極上の女

伏織

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一章

1-2

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 母の足音かと思ったが、それにしては軽快なものだ。腰痛持ちでは難しかろう。階段すら上るのが大変なのに。

 気のせいだとは思うが、私は廊下に出てみた。玄関からリビングまで続く廊下には人気が無く、静まり返っていた。


 やはり気のせいかと、リビングに戻ろうとした矢先


「誰?」


 階段の上から、小さな足音が降りてきた。

 肝が冷えたが、上には母しか居ない。彼女が私を驚かそうと、渾身のギャグのつもりでやってるのだろう。

 そう考えた私は、ニヤニヤしながらゆっくりとした足取りで階段に近付き、下から母が降りてくるのを待った。


 しかし、足音は階段の踊り場に差し掛かったところで止まり、一向に姿は現れない。
 まさか体調でも崩したのかと心配になって、「お母さん大丈夫?」と声を掛けた。だが母は答えない。


 踊り場の死角に、明らかに人の気配があった。近くに窓があるのに、何故か暗く感じた。
 何だか異様なものを感じながらも、私は階段を上ることにした。一段、二段と上がっていく毎に不安が増す。


「お母さ――――」


 ようやく踊り場までたどり着き、そこに居る母を助けようと手を伸ばした。






 だが、そこに居たのは母ではなかった。






 小さな男の子だった。
 一昔前に流行った戦隊もののTシャツを着た、五歳か六歳ぐらいの男の子。
 生気の無い顔を見て、ああこれは幽霊だとどこか冷静に考えた。だが映画に出てくるような、真っ白な顔に真っ黒な目ではなく、こんな状況でなければ生きてるものと勘違いしそうだ。


 いや、もしかしたら家を間違っただけかも知れない。きっと近所に住む子なのだ。


「えっと………何?」


 キョトンとした顔で私を見上げてくる男の子に、どんな反応をすれば解らなかった。とりあえず「何?」と訊いたが、もっとまともなことを言うべきだ。

 男の子は何も答えず、伸ばしたままだった手をぎこちなく下ろす私を見ていた。


「お家はどこ?間違えちゃったんだよね?」

「…………」


 小さな子供が、一番接し方が解らない。
 ジーッと見詰めてくる、この丸い目は苦手だ。スーパーでレジ打ちのアルバイトをしていた頃に、親に連れられた子供がよくこんな目で私を見詰めてきた。おそらく何にも考えてないのだろうが、かなり気にする。


 色々迷ったが、『小さな子供と話す時は、かがんで同じ高さの目線で話すといい』と何かの本で読んだのを思い出した。早速そうしようと腰を落としたが、それに驚いたのか男の子は一目散に階段を駆け上がってしまった。

 あわてて追いかけて二階に上がったが、すでに自室でいびきをかく母以外、誰も居なかった。



 私の部屋も、備え付けのクローゼットの中まで探したが、男の子の姿は無い。


 一階の部屋も隅々まで探したが、やはり誰も居ない。


「…………出てったんだよ」


 自分にそう言い聞かせて、荷物を片付けることにした。

 まあ玄関の扉が開く音なんてしなかったわけだが、そこは無視しよう。



「曰く付き」
 その言葉が、改めて頭の中に浮かんだ。





 ………
 ………………
 ………………………


 それから三日間は荷物を片付け、生活必需品を買い揃えるのに忙しく、男の子のことなんてすぐに忘れた。

 今まで二階建ての家に住んだことがなく、朝起きて階段を降りて居間に行くだけでも、とても新鮮な気分だ。 日当たりもいいし、家中綺麗だし、この新しい家に、私達はとても満足していた。



