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囚われの兎
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秋が終わりに近づき冬の凛とした空気が感じられ始めたある日の午後、一人の少女が僕達の施設にやってきた。
その少女は、恐ろしい程美しく造られた人形みたいな女の子だった。
人形みたいなのは外見だけではない。
彼女は全く喋らず、笑いもしなかった。
無理もない。
彼女は彼以外の人間を見たのは初めてで、また、あの部屋以外の空間に足を踏み入れたのも初めてだったからだ。
彼女の名前はアルテミス。
神話が好きだったあの男が月の女神と同じ名前をこの美しい少女に付けたのだった。
彼女はずっとある男に監禁されていた。
そのある男とは、年の若い教授だった。
彼女の教授の出会い、それは彼女が赤ん坊の頃だった。
ある夜の事、彼は捨てられている赤ん坊を見つけた。
―それが彼女だった。
毛布に大切にくるまれている顔を覗けば、まるで天使のような美しさだった。
細いブロンドの髪に透き通るような白い肌、そして慈愛溢れる蒼い瞳で、彼をじっと見つめていた。
彼は彼女に心を奪われてしまった。
恋という陳腐な感情ではない。
もっと違う―そう、まるで―今まで探し続けていた宝がやっと手に入ったような―。
彼は彼女にそのような奇妙な感覚を覚え、彼女を家に連れて帰った。
それから彼は教授という肩書きを捨てた。
別居をしていた家族とも別れ、何もかもを捨てただ彼女との時を過ごした。
彼は彼女をとても大切に扱った。
まるで硝子細工のように。
そして彼は彼女と外の関わりを全て断った。
そう、彼は彼女に見せたくなかった。
この汚い世界を。
こんな汚い世界知らなくていい。
私以外の人間は知らなくていい。
この部屋以外の世界は知らなくていい。
―君が捨てられていたなんて、そんな悲しい事実も知らなくていい。
彼は赤ん坊の時捨てられていて悲しい思いをした。
自分は必要のない、愛されていない人間だから捨てられたのか。
その重い気持ちを持ち続けて生きてきたのだ。
彼女にそんな悲しい思いを持たせたくない。
親に愛されなかったのなら、私がその分愛してあげよう。
彼はそう呟いて彼女をずっと見えない鎖で縛り付けていた。
しかしそんな生活も長くは続かなかった。
「一人しかいないはずなのに、あのお屋敷で声がするのよ‥。」
近隣の人のその通報で警察が動いたのだ。
彼はただ懇願していた。
私は何も悪いことはしていない!
だからどうか彼女だけは‥彼女だけはあの部屋から出さないでくれと。
汚い世界に彼女を連れて行かないでくれと。
彼はまるで玩具を取られた子供のように泣きじゃくり、警察官に拳銃を突き付けた。
―彼はその場で射殺された。
暖かい日差しが射し込む、麗らかな日のことだった。
そして彼女は僕達の施設に来た。
僕達は彼女が早く普通の生活を送れるよう、まず心のケアから入った。
「こんにちは、アルテミス。今日もいい天気だね。」
僕達がどんなに語りかけても、彼女は一つの反応もしなかった。
ただ彼女はその大きく美しい蒼い瞳でこちらをじっと見るだけだった。
彼女は虐待など全くされていなかった。
それどころか大切に、大切に育てられていて。
彼女にとってあの部屋は牢屋ではなく楽園だったのだ。
汚い世界から完全に遮断された。
美しいものしか存在しない世界だったのだ。
僕達はあの男の事は彼女に告げなかった。
きっと言ってしまえば、彼女は自我を保てないだろうと思ったから。
だけど彼女はもう何もかも知っているようだった。
彼の遺体を焼いた日、彼女は静かに涙を流した。
それは彼女がこの世界で見せた、ただ一つの感情だった。
それから彼女は塞ぎこんでしまった。
話しかけても瞳は空虚を見つめ、何も口にしなかった。
そして雪が舞い散る聖夜、彼女は眠るように息を引き取った。
僕はなぜか昔母親に言われた言葉を思い出していた。
「兎はね、寂しいと死んでしまうんだよ。」
彼女は兎ではない。
でもきっと彼女は寂しくて。
あの男に会えない寂しさで死んでしまったのだろう。
「‥なぁ、俺たちは間違ってなかったよな?」
