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LUCK
5-1 cannot smile well
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♧
私──服部若菜は、笑う顔を上手く作れない。
まずね、愛想笑いってのが出来ない。微笑みってのも出来てないらしい。つり目だし、口角が下がりやすいし。あぁ、よく「睨まれてる」って言われたっけ。
そんな私は、お笑いが好き。なんなら大好きだ。
漫才やコントのショーレースなんてのはもちろん、高座の噺に、前座芸までなんだって好き。だって、私を簡単に『自然に』笑わせてくれるんだもん。
自分の身を使って人様を笑わせることができるなんてスゴい。心からそう思う。真顔がちの日本人の表情の多くを、そうやって簡単に変えることができるのは、きっと魔法かなにかなんだ。すごい能力だと思うわけ。
あの日。
高校から帰ったら、母親が食卓テーブルの上にメモ紙を残していた。
『私興味ないし行けないからあげる』
淡白で無味無臭の手紙。これは母親からのもの。添えてあるチケットを拾い上げれば、『レーヴ・サーカス 5年振り来日公演』って書いてあった。仕事先のお客から貰ったんだろう。
「サーカス、かぁ」
どうせ家に居たところで何があるわけでもない。好きなお笑い番組も放送がない日だし、だったら生のサーカスで笑えたらいいよね。
そんな風に思って、チケットを引っ付かんだ私は、高校の制服から『自作の簡単私服』に着替えてサーカス会場へ向かった。
財布にあったのは少ない現金。これは、母親から食費としてたまに貰う現金の一部を流用したものの残り。そうでもしないと、私に与えられる現金なんてものはない。
私が小さい頃から、水商売一筋の母親。家庭なんてものを顧みないから、私のことはほったらかし。学校に行くようになってからは、適当な金額を渡されて、「食い繋げ」みたいな無言のメッセージを受け取り続ける寂しい人生。
父親なんて人は知らないし見たこともないし、アルバムだとかなんてのも無い。
ネグレクトだとかいう便利な言葉が最近はあるけど、当時はそんなのも知らなかったから、親なんてこんなもんなんだと思ってた。ずっと、高校生になる手前まで。私が犯罪を犯さなかっただけ偉いよ、盛大に褒めてほしいくらいだね。
辿り着いた会場は満員御礼だった。裕福そうな身なりの人物ばかりがこぞって詰めかけていて、私だけがなんだか場違いなような気もした。
席に大人しく座っていたら、じきに開幕ブザー代わりのドラムロールがけたたましく響いた。途端にミチミチに人間の詰められた観客席は、半円状の舞台上へ視線を一点集中。いつの間にかざわめきも収まっていて、呼吸をするのも緊張するほどシンとしていた。
一筋のスポットライト。それが照らすのは、細長い身の丈の男。右手を胸の前に、左手を横へ伸ばして深々と頭を下げ続けている。
息を呑む観客席。
ある程度すると、彼はそっと顔を上げて、だけど何を話し始めるでもなく不敵にニヤーッと笑った。その目元に、深い色味のレンズがはめ込まれたサングラスをしている。なんだか、サーカスにはちぐはぐな衣装だと思った私。
姿勢を正した彼。右手が高く高く上がる。
パチン。
彼の指先が鳴ると、軽快な音楽と共にサーカスの演目が次々に始まった。
息つく暇もないくらい、次から次へと壇上で行われていく芸の数々。
まばたきも惜しくなるほど胸を踊らせる観客席。
絶えぬ拍手、感嘆の声。
身軽な演者たちに、上半身が前へ前へ出てしまう。
とりわけ目を惹くのが、開幕直後からずっと壇上に上がり続けている彼。
なんだか東洋人らしい。周りの団員たちに比べて、格段に歳が下だと見える顔立ちが気になる。
そして何より、彼のパフォーマンス。
見始めから、ゾワゾワが止まらない。空調は効いているはずなのに、寒い、いや暑い。それくらい私が興奮していて、温度調節が間に合わない。
「すご……」
漏らした独り言が涙声だって気が付いたときには、両目から滝のように涙が流れまくっていた。慌てて袖で拭って鼻を啜ると、腹の底の方からもっと涙が込み上げてきた。
興奮して、感動してるんだ、私。
あの人のパフォーマンスを見て、圧倒されてるんだ、私。
すっかりアンコールが終わってから、そんな風に気が付いた。座席で呆けながら一人、深い深い溜め息を吐く。
充足感で腰が持ち上がらない。でも、さすがに帰らないといけないよね。あぁでも帰りたくないなぁ。もっともっと、あの人のパフォーマンス見ていたい。
帰り際、目に入ったサーカスのポスターに、あの人の名前が載っていた。
「YOSSY……よっしー、ざ、くらうん」
子どもみたいに、何度も何度も小さく繰り返し言葉に出して、脳に刻み込む。私はなんでもすぐに忘れちゃうから、何度も何度も繰り返してれば忘れないだろうって魂胆で。
「よっしーざくらうん、よっしーざくらうん」
私、いつかあの人の傍に行きたい。あんなに震えるほど、あんなに泣けるほど、スゴい芸をする人を他に知らない。今までいろーんな芸人を見てきたつもりだけど、一際抜きん出てると思ったのはあの人だけだ。
もっと知りたい、いっそなりたい。
あんな風に、私もなりたい。
私みたいに笑顔が乏しい人の光に、私もなりたい!