 さて、引っ越しの片付けもだいぶ済んだことだし、そろそろご近所に挨拶回りをしようという話になった。

 昼前に徒歩圏内にあるショッピングセンターに向かい、適当なデザインの安いタオルをご近所に配るだけ買い、無料で包装してもらった。


 余談だが、こういう人が集まる店はあまり好きじゃない。
 人に酔う、というか、なんだか気持ち悪くなってくるのだ。

 まるで自分の頭の中が、周りの喧騒に掻き乱されてズタズタにされているような、とても嫌な気持ちになる。


 恋人同士や、友達同士、家族連れ――――すれ違う人達を見ていると、何故か人間の醜さを目の当たりにしたような、妙な感情が生まれる。


 買い物をしている間、ずっと私は母の腕を掴んでいた。後で聞くと、「物凄いしかめっ面をしていた」そうだ。




「あんた、そろそろ慣れた方がいいよ」


 帰り道、二人で歩いていると母がそう言った。心配しているのだろう。


「うん。がんばる……」

「引っ越すからって、バイトも辞めたけどさ、本当はあそこで働くのが嫌だったんでしょ」

「…………」


 図星である。

 引っ越す以前にしていた、福祉施設の清掃員のアルバイトはとてもやりやすかった。「やりやすかった」といっても、業務内容に限った話である。

 毎朝五時に起床して六時に出勤、夕方の五時まで拘束されるが、その分休憩時間が長かった。元々掃除は好きだし、施設内は人気が少ないので、人見知りの気がある自分にはとても楽な仕事だった。


 なにが問題かと言われれば、人間関係というやつである。
 清掃の主任である中年女性は、恰幅がよくものをハッキリと言う、見た目はまさに「昭和の母ちゃん」そのものであった。


 だが、どうやら見た目ほど豪快な性格ではないらしく、私や他の清掃員らがした失敗やらを何時までも根に持っては、事ある毎に蒸し返す。

 挙げ句の果てには私の家庭の話を根掘り葉掘り聞き出しては(話す必要が無いことだと、その時の私には解らなかった)、

「あんたの母親は最低だ」「あんたは育ちが悪いから頭が悪い」だのと、根拠の無い自信とともにそんなことを抜かす。


 勿論その件は母には言ってないが、聞いたら多分、怒って前のバイト先に怒鳴り込みに行きそうだ。


 母は今の私と同い年の頃には、未成年のくせに飲酒喫煙、おまけに髪の毛を金髪にしてピアスを付け、毎日喧嘩に明け暮れていたらしい。未だに、怒るとすごく恐い。



「荷物置いたら、早速挨拶して回ろう」


 今の、無邪気でお茶目な母を怒らせまいと、気を使ったわけだ。誰のためにではなく、自分のために。
 だって、怒った母は怖いんだもの。







 父方の祖母に以前聞いた知識、「引っ越してきた時の挨拶には“形に残るもの”を、引っ越す時の挨拶には“消えるもの”を」に従って、今回はタオルを選んだわけだ。
 余談だが父方の親戚とは既に縁を切ってる。


 私と母はタオルギフトを手に、道を挟んだ向かいの三軒、そして両隣に挨拶に回ることに。

 まず向かいの三軒に行ったのだが、そのうち二軒は留守だった。一軒、在宅ではあったが子供と犬だけで留守番しているらしかった。小学生くらいの女の子が、緊張した様子で対応してくれた。可愛らしいその女の子の横から、ひょっこりと顔を出す大型犬のあどけない表情にも癒された。


 留守だった二軒はまた後日行くことにして、両隣への挨拶をすることにした。

 だが右隣は空き家だった。
 その頃には、なかなかどうして、上手く挨拶回りも出来ないのかと、私達はイライラしてきた。

 残るは左隣だけだったが、正直もう暑いし、途中で止めてしまいたい。 そんな半ば投げ遣りな気持ちを抱えつつ、二人で左隣の家の前に立った。


「でっかいね」

「そうねぇ」


 普通の住宅建ち並ぶここでは少し、いやかなり目立つような、大きくて綺麗な一軒家だった。 私達の居る門前から入ると、広い庭が待っている。外からでも解る、…………池があるぞ。

