執務室に鍵をかけたら

インナケンチ

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サプフィール

01

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 古い柱時計の振り子がかっちかっちと規則正しい音を立てている。
 アルマーズは、その音に追い立てられているような気がして苛々した。デスクに積まれた大量の書類は、いくらサインしても減っている気がしない。

 デスクを挟んだ向かい側では、マリオンが仕事をしていた。
 学園祭初日に行われる創立記念式典の招待客名簿と寄付金の一覧をチェックしている。
 そばには常にタブレット端末が置いてあり、ひっきりなしに画面が点灯していた。外部の取引先や官庁からのメッセージが次々と表示されている。
 学長にもっとも近いところにいる助手を通すほうが話は早く、マリオンが学園に来てからというもの、かれが代表窓口と見なされるようになっていた。
 事務員の手を借りてもあり余る量の煩雑な仕事があるというのに、そのかたわら、マリオンは生徒や教職員が送ってよこす相談事への返信もしていた。大半は取るに足らない不満や愚痴だが、かれは決して手を抜かなかった。

「休憩だ休憩」

 アルマーズは書類を放り出し、革の肘掛け椅子に身体を預けた。

「資源保護だなんだとうるさいくせに、どうしていつまでも書類は紙のままなんだ。どいつもこいつも文章がなってないし……」

 休憩だと言いながら、赤えんぴつを手に書類に赤字を入れ出す。

「報告書は簡潔にと散々言ってるのに、まったく理解してないな。ああ、めんどくさい。こんなもんちまちま読んでられるか、おいマリオン、これ読んで——マリオン?」

 マリオンは万年筆を持った手に頬を置いて、俯いていた。

「おい、マリオン?」

 アルマーズはじりじりと身を乗り出し、まったく反応しない助手に顔を近づけた。
 血色のいい唇から「くうくう」と小さな寝息が漏れている。
 アルマーズは自分でも驚くほどの音を立てて唾を飲み込んだ。

 無防備すぎやしないか。
 アルマーズは胸を押さえた。心臓がバクバクと暴れている。
 いや、よほど疲れが溜まっているんだろう。それはつまり、おれのせいだ。学園祭が終わったら、少しまとまった休みをやろう……。
 頭のなかでスケジュールのやりくりをしているうちに、鼓動のリズムは正常に戻った。
 ふと、マリオンの眼鏡フレームに引っかかっている前髪に目が留まった。
 起こさないように、慎重に手を伸ばし指先を触れる。
 と、細く艶のある赤い髪はするりと指の間をすり抜けてしまった。
 なんだよ、おれには触れられたくないか。

『マリオンのことが好きなのでしょう?』

 昼間のサプフィールの言葉が思い出される。

 おれがマリオンを……ありえない、あってはいけないことだ。
 サバクからのセクハラ被害をマリオンは否定したが、それは嘘だった。やつは女性職員に対してセクハラ行為を繰り返していたが、マリオンに対して抱いた感情は別物だった。
 マリオンが欲しい、心も身体もすべて。
 美しい青年を想うあまり、サバクは毛むくじゃらの汚らしい身体でかれを我が物にしようとしたのだった。
 もしもマリオンが薬でも盛られて抵抗できない状況に追い込まれていたらと思うと、ぞっとする。
 おれはサバクとは違う。部下に邪な気持ちを抱いたり、ましてや手を出すなど、この上ない裏切りだ。
 サプフィールの野郎はなぜ、おれにわざわざマリオンへの想いを明かしたのだろう。嫌がらせか?たとえサプフィールとマリオンが結ばれても、おれには口出しする権利はない。幸せな様子を見せつけて、独り身のおれを嘲笑いたいのか。そこまで恨まれる覚えはない。高い給料を払っているというのに、なぜこんな目に遭わねばならんのだ。

 心のなかで舌打ちした瞬間、柱時計が鳴って午前零時を告げた。
 アルマーズは驚いて椅子の上で飛び上がった。
 と同時に、マリオンがぱっと目を開けた。

「すみません、寝てました。——学長、大丈夫ですか?」

 激しく咳き込むアルマーズを、マリオンは心配げに見つめる。

「いや、なんでもない。埃っぽいな、ここは」
「掃除が足りなかったようですね。明日、朝一でやっておきます」
「いいんだ、きみは十分やってくれている、気にするな」

 マリオンは頷くと、眼鏡をはずしてデスクに置き、目をこすった。寝ぼけ眼で端末を操作しながら、

「これ、ライヴの演出で本物の炎を使いたいと相談が来てますね。大丈夫かな、消防署の許可が下りるでしょうか?」
「おれが下ろさせるから心配ない。ああそうだ、今日相談に来た連中は、どうすると言っていた?」
「ホラーハウスのゴーストをCGで創りたいらしくて、コンピュータの調達先を探すそうです。買えば簡単ですけど、ルール違反ですから」
「ガキどもはコンピュータに頼ることしか考えていないな。使えないなら、自分の手で作ればいいんだ」
「自分で?」
「昔遊園地にあったホラーハウスは、人間がゴーストやら化け物に仮装してやってたんだ。特殊効果もすべて人の手だ。いまじゃめずらしいだろうが、おれがガキの頃はまだあった」

