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四章

4-2 エリ・エリ・レマ・サバクタニ

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 それはまるで夢を見ているようにぼんやりとした感覚だった。
 その夢の中で私は敵と戦う。突進して、何故かついている尻尾で突いて。羽で空を飛んで、ぼうきれを思い切り振り回す。
 それは遥か昔に姉が語ってくれた、お伽噺の怪獣ににてる。
 けれど、その怪獣は肉を食べたりはしなかった。私は、食べていたけれど。
 美味しいからと、どんどんぱくぱく食べていた。骨は、ガリガリだったけど。
 そうやって次々食べてたら、私は病みつきになっていた。
 もっと欲しい、もっと! もっと!
 でもね、突然、食事は中断させられた。知らないお化けに、首根っこを掴まれて。
 体は金縛りにあったように動かなくなって。
 こわいよ、こわいよ。私はそう思った。
 でも、もっと怖いことになった。
 私は剣を向けられていた。とっても怖い死の王の剣。
 こわい、こわい、こわい。いや、こわいのはいや。
 そう思って心臓をドキドキ鳴らしていると、私の事を王子様が助けに来てくれた。
 でも、その王子様はずる賢いだけで、本当はそんなに強くない。
 だから、敵を騙して、自分を囮にして、それでようやく私を助けてくれた。
 ありがとう、ありがとう。私は感謝の言葉を告げる。
 けれども、その言葉は届かない。
 なぜなら、王子様は黄泉の国へ行ってしまったから。
 そして、私が最後に王子様を見たとき、王子様はこういっていた。
「ウルティオ、……ごめんな」と。
 そうして私は思うのです。この光景を、どこかで見たことある気がすると。
 遠い記憶の、遥か昔の、今はもうない、どこかの街で。

