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マリオン
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いつも静かな離れが、今日は朝から賑やかだ。
普段は物置になっている2、3階の空き部屋はセイベル職人の工房に早変わりし、トントンカンカンと大工仕事の音がしていた。
ホラーハウス実行委員のメンバーだけでなく、職員室への用事がない限り滅多にここへ立ち入らない生徒たちも多く集まっていた。マリオンが学園内のオフラインコミュニティで配信した情報に興味を持って訪れたのだ。
マリオンは階上の音に耳を傾けつつ、いつもの場所でラップトップに向かっていた。
入力を終え、息をつく。
「マロースくん、学園祭が終わったら、学長に渡しておいて」
ぶーん、とマロース猫がそばに飛んで来て、マリオンを見つめる。
〈拒否権はないのですか?〉
「ない」
〈学長のパワハラに耐えかねたのなら、訴えるべきです〉
「違うよ。きみだけは学長を正しく評価してくれないと困るな」
〈わかっています、冗談です。ではわたしの意見を申し上げると、おふたりは離れるべきではないと思います〉
「……おれだって、離れたくないよ」
廊下側の扉が開き、アルマーズがせかせかと入ってきた。
マリオンはさりげなくモニタを閉じ、立ち上がった。
「おはようございます」
「おはよう。——昨日は休めたか」
「はい。眼鏡を届けてもらってありがとうございました。食事も、美味しかったです」
「気をつけろよ、リアンのパンケーキは食いすぎるとすぐ虫歯になるから。それより……」
アルマーズはマリオンの目の前に立った。自分を見上げる大きな瞳は、普段となんら変わりない。あの夜に見た不思議な色はもうなかった。
言葉が続かず、アルマーズはマリオンの頬に触れた。
マリオンはその手を避けるようにすっと身を引いた。
「マリオン……」
〈玄関に理事会の面々が到着されました〉
「マロース、そんなもん待たせておけ」
「だめですよ」マリオンが事務的な声で言う。「今日は午後から学園祭のリハーサルです。もし会議が長引くようでしたら、時間はずらせますが」
「その必要はない。さっさと切り上げる。ジジイどもの長話につき合う気はない」
マリオンは淡々と仕事の話を進めた。
アルマーズは狐に摘まれたような気分だった。書類に目を通し、うんうんと頷くが、なにも頭に入ってこない。
「じゃあ、行こうかな……」
マリオンがネクタイを直してくれる。
心なしか、締め具合がいつもよりきつい気がした。マリオンの笑顔に不安が募る。
「マリオン、今夜、時間はあるか」
「明日は学園祭です。きっと遅くまで準備に追われる生徒がたくさんいるはずですから、わたしもつき合うつもりです」
「なら、おれも」
「なに言ってるんです、学長は明日、ラマノヴァ会長を筆頭に役員方のお相手をするんですよ、寝不足で会わせるわけにはいきません。はい、今日も素敵です。いってらっしゃい」
「うん……じゃあ、いってきます」
執務室を出て扉を閉めたアルマーズは、その場で立ち尽くした。
どういうことだ、まさかマリオンは、一昨日の夜の出来事をなかったことにしようとしているのか?おれのことを好きだと言って、キスもした。おれはまた夢を見ていたのか?
