魔剣狐たぶらかし

水珠

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魔剣狐、家族が増えそうになる

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 魔剣氾濫。
 今まで単なる刀剣として沈黙を守っていた魔剣達が一斉に産声を上げたその日を境に世界の潮流は大きく変わった。
 まず最初にその混沌を飼い慣らしたのは中東諸国だった。
 長期化する紛争を終結させる為、彼らは武装をアサルトライフルから魔剣に持ち替えたのだ。
 魔剣使いを戦術兵器として投入するというあらゆる既存条約をすり抜けた奇策は世界各国に衝撃を与えた。
 積み重なっていく屍山。
 水嵩を増していく血河。
 先進国を中心に魔剣の回収及び担い手の確保が行われ始めるのは当然の展開だった。
 そして混沌は今も止む事なく続いている。
 近代兵器と魔剣という二足どころでない数の草鞋を履き潰した軍隊が、これ幸いとばかりに今日まで続いて来た数多の問題を実力解決すべく地を空を海を闊歩する大乱の時代。
 第三次世界大戦と云う人の世の黄昏が、今まさに海の向こうの国々では繰り広げられている。
 しかし不可解。
 では何故この日本と云う極東の島国は戦火にも侵略にも晒される事なく、魔剣使い共の殺し合い等という今日び前時代的と言ってもいい混沌に興じ続けられているのか?

 その答えは明快である。
 日本もまた、魔剣を兵器として活用していたからだ。
 但し剣としてではなく……自国をあらゆる戦火から恒久的に防衛する為の盾として。
 国防魔剣――『天磐戸あめのいわやど』。
 幸いにして氾濫初期に政府の手に渡った件の魔剣は現在も日本国の全域を覆う守護の力場を形成し続けている。
 ミサイルや爆弾は勿論の事、少なくとも今の所は如何なる魔剣による干渉も受け付けていないまさに究極の盾だ。
 世の混沌と戦乱を憂いて神々の棲まう国は磐戸の内へと隠れた。
 そうして誕生したのが現在の日本。
 鎖国国家日本。
 あらゆる外乱から耳目を塞ぐ代わりに、剣鬼共が奏でる内乱を受け入れる事を選んだ……現代の高天原そのものである。

    ◆ ◆ ◆

 妹は小さい頃から気も体も弱かった。
 重い喘息持ちでちょっと走っただけでも負担になる。
 そんな体は幼い妹の自尊心を著しく卑屈にしてしまったみたいだ。
 何処に出掛けてもびくびく周りの顔を覗い、家族以外には決して心を開けない。
 あの子はそういう子だった。
 それを知ってもあの子に良くしてくれる大人は幸い少なくなかったけれど。
 でも子供という生き物は、時に弱いものに凄く残酷だ。
 バッタを捕まえて足をもぎ取るように。
 怪我した子猫に石をぶつけて楽しむように。
 私の妹は必然として、叩くと音の鳴る玩具として扱われるようになった。
 だからあの子を守るのは姉の私の役目だと思っていたし、実際そうして来た。
 こんな体にさえならなければ、それで良かったのだと思う。

『オマエの姉ちゃん、魔剣使いなんだってな』
 
 悪ガキの一人が妹にそう言ったと聞かされた日、私は家を出るのを決めた。
 そうでなくても私のせいで家族が近所から煙たがられてるのは知っていたけど、最終的に決め手になったのはその一件だ。
 陰口も不都合も大抵は溜息で受け流せた。
 だけどあの時は本当に心底思い知ったものだ。
 あ。私って、もう人間じゃないんだ――って。

