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結構毛だらけ猫ハイデルベルク
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――猫はその一生のうちに一度だけ、人の言葉を話すという。
多くはストレートに自分の欲求を満たすためであったり、長く連れ添った飼い主へ感謝の意を伝えるためだったりするのだというが、うちのハイデときたら――
「かのこ、今日は何時ぐらいに帰ってくる?」
「んー? 今日はバイトないから夕方ぐらいかな」
「いつものペースト、切らしてただろ。あと、お刺身が食べたい。マグロの脂少ないやつ」
「……はいはい。帰りに買ってくるわよ」
当たり前のように私と会話しているこの猫の名前は、ハイデルベルク。
私が高校に入学した年にうちに来た雄の猫だ。
ノルウェーなんちゃらいう品種と何とかのミックスで、白にグレーの混ざった縞模様。『なんとかタビー』という名前が付いた毛色らしいが、いつも覚えられなくてハイデに怒られている。
私が大学入学と共に一人暮らしを始めるにあたり、家族の中で一番懐いているという理由で一緒に連れてくることになった。
それから間もなく――
入学式に向かう準備で朝からドタバタと忙しい私を、衝撃の出来事が襲う。
「あー、髪の毛跳ねてるー! あれ? 財布どこいった財布」
「かのこ」
「――!?」
後ろから自分の名前を呼ばれた気がする。
振り返るとそこにいたのはハイデだけ。そりゃそうか。
「今、ハイデがあたしの名前――呼んだ!? くぅぅ、動画に残せたら最高だったのにっ!! あぁ、もう一回呼んでくれぇー!」
「――かのこ、天窓を開けていってくれ。鍵が閉まってたら外に出られない」
「あ、え……えぇーーーーっ!?」
それから一年あまり。
ハイデは未だに流暢な人語を話し続けている。
この一年いろいろと会話してみてわかったことだが、ハイデは品のよさそうな見た目をして実は意外と性格が悪い。プライドが高くて自信家、いつも私のことを下に見た話し方をする。
まあ頭の良さに関しては実際にハイデの方が上なのかもしれないのでそこは何とも言えないんだけど。猫にレポート作成の手伝いをしてもらった経験があるのなんて私くらいのものだろう。
それから、『一生に一度』のはずの人語がなぜいつまでも喋ることが出来ているのかについても一度ハイデに聞いてみたことがあった。
「ねえ、ハイデ」
「…………。何だい」
毛づくろい中のハイデが迷惑そうに口を開く。
「人間の言葉を話せるのって、一生に一度って言ってたよね。なんでまだ喋ってるの?」
「そもそも――」
ハイデは毛づくろいを中断し、こちらに向き直った。
「まず『一生に一度』という条件だけど、それは一単語なのか、一文節なのか、それとも時間による制限なのか……君はどういうものだと思ってる?」
「え……」
想定外の質問に言葉を詰まらせる私を見て、ハイデはやれやれといった様子で言葉を続けた。
「――実はそのあたり明確な定義は無くて、本人に委ねられる部分が大きいんだよ」
よくわからないが本人が終わりと思わなければいつまでも有効、というようなこと……なのだろうか。
「でも――そうだね。途中に『猫語』を挟むとそれまでかな。そんな気がする。実際、あれ以来猫語は話していないんだ」
「え、じゃあ猫とは話せないじゃん」
「うん。まあそうだけど、僕には猫と話ができるよりも人間と……かのこと意思疎通できることの方がメリットが大きいからね。今が僕にとって『一生に一度』なのは確かだが、当分終わらせる気はないよ」
ハイデの気持ちは飼い主としてはとても嬉しいけれど、そのために他の猫とコミュニケーションがとれないというのもそれはそれで問題なんじゃないだろうか。
若干のモヤモヤは残りつつも、私の方もハイデとの会話が心の潤いになっていたのは事実だった。
そんなちょっと不思議な生活を送っていた、ある日のこと。
