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10話 二回休んで三歩進む
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<シャルトー視点>
一体、俺はどうしたというのか。
目の前の皿に盛られた、良い焼き色がついたソーセージにフォークを突き刺して、口に運ぶ。
噛み締めれば肉汁と、隠し味に使われた香辛料の刺激がいつもどおり絶妙なのに。
「……鼻がいてェ」
咀嚼するたびに鼻頭から額にかけて鈍い痛みが走り、唯でさえ曇りがちな気分がさらに憂鬱になる。
この痛みを作った、あの日からはや五日。
ギィドからの攻撃を食らったのは確かこの鼻と、腹に一発だけのはずなのに、何故か身体のあちこちには覚えのない打ち身があって。やたらと痛い上に重い頭と身体に、俺は一切の思考を放棄して家に引き篭もった。
引き篭もった、のだが――もともとあまり蓄えることがなかった家の備蓄は三日で食い尽くして。それでも半ば意地のように毛布を被って眠くもないのにベッドに転がってみるも、一日で我慢の限界を超えた。
(……腹へった)
低い唸り声で空腹を訴える腹に耐えかねて、仕方なく外へ出る。数日ぶりに外の空気を大きく吸えば、身体の関節が音を立てて、もっと身体を動かせと主張した。
首をぐるりと回して、体慣らしにひと暴れしたいな、と思えば、その途端思い浮かんだ、ここ数日幾度と無く脳裏に現れる男の顔。慌てて頭を振って考えを切り替えようとするが、なかなかその顔を引き剥がすことが出来ず、思い通りにいかない事に苛立ちながら、頭がろくに働かないのは腹が減っているせいだと、取り敢えず馴染みの店へと足を向けて、こうやって腹を満たしてみるが、結果は芳しくない。
当初より大方痛みは減ったものの、忘れた頃を見計らった様にその存在を思い起出させるように傷が疼く。するとそれに呼応するようにギィドのことが出てきて、俺は何ともいえない居心地の悪さに苛まれることになるのだ。
まったく、何故俺がこんな後ろめたさを覚えないといけないのか。
気分がムシャクシャして、八つ当りのようにソーセージをフォークでぶち切る。すると皿の上で二つに切断された、短いほうの切れ端がころりと逃げるように転がると、皿から落ちて余計に気分が悪くなった。
ハッキリ言って、あの日の俺は普通じゃなかった。
絶対に、普通じゃなかった。そうじゃ無ければ、あんな事をするはずがない。
そう思うのにもかかわらず、悔しいことにどういう訳かあの一日の記憶はひどく曖昧で。確か女を抱きにエリオ地区の酒場へ足を運んで、そこで蜂蜜色の髪の女を買ったところまではしっかりと記憶しているのだ。しかしその後はひどく断片的で、何故かギルドに行ったような……そこで受付に座って顔を顰めたギィドを見たような。しかし何故か次の瞬間には仮眠室に場所が移動していて……気づけばあの有様だった。
今最善の道を考えるなら俺は、プライドの訴えに耳を傾けて、あの場に留まるべきだった。
しかし無様に退却したツケか、さらに考える事を逃避した報いか、元の記憶が穴だらけな分、ここ最近の夢と混じって、今では何処からどこまでが現実だったのか、甚だ怪しくなってきている。
いっその事、全てが夢のなかの出来事だったと思いたいのに、都合の悪い部分だけ無駄に記憶が残っているのはどういう事なのか。
「シャルトー・ジグラス」
「ん?」
不意に、馴染みのない女の声でフルネームを呼ばれ、反射的に振り返る。
すると、其の先には。
「あんたは……」
「おや、奇遇だな、お前も昼飯か?」
ギルドマスターのおっさんと、その傍らに見覚えのある、俺とそう変わらなさそうな年齢の女の姿があった。
「ウォルト・サルベジ、シャルトー・ジグラスへ所属継続への質疑をせよ」
女が、細身の眼鏡の奥から冷ややかな視線をこちらに投げつけたかと思うと、横のウォルトにまるで機械のように平坦で端的過ぎる言葉を発する。
そのフルネーム呼びと独特過ぎる言い回しで、そういえばギィドが非番の時に、受付にいるセレンという女だったと思いだす。普段はバックヤードに引っ込んでいて受付に居ないし、最近はめっきりギィドの担当時を狙って受付に行くものだがら、こうやって顔を見るのはだいぶ久しい。しかし、てっきり受付時の事務的な口調だと思いきや、普段からこのしゃべりとは、会話が疲れそうな女だ。
「あー、あの件か。まあ確かに丁度いいな。悪いがシャルトー、今からちょっとばかり話が出来るか?」
あの端的過ぎる言葉でウォルトはセレンの意向を汲み取ったらしい。その事に感心しつつ、特に拒否する理由もないし、ギルドマスター直々に話とはなんだろうと少し気にもなって了承の意志を示すと。
「そうか、助かる」
「我は、先に帰る」
「ちょっとまてセレン、お前も残れ」
「ウォルト・サルベジのみで対応可能。同席は時間の無駄」
「そう言って、昼飯代を俺に押し付ける気だろう」
「愚問」
「……お前なぁ……」
テーブルの俺の向かいの席に腰を下ろそうとした所で、話を振る原因を作ったセレンがさっさと退場をしようとして、ウォルトが困ったように引き止める。
この二人は一体どういう関係なのか。
目の前のやり取りにふと疑問に思うが、その考察は俺をウォルトがちらりと流し見して、何かをセレンに耳打ちするという挙動に断ち切られる。一体何を言われたのか、その顔は一切能面のようなまま崩れないが、囁かれた内容に興味を引かれたのか黙ってウォルトの横に座るセレンに何ともいえない気分になる。
どこか、嫌な予感がした。
「うん、待たせてすまないな。時間をかけるとまたこいつがぶーたれかねないから、早速本題に入らせてもらうと、聞きたいのは今後のお前の予定なんだ」
「予定? 別に今日は、特に予定を考えていないケド」
「嗚呼、悪い。言い方が良くなかったな。予定というのは、今後ギルドを抜けるつもりか否かと言う意味だ」
「なに?」
予想外の方に話を振られて、一瞬思考が止まる。
