老剣士の三百歩〜余命一年から始める冒険者稼業〜

けんぽう。

文字の大きさ
1 / 22

第1話 徘徊じゃない、旅立ちじゃ

しおりを挟む
「余命一年、といったところじゃな」
 ──薄曇りの午後、村はずれの小さな療院に、老医師とクレインは向かい合っていた。

 老医師は書見台に両肘を載せ、くすんだ瞳で告げた。
 瞬間、クレインの胸板から噴き出したのは、咳払いにも似た豪快な笑いである。

「かっかっか!ワシの歳じゃったら寿命と病死、どちらが追いつくかの競走じゃ、愉快よのう!」

 老医師は苦笑しつつ包帯を片づけ、落ち着いた声で返す。
「愉快かどうかは知らんがの。七十九歳、いつ呼び鈴が鳴ってもおかしくはあるまい」

 匙が机に当たり、金属のかすかな余韻が残る。
 クレインは鼻を鳴らし、腰に置いた左手をひと振りした。
「その通りじゃ。——さて、ワシは帰る。余計な薬も慰めも要らん」

 医師は視線を外さず、柔らかく問いかける。
「待たんか。やり残したことなど一つはあろう。あと一年、好きなことを——」

「満足しとる!道場を守って、安らかに過ごす」

 短く斬り捨てると、老医師は机を指で叩き、半世紀前の噂を掘り起こした。
「昔は“冒険者になりたい”と騒いどったろう」
「たわけ!半世紀前の戦争より昔の──埃まみれの夢じゃ!」

 鈍い罵声が壁に当たり、植物標本の瓶がかすかに揺れた。
 クレインは荒々しく戸を開き、風を切って去る。その背を、老医師は疲れた笑みで見送った。

 療院を出ると、夕立前の湿り気を含んだ風が頬をなぶった。
 余命一年の響きを胸の奥へ押し込み、足取りだけは平生の調子で道場へ向かう。

 ***

 道場に入るや、木剣の打ち合う乾いた音が梁を揺らした。
 門下生たちが上段の型で締めに入り、掛け声が床を震わせる。クレインは壁際に立ち、腕を組んでうなずくつもりだった。

 弟子の一人が踏み込みでわずかに腰を浮かせた瞬間、身体が勝手に反応した。

「——踏み込みは“半身寄せ”、一拍置け」

 一歩だけ踏んで見せる。前屈立ちへ移る刹那、パキリと膝が鳴る。
 壁に手をついた途端、頭上の古い棚がぎし、と軋み、木箱が落ちた。中から古い写真が数枚、床に散る。

「だ、だいじょうぶですか師範!」「無理な示範は——」
「そうじゃのう……口で教えりゃ済む。稽古を続けい」

 クレインは掌をひらりと振って弟子たちを下がらせ、膝を折って銀板写真を拾い上げ、そっと胸にしまった。

 ***

 家に戻ると、炉の鍋がぐつぐつと鳴り、脂と薬草の香りが満ちていた。長卓に木椀が並び、家族が席につくところだ。王都大学の魔法学部に通う孫ルカが黒麦パンを切り分け、息子のヴィルムとその妻エリシアが椀を配る。

「お帰り、じいちゃん。お医者さまは何て言ってた?」
 ルカがパン屑を払って顔を上げる。

「……ただの風邪じゃ」
 苦い嘘を吐き、厚布に包んだ短剣を卓の中央へ静かに置く。炉火が鍔を横切って光る。

「——握ってみろ。剣は骨と魂を研ぐ砥石じゃ」

 鍋の前のルカは木杓子を回しながら、剣に触れず笑った。
「いま世界を研ぐのは数式と魔法陣さ。僕は“蒸気式マナ変換機”を仕上げて、来季の学会で発表するんだ。
 これを寒村の水車に組み込めば、冬の凍死が半分になる。だから急いでるんだよ」

 フォークが皿を跳ね、音が湯気を裂く。香りが一瞬で消え、室内に暖炉と薬草の匂いだけが残った。
 クレインは腰を下ろし、低い声を這わせる。
「ルカ、お前には剣の才がある。道場を継いで——」
「じいちゃんは未来を変えたの?」