 ……ま、言われてみればこれに関してはあっちの気持ちも解らないでもない。
 私だって手から火出したり、全身ズバズバ切り刻まれても数秒で治る化物が隣に住んでたら怖いと思うだろうし。
 肌の色とか心の性別を理由にする差別は悪だと思うけど、傍に居るだけで皆を危険に晒す存在なら話も変わって来よう。
 寧ろ強制的に何処かの病院とか牢獄に押し込まれないだけ有情ってものだ。
 それでも我儘を言ってしまうなら、それでも私はあの家で暮らしたかった。
 まだ私十九歳だし。まだまだ扶養家族として色々甘えたい盛りだったし。
 家を出るにしたって妹が、あの子が少しでも前を向いて生きられるようになるのを見届けてからにするつもりだった。
 けれど人生とはかくも理不尽で……人の気持ちに対し冷淡だ。
 結局私は逃げるみたいに家を出て、その挙句イカれた人斬りに全身隈なく刻まれる羽目にもなってしまったのでした。
 ちゃんちゃん、と。
 そこまで一頻り回想した所で、私は自分が今どうやら生きているらしい事に気付いてぱちくり瞬きをした。

「……、あれ?」

 私の記憶は渾身の一撃をあっさり破られた所で途切れている。
 思うに気絶なり何なりしてしまったと思うのだけど、どっちにしろあの後確実に殺されたのだろうなと解る幕切れだった。
 しかし今私はやたらと硬いベッドに寝かされて見知らぬ天井を見上げている。
 まさかあの剣狂いが助けてくれたとも思えないし、となると此処は天国かはたまた地獄か?
 幸いにして私は"合一型"だからか、あれだけズタボロにされた体はもう何の痛みも訴えていない。
 それを良いことに起き上がろうとした所でガチャリとドアの開く音がし、何処かで聞いた覚えのある声が耳朶を揺らした。

「――あ!お姉さん起きてる!」
「へ?……あれ、もしかしてその声って……」

 声の方を向くと其処に立っていたのは女の子だった。
 腰丈程までの長い黒髪と、染み一つない綺麗な肌。
 黒地のワンピースに袖を通した姿はあの時見たのと大分印象が違ったけど、それでもその鈴が鳴るような綺麗な声で判別が付いた。

「……あの時の、女の子!?」
「えへへ、うん。あの時助けて貰った人です」
「よっ…………かったぁ…………!!! あ、あの後大丈夫だった!? あの変態になんか酷いこととかいやらしい事とかッ」
「どうどうどうどう……大丈夫だよ。フィーは何もされてないから」

 思わず掴み掛かる勢いで唾を飛ばした私を女の子はよしよしと宥めてくれる。
 良かった。
 ……いや本当に良かった。
 少なくとも見た目は元気そうだし、命を救えたのなら私みたいな味噌っかすが頑張った甲斐もあるというものだ。
 とはいえ私の記憶はどうもあいつに負けたっぽい所までで途切れている。
 となると一体、どうやってこの子と私はあの剣狂いから命を拾ったのだろう。
 首を傾げる私に顔をずいと近付けて女の子――フィーちゃんって云うのかな――はじっと間近で瞳を覗き込んで来る。

「じー……」
(うおっ……か、可愛かわいっ……)

 近くで見たら可愛すぎてびっくりした。
 何ていうか、これだけ可愛かったら人生何でも出来るんじゃないかってくらい可愛い。
 顔立ちは人形みたいだしぷにぷにのほっぺたは思わず指で突っつきたくなってくる。
 いやいや待て待て篝ニナ。
 今の日本じゃ未成年でも何かあったら余裕で牢屋にぶち込まれる世の中ですよ。
 間違ってもこのご時世にこんな、妹と同じくらいの他所様の女の子にhshsするような事があっては……

「お姉さん、お名前は?」
「あ、え?なんて?」
「お名前。フィー、お姉さんの名前が知りたいな」
「あ――ニナ。篝ニナだよ。フィーちゃんは……えっと、フィーでいいの?」
「ニナお姉さん! ……うん、フィーでいいよ。名字はなくて、只のフィー!」
「ふ、ふーん……」

 ……複雑なご家庭なのかな?
 そう思って見ると家の中も何だか普通ではない気がする。
 壁なんかは見るからに傷んでいるし、天井の隅には蜘蛛の巣が"主付き"で張っている。
 何も言われなかったら廃墟と思っても仕方のないような荒れ具合だった。
 と其処まで考えた所で、私はこの子に訊かなきゃいけない事があったのを思い出す。
 
