断罪聖女の禁忌書架

カルーア

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第四話 鷲の旗印

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城内の廊下を進む男性の足音が外を騒がす雨音に掻き消され、閉められた窓格子に叩きつけられる雫の群集が溶け合いながらその重さにひかれていく。

真昼の暖かさが嘘のようであり、日没となった今は鼠色の雨雲が淡い月すらも覆い隠してしまっていたのだ。僅かな月明かりすらも失った廊下の先は不透明に薄暗く、空虚な寒さだけが取り残されていた。

青白い炎を灯すランタンを手に提げながら、そんな廊下を重い足取りで歩んでいた男性は一枚の扉の前に立った。そして二回ほど軽く扉を叩き、中にいるであろう主人の許可を彼は待つ。

「どうぞ。」

その言葉とともに部屋に足を踏み入れたのは執事服を着た壮麗な男性であった。老齢を匂わす顔の皺に不釣り合いなくらいに背筋を伸ばした男性は眼前の主人に話しかける。

「お嬢様、例の一件を報告に参りました。」

「そう、少し待ちなさい。もうすぐ終わるから。」

執務机に積まれた紙の束をものともせず、羽根ペンで作業をし続ける彼女は男性を視認することもなく公文書を懸命に作成する。末尾の名称欄に自身の名であるアレクシア=ウェルズリーと彼女は記入し終えるとようやく羊皮紙が擦れる音が途絶えた。

机の引き出しから赤色の蝋燭と一枚の小さく折りたたんだ手紙を取り出し、アレクシアが小声で何かを呟くとその蝋燭に火が灯る。溶けだした蝋燭を傾け、彼女は蝋でしっかりと公文書と手紙を中に入れて封をした。

その際に押し付けられた刻印は鷲を象徴とする紋様であり、綺麗な出来栄えにアレクシアは少しばかり悦に浸る。彼女は仕事が終わったと言わんばかりの表情で顔を上げて男性の方を向いた。

「柩の話よね、セバス。勿論見つけたのでしょう?」

「はい、無事に城内の宝物庫に運び込ませました。」

「そう。もう下がっていいわよ、用件は済んだから。」

次の仕事に取り掛かろうと思ったアレクシアはセバスの様子がいつもと違う事に気が付いた。すぐに執務室から立ち去ろうとしないセバスに溜息をつき、彼女は続きを強く促す。

「まだ何かあるのかしら?言いたいことがあるなら黙っていないで、さっさと言いなさいと何度も注意したでしょう。貴方が言い淀むことは決まって悪いことばかりだから、もう覚悟は出来ているわ。」

この執務室に到着するまでの足取りの重さの原因はそこにあった。落ち着き払っているアレクシアであろうと憤慨させてしまう内容にセバスは頭を悩ませる。彼自身でも考えなかった訳ではないが、それ以上の理解を情報源に問いただしても返答は変わらなかったのだ。

「分かりました。実は、この件には続きがございます。」

「それで?」

「柩を調査したところ、どうやら封印に関する条件は四つあるとのこと。三つ目までは予想通りでしたが、残り一つの条件が何なのか皆目見当がつきません。」

「……想像以上ね。冒険者ギルドからの報告は?」

「こちらにございます。」

セバスは自身の懐から折りたたんだ報告書を取り出し、それを机の上にそっと置く。アレクシアは報告書を読む進めると、奇妙すぎる点に不可解さを覚えた。

その様子はセバスからも一目で判別できる程にアレクシアの狼狽が見て取れた。彼女は何度もある一行を読み返し、記載内容を確認する。

「生存者なし、これは何の冗談かしら?」

アレクシアは指先で机の上を小刻みに叩きながら苛立ちを募らせ、鋭い眼光でセバスを睨みつけた。それでもアレクシアは声を荒げないように心を平静に保とうと堪え続け、喉元まで出かかった怒号の嵐を寸でのところで止めていたのだ。

「セバス、私は貴方に聞いているのよ。生存者なし、つまり死人がどうやって報告をして柩を運び込んだのかしら?」

「報告については一人の冒険者のものだそうです。死の間際に放った言葉の断片を繋ぎ合わせたとのこと。」

「柩についてはどうなのかしら?一人で運べる代物じゃないでしょ、それに冒険者全員の死体を回収したというふざけた記述もあるけど。」

「ギルドからは柩も死体も遺跡から転移したと報告を受けました。たった一人の生存者であった者も転移した後に報告を残して亡くなったそうです。」

「ねぇ、誰がどう見たってその理由が手掛かりだと思うわよね?遺跡の中は禍々しい邪気で満ちていて、数多の怪物たちが闊歩していたというのならば尚更。転移についての可能性を今から考古学者でも何でも雇って調べ上げなさい!」

冷静であろうとしていたアレクシアではあったが、とうとう怒りの理由を説明しているうちに話に熱が入り感情が決壊してしまったのだった。彼女の心の内では謝罪をセバスにしているつもりではあるが、それは毎度のように口に出た事はない。

その姿にセバスは予期した光景であるとただ眺める事しかできなかった。しかしながら、自身が嫌でも伝えるべき事を伝えるという行為には納得していた。それ故にアレクシアとは異なり、彼は落ち着いた表情で決まった文言を繰り返す。

「かしこまりました。」

セバスが踵を返して素直に退散しようとした時、後ろから彼を引き留める言葉が掛けられた。振り返るとアレクシアが額を手で覆いながら、自身の計画の不具合に悩みつつもすぐに対処を考えていたのだ。

「待ちなさいセバス、封印の件に関しては教会を通しては絶対にダメよ。どうせもう嗅ぎ付けている事だし、何としてでもあいつらの手に渡るのは阻止しなさい。あと、念のために柩の場所を移し替えておきなさい。」

「心得ました。」

「それと……その、さっきは怒鳴って悪かったわ。貴方が私に怒られるのを覚悟して報告した事も、そうせざるを得なかった事も含めて推し量るべきだった。……ごめんなさい、嫌な役回りをさせてしまったわね。」

「いえいえ、これも執事の仕事ですから。」

初めていつもの後悔と謝罪を述べた彼女に対してセバスは笑みを浮かべ、深くお辞儀をすると静かな足取りで扉を閉めた。部屋の中で疲れ果てているアレクシアの事を思いながら彼は悲壮感を漂わせる。

何の目的のために何を行っているのかを反芻し、セバスはそれを何度も繰り返す。決して忘れないようにする事が彼に唯一できた贖罪であり、それは同時に彼の人間性を保つための手段でもあったのだ。

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