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第二章 蹉跌の涙と君の体温
第25話 たとえば、このひと時に名前があったとして
しおりを挟む「なんだ、あれ……」
空から何か、───本当になんだろうか。
真っ白な雪とは対照的に黒い何かが、落下していた。俺の真上だ。昔から視力だけは良かった。何一つ取り柄のない俺の、ただ一つ他人に自慢出来ることだ。
黒い何かは次第に、───人の姿となった。
黒い何かは人だった。
なぜ黒か。あれは、制服の黒だ。そして、髪の黒。そして、女の子の黒。
女の子が、空から落ちてきている。
「おいおいおいおい」
俺は学生鞄を放り投げて、自転車を蹴り飛ばすように飛び降り、女の子の落下地点に辿り着くように駆けた。
次第に女の子の姿が近くなる。
「ここ!? ここでいいのか!? わかんねえ!!」
初めは、点にしか見えなかった女の子が、もう、すぐそこに────
「ああああああぁぁああ!! もうどうにでもなれえええええ!!!!」
無我夢中、やけくそ、がむしゃら。
そんな思いで腕を伸ばし、女の子が指先に触れた瞬間に《時極》の派生スキル《永劫》を発動する。
空から落ちてきた女の子はぴたりと止まった。
俺は女の子を横抱き───要するにお姫様抱っこ────してからその顔を拝んだ。
心臓が跳ね上がるのを感じた。
一目惚れだった。
恋をしてしまった。
初恋だった。
───でも、どこか見覚えがある気がした。
時の止まった彼女の可愛らしい顔に見蕩れていると、はっと我に返って、ようやく《永劫》を解除した。
「…………あ、れ?」
「ど、どうも」
「え、え、あれ、わたし、………なんで?」
女の子は頭にハテナを浮かべていた。
俺は取り敢えず女の子を地に足付けさせた。
「あ、あんたが………救けたの?」
「う、うん。まあ、そういうことだと思う」
かくいう俺の頭の中もハテナで埋め尽くされていた。学校の帰り道、アスファルトなど露知らずのあぜ道を俺は自転車で帰っていた。その途中で空から落ちるこの女の子を視界に捉えたから、〈神技〉を使ってキャッチした。ただそれだけだ。
「ど、どうやって……?」
「ああ~~、それは、………ね」
〈神技〉のことを他人に言うのはアザレアに固く口止めされている。「もしも他言したならば寿命を五年縮めます」、とリアルな数字まで出されて脅されていた。
次の言葉を探そうと目を泳がせていると、女の子の制服に目が移った。真冬にも限らず防寒具の類を何一つ身につけていなく、制服が雪で濡れていた。そして、その制服は隣の中学校の制服だった。こちらの中学校の制服よりも可愛いので有名だ。でも、よく見ると制服のあちこちがほつれているのが分かった。
どうして、空から落ちてきたんだ、なんて聞くに聞けない。それを聞くのがどうしてか恐ろしかった。次の言葉が見つからずに、女の子の顔と服に交互に視線を動かしていると、
「ねぇ……」
「ンっ……!?」
やばい。女の子の身体あちこち見てた。これ。嫌われた? 分かんねぇ。ミスったか?
「あんた、どっかで会ったことある?」
あるわけが、ない。一目惚れだし。一目惚れなのに会ったことがないとかあるわけない。
「いや、……ないよ」
「ま、そうだよね」
その子は首の後ろをかいた。
「……まあ、お互い知りたくないことがありそうだし……私も、詮索はしないから」
女の子は何かを察したのか。パンパンと制服についた埃やら雪を手で振り払って、
「救けてくれてありがと。じゃ」
女の子は足早にその場を去ってしまい、瞬きをした次の瞬間にはその場からは居なくなっていた。
もっと、礼とか言ってくれても、いいんじゃないかなぁ。仮にも命の恩人なわけだし? みたいな?