「ところでさ。フィーちゃんも、その……」

 あの刀狂いはえらくこの子に執着していたように見えた。
 只のそういう趣味の人だったら私に言える事はないけど、そういうものではなかった風に感じる。
 あんな剣の事以外全部興味ないみたいな変態にそんな嗜好があるとも思えないし。
                   
 となるとやっぱり、この子は……いや、

「……魔剣使い、だったりする?」
「そうだよ?」
「そ、そっか。お揃いだね、あはは……」

 ――こう簡単に即答されるとこっちは引き攣った笑いを漏らすしかない。
 こんな可愛い小さい子がまさか私と同じ魔剣使いだなんて。
 いや、これに関しては多分私が見た目で解りやす過ぎるんだろう。
 狐の耳と尻尾ってなんだよ。
 なあおい聞いてんのか『玉響』。
 聞こえてんだったら申し開きくらいしろよコラ。
 何が悲しくてこんなほのぼの萌え漫画の化身みたいな見た目にならなくちゃいけなかったんだ私は?

「……じゃあ、フィーちゃんが助けてくれたんだ? 私の事」
「違うよ。お兄ちゃんが助けてくれたんだよ」
「へ? お兄ちゃん?」
「うん。フィー達は『剣聖一家』って言ってね、血は繋がってないけど皆家族なんだ」
「……、」

 剣聖一家。
 聞いた事はある。
 そういえば言ってた。
 でもニュースだとか周りの話でじゃない、あの憎っくき剣狂いが言ってた言葉だ。
 『無限』の魔剣がどうだとか、この子は神輿だとか。

「えと、その『剣聖一家』って」
「――その先は俺が話そか」

 知らない方がいい気はする。
 でもそれはこんな事になる前ならの話だ。
 こうなったら寧ろ知らない方が危険な気がした。
 なんたってあんなヤバい奴が眼輝かせるような案件なんだし。
 逡巡の後に問い掛けた私に答えたのは、フィーちゃんが開けっ放しにしてたドアの向こうからヌッと姿を現した誰かだった。

「『剣聖一家』はその名の通り剣を極めたる者が契りを結んで築いた家族。
 戸籍でも血の繋がりでもなく、剣の縁と血の絆でのみ血縁を証明する集団。
 利害の一致ではなく魂の共鳴で道を共にする、そうやなさしずめヤーさん的な……」
「――――――」

 そいつは何かうんうん頷きながら語っていたけど生憎その内容は全然頭に入って来なかった。
 何だか感慨深げに語ってるそいつの風体が余りにも……そうあんまりにも奇抜過ぎたからだ。
 顔だけと言わず頭の全体を覆い隠した豚のマスク。
 力士並の、だけど筋肉じゃなく脂肪が大半を占めてるだろう事が容易に窺えるブクブクに太っただらしない巨体。
 そしてこの令和日本でコスプレイヤーでもないのに堂々と何に憚る事もなく纏ったパツンパツンの軍服。
 其処にこれまた堂々輝いてる紋章は嗚呼、海外じゃ付けてるだけで警察の世話になるって話のあの、"あの政党"の鉤十字エンブレム……


「ね、ねねねねねね……………………ネオナチだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」
「ちゃうわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」


    ◆ ◆ ◆

「ったくお天道様からコソコソ隠れて泥水啜っとる雑魚共と一緒にすんなや。俺はネオナチやない、正真正銘総統閣下の遺志を継いだマジのナチ。さしずめマジナチや」
「頭痛い……剣狂いにズバズバ斬られてた時より頭痛い……」
「お姉さん大丈夫? ……お兄ちゃん、フィーいつも言ってる。初めて会う人にはネチネチ言わないでって」
「ネチやない。ナチや」
「頭痛い!!!!!!」
「ナチや!!!!!!」

 もしかすると本当の私はもう死んでて、これは死後に見る変な夢なのかもしれない。
 そうも思いたくなる光景が今私の前にはあった。
 左を見ると文字通り豚面のナチ信者。
 右を見ると抱き締めたくなるくらい可愛い黒髪ロリ。
 これはもう夢とかじゃないと説明が付かないだろう。
 神様ありがとう、夢はもう十分です。
 ニナはそろそろ天国に行って、おじいちゃんに私の中のこのクソ魔剣をぶっ刺して来ようと思います……。