「っく、あああああああああああああ! ……はあ、はあ、はあ、はあ!」
 私は、取り戻した。意識を。ごめんな、というその言葉のおかげで。
 そして、思い出していた。過去の記憶を。姉が連れ去られていった、記憶を。
 まだ私が幼かった頃、平和だった私達の世界に奴等……血豚共が進行して来た。奴等は人を殺すか、或いは連れ去った。私の姉もそうして奴等に連れ去られた内の一人だった。
 そして姉は連れ去られるとき、私にこう言った「××……ごめんね」と。
 その時姉が呼んだ私の元の名は、もう忘れてしまったけれど、彼女は確かに悲しそうな顔で謝っていたのを覚えている。彼女のおかげで私が助かったのに。ごめんねというのは私であるはずなのに。
 完全にその時と同じ状況に私は陥っていた。
 危機を救われ、救ってくれた相手に謝られ、悲しそうな顔で別れを告げられる。
 だから私は決断した。二度とあんな思いはしたくない。この男は私の全てをかけてでも救い出す、と。たとえその為に、姉との約束を破ることになったとて!
 実は私は、まだ生まれてこの方一度も使ったことのない大アルカナを一枚持っている。
 なぜなら、その大アルカナは複製ができないから。纏縛魔法を使う際は大アルカナを必ず破却せねばならない。故に、私の世界の死魂魔導師達は大アルカナを複製する技術を確立させた。つまり、私がいつも纏縛で使用しているのは複製品であり、原典ではない。けれど私は、あまりにも強力な魂を宿してしまったために、複製不可能であるとされた大アルカナを一枚有している。 それは人神の大アルカナ。
 それを使用できるのは、複製ができない以上一度きり。であるから、私は決めていた。
 このカードは姉を救うときにだけ使う、それ以外では絶対に使わないと。
 しかし、今日私はその禁を破る。
 ごめんね、お姉ちゃん。でもいつか絶対助けに行くから。胸を張ってあなたに会えるような人間になって絶対に。だから――。
 私は周囲を見渡した。
 死にかけの女が一人、主人を失い消えかかっているストラージャが二人と、発狂して床を転げまわるストラージャが一人。そして、剣を手に我が同胞を殺めた憎き血豚が一匹。
 告げる。
「おいそこの二人、一瞬でいい。時間を稼げ。さすれば主人の命と勝利を保証してやる」
 その言葉に二人は目を見張った。が、直ぐに行動を開始した。
「一瞬でいいのー? あとでもっと必要でしたーとか言われたら、ボクキミの事殺すよ?」
「絶対に絶対はない。でも、今はアンタが絶対だと信じてやるよ」
 二人のそんな反応から、彼が大変慕われていたのだなということが察せられる。
 私は心の中で頷いた。よかった、私の選択は正しかったのだと。
 そして、遂に私はこの世に一つしかない人神の大アルカナを懐から取り出した。
「嘆き悲しむ民、此処に在り。貧しく飢える民、此処に在り。嗚呼、救世は今此処に望まれた。故に預言を賜りし英雄よ、融けろ。神に祝福されし英雄よ、混じれ。此処に満つるは汝を呼ぶ声。然らば汝、其の命運尽きるまで善を以て善と成せ――!」
 詠唱の最中、二人のストラージャは必死で抗戦していた。それを激励するように、私は世界にたった一枚の呪符を引き裂く。二つに破れた札が、ひらひらと宙を舞う。
「聖霊纏縛! 宿り堕ちろ Salvador ! 其の救済、友愛、私が貰い受ける! 来い! Vertical Numerusu Veintiuno イエス・キリスト!」
 破却された呪符と血が重なり合い、私の胸を汚す。儀式は、完了した。
 私は今から彼等を救う。目の前の同胞にとっての、文字通りの救世主とならねばならぬ。
 その為に私は、世の理を捻じ曲げる言葉を口にする。
 人神と成り、最初に行うのは、最後の絶理だ。
「――さあ、吊るしたまえ。我が神より頂戴せしめん罪なき体を磔給え。今宵背負うは全世界が業。之より私は、全人類の原罪を、贖おう」
 言うが早いか、私は大地より出でし十字架にその言葉通り縛り付けられ、磔にされる。
 私の体は十字架に打ち付けられて、宙に晒された。まるで罪人のように。
 そう、この絶理は自分の生命を犠牲にして放つ、盛大な置き土産。故に私はこの絶理を行使した後、仮死状態となるだろう。
 だが、故にこそその力は絶大。
 だからきっと、私が同胞と認めし実力者、紫紺寺裁駕はこの力で怨敵を必ずや打ち倒す。
 信じているぞ。
 私は心の内でそう密かに呟いて、この絶理を完成させる最後の言霊を吐く。
我が神、我が神、なぜ私を見捨てるのですかエリ・エリ・レマ・サバクタニ?」
 すると、十字架に貼り付けにされている私の胸を、槍がぐさりと貫いた。
 それは旧約聖書第二一聖詠に綴られし逸話の再現。
 イエスが十字架によって磔刑に処される瞬間である。彼は自身の死でもって、愚鈍なる人間達の原罪の尽くを贖ったのだ。人々はそうして罪を払われ、神の祝福を得た。第一の使徒であり初代教皇でもあった、聖人ペテロはそう語ったとされている。
 そう、この絶理は人々に神の祝福を与える、人の業ならざる奇跡。
 みよ、彼女等の神々しき再生を!
 血塗れの女はぴくっと痙攣し、着物姿の女は正気を取り戻し、消えかけのストラージャ二人など、後光が差すかのように煌々と立ち上がったではないか。
 そしてなによりも

「……………………そのバトン、受け取ったぞウルティオォォォーーー!!!!!!!!」
 
 ほとんど三途の川を渡り終えていた紫紺寺裁駕は、九死に一生を得た!
 私はそれを見届け、安心して目を閉じる。
 果報を寝て待とうと思ったのなんて、初めてかもしれない。
 私は最後に、ふとそう思った。
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