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第十二話「想いの先へ」3

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 私はスタッフルームに戻ってデスクの前に座る舞の隣の椅子に腰掛けて、そっとトレイに乗せて持ってきたコーヒーカップとミルクを優しく置いた。

「ありがとうございます。今仕事終わりました、何だか気を抜いたら意識が飛びそうでした……」

 コーヒーの香ばしい香りと共に、女子校生らしい澄んだ舞の声がスタッフルームに響く。

「お疲れ様、毎日大変よね」
「そうですね、でも、
「なぁに? 好きな小説の一節?」
「分かります?」
「それは、舞の事だから」
「だって、気付いたら、こんな風になってるんですから、人間なんて分からないですよね」
「そうね、私だってそうよ」

 久々に二人でいると自然と会話が弾んで、舞もこういう時間を心待ちしていたのだなとよく分かった。
 話を聞いてあげることで舞の気が楽になるのなら、それは私にとって大歓迎なことだ。私は舞の話に耳を傾けた。

「あたし、こんな自分にも何か出来ることがあるって、そう信じたかったんです。あたしの両親は脆くて、それでも懸命にあたし達のことを一番に考えて、苦労して、傷ついて、心配させないようにして……。

 それで、あたし、分かってしまったんです、このままじゃいけないって、あたしが頑張らなきゃいけないんだって、恩返しをしていかなきゃって。

 両親が本当の親じゃなくて、あたしと光は稗田家で産まれた養子なんだって教えられた時、そんなこと思いもよらなかったから、ショックでした。

 でも、それ以上にあたしは思ったんです。二人の愛は本物なんだって。本当の親じゃないのに、そんなこと気付かせもしないくらいに立派に育ててくれた、本当に立派な大人なんだって。
 だから、あたしは二人にこれ以上苦労をさせたくなかったんです」

 私の事を信頼してくれている証拠だろう。舞は溜め込んできた気持ちを解き放つように言葉を紡いだ。
 その言葉には家族を想う強い気持ちが込められていて、表情には憂いの色が出ていて、私は胸が苦しくなるほど、舞の苦労を感じ取った。

「すみません、つい久しぶりに先輩と二人きりだから嬉しくって、ついつい自分の事ばっかり」
「舞は本当に頑張ってるもの、だからいいのよ、自分をちゃんと誇っても」
「そんなことないです、あたし、今日だって先生に説教受けて。先輩が想ってくれるような人間ではないですよ」

 よく表情をコロコロ変える舞が少し涙ぐんだ。それだけで、私は舞の苦労が全部理解できた気がした。

「でも、覚悟の上だったんでしょ?」

 私は感傷的にならず、自然を装って聞いた。

「それは、そういうところもありますけど、分からないですよ。
 冷静に考えてみれば、周りからはただやりたいことをやってるだけに見えて、あたしって滅茶苦茶ですから」
「まぁ、そうね、舞の気持ち次第なのかしら、自分を事をちゃんと知ってもらうかどうかは」
「何だか、人生相談みたいになってます?」
「いいのよ、舞がそうしたいなら、話しはいくらでも聞くわ」
「いえ、悪いですよ、せっかく二人なんだから楽しい話の方がいいでしょ?」

 舞がしおらしく遠慮がちになる、色んな表情を見せる舞を救ってあげたい気持ちになった。

「それもいいけど、私、話したかったことがあるのよ」

 時間は有限であるからこそ私は思った。
 伝えたい気持ちは、そのタイミングを逃しては、手遅れになってしまう。
 誰しもが一度は経験することだ。
 
 舞と話をするのは楽しい。でも、私は私の思っていることをちゃんと舞に伝えないと、それでたとえ舞に嫌われることになったとしても、恐れて逃げることは簡単だけど、それでは何も解決はしないから。

 稗田さんのためにも、光くんのためにも、私が言わないと……。

 今、話さなければ、一生後悔することになるかもしれないと、私はそう思って、ちゃんと現実と向き合うことに決めた。

「そうでしたね、先輩、話があるから待っていてくれたんですよね」

 そう言葉にして、舞は右手に持っていたコーヒーカップを机に置いた。
 その様子を見て、今ならばと思い、私は口を開いた。
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