ヒロインの座、奪われました。

荒川きな

文字の大きさ
50 / 50

第45話 入学式前日 後半

しおりを挟む
 胡散臭い笑みを顔一面に貼り付けて、フェルナンは聖花をじっと見つめた。彼の笑顔からは、先程までの穏やかな・・・・雰囲気はこれといって感じない。

 辺りはすっかり静まり返っていて、息をすることすら躊躇われる。心なしか空気は重く、聖花は彼から視線を外すことが出来なかった。

 彼は、きっと分かっている。彼女の言葉の意味を理解した上で言っている。

 言わば脅しだ。聞かなかった事にしてやるから今すぐに言葉を取り下げろ、と暗に言われている気がした。

 もしも、聖花が言葉を撤回・・すれば、話そのものがなかったことになるだろう。彼もそれを望んでいる筈なのだ。


「そんなの、」

 暫しの沈黙を破り、重い口を開く。彼に屈してしまえば、全てがフェルナンの思う壺になってしまうような気がして。
 聖花はそれがどうしても嫌だった。

 フェルナンが小首を傾げる。怖いくらいの笑みを張り付けたまま、聖花を射抜くような目で見つめていた。
 彼女が、彼の望み通りの回答をしてくれることを期待して。


「そんなの、先生が一番分かっている筈ではございませんか?」

「………ふぅん?」

 フェルナンの頬がピクリと動く。変わらずニコニコとした笑みを浮かべているが、彼の目は全くと言っていいほど笑ってはいなかった。


「確かに先生には感謝しています。僅か数ヵ月といった短い期間でしたが、先生には数多くのことを教えて頂いて……。
 ですが、それとこれとは別です。
 ――貴方が何度聞き返そうと、私が発言を訂正することはございません」

 言ってやったと言わんばかりに、聖花はフェルナンをじっと見つめた。明らかに目上の者に対しての態度ではない。
 が、こんなにも啖呵を切っておいて、ここで引き下がることなど出来ようか。


(彼がまだ恍けるのなら、それで良い。勝手に話を進めてしまえば良いもの)

 しかし、フェルナンは恐ろしいくらい静かだった。何を話すでもなくその場に佇み、ただただ押し黙っていた。
 斜め下机の上へと視線を向けていて、何を考えているかさえも分からない。
 先程までの胡散臭い彼とは大違いだ。

 聖花はそんな彼を見据えて、僅かに息を飲んだ。想像していた反応と違う、と。
 まるで魅せられたかのように、聖花の視線は彼の姿を掴んで離さなかった。じっと息を潜めて、ただ彼の言葉を待つことしかできなかった。


「………本当に、いいんだね?」

 地の底から声が響いた。物言えぬ圧がある、何処か凄みのある声色だ。
 
 聖花は目を丸くした。底知れぬ圧迫感に、底知れぬ警告音。
 先程とは段違いの息苦しさに、彼女は思わず顔を顰めた。


「と、その前に」

 不意に声色を和らげて、フェルナンはそう小さく呟いた。何かを思い出したように笑顔を浮かべ、視線を扉に移すも、その目は全く笑っていなかった。

 聖花が疑問に思うのも束の間、彼女の背後から音が聞こえた。不穏な空気を察知した見張りがノブに手を掛けていたのだ。
 だが、此方部屋側から扉の向こう廊下までは見えない筈である。特殊加工された窓は、中から見えない仕組みになっている。

 けれども彼は気配を瞬時に感じ取ったのだ。フェルナンはニコリと笑ったままに目を向けて、程なくして彼女に視線を向け直した。

 彼女からしてみると、何をしているのかまるで見当がつかなかった。まさか見張りに圧を掛けているなど、想像すらつかなかったのである。

 視線が重なった。フェルナンの深海のような美しい瞳は、彼女の心を引き摺り込もうと深く渦巻いていた。
 が、聖花は動じない。逸らすことなく、フェルナンの瞳をじっと見つめていた。


「……僕が広めない保証はないんじゃないの?」

 偽善者の皮を剥ぎ取ったフェルナンは、訝しげな目をしてたおやかに微笑んだ。

 有無を言わせぬ台詞だ。何とも遠回しで、はっきりとした脅し。
 それはまるで教師がすることではなく、鬼畜といっても過言ではない所業である。
 心なしか、彼の薄ら笑いが意地の悪い笑みに感じてしまう。