 アルマーズはなにか思いついた顔つきになって、

「ふん、いい機会かもしれんな」
「なにかいい案があるんですね?」
「まあな」
「教えてくれないんですか?」
「まだ秘密だ」
「じゃあ、楽しみにしてます」

 にっこり微笑むマリオンにアルマーズは曖昧に頷いてみせ、鼻をぽりぽりと掻いた。

✳︎

 アルマーズは新たな報告書の束に目を通しながら、

「マリオン、もう寮に帰って休みなさい」
「でも、これは今日中に終わらせないと」
「命令だ」

 マリオンは肩をすくめ、

「学長が帰るなら、わたしも帰りますけど」
「おれは……」

 じっと見つめられ、アルマーズは口ごもった。
 マリオンはソファに視線を投げ、

「帰らないなら、少し休みませんか?」
「わかった。10分仮眠をとって、さっさと終わらせよう」

 アルマーズは重い腰を上げると、上着を脱いでソファの背にかけた。ネクタイの首元を緩め、ワイシャツのボタンをふたつ外し、ソファの端にどかっと座って長い足を伸ばす。
 すぐ隣にマリオンが座った。
 靴を脱ぎ、膝を抱えたかれの肩が触れる。

「そ、そっちのソファで眠ったらどうだ」
「ふたりとも眠ってしまったら、起きれませんから」
「マロースに起こさせればいい。マロース、10分後におれたちを起こせ」
〈了解しました。明かりを消しますか?〉
「そうだな、消して……いや、消すのはよくない。このままでいい」

 ソファの背に身体を預けたアルマーズは、腕組みし、目を閉じた。
 片目を開け、ちらりとマリオンに目をやる。
 マリオンは抱えた膝に顔を埋めていた。

「そんな体勢で苦しくないのか」
「このほうが落ち着くので。学長、眠らないんですか?」
「きみこそ、眠ったらどうだ」
「学長が眠ったら、眠ります」
「わかった、眠るから——目が充血しているぞ」
「いつもこうなんです」
「寝不足なんだろう。毎晩、おれにつきあわなくていいんだぞ」
「それは、わたしが望んでやってることですから」
「自分で言うのもなんだが、よくおれと一緒にいられるな。いままでだれも長続きしなかった。どいつもこいつも挨拶もなしにいなくなって。十分すぎる給料を払ってやったのに、恩知らずな連中だ」
「わたしは……学長と一緒にいると安心します」

 アルマーズは顔がカッと熱くなるのを感じて、まっすぐ見つめてくるマリオンから顔を逸らした。

「きみは本当に変わっているな……」
「そうでしょうか?」
「おしゃべりしてると、眠る時間がなくなるぞ。マロースのことだ、非常識なやり方で起こそうとするに決まってる。警報を鳴らすとか、あの猫が噛みつくとか」
「その前にわたしが起こしますよ」
「きみが眠らないなら、おれも眠らん」

 駄々をこねるアルマーズに、マリオンは困ったように笑った。

「実は、あまり眠れないんです。子どもの頃からの体質というか、光に敏感で、電気を消しても明るく感じて」
「普段はどうしてるんだ。眠らずに生きていけないだろう」
「アイマスクをして、ベッドに潜りこんでどうにか。子どもの頃は家族が抱きしめてくれてましたけど、いまはもう大人ですからね」
「おれの胸くらいならいつでも貸してやるぞ。このでかい図体もそれくらいの役には立つだろう」
「そんな冗談言って……本当に甘えたら、学長、困るくせに」
「はは、おれの胸なんざ借りたいやつがいたら見てみたい」

 ぎしっと軋む音を立てて、ソファが揺れた。
 マリオンがアルマーズにぐっと身を寄せる。

「いますよ、ここに」
「え?!」
「ほら、困ってる……学長、今日、サプフィールとなにをしてたんですか?」
「な、なにって……あれだ、給料の交渉だ。あの野郎、図々しくも給料を倍にしろと言ってきやがって、白熱しすぎてな、ちょっとした掴み合いになった」
「本当に?」
「う、嘘ついてどうするんだ」
「キスしてるように見えたんです」

 思いもよらない言葉に、アルマーズは素っ頓狂な声を上げた。

「キス?!おれがサプフィールと?あのいけすかない男と?」
「サプは魅力的です。美人で、頭が良くて。だれでもかれに惹かれてしまう」
「おれは、ああいうのは苦手だ。知ってるだろ」
「でも、今日のふたりは様子が変だったので⋯⋯不安なんです」
「なにを不安になることがあるんだ」
「それは……サプフィールに、学長を取られるんじゃないかと」
「やつが色仕掛けできみの仕事を奪うと思ったのか?バカらしい。おれの助手はきみだけだ。ほかのやつには務まらん。もしきみがいなくなったら、おれは困る」