思わず気の抜けた声を出した俺を前に、ウォルトは特に表情も変えず、ゆったりと椅子に腰掛けた状態で返事を待っていた。
「その質問って、誰にでもしてる訳?」
ゆるゆると頭が動き出して、何が目的なのか、ウォルトの意図を探ろうとする。
今まで、いくつかのギルドを所属して来たが、わざわざギルドマスター自らがこんな話を振ってくることなど無かった。ギルドに所属する人間は主に三種類いて、ギィドやセレンウォルトのようなギルド自体の運営側をする運営員と、ジャグのような、個人というよりギルドの代表として仕事を受けたり、新しく傭兵として入ってきたものをフォロー、監督したりという、ギルドに強く属した正所属員と、流れの傭兵が手っ取り早く顔を売るために、取り敢えず仕事をこなしたい、適当な仕事をさがすためだけにギルドに簡単な登録をしているだけの仮所属員というのがいる。
俺は後者であって、前者ではない。そして入会書を出す際に、正所属員になるかどうかの希望の欄にも正所属員になるつもりはないとはっきりと書いた。時期が来たらギルドを抜けると言う意味を持たせてだ。にもかかわらず、わざわざ尋ねてくるのは何故か。
こんな話を切りだしてくる以上、俺の入会書を見ずに、ということはないだろう。
まさかストレートに勧誘ではないだろうと、警戒をして尋ねたのだが。
「いや、誰でもっていうわけじゃなく、まあ、ぶっちゃけると正所属員にならないかという勧誘だな。はじめに希望していない旨は分かっているが、心変わりはないものかって言うことで声をかけた」
……偶然か、ワザとか。
こちらが抱く懸念を、スッパリ切り落とすようなタイミングの良さとアッサリとした返答に、またも言葉を詰めてしまう。そんな俺の困惑を見通してか、ウォルトは一見、人のよさそうな顔で苦笑すると。
「そんなに警戒しないでくれないか。単純に、良い人材を確保したいという意向だけなんだが」
「ギルドマスター自らか? ずいぶんと暇なんだな」
「手厳しいな。……確かに本来なら俺が出てくることもないんだが、でかい魚は逃がさない主義でな」
「ずいぶんと、買いかぶってくれているみたいでありがたい事だ」
「まあ、お前さんの仕事の出来とやる気に関しては良く見て中の上レベルだが」
持ち上げておいて、落とす。
そんな安い挑発に乗ると思うのか。
「へエ、良く見て中の上レベルなのにでかい魚なんて、このギルドはよっぽど酷い魚ばかりなんじゃないの」
「いやいや、今のところは良い魚だらけだがな。そのいい魚を釣り上げておくために、お前さんで手を打っておきたいと思うわけだ」
……何だ、ソレ。
流石にちょっとばかり引っかかるが、感情的になるなと自分に言い聞かせる。
まったくもってやり辛い男だと思う。胸の内を晒しているように見せて、絶対腹に一物を隠していると勘が告げていた。ここで感情的になれば、いいように絡め取られるのは自分だろう。
「興味深い話だね、俺で釣りたい良い魚か。それって……」
誰、と尋ねようとして、はっと、我に返る。
クソ、策略には既にはまっていたのか。
あのギルドで俺が必要以上に絡んでいる人間など、考えずとも一人しか無いだろう。
「どうやら、気付いたみたいだが、お前さんお気に入りの受付をだな、俺は捕まえときたいわけなんだが、協力してくれないか」
「……意味が分からないんだけど」
最近の俺は厄日続きなのか。それとも何かに取り憑かれてでもいるのか。
忘れたくて仕方が無い存在が、話の主役として出てきて、半ば投げやりになりながら、しかし、何故ギィドを釣るのに俺を正所属員に誘うのか、そのつながりが読めずに思ったことを口にすれば。
「それはお前が、ギィドに気に入られているからに決まってるだろう」
「……は?」
先程のことなど、比ではないほどに。
この時俺はひどいマヌケ面を晒してしまったことだろう。それ程にあまりにも考えが及ばない事をいわれて、俺は完全に呆気に取られていた。
あのオッサンが、俺を気にいっている?
一体、何処の誰の寝言を信じてこの男はそんなことを行っているのだろうか。
「は、万が一にでもあのオッサンが俺を気に入っているとしてもだ、残念だけど正所属員になるのは俺には全くメリットがない話だから興味がナイね」
俺があのおっさんの毛質を気に入っているのは周知の事実だろう。
そこをウォルトは利用したかったのだろうが、残念ながら俺は別にギィドに気に入られようと気に入られまいと、そんなことはどうでもいい。俺が固執しているのはあのオッサンの毛質であってギィド自身じゃないのだ。
それに正所属員なんて面倒なものになりたいと思わない。確かに当初の予定より、なんだかんだとギルドに足を運ぶ期間が延びているが、あくまでも「今のところは」という、だけだ。あのおっさんの毛にも飽きれば、他にもっといい毛皮があればそれまでだ。
もう十分、この街での足がかりは出来ている。あのギルドを辞めることへの未練などなにも無い。
「どうもお前さんみたいな若い流れの傭兵は正所属員になるのを嫌がる傾向があるが、そんなにメリットがない話ではないと思うんだがな……確かに制限は発生する部分はあるが、収入はある程度保証されるし、より良い仕事にも手を出せる」
「そんなの美味しいところなんて一部でしょ。正所属員になれば他のギルドの仕事も受けれないし、報告書もみっちり書かなきゃいけない、下手すりゃド素人と組んで尻拭いもしてやらなきゃいけないなんて、はっきり言って面倒でやってられないね」
「そうか、そこまで言うなら仕方が無いな……」
正直話にならない、とばかりに切捨れてば、ウォルトもやっと分かったのか、ため息を付いて頷いた。
「残念だが諦めよう。まあ、珍しくギィドが気に入っているようだから、上手くいけばと思ったんだがな」
俺に対しての交渉材料には遠く及ばないと言うのに、ウォルトは相変わらずこのネタで引っ張る気らしい。チラリ、と俺を見て肩を軽くそびやかすのは、諦めたと言っているくせに、なんともわざとらしいし、しつこい。