 とうとう本性を現したか、と聖花は内心息を飲んだ。
 ずっと隠していた彼の裏の姿が、僅かに顔を覗かせた瞬間だった。任期初日に見せた、淫靡で危険な微笑み。
 もはや邪悪なナニカにしか思えない。

 単に面白がっているのか。それとも悪巧みをしているのか。今はそんなことはどうでも良い。
 問題なのは、聖花が踏んではいけないモノを踏んでしまったという事実だけだった。

 軽々しく取り消せと言うなど浅はか。彼の性質をある程度知っていて、お願いしたこと自体が間違いだったのだ。
 が、過ちに気付くには既に遅い。


(嗚呼、馬鹿だ。馬鹿だった。彼の人間性をすっかり忘れていた。……まともに話が通じる相手じゃないのに)

 心の中で自嘲する。一体何を期待していたのだろうか、と。いや、きっと心の何処かで何か・・を期待していたのだ。

 授業を受け始めてから幾日経ち、聖花はいつの間にか毒気をすっかり抜かれていた。気を抜いてしまっていた。
 それ程までにこれまでの授業が普通・・だったのだ。

 確かに、妖しさを見せる面も多々あった。が、しかし、彼の授業は聖花の予測から大きくかけ離れたものだった。
 初日以降、彼は彼女の過去について深く触れなかった。全くと言っていいほど言葉にしなかったのだ。
 不穏な気配が流れたこともなく、どちらかというと安穏とした空気のなか彼は授業を進めていた。親身になって彼女の面倒をみてくれた。
 それは、敬意を払うに値する姿だった。

 だから油断したのだろう。


(そうだった。彼は無関係なんだ。雇われて、伯爵家に来ただけ。いつ話しても、いつ広めても、彼に何ら痛手はない)

 ハッとした。脱獄にフェルナンが関わっていないということを、今さら聖花は思い知った。
 本当に今更のことだ。フェルナンが秘密・・を知ったのはただの偶然だということ。だが、その事実に辿り着くまでにどれほど時間が掛かったことか。

 いつから誤認していたのであろう。少し考えてみれば分かる話なのに、いつの間にか聖花は認識を見誤っていた。

―――広められる心配はない、と。

 心の何処かでそう思い込んでいた。だから、聖花の口から馬鹿げた発言が飛び出たのである。
 当然ながら、その希望は無惨にも砕け散ったが。

 結局、彼との間に"協力関係"など、生温いものはない。あるのは、見事なまでの上下関係だけだ。
 何もかもが天と地ほどの差。彼女の全てを晒してしまおうと思えば、いつでもそれが出来る人間。

 そして、彼の発言は本気だった。
 一見ただの脅し。だが、もし聖花が彼との約束契約を破るようなら、彼は本気でそれ・・をする。
 そう確信できる程の圧が彼にはあった。

 これまでの行動も十分愚かだったことは彼女自身で自覚している。だが、これは最早その比にならない無謀さだ。
 言ってみれば、始まる前から負けているようなものだろう。
 おまけに、防音で、密室。頼みの監視役騎士も使えないという状況で、彼女には逃げ場もない。
 流石に、明確な危害を加えたら監視役が止めに入るだろうが、どうにもそうは思えない。

 後悔したところで時すでに遅し。それだけは確かだった。
 それこそ、今になって発言を取り消せる訳がない。

 だから・・・、聖花は言葉を続けることにした。
 理解した上でまだ足掻こうとするなど、愚の骨頂にしかないことは彼女も分かり切っている。
 が、これまでの経験上、隙を見せることも下手に出ることもしてはならない。相手が調子に乗るからだ。
 『マリアンナ』だった頃の聖花は、何の抵抗も出来ず、只してやられるだけだった。誰だって同じことを繰り返したくはない。

 彼の言いなりになるくらいならば、もしも彼の奴隷・・になるくらいならば、いくら無謀であろうと抵抗してみても良いのかもしれない。嫌味を言うくらいしても良いのかもしれない。
 どの道、今の聖花にまともな道はないのだから。アーノルドも、ヴィンセントも、ひいては奏さえも出し抜かなければならないのだから。

