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爆発
しおりを挟む石川琢磨《いしかわ たくま》は弓道部の主将で愛想がよく茶目っ気もある。男女どちらの部員たちからも親しまれている。
彼には誰にも言わない秘密があった。
彼はその秘密を隠したかったが、いつか曝け出したいという欲望もあった。
◆
石川は文化祭の時も弓道場で、見学者の応対をしていた。保護者に弓の持ち方と矢の扱い方を教えていた。甘いマスクと紳士的な対応でご婦人も紳士も彼に夢中になっていた。
弓道場にもあの放送は流れた。
一時は見学者と一緒に動揺したが、七名ほどの名前と秘密が読み上げられたところで終わり、その後はなにも起こらなかったので石川はレクチャーを再開した。その石川の態度に周囲も同調したので、弓道場は平和だった。
石川の名前は呼ばれなかった。
文化祭が終わり電車に揺られて自宅に戻ると、階段を駆け上がり、石川は自室で秘密の時間に浸った。家族が帰ってくるまでの貴重な時間を無駄にはしたくなかった。
「たっくんー」
急に声をかけられて石川の心臓が跳ね上がった。妹が先に帰ってきていたらしい。秘密を引き出しにしまって石川は冷静を装いドアを開けた。
「たっくんー、スマホの充電器貸して」
「お前、型が違うってこの間言ってただろ」
「えー? まだ旧世代使ってるの?」
不満を漏らす妹を手の動きで追い払う。
「しゃーないコンビニ行くか。たっくんも早く機種変してよー」
妹が階段を降りていった。ドアを閉めた。
石川は引き出しを開けて秘密を取り出す。それを眺めて、しばし浸る。
石川の名前は、あの放送で呼ばれなかった。
◆
呼ばれなかったということは、隠匿は完璧だということだ。なにも悲観することではない。
しかし、言いようのない寂しさが石川を襲っていた。
自分は誰にもこの秘密を打ち明けずに一生を過ごすのだろうか。
秘密とは、秘密を持つということは、自分の真の心を隠し持つことだと、石川は信じている。
誰にも知られたくないという感情は、ひるがえって、誰か大事な人であれば打ち明けたいということになるのだ。
いつか自分にもそんな相手が現れるのだろうか。
石川は夢想する。
弓道場で石川は後輩たちを見ていた。姿勢を指導し、手首の形を覚えさせる。
「石川先輩って趣味あります?」
後輩の一人、一年生の嶋が言う。ショートカットの髪が揺れる。
「今は部活一筋かな」
嘘をついた。
「そうなんですか……このあとみんなでゲーセン寄るんですけど、一緒にどうかなって」
「いやあ、ごめん。うるさいところって苦手なんだ」
本当は秘密を話したい。秘密についての話を誰かとしたい。
話したい。
話したい。
話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。拍手を浴びたい。そんな時は来ない。でも話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。喝采を浴びたい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。話したい。
後輩たちは去っていった。石川は完璧な微笑みで見送った。
◆
時は流れて、二月。
いまだに石川の秘密は秘密のままだった。引き出しに収まりきらないほどの秘密は段ボール箱に入って、押し入れの奥に隠されている。
「先輩!」
校門をくぐる直前、背後から声をかけられた。
「これ、あの、ハッピーバレンタイン!」
「ぐえ」
振り返り切る前に背中に箱を押し付けられた。すごい力で。不意打ちとはいえ石川の体幹を崩すとはなかなかの膂力だ。石川は見どころのある後輩の顔を見ようとした。
しかし彼女は顔を隠して走り去ってしまった。ショートカットの髪型が揺れる。
「………」
地面に落ちたチョコレートの箱を改める。市販のチョコだ。メッセージカードの『TAKUMA LOVE』の字は震えている。