「……あんたさァ、どんな節穴だかしらないけど、何処をどう見てあのオッサンが俺を気に入ってるって言えるわけ。それに、何で俺が正所属員になればギィドが釣れるの。説得するなら逆じゃない?」
ウォルトの態度に、そう返したのは特段、言い分を信じたわけじゃない。
ただ、ここまで自信たっぷりに言われれば、一体こちらがツッコミを入れればどのようなホラをつくつもりなのか気になったのだ。
だから。
「何だ、本当にわかっていないのか?」
ひょいと片眉を上げると、さも意外というようなポーズには、よくもまあシラをきって芝居を打てるものだと思いながら、俺は半ば話を聞き流すつもりで、どうぞと続きを促す。
「そうだな、まず第一に、アイツ……ギィドは受付になる前は元々ジャグの相棒だった、というのは知っているな?」
「それくらいはね、其れがこれとどう関係するの」
ギィドが俺を気にいってる、と言う話のはずなのに、新しく出てきた名前に思わず顔を顰めれば、「そう先を急ぐな」と、ウォルトは手で制して。
「傍から見たらあの二人のうち、歯止めをかける役割はギィドに見えると思うが。実は逆で、肝心なときのストッパーはジャグで、どちらかというと無茶をしやすいのはギィドの方だったりするんだよ。実際に若いときから、一人で仕事をさせれば、ジャグもそれなりに危なっかしいが、ギィドのほうがその程度がというか、頻度が大きい。しかも、相棒を解散して受付になったくせに、今だ許可を出していない仕事に手を出すほどにな」
「……いいんじゃないの、あのおっさん、まだそこそこ動けるじゃない」
「確かに、ギィドの腕に関して文句はないが、残念ながらそう受付を抜けてもらっちゃ困るんだよ。しかも手を出す仕事が別にどうでもいいものならいいんだが、明らかにアイツのレベル的に微妙なラインの、厄介な物をわざわざ選ぶ傾向があってな。こちらとしては大人しくしてて欲しいわけだ」
全く困ったもんだと溜息をつきながら言うウォルトに、俺は知らず知らずのうちに、口を引き結んでいた。
なんというか、非常に面白くない。あのおっさんの、そういう俺の知らない行動を聞かされるのは、妙にいけ好かない。ギルドマスターだから下の把握をしているという訳か、それにしてはギィドの素行に詳しくないかとか思うが……いや、別にどうだっていいのだが。
そう、俺にはどうだっていい、のだが。
「話を聞いている限りじゃ、ジャグに任せればいいじゃない」
「そうしたいのは山々なんだが、非常に困ったことに問題があってな」
「問題?」
「ギィドの足にある怪我だが、あれはジャグを庇ったせいで出来たものでな。あの怪我の罪悪感のせいかどうもジャグは無意識に要所でギィドを庇うような行動をしてしまうらしいんだと。そしてソレがギィドには非常に気にくわなくて、結果相棒解消、って事になった訳だ。ギィドの気持ちを察するなら、対等な関係が崩されたのが不満だったんだろうな」
……なに、それ。
ウォルトの話にムカムカと、腹の底からどうしようもない苛立ちが湧き起こる。
原因は誰に、って、ギィドだ。
話を聞いた限りでは、あのおっさん、どんだけジャグに依存してるのかと思う。
ガッカリした。失望した。その程度か。いや、分かっていたけど。
別にそんなに、ギィドを認めていたわけじゃない。……しかし、少しくらいは、それなりには、やれるんじゃないかと思ってはいたが。
何だが馬鹿らしくなった。だってそうだ。あのおっさんが受付をしているのは、結局のところ、ジャグへの、元相棒への当て付けと言う女々しい行動なのだ。下手すりゃ今でも本当はジャグの相棒に戻りたいとか思っているんじゃないのか。
なんだそれ、気持ちワリィ。
「あー、おい」
「なに」
ふらふらと、視界で揺れる物体。それに焦点を合わせれば、ウォルトの手だった。
……って、何故このおっさんは笑っているんだ。
「話し、続けていいか?」
「続けるもなにも、ちゃんと聞いてる」
憮然として言い返せば、ますますその口元の笑みを濃くした男に、更に苛立ちが増す。
これ以上、不快な話に耳を傾ける必要は無いんじゃないかとも思うが、ここまで聞いて最後まで聞かないのも馬鹿らしい気がして、浮かせたい腰をあまり広くもない椅子の上でずり動かして落ち着かせた。
「まあ確かにギィドに落ち着いてもらうにはジャグにストッパーになってもらうのがいいんだが、しかしさっきも言った事情があるから、そう簡単には行かなくてな……そこで次に考えて、候補としてお前が出てくるわけだ」
やっと、本題に入るのか。
そう思ったところに一体、いつの間に頼んだのだろうか。給仕係がテーブルにコーヒーを3つ、空気を読んでそっと置いていく。ウォルトが「こいつは俺の奢りだ」と、気を効かせた様に言うが、こちらとしては長々とくだらない話に付き合わされて、コレくらい当然だと。そう暗に態度で示しつつ、話の先を促せば。
「実は、お前が絡んできてから、ギィドの悪癖の頻度が減っていてな」
「……そんなの、偶然じゃない?」
「俺も最初はそう思ったんだが、どうも色々考えていると腑に落ちない点があってな。たとえば、試闘を何度も受けているトコロとか、な。確かにお前に頭を触られるのを嫌がってはいるが、だからってわざわざ毎回やり合おうなんて事を普通はしない。本当にお前さんを面倒だと思っているなら特にだ。アレも策を講じるのはあまり上手くはないが馬鹿じゃない、お前が会いにこなくなるように仕向けることぐらい出来ないことじゃない。しかしソレをしないのは、無意識か故意かはさすがに解らないが、何だかんだと言って、お前を気に入ってる為だろう、そう、俺は判断した訳だ」
一息にそこまで話して、ウォルトはコーヒーカップを口元に寄せながら、『さあ、これで俺の意図はわかったか?』と言わんばかりの目で俺を見た。
「つまりは俺に、あのオッサンのストレス発散相手になれってこと?」
「まあ、体よく言うならそういう事だな」
「は、冗談」
反射的に俺は言葉を吐き捨てた。
ついでに、そのまま席を立つ。
やはり先ほど、一旦ケリが付いた時点でお開きにすれば良かった。下手に仏心を出して、話を聞いたせいで時間をひどく無駄にしてしまった。