俺は学生鞄を拾い上げてから、あぜ道にほっぽった自転車を起こして、帰路を漕ぎ出した。
瞼の裏には彼女の顔が鮮明に焼き付いていた。
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俺は中学を卒業したのち、地元から遠く離れた高校に進学した。あまり、知り合いの多い場所には行きたくなかったからだ。理由は、特にない。友達は比較的多い方だと思うし、それなりの中学校生活を送っていた。
でも、知り合いの多い地元の高校には通いたくはなかった。環境を一新したかったからかもしれない。多分、そうなのだろう。最近、自分の考えていることすら分からなくなることがある。
あの女の子と会って以来、あの子のことしか考えられなくなっていた。
「空閑逢奈です。中学ではバレーボール部に入ってました。よろしくお願いします」
入学してすぐのクラス内での自己紹介。
そこに彼女はいた。
空から落ちてきたあの女の子。
顔がまるっきり同じだ。
綺麗で、それでいて可愛い。どこか大人びてるけど、あどけなさもある。
透き通るような声。
髪型だけはあの時のツーサイドアップとは違う。ボブカットだ。
でも、声も顔も同じ。
どう見たってあの時の女の子だ。
ここでがたっ、と立ち上がり、「お、お前はあの時の……っ!!」なんて言えるほど俺の心臓には毛が生えてはいない。
あの子がここにいるという事実だけで心臓がバクバクいっていて、もう、やばい。やばいというかやべぇ。空閑逢奈って言うのか。そうか、ふうん。やばいな。これ、奇跡というか、なんというか。もはや運命、みたいな。うわあどうしようやべぇ。
「南々瀬君、南々瀬君」
「はい!?」
「自己紹介、君の番だぞ~」
担任の先生らしき男が俺の顔を覗き込んでいた。
「あっ、はいっ。俺の番すね」
俺は勢いよく立ち上がって、
「えっと、南々瀬時宗です。中学では───」
空閑逢奈と目が合った。
彼女がこちらを見ていた。
その顔には喫驚が満ち溢れていた。
じっと、二人で見つめ合う。
俺は、どんな顔をすればいいのか分からず、取り敢えず微笑んでみせた。
すると、担任の先生らしき人物が俺に視線を向けて言った。
「南々瀬君? どした?」
「す、すみません。なんでもないっす」
俺は自己紹介を途中から続けて一瞬で終わらせた。空閑逢奈の方も俺の事を覚えていてくれてたんだ。やっぱり、勘違いじゃなかった。空閑逢奈はあの女の子だ。
仲良くなりたい。
でも、どうやって話し掛けよう。取り敢えず、今日のホームルームが終わったら、一回声かけてみるか。
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「空閑、さん」
俺が言うと、空閑逢奈はその場に立ち止まった。
「えっと、あの時の、空から落ちてきたのって君だよね?」
空閑は鋭い目付きで南々瀬を見て、
「人違いです」
とそれだけを口にして去っていった。
顔も声も仕草もそっけない態度もあの時とまるっきり同じだ。
人違いなわけ、ないだろ。
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空閑逢奈と再会してから二ヶ月が経った。
その間、彼女と距離を縮めることは、出来なかった。明らかに避けられている。
そんな折、ある噂を耳にした。
空閑が生徒会に立候補する予定だと。そして、現生徒会長の推薦枠でもう当選は確実だと。
この学校では生徒会は特殊な方法で決められている。
一年生に与えられた枠は二つだ。
ひとつは生徒会長の推薦枠。これは今の生徒会長が推している子を指名するだけでその人を生徒会に入れられるという枠だ。空閑は、めちゃくちゃ可愛いし、誰に対しても───俺を除く───優しく、明るく接するため、男子にも女子にも人気がある。その枠に当てはまるのも充分に頷ける。
もうひとつが勉強推薦枠。
これは単純に夏休み前の期末テストで上位五位以内になった生徒の中から生徒会に入りたいものが立候補出来、その中でさらに投票制度があるというものだ。
勉強が出来なければ生徒会には立候補も出来ないというシビアさ。
しかし、それでもなお、俺はこれを狙いにいった。
空閑と同じ生徒会に入れば、確実に彼女に近付くことが出来る。どんなに距離を離されても、疎まれても、その理由を知るまでは納得出来ない。
俺はやるぞ。
やると言ったら、俺はやる男だ。
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廊下に張り出された順位表を見る。
自信はあった。
これでも頭は悪くない方だと自負している。中学校の学年順位も常に三位以内にはいた。
ずらっ、と並ぶ名前と順位。
そこには───
『七位 南々瀬時宗』
「…………………は?」
────嘘、だろ?