「とまあそれは良いとして」

 置いといて、のジェスチャーをして話を切り替える豚男。
 こっちは全然良くないけどそれを指摘したらまたこの地獄のギャグ漫画みたいな構図が長続きするだけだと思ったので堪えた。
 
「説明の先にまずは礼言わせてくれ。俺の妹を助けてくれてありがとな、ニナちゃん」
「あ……はい、どういたしまして」
「まあ何かギャグみたいになってもうたけど、感謝してるのはマジもマジ。ホンマにホンマや。
 詳しい経緯は割愛するけど、この前のあれは完全に俺の不手際っちゅうか過失でな。
 ニナちゃんが助けてくれなかったら大事な妹があないな野良犬に噛み殺される所やった。ホンマありがとう」
「お兄ちゃんなのもマジなんですね……」

 其処は、其処だけは違って欲しかったな……。
 そう思う私をよそに、豚男は下げた頭を上げて話し続ける。

「君が絡まれとった餓鬼はそこそこ有名な『魔剣狩り』や。
 君も解っとるやろうけど頭のカッ飛んだ気狂いや。一応俺が灸据えといたが、何分俺のは死体を残せるような器用な魔剣じゃなくてなぁ。多分死んだと思うが、もし逃げられてたら心底ゴメンって所やね」
「……死んでてくれるのを祈っときます」

 ていうか薄々予想の付いてた事ではあるけど、やっぱりこの人……人?も魔剣使いらしい。
 そっか……これが命の恩人か……と気を抜けば遠くなり掛ける意識を何とか繋ぎ止めて話の続きに耳を傾ける。

「俺らの仔細はまぁ、先刻言った通りや。因みに一家って云っても親のポジは居らん。
 俺が長男でフィーが末妹。後は弟が二人と妹がフィー含めて二人って所やな」
「えっと……有名なんですか、剣聖一家って」
「多少こなれた魔剣使いや裏社会に精通する人間、後は廃刀機関なんかの間じゃ知らん奴は居らんやろな。
 一応政府にもテロリスト認定でバッチリ眼ぇ付けられとるよ。ま、それなりに悪い事もしてるからしゃーないけどな」
「……頭痛ぁい……」
「お兄ちゃん!」
「今のは俺悪ないやろ。悪いのは俺ら全員や。ガハハ」
「何がガハハだこの豚ぁ……」

 嗚呼神様、お天道様。
 そんなに悪い事はして来なかった私がどうして人斬りとテロリストの板挟みにならなきゃ行けないのでございましょうか。
 いやまぁ、素性を知ってても私はフィーちゃんを助けずに居られなかったと思うけど。
 お姉ちゃんってのは年下の子供に弱いんだよもう。

「ま、でも安心せぇ。ニナちゃんの事は俺が責任持って送り届けたるよ。住所何処や?」
「? 待ってよお兄ちゃん。お姉さんの事帰しちゃうの?」
「当たり前やろ。逆にどうするつもりやねん」
「えー?」

 嘆く私を余所にフィーちゃんは小首を傾げて。
 私を指差し、言った。

「フィー、ニナお姉さんの事好きになっちゃったんだもん。剣聖うちに入れてあげようよ」
「――はい?」

 ……待って。
 待って、この子今なんて言った?

「い、いやいやフィーちゃん!? 私そんなつもりじゃ……」
「フィー」

 確かに助けようとはしたけどそんな下心があった訳じゃ誓ってない。
 ていうかあの時点じゃフィーちゃんがそんなヤバい一家の子だなんてちっとも知らなかったし。
 なのにフィーちゃんはすっかりその気になってるみたいで、私は否定しようとしたのだけど。
 フィーちゃん一家の長兄らしいこの豚男は少し押し黙った後で、先刻までのやり取りが嘘のような厳かな声でこう言った。