 アルマーズは深刻な顔つきのマリオンの頭をぽんぽんと優しく叩いた。

「辞めたいと言っても許さんからな。先月の契約更新で5年契約にサインしたんだ。逃げても連れ戻して、働かせてやる」

 マリオンは微笑むと、アルマーズの胸に顔を埋めた。

「……眠る気になったのか」
「はい」
「灯りは、消すか?」

 アルマーズは自分の上着をマリオンの肩にかけてやりながら、尋ねた。
 マリオンが胸のなかでこくこくと頷く。
 顔を上げたアルマーズの口の動きをマロースが読み取り、照明を消した。

「おやすみなさい、学長」
「ああ、おやすみ……マリオン」

✳︎

 目を覚ますと、アルマーズは薄暗い執務室にひとりきりだった。
 あれからすぐに眠ってしまったようだ。マロースは起こしてくれなかったのか?それとも、眠りが深くて気づかなかったのだろうか?マリオンを抱いて横になっていた身体は、あちこちが痛む。
 室内は紅茶の香りに満ちていた。
 テーブルの上にはティーポットと学長専用のカップが用意してあった。
 触れるとポットはまだ熱かった。
 マリオンが出て行ったのはついさっきのようだ。

 アルマーズはよろよろとソファから立ち上がり、出窓へ近寄った。
 カーテンを開け放つ。
 空は薄紫色だった。まだ夜が明けきっていない。
 冷気で凍てついた窓ガラスには、疲れ切った男の顔があった。

 夢を見ていた。
 夢はよく見る。浅い眠りのなかで大量の情報が整理され、その過程で時間軸も場所もバラバラのピースが偶然はまり、思いがけないストーリーを生む。大学でおれに成績を抜かれ、恨み節を残して辞めていった元同窓生となぜかホッケーを観戦していたり。夢とは意味のないもの、ただの記憶の断片に過ぎない。
 しかし昨夜の夢は、それでは説明がつかない代物だった。
 おれはマリオンと口づけを交わした。現実には経験したことのないキス。互いを貪るような濃厚な口づけだった。
 マリオン、好きだ、愛している。
 おれはうわ言のように何度もそう言った。まるで、おれを愛してくれと懇願するように。
 マリオンがどんな表情だったのか、おれの言葉にどう答えたのかは思い出せない。熱い舌が身体を這い、小さな口が硬く緊張した場所を深く咥え込んだ。
 そして、おれはマリオンを抱いた。女すら抱いたことはないのに、夢のなかではなんでもありだ、おれは慣れた仕草で美しい肌を愛撫し、かれを快感の絶頂へ何度も導いた。

 アルマーズは下半身がむずむずするのを感じて、身悶えた。
 頭を前へ傾け、窓ガラスに額を何度もぶつける。

「くそお、なんてこった、おれはバカか、どうかしている……!」

 額が真っ赤に腫れるまでそうやっていると、背後で電話が鳴った。
 デスク上の執務用ではなく、その横のスマートフォンだ。
 こんな早朝でもおかまいなしにかけてくるのはだれか、アルマーズには見当がついていた。
 挨拶は抜き。砕けた口調になる。

「おう、どうだった——そうか、助かった——いや、おれは学園にいる——昨日の夜?そうか、悪かった、着信に気づかなかった。その、ちょっと仮眠を取ってて——あ、ちょっと待てチトリン」

 呼吸を整え、

「あー、その、ちょっと聞きたいんだが、その……」

 スマートフォンを握る手にじんわり汗がにじむ。

「いや、なんでもない——本当にいいんだ、じゃあな」

 電話を切ったアルマーズは力が抜けて、デスクの端に腰掛けた。
 うなだれると、デスク上に残されたファイルにふと目が留まった。
 学園祭プログラム(仮)。
 マリオンがまとめていたものだ。めくってみると、丁寧な字で多数の赤字が入っている。

「ホラーハウスの見学は短めにしてほしいな……あ」

 ファイルの横には眼鏡が残されていた。
 よほど長く使っているらしく、フレームは傷だらけだ。
 眼鏡なしで平気だろうか、と何気なくレンズを覗いて、驚く。
 暗い。サングラスだったのか。それにしても暗すぎる、これじゃなにも見えない。しかもすごい度数だ、頭がくらくらする。
 アルマーズは眼鏡を置き、眉間を押さえた。
 マリオンが眠れないのは、瞳になにか障害があるせいではないか?いい医者を探してみよう。

 マリオンが淹れてくれた紅茶に砂糖とミルクをたっぷり入れてすするうちに、アルマーズは少し冷静になった。
 マリオンは部下、優秀なおれの右腕。それ以外の何者でもない。
 しかし。

「どんな顔で会えばいいんだ……」
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