ベランダで洗濯物を干していた私は、向かいの一軒家の軒先に白い猫がぶら下がっているのを見つけて思わず声を上げた。
「ハイデ!!」
「――どうした?」
「あれ!!」
ハイデがベランダに出て外を確認する。
「ああ、この辺でたまに見る雌猫だな……足を踏み外したか?」
「助けてあげられないの? このままじゃ――」
「大丈夫だ。猫だぞ? あれくらいの高さから落ちたところでなんてことはない」
「そんな――あっ!!」
ぶら下がっていた手が外れ、白猫が落下する。
しかしハイデの言う通り白猫は空中で体勢を整えると、すとんと見事な着地を見せた。
「ほらな。心配し過ぎ」
白猫はそのまま平然と庭を横切り道路へと出る。怪我などはしていないようだ。私はほっと胸を撫で下ろした。
が、安心したのも束の間――白猫に向かって宅配のトラックが迫る。
トラックは猫に気付いていないのか減速する気配は全くなく、白猫もトラックの方を向いたまま動作を止め、固まったように動かない。
「危ない!!」
「馬鹿、避けろよ――」
「――もう間に合わない!」
「走っ……クソッ、う、うみゃぁーーーーーーーーッッッッ!!!!!!」
突然、ハイデが大きな声で叫んだ。
と同時に白猫の身体がびくんと跳ね、我に返ったように走り出す。白猫はそのまま全速力で民家の植え込みへと飛び込んだ。
「よ……よかったぁー。ありがと、ハイデ」
「みゃお」
「――ん?」
「んみゃ」
「……んんー?」
――その日を境に、ハイデは喋らなくなった。
まあ言葉は通じなくてもお互いの言いたいことは伝わってるような気がするから、大丈夫と言えば大丈夫なのかな。
あの白猫は時々うちを訪ねてくるようになった。ハイデと二人で並んで外を眺めたり、ちょっとじゃれ合ってみたり。どうやら仲良くなれたみたいだ。
今のハイデをからかったらどんな言葉を返してくるだろう。そう考えると、やっぱり残念な気もするなあ。
猫はその一生のうちに一度だけ、人の言葉を話すという。
ハイデの『一生に一度』は終わってしまったようだが、私は今後――『人間が一生に一度猫の言葉を話す可能性』について模索してみようと思う。
多くはストレートに自分の欲求を満たすためであったり、長く連れ添った飼い主へ感謝の意を伝えるためだったりするのだというが、うちのハイデときたら――
「かのこ、今日は何時ぐらいに帰ってくる?」
「んー? 今日はバイトないから夕方ぐらいかな」
「いつものペースト、切らしてただろ。あと、お刺身が食べたい。マグロの脂少ないやつ」
「……はいはい。帰りに買ってくるわよ」
当たり前のように私と会話しているこの猫の名前は、ハイデルベルク。
私が高校に入学した年にうちに来た雄の猫だ。
ノルウェーなんちゃらいう品種と何とかのミックスで、白にグレーの混ざった縞模様。『なんとかタビー』という名前が付いた毛色らしいが、いつも覚えられなくてハイデに怒られている。
私が大学入学と共に一人暮らしを始めるにあたり、家族の中で一番懐いているという理由で一緒に連れてくることになった。
それから間もなく――
入学式に向かう準備で朝からドタバタと忙しい私を、衝撃の出来事が襲う。
「あー、髪の毛跳ねてるー! あれ? 財布どこいった財布」
「かのこ」
「――!?」
後ろから自分の名前を呼ばれた気がする。
振り返るとそこにいたのはハイデだけ。そりゃそうか。
「今、ハイデがあたしの名前――呼んだ!? くぅぅ、動画に残せたら最高だったのにっ!! あぁ、もう一回呼んでくれぇー!」
「――かのこ、天窓を開けていってくれ。鍵が閉まってたら外に出られない」
「あ、え……えぇーーーーっ!?」
それから一年あまり。
ハイデは未だに流暢な人語を話し続けている。
この一年いろいろと会話してみてわかったことだが、ハイデは品のよさそうな見た目をして実は意外と性格が悪い。プライドが高くて自信家、いつも私のことを下に見た話し方をする。
まあ頭の良さに関しては実際にハイデの方が上なのかもしれないのでそこは何とも言えないんだけど。猫にレポート作成の手伝いをしてもらった経験があるのなんて私くらいのものだろう。