同僚のその言葉に僕は答えられなかった。
僕のため息は、真夜中の静寂に吸い込まれるように消えていった。
その少女は、恐ろしい程美しく造られた人形みたいな女の子だった。
人形みたいなのは外見だけではない。
彼女は全く喋らず、笑いもしなかった。
無理もない。
彼女は彼以外の人間を見たのは初めてで、また、あの部屋以外の空間に足を踏み入れたのも初めてだったからだ。
彼女の名前はアルテミス。
神話が好きだったあの男が月の女神と同じ名前をこの美しい少女に付けたのだった。
彼女はずっとある男に監禁されていた。
そのある男とは、年の若い教授だった。
彼女の教授の出会い、それは彼女が赤ん坊の頃だった。
ある夜の事、彼は捨てられている赤ん坊を見つけた。
―それが彼女だった。
毛布に大切にくるまれている顔を覗けば、まるで天使のような美しさだった。
細いブロンドの髪に透き通るような白い肌、そして慈愛溢れる蒼い瞳で、彼をじっと見つめていた。
彼は彼女に心を奪われてしまった。
恋という陳腐な感情ではない。
もっと違う―そう、まるで―今まで探し続けていた宝がやっと手に入ったような―。
彼は彼女にそのような奇妙な感覚を覚え、彼女を家に連れて帰った。
それから彼は教授という肩書きを捨てた。
別居をしていた家族とも別れ、何もかもを捨てただ彼女との時を過ごした。
彼は彼女をとても大切に扱った。
まるで硝子細工のように。
そして彼は彼女と外の関わりを全て断った。
そう、彼は彼女に見せたくなかった。
この汚い世界を。
こんな汚い世界知らなくていい。
私以外の人間は知らなくていい。
この部屋以外の世界は知らなくていい。
―君が捨てられていたなんて、そんな悲しい事実も知らなくていい。
彼は赤ん坊の時捨てられていて悲しい思いをした。
自分は必要のない、愛されていない人間だから捨てられたのか。
その重い気持ちを持ち続けて生きてきたのだ。
彼女にそんな悲しい思いを持たせたくない。
親に愛されなかったのなら、私がその分愛してあげよう。
彼はそう呟いて彼女をずっと見えない鎖で縛り付けていた。
しかしそんな生活も長くは続かなかった。
「一人しかいないはずなのに、あのお屋敷で声がするのよ‥。」
近隣の人のその通報で警察が動いたのだ。
彼はただ懇願していた。
私は何も悪いことはしていない!
だからどうか彼女だけは‥彼女だけはあの部屋から出さないでくれと。
汚い世界に彼女を連れて行かないでくれと。
彼はまるで玩具を取られた子供のように泣きじゃくり、警察官に拳銃を突き付けた。
―彼はその場で射殺された。
暖かい日差しが射し込む、麗らかな日のことだった。
そして彼女は僕達の施設に来た。
僕達は彼女が早く普通の生活を送れるよう、まず心のケアから入った。
「こんにちは、アルテミス。今日もいい天気だね。」
僕達がどんなに語りかけても、彼女は一つの反応もしなかった。
ただ彼女はその大きく美しい蒼い瞳でこちらをじっと見るだけだった。
彼女は虐待など全くされていなかった。
それどころか大切に、大切に育てられていて。
彼女にとってあの部屋は牢屋ではなく楽園だったのだ。
汚い世界から完全に遮断された。
美しいものしか存在しない世界だったのだ。
僕達はあの男の事は彼女に告げなかった。
きっと言ってしまえば、彼女は自我を保てないだろうと思ったから。
だけど彼女はもう何もかも知っているようだった。
彼の遺体を焼いた日、彼女は静かに涙を流した。
それは彼女がこの世界で見せた、ただ一つの感情だった。
それから彼女は塞ぎこんでしまった。
話しかけても瞳は空虚を見つめ、何も口にしなかった。
そして雪が舞い散る聖夜、彼女は眠るように息を引き取った。
僕はなぜか昔母親に言われた言葉を思い出していた。
「兎はね、寂しいと死んでしまうんだよ。」
彼女は兎ではない。
でもきっと彼女は寂しくて。
あの男に会えない寂しさで死んでしまったのだろう。
「‥なぁ、俺たちは間違ってなかったよな?」
同僚のその言葉に僕は答えられなかった。
僕のため息は、真夜中の静寂に吸い込まれるように消えていった。
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