とうちゃんのヨメ

りんくま

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2章 楔

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勝十郎さんは、僕が仏間に案内すると、お母ちゃんの遺影を黙ったままじっと見つめていた。

「本当にもう会うことが叶わないんだね…」

ポツリと呟いた一言が、とても切なくて、勝十郎さんもお母ちゃんを大切に思ってくれていたんだと、感じていた。

「お母ちゃんとゆっくりお話しをしてあげてください」
「ありがとう」

勝十郎さんは、一言呟くと、座布団をそっと脇に避けて、正座をした。

じっと座ったまま、お母ちゃんの遺影を眺め、目尻から涙がホロリと流れる。あぁ、やっぱり雪ちゃんのお父さんなんだと理解した。

「じゃあ、僕は居間に居ますので、ごゆっくり」

そっと襖を閉めて、僕は仏間を退出した。トウちゃんも雪ちゃんも、お母ちゃんが勝十郎さんと親しい間柄とは知らないようだった。

雪ちゃんが、引き取られ、勝十郎さんの家にトウちゃんを連れて行った時に出会ったことだけは、聞いている。ただ、子供過ぎたため、二人の関係性までは、覚えていなかった。

勝十郎さんも僕が知らないお母ちゃんを知る人物の一人なんだと、単純に考えていた。

僕は、ただお母ちゃんが、みんなから大切に思われていたことが嬉しくて、嬉しくて仕方がなかった。

「お母ちゃんも、きっと喜んでいるんだろうなぁ」

そう思いながら僕は瞼を閉じた。




改めて遺影を見てしまうと、寧々が本当にこの世を去ったのだと実感させられてしまった。あの優しい眼差しも、柔らかい唇も、透き通るような白い肌も二度と触れることが許されない事実に打ちのめされた。頬を伝う涙さえ、拭う気力も出なかった。

線香に火をつけ、白檀の香りが鼻を掠める。

静かに手を合わせ、寧々を手放した後悔を思い出していた。

「本当に愛していたんだよ」

誰も聞いていない告白。遅過ぎる告白だった。許される事のない関係であったが為に、会う度に逢瀬を重ねた。だけど、寧々は、突然いなくなった。自分から離れた寧々が許されなかった。憎しみが憎しみを呼び起こし、人ではなくなったと思っていた。全ての愛を注ぐ決意をした瞬間に、勝十郎は捨てられたと思っていた。

だから、雪之丞も闇へ堕ちる事を黙認した。藍之介もどうだってよかった。

寧々に執着し、探し続け全てを知った時、愕然とした。

何故、勝十郎と離れたのか、信を見て全てを理解した。

きっかけは、寧々の捜索の調査報告だった。公に捜すことが憚られた為、見つけることが出来たのは、信が織田久美子に引き取られた後だった。

そして、信を守る為、勝十郎との愛の形を失わない為、自分の元を去った事に気がついた。

無償の愛。勝十郎は、信じることが出来なかった己を許す事が出来ずにいる。

「また、会いに来るよ」

そう呟くと、立ち上がり、袂から香典袋を取り出して、そっと仏壇に置いた。そして、襖を開け、信が待つ居間へ足を向けた。




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