そんで、私も誰かに、必要とされたい──。
その一心で、高校を卒業したその日。
私は、笑顔すらも教わることのなかった実家を出た。
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私──服部若菜は、笑う顔を上手く作れない。
まずね、愛想笑いってのが出来ない。微笑みってのも出来てないらしい。つり目だし、口角が下がりやすいし。あぁ、よく「睨まれてる」って言われたっけ。
そんな私は、お笑いが好き。なんなら大好きだ。
漫才やコントのショーレースなんてのはもちろん、高座の噺に、前座芸までなんだって好き。だって、私を簡単に『自然に』笑わせてくれるんだもん。
自分の身を使って人様を笑わせることができるなんてスゴい。心からそう思う。真顔がちの日本人の表情の多くを、そうやって簡単に変えることができるのは、きっと魔法かなにかなんだ。すごい能力だと思うわけ。
あの日。
高校から帰ったら、母親が食卓テーブルの上にメモ紙を残していた。
『私興味ないし行けないからあげる』
淡白で無味無臭の手紙。これは母親からのもの。添えてあるチケットを拾い上げれば、『レーヴ・サーカス 5年振り来日公演』って書いてあった。仕事先のお客から貰ったんだろう。
「サーカス、かぁ」
どうせ家に居たところで何があるわけでもない。好きなお笑い番組も放送がない日だし、だったら生のサーカスで笑えたらいいよね。
そんな風に思って、チケットを引っ付かんだ私は、高校の制服から『自作の簡単私服』に着替えてサーカス会場へ向かった。
財布にあったのは少ない現金。これは、母親から食費としてたまに貰う現金の一部を流用したものの残り。そうでもしないと、私に与えられる現金なんてものはない。
私が小さい頃から、水商売一筋の母親。家庭なんてものを顧みないから、私のことはほったらかし。学校に行くようになってからは、適当な金額を渡されて、「食い繋げ」みたいな無言のメッセージを受け取り続ける寂しい人生。
父親なんて人は知らないし見たこともないし、アルバムだとかなんてのも無い。
ネグレクトだとかいう便利な言葉が最近はあるけど、当時はそんなのも知らなかったから、親なんてこんなもんなんだと思ってた。ずっと、高校生になる手前まで。私が犯罪を犯さなかっただけ偉いよ、盛大に褒めてほしいくらいだね。
辿り着いた会場は満員御礼だった。裕福そうな身なりの人物ばかりがこぞって詰めかけていて、私だけがなんだか場違いなような気もした。
席に大人しく座っていたら、じきに開幕ブザー代わりのドラムロールがけたたましく響いた。途端にミチミチに人間の詰められた観客席は、半円状の舞台上へ視線を一点集中。いつの間にかざわめきも収まっていて、呼吸をするのも緊張するほどシンとしていた。
一筋のスポットライト。それが照らすのは、細長い身の丈の男。右手を胸の前に、左手を横へ伸ばして深々と頭を下げ続けている。
息を呑む観客席。
ある程度すると、彼はそっと顔を上げて、だけど何を話し始めるでもなく不敵にニヤーッと笑った。その目元に、深い色味のレンズがはめ込まれたサングラスをしている。なんだか、サーカスにはちぐはぐな衣装だと思った私。
姿勢を正した彼。右手が高く高く上がる。
パチン。
彼の指先が鳴ると、軽快な音楽と共にサーカスの演目が次々に始まった。
息つく暇もないくらい、次から次へと壇上で行われていく芸の数々。
まばたきも惜しくなるほど胸を踊らせる観客席。
絶えぬ拍手、感嘆の声。
身軽な演者たちに、上半身が前へ前へ出てしまう。
とりわけ目を惹くのが、開幕直後からずっと壇上に上がり続けている彼。
なんだか東洋人らしい。周りの団員たちに比べて、格段に歳が下だと見える顔立ちが気になる。
そして何より、彼のパフォーマンス。
見始めから、ゾワゾワが止まらない。空調は効いているはずなのに、寒い、いや暑い。それくらい私が興奮していて、温度調節が間に合わない。
「すご……」
漏らした独り言が涙声だって気が付いたときには、両目から滝のように涙が流れまくっていた。慌てて袖で拭って鼻を啜ると、腹の底の方からもっと涙が込み上げてきた。
興奮して、感動してるんだ、私。
あの人のパフォーマンスを見て、圧倒されてるんだ、私。
すっかりアンコールが終わってから、そんな風に気が付いた。座席で呆けながら一人、深い深い溜め息を吐く。
充足感で腰が持ち上がらない。でも、さすがに帰らないといけないよね。あぁでも帰りたくないなぁ。もっともっと、あの人のパフォーマンス見ていたい。
帰り際、目に入ったサーカスのポスターに、あの人の名前が載っていた。
「YOSSY……よっしー、ざ、くらうん」
子どもみたいに、何度も何度も小さく繰り返し言葉に出して、脳に刻み込む。私はなんでもすぐに忘れちゃうから、何度も何度も繰り返してれば忘れないだろうって魂胆で。
「よっしーざくらうん、よっしーざくらうん」
私、いつかあの人の傍に行きたい。あんなに震えるほど、あんなに泣けるほど、スゴい芸をする人を他に知らない。今までいろーんな芸人を見てきたつもりだけど、一際抜きん出てると思ったのはあの人だけだ。
もっと知りたい、いっそなりたい。
あんな風に、私もなりたい。
私みたいに笑顔が乏しい人の光に、私もなりたい!
そんで、私も誰かに、必要とされたい──。
その一心で、高校を卒業したその日。
私は、笑顔すらも教わることのなかった実家を出た。
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