「あ、おい」
「悪いけど」
引き止めようとするウォルトに、俺は立ち止まりはするが、振り返りはしないまま。
「俺は自分のしたいようにしかしない。そしてあのオッサンがどうなろうと知ったこっちゃ無い。だからこの先どんな勧誘も無駄だし無意味だから」
交渉の余地は完全にないことを釘をさすように、そう言い放って。
――誰が、ジャグの代わりになるか。
まるで何かがとぐろを巻いているように。言いようのない重みを持った胸など、気づかないふりをして。
一切合切、面倒なものなどそこに置いていければいいのにと思いながら俺は大股で店を後にした。
「……あ゛ー……」
まったく、気分が冴えないというどころじゃない。
気が付けば喉の奥から勝手に這い出してくる、己の濁った声にさえ苛立ちながら。
ゴロリと自宅のソファーに転がったまま、手を伸ばしてテーブルから酒瓶を掴んで一気に煽る。
弾ける泡が喉を刺激しながら潤してゆく。開けた瓶を床に放り出して、代わりに今度は干し肉を摘まんで、その硬い繊維に歯を立てた。
見上げた天井の木目をなんとはなしに数えつつ、俺はここ数日、一体何をしているのかと思う。
タダでさえあまりよくなかった気分は、先ほどウォルトと話をしてから更に降下の一歩をたどっているはめになって。訳のわからぬわだかまりが胸の中に鎮座して、膨らむばかりで妙に息苦しい。
そのせいか、口からは意味のないうめき声が無意識のうちに出てきてしまう。
多分、人生でこんなにも憂鬱になったことなど無いのではないだろうか。
いっそのこと、ギィドの毛は惜しいが、もうあのギルドに行くのは辞めようかと思う。
それがおそらく対策として最善の方法だろう。
自然と眉間に刻まれてしまうシワをグリグリと親指でのばしながら、そう考えるが。
しかし急に、頭の中で、それではギィドに利用されたままではないか、とぽそりともう一人の自分が呟いた。
「……ん?」
ふと、自分が思った事に引っ掛かりを覚える。
今、何か、大事なことを思い出しかけた、そんな気がする。
思わずソファアから身を起こして、ついさきほど頭の中を素知らぬ顔をして通り過ぎていった事を一つ一つ思い出す。
確かそう、ウォルトの話を聞いているときに。
ひどく、憤りを覚えたこと。正直、そのままにしておくのはプライドが許さないと、そう思った事――
「よく考えたらあのオッサン、一人だけ二重取りじゃん」
ようやく思い出した。
あのギルドマスターの話を大まかに信じるならば。
俺は今まで、ジャグに本気で相手にされなくなったギィドの、いいストレス発散に利用されていた、ということになる。
これでも一応ギルドのルールに則って、俺が勝ったら髪を触らせる、もしギィドが勝ったら俺はギィドへの口を慎む、という試闘を飲んでやっていたというのに。わざわざ律儀に試闘の条件を守って、「触るのは一日30分まで」なんて一歩譲ってやってすらいたにもかかわらず。
あまつさえ、俺には及ばないが、それなりにギィドの腕は認めていたから、試闘でも本気で相手をしてやっていたのに、だ。
そのすべてが、単なるあのオッサンの、お手軽な代償行為を手助けしていた、そのことが最上級に気に食わない。真面目に相手をしていた、俺への裏切りもいいところだ。利用されていたと分かって、このまま何もせず引き下がるのはプライドが許さない。
最近脳裏にこびりついて離れなかった五日前の出来事の気まずさも、沸き上がってきた新しい不愉快さに押しやられる。
むしろ、改めて考えれば、ざまあみろ、とすら思えてきた。
やすやすと首を締められ、落とされて。マウントポジションをとられて男にディープキスをされるなど、ギィドにとって汚点もいいところだろう。
そんな爪跡を残せたのだと見方を変えれば少しばかり胸がすっとする気がした。
「……ギルドを辞める前に、舐めた真似をしてくれた、そのお返しをしないとな……」
ギィド一人に良いとこ取りなどさせてやるものか。今まで利用されていた、その分の貸しをしっかり利子付きでと取り立ててからでも、ソレからでも辞めるのは遅くはない。
この俺を、怪我を負った自分を本気で相手にしなくなったジャグの代わりにしていた。ならば俺だって、ギィドを何かの代わりにしてやっていいはずだと思う。
たとえばそう、――女のかわりにだって。
不意に、夢ので、そういったシチュエーションがあったことを思い出した。
俺の手の下で女みたいに扱われて、屈辱に燃える目をしながら反応をするギィドは、ひどく滑稽で、良かった。
段々と沈んでいた気分が浮上してくる。
あのオッサンに利用したことを後悔させてやりたい。ジャグなんかの変わりになど俺はならないのだと思い知らせてやりたい。
そのために、まずは油断をさせなければ。
俺が利用されている事に気づいたと、知られてはいけない。簡単にネタばらしをしてしまってはつまらない。
適度にギィドに利用されているふりをしよう。そして気を緩ませて、俺がジャグと同じ様な位置に立ったら、一気に突き落としてやるのだ。
相棒なんて位置よりも、もっと、男としての面目すら潰して、這いつくばる姿を笑ってやろう。
これからの事を夢想すれば、大口の依頼を受けたときのように胸が弾んできた。
久々に楽しい狩りの前の様な気がして。
俺は念密に計画を立てるべく、頭を猛スピードで回転させた。
そして次の日。
「……なぁ、あんた、ちょっと顔かしなよ」
ギルドのカウンターに手をついてそう言えば、不機嫌そうにギィドが顔を上げる。
あんな事があったにも関わらず、顔をしかめつつも真っ直ぐこちらを見る、深い緑色の眼に自分が映って、内心ぞくぞくする。
この顔がどんなふうに歪むのだろうと想像して、口の端が上がりそうなる。だがこれからの目論見を悟られてはいけないと、酷く勇み立つ気持ちを押さえ、至極こちらも不機嫌そうな顔を表面上は作って。
――さあ、狩りの時間の始まりだ。
傍から見たら、険悪な睨み合いにしか見えないだろう。