は冗談じゃ済まされんよ。オマエ、まさか本気で言うとる訳ちゃうやろな」
「本気だよ。フィーは冗談解んない、空気も読まない。お兄ちゃんもしかして知らなかった?」

 ――ピリ、と空気が張り詰める。
 それはあの時、あの『魔剣狩り』と対峙してる時に感じたのによく似ていた。

「少女漫画とちゃうんや。助けてくれたから気に入った、それで家族になるなんざ莫迦げとる。オマエにとって俺らはそんな薄い存在か?」
「お姉さんが助けてくれなかったらフィーは今此処に居ないよ。理由を云うならそれで十分だと思うけど」
「ニナちゃんは俺らみたいな人でなしとちゃう。オマエの好き嫌いでこっちに引き込んでいい訳ないやろ」
「こっちに引き込まなかったら、お姉さんすぐ死んじゃうでしょ」

 そうだよ、って豚面ナチ男に賛同しようとした所で。
 フィーちゃんの口から出た剣呑過ぎる言葉に私は硬直を余儀なくされた。
 え。フィーちゃん、今なんて?

「『魔剣狩り』に立ち向かって、剣聖一家のフィーを助けた魔剣使いなんて美味しい話題……もう絶対何処かの誰かが知ってる。
 元のおうちに帰してあげた所で誰かがすぐに絶対お姉さんの居所突き止めて"味見"しちゃう。そしたらお姉さん死んじゃうよ」
「露払いは俺がやったるよ。オマエが心配する必要はない事や」
「じゃあお兄ちゃんは何年、何十年お姉さんを守ってあげるつもりなの? 妹一人守り切れなかった癖に」
「…………」

 ……ヤバい今度は本当に頭痛くなって来た。
 え、ちょっと待って。
 私ってそんなヤバい事に巻き込まれてるんですか?
 だったら今此処でポイって帰されても困るけど、いやでも。

「ふぃ、フィーちゃん? お姉さん弱いし、フィーちゃんとこの一家に入ったらすっごい足手まといになっちゃうよー……」
「大丈夫! お姉さんは確かにめっちゃめちゃ弱いくそ雑魚のなめくじだけど、フィーが責任持ってお世話するから!」
「あうう……」

 まるでペット扱いで思わず変な声が漏れる。
 いや確かに狐の耳と尻尾は付いてるけど、篝ニナは一応生物学的にはまだ人間な筈でして。
 因みに弱いって事には本当に反論の余地が全くないのも情けない声が出る理由の一つだった。
 フィーちゃんに賛同する訳じゃないけど、もしも本当にそんな滅茶苦茶周りに狙われるってんなら確かに今一人にされるのは怖い。
 あの剣狂い……魔剣狩りが魔剣使いの中でも上澄みの部類なんだろうって事は解ってるけど、だとしても私は魔剣に関しては本当にズブの素人でしかない。
 常日頃から魔剣で人をどう殺すか追及してるような奴に狙われたら今度こそこの大事な命を散らしてしまう自信があった。

「……まあ、せやな。オマエの云う事も確かに一理はある。そもそも俺がフィーをしっかり見てればニナちゃんを巻き込まんでも済んだ話や」
「うんうん。そうだよ、つまりお兄ちゃんが悪い」
「けども、これまたそもそもの話やけどな。当初の予定を全部丸ごと放っぽり出して、俺の眼ェ盗んで何処かへ消えて挙句無様に"してやられた"アホが居らんかったら」
「……(ぴゅ~♪ ぴろろろろろ~……♪)」
「俺は目的を遂げれてニナちゃんは魔剣狩りのガキに付け込まれる事もない、皆が平和でニッコリな明日が来たんちゃうかなぁ」
「…………剣鬼の宿業には逆らえない! くろ兄ちゃんがよく言ってる事だよ!」
「ジークハイルッ!」
「あだぁッ!?」

 鋭角のチョップを落とされて涙目になってるフィーちゃんを余所に私は困惑していた。
 フィーちゃんが予定を放り出した?
 この豚男の眼を盗んで消えた?
 明かされる裏側の話に私は眼を白黒させるしか出来ない。

「すまんなニナちゃん。とはいえ、まぁこいつの云う通りでもあるんや」
「え。じゃあ私、本当にこれから狙われまくるって事ですか……!?」
「詳しく話すと長くなるんやけど、あの日はフィーの暴走も含めて色んな想定外が重なってもうてな。
 それさえなければ君が魔剣狩りの餓鬼と見える事もなかったやろうけど、事実として君はあれに立ち向かい、あまつさえフィーを守ってもうた。
 『剣聖一家』の『フィー』をや。この意味は、正直君が思ってるより遥かにでかい」