それから、『一生に一度』のはずの人語がなぜいつまでも喋ることが出来ているのかについても一度ハイデに聞いてみたことがあった。
「ねえ、ハイデ」
「…………。何だい」
毛づくろい中のハイデが迷惑そうに口を開く。
「人間の言葉を話せるのって、一生に一度って言ってたよね。なんでまだ喋ってるの?」
「そもそも――」
ハイデは毛づくろいを中断し、こちらに向き直った。
「まず『一生に一度』という条件だけど、それは一単語なのか、一文節なのか、それとも時間による制限なのか……君はどういうものだと思ってる?」
「え……」
想定外の質問に言葉を詰まらせる私を見て、ハイデはやれやれといった様子で言葉を続けた。
「――実はそのあたり明確な定義は無くて、本人に委ねられる部分が大きいんだよ」
よくわからないが本人が終わりと思わなければいつまでも有効、というようなこと……なのだろうか。
「でも――そうだね。途中に『猫語』を挟むとそれまでかな。そんな気がする。実際、あれ以来猫語は話していないんだ」
「え、じゃあ猫とは話せないじゃん」
「うん。まあそうだけど、僕には猫と話ができるよりも人間と……かのこと意思疎通できることの方がメリットが大きいからね。今が僕にとって『一生に一度』なのは確かだが、当分終わらせる気はないよ」
ハイデの気持ちは飼い主としてはとても嬉しいけれど、そのために他の猫とコミュニケーションがとれないというのもそれはそれで問題なんじゃないだろうか。
若干のモヤモヤは残りつつも、私の方もハイデとの会話が心の潤いになっていたのは事実だった。
そんなちょっと不思議な生活を送っていた、ある日のこと。
ベランダで洗濯物を干していた私は、向かいの一軒家の軒先に白い猫がぶら下がっているのを見つけて思わず声を上げた。
「ハイデ!!」
「――どうした?」
「あれ!!」
ハイデがベランダに出て外を確認する。
「ああ、この辺でたまに見る雌猫だな……足を踏み外したか?」
「助けてあげられないの? このままじゃ――」
「大丈夫だ。猫だぞ? あれくらいの高さから落ちたところでなんてことはない」
「そんな――あっ!!」
ぶら下がっていた手が外れ、白猫が落下する。
しかしハイデの言う通り白猫は空中で体勢を整えると、すとんと見事な着地を見せた。
「ほらな。心配し過ぎ」
白猫はそのまま平然と庭を横切り道路へと出る。怪我などはしていないようだ。私はほっと胸を撫で下ろした。
が、安心したのも束の間――白猫に向かって宅配のトラックが迫る。
トラックは猫に気付いていないのか減速する気配は全くなく、白猫もトラックの方を向いたまま動作を止め、固まったように動かない。
「危ない!!」
「馬鹿、避けろよ――」
「――もう間に合わない!」
「走っ……クソッ、う、うみゃぁーーーーーーーーッッッッ!!!!!!」
突然、ハイデが大きな声で叫んだ。
と同時に白猫の身体がびくんと跳ね、我に返ったように走り出す。白猫はそのまま全速力で民家の植え込みへと飛び込んだ。
「よ……よかったぁー。ありがと、ハイデ」
「みゃお」
「――ん?」
「んみゃ」
「……んんー?」
――その日を境に、ハイデは喋らなくなった。
まあ言葉は通じなくてもお互いの言いたいことは伝わってるような気がするから、大丈夫と言えば大丈夫なのかな。
あの白猫は時々うちを訪ねてくるようになった。ハイデと二人で並んで外を眺めたり、ちょっとじゃれ合ってみたり。どうやら仲良くなれたみたいだ。
今のハイデをからかったらどんな言葉を返してくるだろう。そう考えると、やっぱり残念な気もするなあ。
猫はその一生のうちに一度だけ、人の言葉を話すという。
ハイデの『一生に一度』は終わってしまったようだが、私は今後――『人間が一生に一度猫の言葉を話す可能性』について模索してみようと思う。
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