しかし内心は笑い出したいくらい愉快な気持ちで、俺は一人、これからの始まる騙し合いの幕を切って落とした。
一体、俺はどうしたというのか。
目の前の皿に盛られた、良い焼き色がついたソーセージにフォークを突き刺して、口に運ぶ。
噛み締めれば肉汁と、隠し味に使われた香辛料の刺激がいつもどおり絶妙なのに。
「……鼻がいてェ」
咀嚼するたびに鼻頭から額にかけて鈍い痛みが走り、唯でさえ曇りがちな気分がさらに憂鬱になる。
この痛みを作った、あの日からはや五日。
ギィドからの攻撃を食らったのは確かこの鼻と、腹に一発だけのはずなのに、何故か身体のあちこちには覚えのない打ち身があって。やたらと痛い上に重い頭と身体に、俺は一切の思考を放棄して家に引き篭もった。
引き篭もった、のだが――もともとあまり蓄えることがなかった家の備蓄は三日で食い尽くして。それでも半ば意地のように毛布を被って眠くもないのにベッドに転がってみるも、一日で我慢の限界を超えた。
(……腹へった)
低い唸り声で空腹を訴える腹に耐えかねて、仕方なく外へ出る。数日ぶりに外の空気を大きく吸えば、身体の関節が音を立てて、もっと身体を動かせと主張した。
首をぐるりと回して、体慣らしにひと暴れしたいな、と思えば、その途端思い浮かんだ、ここ数日幾度と無く脳裏に現れる男の顔。慌てて頭を振って考えを切り替えようとするが、なかなかその顔を引き剥がすことが出来ず、思い通りにいかない事に苛立ちながら、頭がろくに働かないのは腹が減っているせいだと、取り敢えず馴染みの店へと足を向けて、こうやって腹を満たしてみるが、結果は芳しくない。
当初より大方痛みは減ったものの、忘れた頃を見計らった様にその存在を思い起出させるように傷が疼く。するとそれに呼応するようにギィドのことが出てきて、俺は何ともいえない居心地の悪さに苛まれることになるのだ。
まったく、何故俺がこんな後ろめたさを覚えないといけないのか。
気分がムシャクシャして、八つ当りのようにソーセージをフォークでぶち切る。すると皿の上で二つに切断された、短いほうの切れ端がころりと逃げるように転がると、皿から落ちて余計に気分が悪くなった。
ハッキリ言って、あの日の俺は普通じゃなかった。
絶対に、普通じゃなかった。そうじゃ無ければ、あんな事をするはずがない。
そう思うのにもかかわらず、悔しいことにどういう訳かあの一日の記憶はひどく曖昧で。確か女を抱きにエリオ地区の酒場へ足を運んで、そこで蜂蜜色の髪の女を買ったところまではしっかりと記憶しているのだ。しかしその後はひどく断片的で、何故かギルドに行ったような……そこで受付に座って顔を顰めたギィドを見たような。しかし何故か次の瞬間には仮眠室に場所が移動していて……気づけばあの有様だった。
今最善の道を考えるなら俺は、プライドの訴えに耳を傾けて、あの場に留まるべきだった。
しかし無様に退却したツケか、さらに考える事を逃避した報いか、元の記憶が穴だらけな分、ここ最近の夢と混じって、今では何処からどこまでが現実だったのか、甚だ怪しくなってきている。
いっその事、全てが夢のなかの出来事だったと思いたいのに、都合の悪い部分だけ無駄に記憶が残っているのはどういう事なのか。
「シャルトー・ジグラス」
「ん?」
不意に、馴染みのない女の声でフルネームを呼ばれ、反射的に振り返る。
すると、其の先には。
「あんたは……」
「おや、奇遇だな、お前も昼飯か?」
ギルドマスターのおっさんと、その傍らに見覚えのある、俺とそう変わらなさそうな年齢の女の姿があった。
「ウォルト・サルベジ、シャルトー・ジグラスへ所属継続への質疑をせよ」
女が、細身の眼鏡の奥から冷ややかな視線をこちらに投げつけたかと思うと、横のウォルトにまるで機械のように平坦で端的過ぎる言葉を発する。
そのフルネーム呼びと独特過ぎる言い回しで、そういえばギィドが非番の時に、受付にいるセレンという女だったと思いだす。普段はバックヤードに引っ込んでいて受付に居ないし、最近はめっきりギィドの担当時を狙って受付に行くものだがら、こうやって顔を見るのはだいぶ久しい。しかし、てっきり受付時の事務的な口調だと思いきや、普段からこのしゃべりとは、会話が疲れそうな女だ。
「あー、あの件か。まあ確かに丁度いいな。悪いがシャルトー、今からちょっとばかり話が出来るか?」
あの端的過ぎる言葉でウォルトはセレンの意向を汲み取ったらしい。その事に感心しつつ、特に拒否する理由もないし、ギルドマスター直々に話とはなんだろうと少し気にもなって了承の意志を示すと。
「そうか、助かる」
「我は、先に帰る」
「ちょっとまてセレン、お前も残れ」
「ウォルト・サルベジのみで対応可能。同席は時間の無駄」
「そう言って、昼飯代を俺に押し付ける気だろう」
「愚問」
「……お前なぁ……」
テーブルの俺の向かいの席に腰を下ろそうとした所で、話を振る原因を作ったセレンがさっさと退場をしようとして、ウォルトが困ったように引き止める。
この二人は一体どういう関係なのか。
目の前のやり取りにふと疑問に思うが、その考察は俺をウォルトがちらりと流し見して、何かをセレンに耳打ちするという挙動に断ち切られる。一体何を言われたのか、その顔は一切能面のようなまま崩れないが、囁かれた内容に興味を引かれたのか黙ってウォルトの横に座るセレンに何ともいえない気分になる。
どこか、嫌な予感がした。
「うん、待たせてすまないな。時間をかけるとまたこいつがぶーたれかねないから、早速本題に入らせてもらうと、聞きたいのは今後のお前の予定なんだ」
「予定? 別に今日は、特に予定を考えていないケド」
「嗚呼、悪い。言い方が良くなかったな。予定というのは、今後ギルドを抜けるつもりか否かと言う意味だ」
「なに?」
予想外の方に話を振られて、一瞬思考が止まる。
思わず気の抜けた声を出した俺を前に、ウォルトは特に表情も変えず、ゆったりと椅子に腰掛けた状態で返事を待っていた。
「その質問って、誰にでもしてる訳?」
ゆるゆると頭が動き出して、何が目的なのか、ウォルトの意図を探ろうとする。