 ……魔剣狩りは、フィーちゃんは特別みたいな事を言っていた。
 もしもあいつの言葉が只の妄言じゃないんだとしたら。
 本当にフィーちゃんは一家の中でも特別で、しかもその事は魑魅魍魎の魔剣使い達の間で共通認識になってしまってるんだとしたら。
 それを助けた挙句魔剣狩りから生き延びてみせた私は――もう只の雑魚ルーキーじゃないって事……!?

「その分君の事は俺が責任持って守ってやろう思ててんけど……妹一人守り損ねた無能言われると俺も弱くての。
 せやから最終的に選ぶのは君に任せるのが筋なんちゃうかと俺は思う」
「選ぶ、って……何を」
剣聖一家ウチに入って看板背負うか。危険は承知で今まで通りの日常に戻るか」
「因みに、その……より安全なのはどっちなんですか」
「圧倒的に前者や。家族同士の互助もそうやが、剣聖の看板は君が思うとる以上に抑止力として"強い"。それこそ昨日の魔剣狩りみたいな頭抜けた莫迦でもない限り態々喧嘩売っては来んやろな。
 誰でも良かった云うて女子供襲う奴はぎょーさん居るけど、ヤクザの総本山にナイフ握って突っ込む通り魔は居らんやろ?」

 そんなの勿論すぐに選べる事じゃない。
 だけど話はどうやら、私が思ってるより更に複雑みたいで。

「後者なら俺も全力を尽くす。フィーにも君の護衛は手伝わせる」
「……うん。フィーもお姉さんが何を望んだって、お姉さんの事頑張って守るよ。助けてくれたんだもん」
「けど前者の場合、これは俺とフィーだけの意思で決めれる話とは違って来る。
 具体的に云うと……俺やコイツよりもっとずっと面倒臭くてヤバ兄妹ヤツらにも判断を仰がなアカン。こんな人でなし一家やけど、一応幾つか掟みたいなもんがあっての」

 豚男が溜息をついて、ボロボロの部屋の中で健気に時を刻み続ける柱時計に視線を遣った。

「そろそろウチの三男が帰って来る」
「……え゛。ロン兄ちゃんが……?」
「本当なら明日戻る筈だったんやが、あの餓鬼予定を前倒しにして標的シバきよったみたいでな。だから出来れば、ニナちゃんにはそれまでに決めて欲しい」

 豚面の下から鈍い眼光を覗かせる"お兄ちゃん"と。
 先刻までの調子は何処へやら、龍なる名を聞くなり顔色をサッと青くしたフィーちゃん。
 魔剣狩りも垂涎する強くてヤバい剣聖一家の二人を前に私は只々頭を抱えるより他になかった。
 より安全だけどこの後すぐに危険がやって来るっぽい方か。
 守って貰えはするけどこれから先ずっと危険の付き纏う方か。
 どっちにしろ私こと篝ニナの生きる未来に魔剣絡みの危険はもう不可避で絡み付いて来るみたいで。

「う…………、…………うわーーーーーーーーん!!!!!!」

 もう人生なんて懲り懲りだよぉ……!
 なんて日常アニメの最後みたいに喚いてみても、此処は何処までも現実でしかなくて。
 私の受難はまだまだ終わる兆しなんて毛程も見せず、選択は迫られ続けているのでした。
 ……いや、マジでこれどうすればいいの?