あんなに頑張ったのに。
あんなに、あんなに努力したのに。
五位以内に入れなかった。
俺の彼女への思いは、こんなものだったのか?
くそ、くそ。
自己嫌悪でどうにかなりそうだ。膝から崩れ落ちる。周りにいた友人に心配されるが、俺は立ち上がることは出来なかった。
その時、肩に手を置かれた。
「君、もしかして南々瀬時宗君?」
そこにいたのは現生徒会長だった。生徒会に入ろうとしていたので、知らない訳がなかった。
「七位で南々瀬って面白いね。『なななな』って……。ぷふーっ」
その少女は俺の顔を見て笑った。信じられない。人が絶望してるのに、この人は、悪魔だ。外道だ。とんでもない悪党だ。俺はそう思った。
「君、生徒会に入ってよ」
「へ?」
「だーかーら、生徒会入ってよ。ななななで面白いし」
「で、でも生徒会長の推薦枠は空閑が……」
「フフフフ……」
生徒会長は悪い顔をして笑った。もう一度南々瀬の肩を叩いて、その細く小さな指で期末テストの順位表を指さした。
視線を横にずらすと、
『四位 空閑逢奈』
「………え?」
「あいなちゃんも勉強してたからね。フフフフ。君だけじゃないんだよ~、頑張ってたのはね」
生徒会長はなぜか胸を張って自分の事のように嬉しそうにした。
「あいなちゃんは投票で生徒会に入れると思うからさ。わたしは~~~、南々瀬時宗君────いや、トッキー! 君に決めた!!」
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「生徒会、入ったんだ」
「うん」
夕景に染められたあぜ道を彼女と一緒に歩いていた。たまたま、最寄りの駅に降りたところ、彼女がいたのだ。
彼女の隣で俺は自転車を歩いて押していた。
「なんで、入ろうとしたの?」
「ま、まあ、……自分を変えるため、とか?」
「ほんと?」
「う、うん」
「私も、同じ」
彼女は今まで南々瀬に見せなかったような笑顔で微笑んだ。
「空閑は───」
「逢奈」
「え?」
「逢奈って呼んで」
「あい、な?」
「そ」
「なんで?」
「なんと、なく?」
「なんだよ、それ」
「でも私は南々瀬って呼ぶけどね」
「人に呼ばせといて?」
「だって時、宗……ってなんか、呼びずらいんだもん」
「ひどいな」
「トッキーってのもぶっちゃけダサいし」
「それな」
俺は、ははっと笑った。
その心の中では、あの時に聞けなかったあの疑問が燻っていた。でも、それがどうしてか喉の奥の方に引っかかって、声に出なかった。
「逢、奈……ってさ、髪伸びたよね」
「えっ?」
「初めてあった時とさ。今、同じ髪型じゃん」
そこまで言ったところでようやく自分の発した言葉のおかしさが分かった。これ、そうとう気持ち悪いセリフなのでは? や、やばい。どうしようやべぇ、やべぇ、と頭の中でやばいを反芻していると、
「ぷっ」
逢奈が口を抑えて、
「あははははっ!」
大きな声で笑った。
「あんた、よく覚えてるね。もう2年前のことなのに」
「そ、そりゃ! 覚えてるに決まってんだろ! 何も無い空から人が落ちてきたんだぜ!?」
「確かに、言えてるわ」
逢奈は笑い涙を手で拭った。
その時、ようやく決心がついて、
「───逢奈は、どうしてあの時、空から落ちてきたんだ?」
この2年間ずっと頭の中にあった疑問を、遂に口に出した。
「私、瞬間移動が出来るんだ」
そう言って10メートル先に瞬間移動してみせる。
「うん」
「え、えええ!? もっとさあ、『わあああすげええええ』みたいな感想ないの? つまんないのー」
「まあ、知ってたし」
「えっ? まじ?」
「逢奈が空から落ちてきたあの日、帰るときに急に消えたからさ、逢奈」
「見られてたのか~」
「そりゃそうでしょ。それで、なんで空から落ちてきたんだ?」
「それは、─────」
逢奈は固く結んだ唇をゆっくりと開いた。
「私、あの時、………死のうと思ってたんだ」
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