今まで、いくつかのギルドを所属して来たが、わざわざギルドマスター自らがこんな話を振ってくることなど無かった。ギルドに所属する人間は主に三種類いて、ギィドやセレンウォルトのようなギルド自体の運営側をする運営員と、ジャグのような、個人というよりギルドの代表として仕事を受けたり、新しく傭兵として入ってきたものをフォロー、監督したりという、ギルドに強く属した正所属員と、流れの傭兵が手っ取り早く顔を売るために、取り敢えず仕事をこなしたい、適当な仕事をさがすためだけにギルドに簡単な登録をしているだけの仮所属員というのがいる。
俺は後者であって、前者ではない。そして入会書を出す際に、正所属員になるかどうかの希望の欄にも正所属員になるつもりはないとはっきりと書いた。時期が来たらギルドを抜けると言う意味を持たせてだ。にもかかわらず、わざわざ尋ねてくるのは何故か。
こんな話を切りだしてくる以上、俺の入会書を見ずに、ということはないだろう。
まさかストレートに勧誘ではないだろうと、警戒をして尋ねたのだが。
「いや、誰でもっていうわけじゃなく、まあ、ぶっちゃけると正所属員にならないかという勧誘だな。はじめに希望していない旨は分かっているが、心変わりはないものかって言うことで声をかけた」
……偶然か、ワザとか。
こちらが抱く懸念を、スッパリ切り落とすようなタイミングの良さとアッサリとした返答に、またも言葉を詰めてしまう。そんな俺の困惑を見通してか、ウォルトは一見、人のよさそうな顔で苦笑すると。
「そんなに警戒しないでくれないか。単純に、良い人材を確保したいという意向だけなんだが」
「ギルドマスター自らか? ずいぶんと暇なんだな」
「手厳しいな。……確かに本来なら俺が出てくることもないんだが、でかい魚は逃がさない主義でな」
「ずいぶんと、買いかぶってくれているみたいでありがたい事だ」
「まあ、お前さんの仕事の出来とやる気に関しては良く見て中の上レベルだが」
持ち上げておいて、落とす。
そんな安い挑発に乗ると思うのか。
「へエ、良く見て中の上レベルなのにでかい魚なんて、このギルドはよっぽど酷い魚ばかりなんじゃないの」
「いやいや、今のところは良い魚だらけだがな。そのいい魚を釣り上げておくために、お前さんで手を打っておきたいと思うわけだ」
……何だ、ソレ。
流石にちょっとばかり引っかかるが、感情的になるなと自分に言い聞かせる。
まったくもってやり辛い男だと思う。胸の内を晒しているように見せて、絶対腹に一物を隠していると勘が告げていた。ここで感情的になれば、いいように絡め取られるのは自分だろう。
「興味深い話だね、俺で釣りたい良い魚か。それって……」
誰、と尋ねようとして、はっと、我に返る。
クソ、策略には既にはまっていたのか。
あのギルドで俺が必要以上に絡んでいる人間など、考えずとも一人しか無いだろう。
「どうやら、気付いたみたいだが、お前さんお気に入りの受付をだな、俺は捕まえときたいわけなんだが、協力してくれないか」
「……意味が分からないんだけど」
最近の俺は厄日続きなのか。それとも何かに取り憑かれてでもいるのか。
忘れたくて仕方が無い存在が、話の主役として出てきて、半ば投げやりになりながら、しかし、何故ギィドを釣るのに俺を正所属員に誘うのか、そのつながりが読めずに思ったことを口にすれば。
「それはお前が、ギィドに気に入られているからに決まってるだろう」
「……は?」
先程のことなど、比ではないほどに。
この時俺はひどいマヌケ面を晒してしまったことだろう。それ程にあまりにも考えが及ばない事をいわれて、俺は完全に呆気に取られていた。
あのオッサンが、俺を気にいっている?
一体、何処の誰の寝言を信じてこの男はそんなことを行っているのだろうか。
「は、万が一にでもあのオッサンが俺を気に入っているとしてもだ、残念だけど正所属員になるのは俺には全くメリットがない話だから興味がナイね」
俺があのおっさんの毛質を気に入っているのは周知の事実だろう。
そこをウォルトは利用したかったのだろうが、残念ながら俺は別にギィドに気に入られようと気に入られまいと、そんなことはどうでもいい。俺が固執しているのはあのオッサンの毛質であってギィド自身じゃないのだ。
それに正所属員なんて面倒なものになりたいと思わない。確かに当初の予定より、なんだかんだとギルドに足を運ぶ期間が延びているが、あくまでも「今のところは」という、だけだ。あのおっさんの毛にも飽きれば、他にもっといい毛皮があればそれまでだ。
もう十分、この街での足がかりは出来ている。あのギルドを辞めることへの未練などなにも無い。
「どうもお前さんみたいな若い流れの傭兵は正所属員になるのを嫌がる傾向があるが、そんなにメリットがない話ではないと思うんだがな……確かに制限は発生する部分はあるが、収入はある程度保証されるし、より良い仕事にも手を出せる」
「そんなの美味しいところなんて一部でしょ。正所属員になれば他のギルドの仕事も受けれないし、報告書もみっちり書かなきゃいけない、下手すりゃド素人と組んで尻拭いもしてやらなきゃいけないなんて、はっきり言って面倒でやってられないね」
「そうか、そこまで言うなら仕方が無いな……」
正直話にならない、とばかりに切捨れてば、ウォルトもやっと分かったのか、ため息を付いて頷いた。
「残念だが諦めよう。まあ、珍しくギィドが気に入っているようだから、上手くいけばと思ったんだがな」
俺に対しての交渉材料には遠く及ばないと言うのに、ウォルトは相変わらずこのネタで引っ張る気らしい。チラリ、と俺を見て肩を軽くそびやかすのは、諦めたと言っているくせに、なんともわざとらしいし、しつこい。
「……あんたさァ、どんな節穴だかしらないけど、何処をどう見てあのオッサンが俺を気に入ってるって言えるわけ。それに、何で俺が正所属員になればギィドが釣れるの。説得するなら逆じゃない?」
ウォルトの態度に、そう返したのは特段、言い分を信じたわけじゃない。
