老剣士の三百歩〜余命一年から始める冒険者稼業〜

けんぽう。

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第11話 逆流する夜、夜明けの約束

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宵。ルカは低く拍を刻む。こと、こと、こと——一拍ごとに陣が淡く点き、広場の空気が脈動した。

「風位束ね、清水を廻せ。循環、第一巡——開始」
銀の線が水脈のように光り、井戸口の空気がひやりと澄む。計測器の針が滑る。
「六・一……五・〇。毒素、落ちてる。——第二巡、入る」

白線を一本、テンポはわずかに上がる。
「三・二……二・一。——地表の滞留が残る。位相を二度ずらして……第三巡!」
風が輪の内だけ清い匂いに変わり、頬の内側まで涼しくなった。
「一・六。——八割、除去達成」

風は澄み、咳は遠のく。簡素な火が起こされ、木椀のスープと焼きパンが手へ渡る。井戸脇の計測器は一・六で安定していた。

「咳が止まった!」「息が軽い!」
口々の声。肩車された子が笑い、母が泣き笑いで礼をする。
クレインは小さく頷いた。
「やるのう」
「術式が働いただけ。——ロエイン式の、学問のおかげ」
ルカが照れ混じりに言うと、クレインは木椀を受け取り、静かに首を振る。
「いや、おぬしの力じゃ。ようやった、ルカ」

「ルカ殿、大したもんじゃ。あんたは、この見放された村の英雄じゃ」
老いた村人の言葉に、クレインが胸を張る。
「さすが、ワシの孫。その魔法と数式がお前の剣ということか。かっかっか」

笑いかけた指が、ふるりと震えた。咳をひとつ、笑いで誤魔化す。
「じいちゃん、無理は——」
「こんなもの、なんでもないわい」

次の瞬間、老剣士の視界がふっと暗む。膝が抜け、剣が地面へ落ちた。
「クレイン殿!?」「誰か、寝所を!」
どよめきの中、ルカが駆け寄って抱きとめる。
「——担ぎます!」

緊張が、広場を縫った。清らいだ風の匂いだけが、変わらず夜へ流れていった。

井戸の針は1.6で止まった——はずだった。
真夜中、無人の盤で針が静かに跳ねる。二、そして三。白い靄が地表に薄く張り、窓の向こうが鈍い硝子になる。

鳥明かりが壁を薄く洗うころ、クレインは目を開けた。膝掛けの端に、背を丸めたルカが椅子でうたた寝している。疲れの重みが頬に残っていた。
「……ルカ」
掠れ声に、孫ははっと目を上げる。
「じいちゃん。——目、覚めた?」

短い沈黙。ルカは躊躇し、しかし正面から言った。
「じいちゃん、おかしいよね。身体……調子、悪いの?」
「まあ、疲れがたまっ——」
「誤魔化さないでよ!」声が、上ずった。「毒素は少量だ。なのに一日で、まるで余命いくばくの病人みたいじゃないか!」

逃げずに、クレインは見返した。呼吸を整え、一拍。
「……そうじゃのう。ワシの命は、そう長くは持たんらしい」

ルカの指が震える。
「すぐ王都へ戻ろう。高度な治療を——」
「できん」クレインは首を振った。「グレイマーチ高原へ行かにゃならん」

「どうして。命の危険があるのに」
クレインは天井ではなく、遠い過去を見た。
「五十年前、ここは戦場じゃった。大軍がぶつかり膠着、敵の結論は禁術の毒。灰が降り、地が鳴いた。
ワシは上の命令を無視して撤退を指揮した。……間に合わんところも多かった。足止めしてくれた命がある。置いてきた背がある。野晒しのまま、まだワシを待っとる」

ルカが息を呑む。クレインは身を起こし、型の美しさそのままに深々と頭を下げた。
「やめて——」
「ルカ。たのむ」
「そんな、じいちゃんがそんな顔をしたら……」
「お前の魔法だけが希望じゃ。——手を貸してくれ」

見たことのない祖父の姿に、言葉は消えた。沈黙ののち、ルカは小さくため息を落とす。
「……どうせ、僕が止めても行くんでしょ」
クレインが顔を上げる。目にあるのは笑いではなく、ただの覚悟。
「一緒に行く。ただし条件。終わったら王都で治療を受けること」
「飲む」

二人は手を合わせない。ただ深く頷いた。夜が窓の外からほどけ始める。
クレインは薄く笑い、寝台から足を下ろした。
「——夜明けとともに出る」
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