 そして住宅もこれまた大きい。しかし周りの家に気を使ったのか、やりすぎないぐらいの、控えめな大きさではあった。

 ゆうに三階はあろう。あの屋根の高さならば屋根裏もあろう。一軒家に住むのですら初めての私達が、こんな大きな家、羨ましいと思わないわけがない。
 同時に少しむかつきもするのだが。


「い、いくよ」


 半分ふざけているのか、わざとらしいぐらいに緊張した面持ちをした母が、門にあるインターホンに手を伸ばす。表札には「藤木」とある。

 インターホンを押すが、チャイムの音は聞こえない。それもそうか、こんなに大きな敷地だしね。


 外から見た印象だと、妙に人気がない、というか、なんとなく「誰も住んでないのでは?」と感じる雰囲気があった。窓のカーテンは全て閉まっているし、まるで時間が止まったかのように静まりかえっている。


「お化け屋敷みたい」

「“おっばけや~しき~!”って叫んでから逃げようか」

「いい歳こいて何考えてんの」


 と、そんな下らない冗談で笑っていると、視界の隅で何かが動いた。

 不思議に思い、目の前にある家を見る。「…………」今、三階の窓のカーテンが揺れたような気がしたんだけども。


『すいません、お化け屋敷みたいで』


 突然、インターホンのスピーカーから男性の声がした。マイクを入れる音やインターホンの受話器を取る時のガチャという音もしなかったので、まさか今の会話が聞かれているとは思わなかった。当たり前だが、とても驚いた。


「うわぁっ!」


 驚きすぎて私の後ろに隠れた母に代わり、スピーカーに向かって自分達は隣に引っ越してきた者で、挨拶しにきた旨を告げる。


『あ、はい。ちょっと待ってて下さい』


 その声の後、しばらくしてスピーカーから聞こえていた小さな機械音が消える。マイクを切ったのだ。

 声は男性のものだったが、一体どんな人達が住んでるのだろうか。こんな大きな家だ、きっと家族が住んでる。掃除も一苦労だろうし、家政婦も居るのではないか?

 と、私は勝手な想像を膨らませていた。そして玄関の扉が開き、中から一人の男性が現れた。


「あら、イケメンよ」


 母の言うとおりだった。
 白いシャツにグレーのスラックス、青と水色の縞模様のネクタイを締めた男性が、玄関から出てきた。
 身長は少し低めではあるが、体つきのバランスも整っていて姿勢もいいためか、なんだか大きく見えた。整った顔には、優しげな微笑みが浮かんでいる。


 うわ、こっちに来てる。と思った。
 そりゃあ、訪問しているので当たり前なのだが。何だかよく解らない感情が膨れ上がり、心臓が早鐘のように動く。呼吸すらまともに出来ないまま、その男性をぼんやりと見つめた。


「こんにちは。初めまして」


 先ほどスピーカーから聞こえたのと同じ声で、男性が言う。私の後ろから出てきた母が、中年女性特有のおばさん口調で「どうもぉ」と返した。


「隣に引っ越して参りました、吉沢と申します。こちら、挨拶のお品で御座いますのでどうぞ」


 先ほどまでの子供っぽい態度はどこへやら、完全に社会人然とした物腰に切り替えた母が、門を開けて出てきた男性にタオルを渡した。男性は会釈してそれを受け取り、「これはわざわざ、恐れ入ります」とこれまた社会人然とした物腰である。


「前はどちらに住んでらっしゃったんですか?」

「××です」

「ああ、あそこにはたしか、美味しいケーキ屋さんがありますね。時々買いに行ってます」

「そうなんですか。
  ところで、大きなお家ですねぇ」

「あはは、親が金持ちなもので」

「それは羨ましいですね」

「そんなことありません、ここ、俺しか住んでませんし。寂しいもんですよ」


 表向きは親しげに、しかし一つ壁を隔てたような、「大人」の会話。
「大人」になると、表面だけ仲が良いような、それでいてよそよそしい会話ができるようになるのだ。

 それを横で聞きながら、なんだか羨ましいような、そうでもないような、複雑な気分になる。
 ………大人になりたくないなぁ。


 。 
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