ただ、ここまで自信たっぷりに言われれば、一体こちらがツッコミを入れればどのようなホラをつくつもりなのか気になったのだ。
だから。
「何だ、本当にわかっていないのか?」
ひょいと片眉を上げると、さも意外というようなポーズには、よくもまあシラをきって芝居を打てるものだと思いながら、俺は半ば話を聞き流すつもりで、どうぞと続きを促す。
「そうだな、まず第一に、アイツ……ギィドは受付になる前は元々ジャグの相棒だった、というのは知っているな?」
「それくらいはね、其れがこれとどう関係するの」
ギィドが俺を気にいってる、と言う話のはずなのに、新しく出てきた名前に思わず顔を顰めれば、「そう先を急ぐな」と、ウォルトは手で制して。
「傍から見たらあの二人のうち、歯止めをかける役割はギィドに見えると思うが。実は逆で、肝心なときのストッパーはジャグで、どちらかというと無茶をしやすいのはギィドの方だったりするんだよ。実際に若いときから、一人で仕事をさせれば、ジャグもそれなりに危なっかしいが、ギィドのほうがその程度がというか、頻度が大きい。しかも、相棒を解散して受付になったくせに、今だ許可を出していない仕事に手を出すほどにな」
「……いいんじゃないの、あのおっさん、まだそこそこ動けるじゃない」
「確かに、ギィドの腕に関して文句はないが、残念ながらそう受付を抜けてもらっちゃ困るんだよ。しかも手を出す仕事が別にどうでもいいものならいいんだが、明らかにアイツのレベル的に微妙なラインの、厄介な物をわざわざ選ぶ傾向があってな。こちらとしては大人しくしてて欲しいわけだ」
全く困ったもんだと溜息をつきながら言うウォルトに、俺は知らず知らずのうちに、口を引き結んでいた。
なんというか、非常に面白くない。あのおっさんの、そういう俺の知らない行動を聞かされるのは、妙にいけ好かない。ギルドマスターだから下の把握をしているという訳か、それにしてはギィドの素行に詳しくないかとか思うが……いや、別にどうだっていいのだが。
そう、俺にはどうだっていい、のだが。
「話を聞いている限りじゃ、ジャグに任せればいいじゃない」
「そうしたいのは山々なんだが、非常に困ったことに問題があってな」
「問題?」
「ギィドの足にある怪我だが、あれはジャグを庇ったせいで出来たものでな。あの怪我の罪悪感のせいかどうもジャグは無意識に要所でギィドを庇うような行動をしてしまうらしいんだと。そしてソレがギィドには非常に気にくわなくて、結果相棒解消、って事になった訳だ。ギィドの気持ちを察するなら、対等な関係が崩されたのが不満だったんだろうな」
……なに、それ。
ウォルトの話にムカムカと、腹の底からどうしようもない苛立ちが湧き起こる。
原因は誰に、って、ギィドだ。
話を聞いた限りでは、あのおっさん、どんだけジャグに依存してるのかと思う。
ガッカリした。失望した。その程度か。いや、分かっていたけど。
別にそんなに、ギィドを認めていたわけじゃない。……しかし、少しくらいは、それなりには、やれるんじゃないかと思ってはいたが。
何だが馬鹿らしくなった。だってそうだ。あのおっさんが受付をしているのは、結局のところ、ジャグへの、元相棒への当て付けと言う女々しい行動なのだ。下手すりゃ今でも本当はジャグの相棒に戻りたいとか思っているんじゃないのか。
なんだそれ、気持ちワリィ。
「あー、おい」
「なに」
ふらふらと、視界で揺れる物体。それに焦点を合わせれば、ウォルトの手だった。
……って、何故このおっさんは笑っているんだ。
「話し、続けていいか?」
「続けるもなにも、ちゃんと聞いてる」
憮然として言い返せば、ますますその口元の笑みを濃くした男に、更に苛立ちが増す。
これ以上、不快な話に耳を傾ける必要は無いんじゃないかとも思うが、ここまで聞いて最後まで聞かないのも馬鹿らしい気がして、浮かせたい腰をあまり広くもない椅子の上でずり動かして落ち着かせた。
「まあ確かにギィドに落ち着いてもらうにはジャグにストッパーになってもらうのがいいんだが、しかしさっきも言った事情があるから、そう簡単には行かなくてな……そこで次に考えて、候補としてお前が出てくるわけだ」
やっと、本題に入るのか。
そう思ったところに一体、いつの間に頼んだのだろうか。給仕係がテーブルにコーヒーを3つ、空気を読んでそっと置いていく。ウォルトが「こいつは俺の奢りだ」と、気を効かせた様に言うが、こちらとしては長々とくだらない話に付き合わされて、コレくらい当然だと。そう暗に態度で示しつつ、話の先を促せば。
「実は、お前が絡んできてから、ギィドの悪癖の頻度が減っていてな」
「……そんなの、偶然じゃない?」
「俺も最初はそう思ったんだが、どうも色々考えていると腑に落ちない点があってな。たとえば、試闘を何度も受けているトコロとか、な。確かにお前に頭を触られるのを嫌がってはいるが、だからってわざわざ毎回やり合おうなんて事を普通はしない。本当にお前さんを面倒だと思っているなら特にだ。アレも策を講じるのはあまり上手くはないが馬鹿じゃない、お前が会いにこなくなるように仕向けることぐらい出来ないことじゃない。しかしソレをしないのは、無意識か故意かはさすがに解らないが、何だかんだと言って、お前を気に入ってる為だろう、そう、俺は判断した訳だ」
一息にそこまで話して、ウォルトはコーヒーカップを口元に寄せながら、『さあ、これで俺の意図はわかったか?』と言わんばかりの目で俺を見た。
「つまりは俺に、あのオッサンのストレス発散相手になれってこと?」
「まあ、体よく言うならそういう事だな」
「は、冗談」
反射的に俺は言葉を吐き捨てた。
ついでに、そのまま席を立つ。
やはり先ほど、一旦ケリが付いた時点でお開きにすれば良かった。下手に仏心を出して、話を聞いたせいで時間をひどく無駄にしてしまった。
「あ、おい」
「悪いけど」
引き止めようとするウォルトに、俺は立ち止まりはするが、振り返りはしないまま。
