上 下
38 / 96
第二章 綾なす姦計

第七話 いざとなれば

しおりを挟む
 つい先日まで、諸外国から仕入れた安価な生地で、割安に商う蔦屋を国賊と呼び、忌避きひし続けた都人ばかりか、反幕勢力の長州藩士の出入りもあるらしい。
 

 とはいえ、閑古鳥かんこどりが鳴いていた、自分の店に客を呼びたいためだけに、あんな騒ぎを起こすのか。
 土方は、その憶測を、内心自分で疑った。
 客を呼びたいだけならば、浪士組を巻き込むほどの面倒事など起こさずに、もっと穏便で狡猾な手を打つだろう。

 蔦屋なら。


 少女のように可憐で品よく整った、あの呉服屋の殺気に満ちた双眸が、嘲るようにゆるんだ紅い唇が、一瞬脳裏をよぎった刹那、思わず鋭く舌打ちした。

 答えの出ない問いかけに、無理やり蓋をするために、何らかの理由を欲すると、引きずり出されるようにしてまた、蔦屋の目つきが蘇る。
 踵を返した土方に、沖田は黙って従った。


 五条橋にさしかかると、川面を渡った涼風が二人の男の髷を揺らし、のぼせた頭を冷やしてくれる。

 澄んだ鴨川の清涼な流れ。
 そのせせらぎに、数羽のさぎが脚を浸し、時折、水草をついばんだ。

 沖田は一人で足を止め、朱塗りの欄干らんかんに手をかける。


「私がやります。いざとなれば」
 
 誰に言うともなく呟いた沖田を、土方が振り返る。

 すると、前方からやって来た、舞妓が沖田に近づくにつれ歩幅を落とし、俯く沖田を覗き込む。そして言葉をかけるでもなく、はにかみながら会釈した。

 おそらくどこかの宴席で、沖田にはべった女だろう。
 しかし、舞妓の秋波に気がつきもせず、陰鬱な面持ちで川の流れを見つめている。

 土方は、袖にされて消沈する美形の舞妓を顎でしゃくって追いやると、沖田の隣に並んで続けた。


「何の話だ」
「土方さんは斬るおつもりでしょう」
「当たり前だ」
 
 土方は即答した。

「だが、工夫がいる」
 
 壬生組の痕跡を残さずやれとの意味合いだ。


「承知しています」
「助けはいるか?」
「いえ。私一人の方が動きやすい」
「お前が一人で?」


 問い返しながら、土方の胸に、俄かに疑念が湧き起こる。

 沖田は生来、こういう鬼謀策略に乗じる事態を、ひどく嫌って避けてきた。
 人間の色と欲とを極端にいとたちなのだ。

「総司」
 
 土方は言葉を継ごうとした。
 けれども顔を伏せた沖田は無言で一礼し、足早に橋を縦断した。

しおりを挟む

処理中です...