 どうせ今、彼に手を出すことは出来ない。
 だから、フェルナンの思惑通り、これ以上の"弱さ"を曝け出す訳にはいかない。


「……遠回しに人を脅すなど、先生は意地悪・・・ですね。そうすれば私が折れるとでも、?」

 聖花は捲し立てるように言い放った。


「だとしたら見当違いです。私は、脅しで人を動かそうとする人の言いなりになんてなりません」

「………随分な物言いだね。まるで僕が屑みたいじゃないか」

 そう言いつつも、フェルナンは全く動じていない。それどころか、口元を僅かに緩ませているではないか。
 そんな風に見えるのは、きっと聖花の気の所為ではない。


(この人は、一体何を考えているの)

 頬が僅かに引くつく。屑みたい、というより、屑そのものだという突っ込みを心にしまいつつ、聖花は冷ややかな目をフェルナンに向けた。タチが悪いことに、無自覚に言っているようだった。
 教師としての評価までもが崩れ落ちそうだ。


「……まあ、いいや。折角面白いものを見せてもらったことだし、今日のところは引いてあげるよ。
 でもね、セイカ嬢が何と言おうと、僕は意見を曲げない。思い通りにならないことは嫌いなんだ。
 …………一層、僕のモノにしたくなったよ」

 聞き間違いだろうか。いや、きっと聞き間違いに違いない。そう聖花は自分に言い聞かせて、彼をそおっと見た。

 が、彼はやけに落ち着いていて、先程不審な台詞を呟いた人物には思えない。

 それを見て聖花は胸をなでおろした。
 …のも束の間、フェルナンは言葉を続けた。


「絶対に来て?………絶対に」

 力強く、爛々とした瞳だ。彼は、これまでにないほどに悍ましい空気を纏って、そう言い放った。

 聖花の中で、肌が粟立つような心地がした。
 彼は危険だと、警告音を鳴らしていた。これ以上は踏み入ってはいけないと。

 けれども逃れることは出来ない。明日、聖花は彼の元へと自ら行かなければならない。

 フェルナンに取った行動が、どれだけ危ういことだったのか聖花は分からないし、知りたくもない。
 が、明らかに道を踏み外したことだけは確かだった。
 発端となったのが彼女自身の発言なだけに、最大級の置き土産爆弾を仕掛けられて、最悪な気分である。

 正直、フェルナンがここまで危険な人物だと、これまで彼女は思っていなかった。感じてすらいなかった。

 が、あの視線に見覚えはある。フェルナンが最後に見せた、何かに囚われた視線。
 あれだけは、闇魔術に執着していた時のヴィンセントの目付きに似通っていた。

 フェルナンが去ってから暫くして、白々しく見張り役役立たずの者が部屋へと入室してきた。が、今更護衛をして何になる、と聖花は騎士の制止も聞かずに、さっさと自室へと戻った。

 現実逃避をするつもりで寝具ベッドに入り込んで、聖花は少しの間眠りにつく。
 今勉強しても集中出来そうにない。

 以降、聖花は部屋の中で残り僅かな一日を過ごした。
 夜食はしっかり摂ったし、言われるがままに風呂にも入った。

 しかし、最後の最後まで心のモヤを払拭することは出来なかったのである。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ

さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。 絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。 荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。 優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。 華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】

いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。 陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々 だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い 何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。 だからこそ転生後に誓った―― 「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。 気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。 「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」 ――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。 なぜか気づけば、 ・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変 ・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功 ・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす ・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末 「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」 自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、 “やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。 一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、 実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。 「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」 働かないつもりだった貴族夫人が、 自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。 これは、 何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。

私、お母様の言うとおりにお見合いをしただけですわ。

いさき遊雨
恋愛
お母様にお見合いの定石?を教わり、初めてのお見合いに臨んだ私にその方は言いました。 「僕には想い合う相手いる!」 初めてのお見合いのお相手には、真実に愛する人がいるそうです。 小説家になろうさまにも登録しています。

処理中です...