〈学長〉マロースが廊下のスピーカーを通して呼びかけた。〈A級クラスの報告が〉
「わ、わかった。移動するから待て」
アルマーズは渡り廊下を駆け抜け、中央校舎へ入った。生徒が行き交う廊下を横切ると、手近にあった給湯室に飛び込む。
そこは校舎のあちこちに設置された電話ボックスのような狭い空間だった。ステンレスの流しがあり、熱湯が出るサーバーと各種紅茶のパックが用意されている。
もちろんここにも、カメラとスピーカーが設置されていた。
「手がかりが見つかったのか?」
〈録画データを発見しました。事件当日の映像もあります〉
「録画? きみは居眠りしていたんだろ」
〈正確には、させられていた、です。猫型ボディに残っていました。あれが搭載しているカメラはわたしと別系統なので、切られずに済んだのです。マリオンを襲った犯人は猫型ボディが来る前から計画していたはずですから、想定外だったのでしょう〉
「あいつはただのスピーカーじゃなかったのか」
〈マリオンは知っています。取扱説明書を読んでいるので。ただ猫が来たときはずいぶん興奮していましたから、伝えるのを忘れたのでしょう〉
「確かに、あんなに嬉しそうな姿は見たことがなかったからな。——よし、スマートフォンに転送しろ」
〈ただいま猫と接続中、残り10分を予定しています〉
「やけにかかるな」
〈時間がかかるのは仕方ありません。猫型ボディはあんな見た目ですが、録画データには何重にもロックがかかっていますから。ハッキングを免れるための、いわばパニックルームなんです〉
「きみがハッキングなんかされなけりゃ、マリオンは襲われずに済んだんだぞ」
〈残念ながら、何事にも上には上がいます〉
「都合のいいやつだな」
アルマーズは流しに腰掛けると、うなだれた。
〈学長、気分が悪そうですね〉
「大したことはない。ちょっと休みたいんだ、なんだかちっとも頭のなかが整理できない」
〈一昨日の夜、マリオンは執務室を出たきり戻りませんでしたが、どうしたのです?〉
「マリオンに聞かなかったのか?」
〈尋ねましたが、マリオンは答えませんでした〉
「あのあと電話したが、マリオンは出なかった。今朝もあの調子だ……あのとき、あとを追うべきだったんだ。かれが抱えている事情も、秘密にしたいならそれでいいと思っていた。でも、間違いだった。おれの、バカ、この臆病者!」
〈接続完了。学長、自分を殴ったところで時間は戻りません。まずはマリオンを襲った犯人を見つけましょう〉
「そ、そうだな……はじめてきみを頼もしく思える。わかった、会議室で見る。会議はその後だ、ジジイどもは待たせておけ」
〈了解しました〉
普段は物置になっている2、3階の空き部屋はセイベル職人の工房に早変わりし、トントンカンカンと大工仕事の音がしていた。
ホラーハウス実行委員のメンバーだけでなく、職員室への用事がない限り滅多にここへ立ち入らない生徒たちも多く集まっていた。マリオンが学園内のオフラインコミュニティで配信した情報に興味を持って訪れたのだ。
マリオンは階上の音に耳を傾けつつ、いつもの場所でラップトップに向かっていた。
入力を終え、息をつく。
「マロースくん、学園祭が終わったら、学長に渡しておいて」
ぶーん、とマロース猫がそばに飛んで来て、マリオンを見つめる。
〈拒否権はないのですか?〉
「ない」
〈学長のパワハラに耐えかねたのなら、訴えるべきです〉
「違うよ。きみだけは学長を正しく評価してくれないと困るな」
〈わかっています、冗談です。ではわたしの意見を申し上げると、おふたりは離れるべきではないと思います〉
「……おれだって、離れたくないよ」
廊下側の扉が開き、アルマーズがせかせかと入ってきた。
マリオンはさりげなくモニタを閉じ、立ち上がった。
「おはようございます」
「おはよう。——昨日は休めたか」
「はい。眼鏡を届けてもらってありがとうございました。食事も、美味しかったです」
「気をつけろよ、リアンのパンケーキは食いすぎるとすぐ虫歯になるから。それより……」
アルマーズはマリオンの目の前に立った。自分を見上げる大きな瞳は、普段となんら変わりない。あの夜に見た不思議な色はもうなかった。
言葉が続かず、アルマーズはマリオンの頬に触れた。