    ◆  ◆  ◆

 かつて雷という現象は、神の御業によって生じるモノと信じられていた。
 雷神が打ち鳴らす太鼓の音。
 不徳不信心を罰するべく天上から下された神罰の具現。
 雷とは即ち神鳴かみなり、人智を超えた意思の介在が其処には有ると先人達は空を駆ける光を畏れ崇めた。
 無論現代でそんな事を大真面目に語れば物笑いの種にされるのは自明だ。
 落雷のメカニズムはその発生から消失まで余す所なく解き明かされて久しい。
 直撃でもすれば流石に事だろうがそんな不運に見舞われる人間等そうは居らず、今や雷への畏怖は幼い子を脅して悪天の日の不用意な外出を諌める程度の役を担うに留まっている。
 しかしそれは飽くまでも、空から落ちて来る雷に限った場合の話だ。
 人の体から生まれ放たれ、地と水平に轟いては敵手を撃ち抜く。
 そんな既存科学の枠に収まらない超常現象としての雷がもし存在するならば、人間がそれに対し対抗する術は存在しない。
 銃弾より速く爆弾より鋭く、肉体の頑強さなぞ無視して神意に叛く不信心者を貫く現象の矢。
 中学生の妄想の中にしか存在を許されないだろう荒唐無稽が今この瞬間、現実の事象として幾つかの命を踏み躙っていた。

「糞……化物、が……」
「オマエらが雑魚過ぎるだけだろ。手前の未熟を人のせいにすンなよ、みっともねぇなァ」

 彼らの計画は良い線は行っていたと言える。
 氾濫初期に中東で流行し、以後は先進各国にも広まっていった魔剣使いを傭兵代わりに雇用するというこれ以上なく手軽な軍事力の強化。
 単なる半グレの集団でしかなかった彼らは僅かな金と仲間意識を寄る辺に、どんなヤクザ者も泣いて逃げ出す狂気の戦闘部隊と化した。
 魔剣という今この日本で何よりも解りやすい暴力を用いての資金集めと成り上がり。
 其処にもしも不徳があったとするならば、増長の余りに虎の尾を踏んでいた事。そしてそれに気が付かず舞い上がっていた事。
 魔剣溢れ人斬り蔓延る日本の中で傲慢にも『剣聖』の単語を冠し、今に至るまで何処の誰にも異議を唱えさせていない現代の虎穴。
 剣聖一家と云う恐るべき虎々の尾を踏み、その食い扶持シノギを邪魔立てしていた事だ。

「ま、弱いってのは辛いよなぁ。どんなに必死こいて頑張っても弱ぇって理由だけでぜ~んぶ総取りされちまうしな。これに懲りたら次は俺になんて出逢わないようにコソコソヒソヒソ生きンだぞ? 俺だって好きで弱い者いじめしてる訳じゃねぇんだからさ」

 三十秒足らずで黒焦げの焼死体の群れと化した武装組織の上を踏み歩いているのは、若年者を中心に構成されていた件の組織の平均年齢より更に若輩だろう茶髪の少年だった。
 年の頃は高校生くらいだろうか。
 まだあどけなさを残す顔立ちでありながら、その体は蒼を通り越して白にさえ見える稲光で覆われている。
 いや、違う。
 覆われているのではない――彼自体が光源。
 あろう事にこの少年は体の内から蒼雷を生成した上で帯電しているのだ。

「俺ももう一日ゆっくりしてくつもりだったんだけどな……アホがヘマしやがったから予定は前倒しだ。
 つーわけで恨むならそいつの無能を恨め。最期の晩餐くらい喰いたかったよなァオマエらも。俺はこれから新幹線で駅弁食うけど」

 彼の魔剣は合一型。
 体内に魔剣を呑み込み、それを炉心として自らの肉体を変革している。
 だが其処には狐耳のような形だけの愛らしさすら存在していない。
 神々しいまでの雷光を纏って君臨するその姿は可憐とも醜穢とも無縁。
 "強さ"というこの世に於いて何より解りやすく記憶に残りやすい神話を彼は体現していた。

「にしてもあのクソ豚野郎。手前が着いててなんで予想外が起きンだよボケカス。やっぱり俺以外の兄妹はボンクラばっかりか」

 剣聖一家は凶気の如き剣豪集団。
 しかしその中でも、恐らく彼が最も話が通じない。
 彼は弱肉強食の体現者だ。
 魔等という言葉とは無縁の美を放ち、神罰のように敵を討つモンスター。


「あーあ。家族なんて不要いらねぇなぁ」


 剣聖一家三男。
 齢十六。生涯無敗。
 神雷の魔剣使い。
 ――――皆殺しのロン
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