石川は普通に授業を受け、昼食は学食ですませ、夕方になったら着替えて弓道場へ向かい、後輩たちにチョコレートの送り主について聴いて回った。
「ああ、あの子だね。嶋」
「これはしばらく、部活来ないだろうねー」
石川はその顔を思い出そうとする。
「部活兼ねてるからあっちならいるかも」
「あっちって?」
石川がたずねると、後輩はその言葉をつぶやいた。
「文芸部です」
石川は文芸部に近寄るのが怖かった。
鞄には、秘密の一片が入っている。
文芸部に近寄れば自分の秘密が日の下に曝け出され、衆目に晒され、メタメタのボコボコに嘲笑われ叩かれるのではないかという不安が、常にあった。
そんなことはないんだが。そう、隠し通せばいいだけだ。今回は後輩にチョコレートのお礼を言うだけでいいんだ。それだけを済ませて、何事もなく帰ればいいだけ。石川は自分に言い聴かせる。
しかし、話したい。
石川の理性を揺るがせるのはあの欲望だった。話したい。この秘密を話したい。文芸部ならきっと語り合える相手がいるはずなんだ。話したい。自分の真の心を受け止めてくれる運命の相手を見つけたい。そうだ、チョコレートをくれた嶋という少女なら自分に惚れている上に文芸部を兼ねている彼女ならきっと自分を受け止めてくれるかもしれない。いや、落ち着け。それは早計だ。冷静になれ。
話したい。
話したい。
話したい。
考えている間に、石川は扉の前に来ていた。窓の所に文芸部の張り紙が貼られている。
「何か、御用ですか」
背後から声をかけられた。
石川は素早く振り返る。そこには長身で猫背で、前髪で顔を半ば隠した女子生徒が立っていた。石川は思わず震えあがった。
「あ、部長の蛙刷《あずり》です。驚かせてすみません」
文芸部の部長はカーディガンの裾を持ち上げて、そこになぜかペットボトルをたくさん抱えている。
「いえ、その、後輩を探していまして」
チョコレートの箱を見せる。それを見て蛙刷は納得したようにうなずく。
「そういう季節ですものね。少し待ってくださいね、思索にふけりたい部員も多いので。ええと、お名前は?」
「石川琢磨です。弓道部の」
「わかりました」
蛙刷は足で扉を開けて身体を滑り込ませる。石川はしばらく廊下に立ちすくんでいた。
話したい。
欲望はいまだにくすぶり続けている。
「お待たせしました」
扉が開けられた。蛙刷の隣に立っていたのは確かに、弓道場で話したことのある後輩の嶋だった。少し赤い顔をして、うつむいている。
「石川先輩、あの……私が見学に来た日のこと、覚えてますか」
「聴いてください!」
気が付けば叫んでいた。
「先輩?」
嶋は視線を上げる。
「おやおや」
蛙刷は腕を組み始める。
石川は鞄から秘密を取り出し、その場で諳んじた。
「文化祭は破壊されなかった、しかし、各々に残ったものはある。文化祭は破壊されなかった、しかし、誰かの秘密は暴かれていた……」
渾身の一編だった。それを情感たっぷりに、一字一句覚えている通りに朗読した。
「僕の、ポエムです。感想を聴かせてください」
やってしまった。
石川は瞬時に後悔した。
「ええと、あの、先輩、その……」
嶋は戸惑っている。
「良いと思いますよ。見どころあります」
蛙刷は音のしない拍手をしながら頷いている。
石川は、秘密ではなくなってしまったポエムノートを鞄に仕舞い、方向転換した。
「死にます」
「えっ。あ、死なないでください!」
窓から飛び出そうとした石川を強烈なタックルが襲った。
石川は後日、文芸部に兼部の届け出をだした。
「いいですね。良くなってますよ」
蛙刷は頷いている。
「ありがとうございます」
石川はお礼を言う。
「あえてここで人体の破壊を入れてみては?」
「部長、自分の趣味入ってます」
嶋がツッコミを入れる。
石川の秘密は、秘密ではなくなった。
了
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