マリオンはその手を避けるようにすっと身を引いた。
「マリオン……」
〈玄関に理事会の面々が到着されました〉
「マロース、そんなもん待たせておけ」
「だめですよ」マリオンが事務的な声で言う。「今日は午後から学園祭のリハーサルです。もし会議が長引くようでしたら、時間はずらせますが」
「その必要はない。さっさと切り上げる。ジジイどもの長話につき合う気はない」
マリオンは淡々と仕事の話を進めた。
アルマーズは狐に摘まれたような気分だった。書類に目を通し、うんうんと頷くが、なにも頭に入ってこない。
「じゃあ、行こうかな……」
マリオンがネクタイを直してくれる。
心なしか、締め具合がいつもよりきつい気がした。マリオンの笑顔に不安が募る。
「マリオン、今夜、時間はあるか」
「明日は学園祭です。きっと遅くまで準備に追われる生徒がたくさんいるはずですから、わたしもつき合うつもりです」
「なら、おれも」
「なに言ってるんです、学長は明日、ラマノヴァ会長を筆頭に役員方のお相手をするんですよ、寝不足で会わせるわけにはいきません。はい、今日も素敵です。いってらっしゃい」
「うん……じゃあ、いってきます」
執務室を出て扉を閉めたアルマーズは、その場で立ち尽くした。
どういうことだ、まさかマリオンは、一昨日の夜の出来事をなかったことにしようとしているのか?おれのことを好きだと言って、キスもした。おれはまた夢を見ていたのか?
〈学長〉マロースが廊下のスピーカーを通して呼びかけた。〈A級クラスの報告が〉
「わ、わかった。移動するから待て」
アルマーズは渡り廊下を駆け抜け、中央校舎へ入った。生徒が行き交う廊下を横切ると、手近にあった給湯室に飛び込む。
そこは校舎のあちこちに設置された電話ボックスのような狭い空間だった。ステンレスの流しがあり、熱湯が出るサーバーと各種紅茶のパックが用意されている。
もちろんここにも、カメラとスピーカーが設置されていた。
「手がかりが見つかったのか?」
〈録画データを発見しました。事件当日の映像もあります〉
「録画? きみは居眠りしていたんだろ」
〈正確には、させられていた、です。猫型ボディに残っていました。あれが搭載しているカメラはわたしと別系統なので、切られずに済んだのです。マリオンを襲った犯人は猫型ボディが来る前から計画していたはずですから、想定外だったのでしょう〉
「あいつはただのスピーカーじゃなかったのか」
〈マリオンは知っています。取扱説明書を読んでいるので。ただ猫が来たときはずいぶん興奮していましたから、伝えるのを忘れたのでしょう〉
「確かに、あんなに嬉しそうな姿は見たことがなかったからな。——よし、スマートフォンに転送しろ」
〈ただいま猫と接続中、残り10分を予定しています〉
「やけにかかるな」
〈時間がかかるのは仕方ありません。猫型ボディはあんな見た目ですが、録画データには何重にもロックがかかっていますから。ハッキングを免れるための、いわばパニックルームなんです〉
「きみがハッキングなんかされなけりゃ、マリオンは襲われずに済んだんだぞ」
〈残念ながら、何事にも上には上がいます〉
「都合のいいやつだな」
アルマーズは流しに腰掛けると、うなだれた。
〈学長、気分が悪そうですね〉
「大したことはない。ちょっと休みたいんだ、なんだかちっとも頭のなかが整理できない」
〈一昨日の夜、マリオンは執務室を出たきり戻りませんでしたが、どうしたのです?〉
「マリオンに聞かなかったのか?」
〈尋ねましたが、マリオンは答えませんでした〉
「あのあと電話したが、マリオンは出なかった。今朝もあの調子だ……あのとき、あとを追うべきだったんだ。かれが抱えている事情も、秘密にしたいならそれでいいと思っていた。でも、間違いだった。おれの、バカ、この臆病者!」
〈接続完了。学長、自分を殴ったところで時間は戻りません。まずはマリオンを襲った犯人を見つけましょう〉
「そ、そうだな……はじめてきみを頼もしく思える。わかった、会議室で見る。会議はその後だ、ジジイどもは待たせておけ」
〈了解しました〉
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