こうのとり

ある

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こうのとり

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けたたましく鳴り始めた目覚ましのアラームに起こされた午後22時。
真っ暗な部屋の中で青白いブルーライトを発しながら騒ぐ携帯をぞんざいに掴みながら目覚ましをリセットする。
英語のテストの訂正を激しい倦怠感や頭痛と格闘しながら終わらせ限界が来ていたのかいつの間にか眠っていたようだ。恐らく目覚ましは祖母がかけていてくれたのだろう。
結構な量の睡眠を取ったからだろうか身体はすっかり軽くなり割れそうなほど頭の中で響いていた頭痛は消えていた。僕は立ち上がり部屋の電気を付け食事を取ろうとリビングへ行くと祖母の姿は無く代わりにテーブルの上に紙切れが置いてある。
急いでいたのか荒々しく行書で殴り書かれてある手紙に、僕がいつもよくしていただいている祖母の友人が亡くなったため葬式に行く。という旨の内容だった。だが僕はその人物が誰だったか全く思い出せないのだ。
いつもそうだ。無情と言えば否定が出来ない。
自分が興味の無い人物や物事などは全くと言っていい程、記憶から抜け落ちてしまう。その様はまさに、万有引力でも働いているのでは?と疑うほどストンと落ちていく。げにげに戯言だが。
僕は再び布団の上に寝っ転がり携帯の通知を見る。クラスメイトの心配の通知や冷やかしの通知、ゲームの通知などやはり代わり映えのない通知ばかりだ。
だが1つだけ目を引く内容のニュースが届いていた。それは本日の22時26分に宇宙ステーション補給機、こうのとりが発射されるというニュースだった。
僕は宇宙関連のものがたまらなく好きなのだ。いい歳をしてさながら玩具コーナーで目を輝かせる子供のようにテンションが上がってしまう。
すぐさま僕は通知のバーナーをスワイプし、ニュースを開く。
表示された詳細は、宇宙ステーション補給機のこうのとりが種子島宇宙センターから発射される事や、小難しい機会の説明だった。こうのとりと言えば本年の10月1日に発射を予定したが燃料の配給機関か何かから燃料が漏れていたため発射予定日を延期し、そして予定日が未定になった補給機だったはず。
それがまさかの今日に決定していたのか、と1人部屋の中で驚いていた。最近いろいろ忙しくニュースなどもあまり深くチェックは出来ていなかったから知らなかったのだ。
なんというか、普段見ないところを掃除していたらお金が出てきたというような、まさに棚からぼた餅というような感動が込み上げてくる。携帯の時計は22時7分を表示している。
あと20分弱。
とてもとても待ちきれない。
布団から飛び出して顔を洗い、長い眠りに付いていたためパサパサになっている口を潤し、歯を磨いて、制服からパジャマへと着替えた。
それでもまだ時間が余っている。時間の進みがここまで煩雑に感じる事は僕からすれば慮外珍しい事なのだ。恣意的で不羈奔放だと自負している僕は時間が早く進んでいる、と感じる事が多い。
やるべき事は数多くあるのだが全てが手につかず、ただただその時間を待ち、そして焦がれている。
1分が1時間に、1日の様に感じる。
長い長い、長過ぎる。
そういえば以前読んだ本に、人はゴールを目前とすると客観的に見れば早く感じるが主観としては何よりも、どんな時よりも長く感じるという。
そんな事を考えながら気早い僕は携帯でラジオを流しながら外に出た。
まだ10分もあるのだが。
だがやはり外に出ると空気が変わる。異世界の様に変わった。
12月。師走。
パリッと張り詰めた空気が肌を刺す。
こめかみが押さえつけられているかのように痛みを感じる。
だがその痛みですら、冬の訪れを感じ、美しく感じる。別に被虐趣味という訳では無いが。
澄んだ空気のお陰で夜空は冴え渡り星がチカチカと輝いている。そして丘の向こうの星が消えている場所の下には未だに眠らない街が光を発しているのだ。
耀くオリオン座のベテルギウス。シリウス。プロキオン。そして赤い赤い光を放つアルデバラン。
幼少の時に読んだ星座図鑑の知識が呼び覚ます。
星は昼夜問わずお互いの光を打ち消し合い、そしてまた輝きあっている。
真っ黒な夜空に白い星のコントラスト。
今見ている星が何万光年向こう側では既に消滅している可能性もあるのだ。
強く、そしてどこか儚い星々に魅力を感じている。
まさに自然の宝石では無いか。
何人にも平等でそして値段タグこそ無くされどどんな石ころよりも魅力的だ。
だがここで本題に戻らねば。
僕は星の観察に来たわけでは無い。
こうのとりを見に来たのだ。
星の観察に夢中になっていて気付かなかったが発射がもう3分前に迫っていた。
笑ってしまうが、さっきまで待っていた瞬間が迫ると途端に緊張をしてしまう。
だがそうこうしているうちに、ラジオから流れる音声が今はやカウントダウンに変わっている。
1秒。1秒と時間が進み行く。
そしてラジオから響く発射音と同時に、南の夜空から1つの小さな小さな光が、空を、天を目指して上昇して行く。星の輝きを打ち消し、臙脂色の神々しい焔を放ち、そしてゆっくりとゆっくりと、人々の希望ー例えば補給機を作った人や整備した人、管制塔の人達や研究員の人達、僕のように感動を求める人や、究極的には打ち上げの成功を望む人々の全ての望みをその小さな機体で背負い未知の領域へと進んで行く。補給物資を運ぶため。
自然の法則を無視し重力に立ち向かい登っていく。昇っていく。
煌々と太陽が纏う紅炎の様に淡く熱い一筋の線を伸ばしながら空を突き進んで行く。
トートロジー溢れる叙述やチープな表現技法や稚拙な言葉選びなどは、今この瞬間にはいらない。
ただただ美しい眺めだと語る感情論のみで十分過ぎる。
やがて補給機は音の振動すら許されない真っ暗な宇宙へと旅立った。
どうだろうか。改めて人間の素晴らしさを再認識した。そう、人間は斯くも素晴らしい。
無謀への挑戦や底のない欲の深さ。蓋のない欲求。
さらなる発見へ渇望する姿勢。失敗に降伏すること無く抵抗し、いくら転ぼうと再び立ち上がる。高く跳ぶために低く低くしゃがむ事を厭わない。
僕は未だに感動が冷めず、抜けぬ余興に身体を震わせている。今日、貴重な体験の感動は人生最後の瞬間だと味わい足りないが、だがとても味わい深い。
ラジオでも白熱している解説者が感動の筋を流していた。
共感してしまう。そしてまた感動してしまう。
この瞬間も同じ一つの空を眺め、共通の話題で感動している人がいると認識すると、どこか心が晴れて、そして得意気にすらなってしまう。
この想いを伝えたい、伝えたくてしょうがない。そんな気持ちを抱いていると玄関から鍵が開く音が聞こえる。僕は自慢の言葉を選ぶ。
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