 ルカの声音は穏やかだが、言葉の刃は鋭い。
「“撤退戦の英雄”って呼ばれても、結局は昔語りの脚色でしょ?」
 炉が、ぱち、と鳴った。
 クレインは咳を飲み込み、布巾で口を押さえる。白に赤がじわりと広がる。
 ルカが鍋越しに手を伸ばす。
「……だから安静にしなよ。もう爺ちゃんの役目は——」
「おいぼれ扱いするなッ!」

 卓板が拳で震え、視線が火花を散らし、炉火の爆ぜる音が間を埋めた。
 やがてヴィルムが咳払いし、場を収めるように椀を並べ直す。
 湯気の向こうで、ルカの瞳には敬愛と、ほんの少しの寂しさが交錯していた。
 クレインは気づきながらも気づかぬふりをして、苦い笑みを作る。
 椀を手元へ寄せ、胸の前で腕を組み直した。その姿勢が、言葉のかわりに盾になった。

 ***

 ——夜。家人が眠る頃クレインは納屋の奥、道場で拾った銀板写真を覗き込んだ。
 若い自分と、肩を組む友。川辺、陽に白く光る水面、笑っている。

 裏返す。震える筆跡。
「戦が終わったら、一緒に冒険へ出よう」
 行の端に、癖のある頭文字——G。

 去年、ガレスは風邪をこじらせて先に逝った。
 戦のさなか、オルト峠の帰り道で決めた——終わったら二人で旅に出ると。だが焼け跡の復旧と配給、道場の建て直しに追われ、「今は人手が要る」と翌春へ回した。その春は来なかった。

 胸の奥で、古い火がじり、と鳴る。
(……老いは止められん。じゃが、やり方は選べるんじゃないか?わずかな歩幅でも、約束は果たせる)
 だが次に浮かんだのは感傷ではなく段取りだった。
(……〈旧戦域保護区〉は登録証が要る。王都の冒険者登録は月末締め。王都まで一週間——今すぐ動かねば間に合わん。この脚なら、なおさらじゃ)

 そして、もう一つ。
(王都には——昔、腕白小僧に稽古をつけた。“バル坊”がおる。いま何をしとるやら……ま、使える縁はある)

 箱を開け、古い甲冑を取り出した。布で錆を拭い、留め具を締める。胸の奥に、あの熱がまだいる。

 肩当てに指を滑らせ、深い傷痕を確かめる。赤褪せたマントは蛾に喰われ、徽章は剥落している。
「息子夫婦に孫、温い寝床と三度の飯……これで充分のはずじゃと思っておった」

 手は止まらない。磨き上げ、最後の留め具を締めると、胸の奥で何かがはじけた。
「ふっ……見よ、この老骨。いまこそ旅立つ!戦友たちよ、待っとれよ」

 鏡に映る自分へ指を突きつける。
「七十九歳?余命一年?笑止!ならば——今夜発つ。三百六十五日の大冒険を、この老体で食い尽くしてくれるわ!」

 戸を押し開けると、村が音楽になった。
 風が桑の葉を擦り合わせ、虫が低い弦を鳴らし、小川が細い笛で拍を刻む。
 頭上では天の川がゆっくり流れ、星の粒が拍を数える。
 その拍に歩幅を重ねると、鎧の継ぎ目が軽く歌った。
 肩書も歳月も、露に紛れて薄まる。先送りにしてきた重しが、足首からそっと外れた。
 残ったのは、骨と息と、ただ進みたい意志だけ。
 母屋の灯がひとつ、またひとつ揺れた。誰かが不在に気づいたらしい。
「行くか」

 胸当てに当たって銀のペンダントが澄んだ音を落とす。蓋を開けば、亡妻エリサの眼差し。
「……エリサよ。ワシは歳を楯にして、夢を棺に葬っただけかもしれんのう」

 言葉にすると、熱が広がった。
「間違うたのは“歳だから無理”と決めつけたことじゃ。無茶はせぬ——知恵と段取りで行く」

 里を離れ、小川を越え、膝が呻く。
「休むか……」

 路傍の石に腰を下ろし、ペンダントを開く。
「ばあさんや。——もうじき会いに行く。その前に、ワシは“冒険者”になってみることにしたぞ。
 土産話を山ほど背負って行くから、茶でも湧かして待っておれ」

