どうしよう。 叱られたりしないだろうか。 はっきりと「立ち入り禁止」などと書かれてはいなかったので、表立って注意はされないだろうが、なんとなく「軽はずみに入るべきではない所」だと感じた。
しかし、不思議と誰にも遭遇しなかった。 途中、小さな詰所のような所の前を通ったが、人の気配は感じない。
「ここ、職員の人を見かけないね」
「そりゃそうだよ。 居ないもん」
「いや、居るでしょ」
いくらなんでも、そんなことはなかろう。 ここは病院だぞ。 病人や怪我人を放置してるわけがない。
「居ないよ。 もう世話する必要がないから楽だし、ここ辛気臭いから鬱になりそう。
――ところで、『辛気臭い』ってどんな臭いなんだろうね。 『辛気』ってどんな臭いなんだろうね」
「…………っどぉ~~でもいい。 で、何処に向かってんの私達。 まさか霊安室とか?」
死体なんか、もう二度と見たくない。
「やだよ、死体なんか見たくないもん」
「…………」
「あそこだよ」
足を止めた少年が、廊下の先にある扉を指差した。
「あそこに居る」
心臓が、大きく跳ねた。
ついに物事の核心に近付いた――――、少年に騙されていなければ、の話だが。
「お前、俺を疑うのか? 今さらか」
「まあ………少しは不審な点があるけど………。 嘘を言ってるようには見えない」
「……ふふ」
端正な顔が、無表情から優しい微笑みに変わった。 あまりにも完璧な笑顔だった。
「なにしてんの」
「いや、今の顔を携帯で撮ろうと」
「何だよ変態。 気色悪いから近寄らないで」
ふざけて自分の体を抱きしめたが、少年はすぐに真顔に戻り、俯いた。 どうしたのかと聞いたが、アアと唸るだけでそれ以上は言わなかった。
真っ白な顔には血の気すら感じられず、真っ黒な毛髪は死を連想させた。 途端に少年の存在に、若干の恐怖が生まれた。 私が一歩後ろに退がると、「まあ、正しいよ」と呟いて少年は顔を上げた。
「お前の判断は正しいよ。 今までも、これからも」
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