「俺は自分のしたいようにしかしない。そしてあのオッサンがどうなろうと知ったこっちゃ無い。だからこの先どんな勧誘も無駄だし無意味だから」
交渉の余地は完全にないことを釘をさすように、そう言い放って。
――誰が、ジャグの代わりになるか。
まるで何かがとぐろを巻いているように。言いようのない重みを持った胸など、気づかないふりをして。
一切合切、面倒なものなどそこに置いていければいいのにと思いながら俺は大股で店を後にした。
「……あ゛ー……」
まったく、気分が冴えないというどころじゃない。
気が付けば喉の奥から勝手に這い出してくる、己の濁った声にさえ苛立ちながら。
ゴロリと自宅のソファーに転がったまま、手を伸ばしてテーブルから酒瓶を掴んで一気に煽る。
弾ける泡が喉を刺激しながら潤してゆく。開けた瓶を床に放り出して、代わりに今度は干し肉を摘まんで、その硬い繊維に歯を立てた。
見上げた天井の木目をなんとはなしに数えつつ、俺はここ数日、一体何をしているのかと思う。
タダでさえあまりよくなかった気分は、先ほどウォルトと話をしてから更に降下の一歩をたどっているはめになって。訳のわからぬわだかまりが胸の中に鎮座して、膨らむばかりで妙に息苦しい。
そのせいか、口からは意味のないうめき声が無意識のうちに出てきてしまう。
多分、人生でこんなにも憂鬱になったことなど無いのではないだろうか。
いっそのこと、ギィドの毛は惜しいが、もうあのギルドに行くのは辞めようかと思う。
それがおそらく対策として最善の方法だろう。
自然と眉間に刻まれてしまうシワをグリグリと親指でのばしながら、そう考えるが。
しかし急に、頭の中で、それではギィドに利用されたままではないか、とぽそりともう一人の自分が呟いた。
「……ん?」
ふと、自分が思った事に引っ掛かりを覚える。
今、何か、大事なことを思い出しかけた、そんな気がする。
思わずソファアから身を起こして、ついさきほど頭の中を素知らぬ顔をして通り過ぎていった事を一つ一つ思い出す。
確かそう、ウォルトの話を聞いているときに。
ひどく、憤りを覚えたこと。正直、そのままにしておくのはプライドが許さないと、そう思った事――
「よく考えたらあのオッサン、一人だけ二重取りじゃん」
ようやく思い出した。
あのギルドマスターの話を大まかに信じるならば。
俺は今まで、ジャグに本気で相手にされなくなったギィドの、いいストレス発散に利用されていた、ということになる。
これでも一応ギルドのルールに則って、俺が勝ったら髪を触らせる、もしギィドが勝ったら俺はギィドへの口を慎む、という試闘を飲んでやっていたというのに。わざわざ律儀に試闘の条件を守って、「触るのは一日30分まで」なんて一歩譲ってやってすらいたにもかかわらず。
あまつさえ、俺には及ばないが、それなりにギィドの腕は認めていたから、試闘でも本気で相手をしてやっていたのに、だ。
そのすべてが、単なるあのオッサンの、お手軽な代償行為を手助けしていた、そのことが最上級に気に食わない。真面目に相手をしていた、俺への裏切りもいいところだ。利用されていたと分かって、このまま何もせず引き下がるのはプライドが許さない。
最近脳裏にこびりついて離れなかった五日前の出来事の気まずさも、沸き上がってきた新しい不愉快さに押しやられる。
むしろ、改めて考えれば、ざまあみろ、とすら思えてきた。
やすやすと首を締められ、落とされて。マウントポジションをとられて男にディープキスをされるなど、ギィドにとって汚点もいいところだろう。
そんな爪跡を残せたのだと見方を変えれば少しばかり胸がすっとする気がした。
「……ギルドを辞める前に、舐めた真似をしてくれた、そのお返しをしないとな……」
ギィド一人に良いとこ取りなどさせてやるものか。今まで利用されていた、その分の貸しをしっかり利子付きでと取り立ててからでも、ソレからでも辞めるのは遅くはない。
この俺を、怪我を負った自分を本気で相手にしなくなったジャグの代わりにしていた。ならば俺だって、ギィドを何かの代わりにしてやっていいはずだと思う。
たとえばそう、――女のかわりにだって。
不意に、夢ので、そういったシチュエーションがあったことを思い出した。
俺の手の下で女みたいに扱われて、屈辱に燃える目をしながら反応をするギィドは、ひどく滑稽で、良かった。
段々と沈んでいた気分が浮上してくる。
あのオッサンに利用したことを後悔させてやりたい。ジャグなんかの変わりになど俺はならないのだと思い知らせてやりたい。
そのために、まずは油断をさせなければ。
俺が利用されている事に気づいたと、知られてはいけない。簡単にネタばらしをしてしまってはつまらない。
適度にギィドに利用されているふりをしよう。そして気を緩ませて、俺がジャグと同じ様な位置に立ったら、一気に突き落としてやるのだ。
相棒なんて位置よりも、もっと、男としての面目すら潰して、這いつくばる姿を笑ってやろう。
これからの事を夢想すれば、大口の依頼を受けたときのように胸が弾んできた。
久々に楽しい狩りの前の様な気がして。
俺は念密に計画を立てるべく、頭を猛スピードで回転させた。
そして次の日。
「……なぁ、あんた、ちょっと顔かしなよ」
ギルドのカウンターに手をついてそう言えば、不機嫌そうにギィドが顔を上げる。
あんな事があったにも関わらず、顔をしかめつつも真っ直ぐこちらを見る、深い緑色の眼に自分が映って、内心ぞくぞくする。
この顔がどんなふうに歪むのだろうと想像して、口の端が上がりそうなる。だがこれからの目論見を悟られてはいけないと、酷く勇み立つ気持ちを押さえ、至極こちらも不機嫌そうな顔を表面上は作って。
――さあ、狩りの時間の始まりだ。
傍から見たら、険悪な睨み合いにしか見えないだろう。
しかし内心は笑い出したいくらい愉快な気持ちで、俺は一人、これからの始まる騙し合いの幕を切って落とした。
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