 ——と、言いたいところだが、実際には甲冑と関節のきしむ音の方がよほど騒がしい。

 畦道の向こう、松明の灯が赤子の夜泣きのように揺れ、村人たちが次々に飛び出してくる。
「いたぞー!クレイン爺さん発見!」「やっぱり徘徊だってばさ!」「攫われたなんて誰が言ったんだよ!」

 夏草がざわめき、クレインは眉間に峡谷を刻む。
「違うわい!ワシは旅……いや、冒険の途中じゃ!」
 抗議のため立ちあがろうとしたクレインの膝がパキリと音を立て、若い衆の苦笑いがやわらかく包む。
「はいはい、“冒険”ね。とりあえず家に帰って、明るくなったらまた旅立とうね?ね?」
「最近ちょっと物忘れが——」「誰がボケ老人じゃッ!」

 鎧をカスタネットのように鳴らして反撃——したつもりが、肘当てを振った瞬間、
「ぬおっ!?外れぬ!」
 錆びた関節が噛み合い、想定外のロック機構と化す。左右から抱えられ、救助か逮捕か判然としない。

「離さんか!ワシは自由なる流浪の冒険者——ぐあっ、膝が!」

 三百歩を超えた脚が悲鳴を上げる。月光が円い舞台照明のように照らす中、鳴り響くのは鎧の軋みと若者たちの号令。
 抗議だか実況だか分からぬ叫びが夏草の海を渡り、遠くの梟が呆れた声で応じた。

 老剣士クレイン——七十九歳。
 彼が一度に歩ける距離は、たった三百歩ほど。距離にして三百メートル。
 けれど胸の奥では、少年の頃に描いた冒険譚がふたたび灯をともしていた。

 ——一年しかない?
 笑止。

「まだ、終わらせん……物語を」

 東の空が、わずかに白みはじめていた。

「——残寿:12ヶ月」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】うだつが上がらない底辺冒険者だったオッサンは命を燃やして強くなる

邪代夜叉(ヤシロヤシャ)
ファンタジー
まだ遅くない。 オッサンにだって、未来がある。 底辺から這い上がる冒険譚?! 辺鄙の小さな村に生まれた少年トーマは、幼い頃にゴブリン退治で村に訪れていた冒険者に憧れ、いつか自らも偉大な冒険者となることを誓い、十五歳で村を飛び出した。 しかし現実は厳しかった。 十数年の時は流れてオッサンとなり、その間、大きな成果を残せず“とんまのトーマ”と不名誉なあだ名を陰で囁かれ、やがて採取や配達といった雑用依頼ばかりこなす、うだつの上がらない底辺冒険者生活を続けていた。 そんなある日、荷車の護衛の依頼を受けたトーマは――

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

『辺境伯一家の領地繁栄記』スキル育成記~最強双子、成長中~

鈴白理人
ファンタジー
ラザナキア王国の国民は【スキルツリー】という女神の加護を持つ。 そんな国の北に住むアクアオッジ辺境伯一家も例外ではなく、父は【掴みスキル】母は【育成スキル】の持ち主。 母のスキルのせいか、一家の子供たちは生まれたころから、派生スキルがポコポコ枝分かれし、スキルレベルもぐんぐん上がっていった。 双子で生まれた末っ子、兄のウィルフレッドの【精霊スキル】、妹のメリルの【魔法スキル】も例外なくレベルアップし、十五歳となった今、学園入学の秒読み段階を迎えていた── 前作→『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合

アルフレッドは平穏に過ごしたい 〜追放されたけど謎のスキル【合成】で生き抜く〜

芍薬甘草湯
ファンタジー
アルフレッドは貴族の令息であったが天から与えられたスキルと家風の違いで追放される。平民となり冒険者となったが、生活するために竜騎士隊でアルバイトをすることに。 ふとした事でスキルが発動。  使えないスキルではない事に気付いたアルフレッドは様々なものを合成しながら密かに活躍していく。 ⭐︎注意⭐︎ 女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

処理中です...