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第三章

第109話 正体不明の狩人

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 夜中になっても暑さは変わらず、寧ろより蒸し暑さが酷くなっていた。
 湯気のように蜃気楼が景色を歪めて、止まらない汗に喉の渇きも頻繁に。

 ユグの作成した氷で覆った家で僕たちは何とか凌いでいるけれど。
 対策を講じても尚過酷な環境だった。僕もギリギリ気合で耐えている。

「早く先に進みたいけど。二十五階層と二十階層のフロアボスは不明か……。ライブラさんも知らないみたいだし。【深淵化】の影響力を考えると避けて通りたくはないなぁ」

 ライブラさんの蓄える情報はどれも【情報板】を通して冒険者から集めたもの。
 つまり冒険者と一度も交戦していないフロアボスとなる。非常に稀有な存在だ。

 考えられる要素として、臆病な種。もしくは恐ろしく強力な種だ。
 瞬殺。相手を視認できない場合では【情報板】は作用しないからだ。

 念には念を入れて、ティアマトさんとユグが辺りを巡回してくれている。
 夜なのでトロンの目は使えず。コクエンは万が一に備えて僕の護衛に。

 ライブラさん、トロン、エルは氷の家で休憩中。
 僕も本来は休憩時間だけど。眠れる感じではない。

「ご主人様、お水をどうぞ」

 コクエンが革袋に入った水を渡してくれる。

「ありがとう。貴重だから大切に飲まないとね」

 砂漠地帯が続いて、少なくなった水を分け合う。
 魔塔内では人が飲める水源はそれほど多くないので。

 この熱帯雨林でも、川は見つかっているけど有毒性の成分があった。
 エルが毒を抜く能力を持つものの、一度に大量の水は処理しきれない。

 僕たちは人数も多いので消費量の方が上回っている。暑さのせいもあるけど。

「うっ、ぬるいね」

「この暑さですから……」

 命の水もあまり美味しくはない。それでも飲まないと渇きで死んでしまう。

「でしたら主様・・、氷はいかがですか!」

「あれ? まだ見張りの交代時間じゃないよ」

 エルがまたニヴルヘイムの氷を持ってきてくれる。
 ひんやりとした空気が流れて、それだけで少し楽になる。

「エルさん、ありがとうございます」

 コクエンは受け取ると、フードの中に入れていた。

「主様もどうぞ!」

「お昼でも言ったけど。遠慮しておくよ」

「でも、我慢はよくないです!」

 エルが前のめりで氷を勧めてくれる。今夜はやけに積極的だ。
 暑さで頭もやられているのか。僕を呼ぶ声色も若干違うように聞こえて。

 どうしようかちょっと悩む。本音では欲しいけど。だけど、身体は拒絶して。

「エルエル。ロロア様がいらないと仰っておられるのですから。私様がいただきますよ」

「たべる」

 氷の家から顔を覗かせたライブラさんとトロンが。
 お昼の時のようにエルから大量の氷を貰い、身体や口に入れていた。
 
「…………?」

 みんなの様子を、エルはにっこりと見つめていた。
 僕は感じた違和感に導かれるように、氷に視線を向ける。

 夜の闇に紛れ禍々しい色が残されている――――毒が抜けていない!?

「だ、ダメだ! それを口に入れては!!」

 僕はすぐさま警告を出すも、既に手遅れだった。
 三人とも身体はおろか体内にまで毒を含んでしまった。

「あいたたたたたたた、お肌が焼けるように痛いです!! いたたたたた」

「うっ……ご主人様……申し訳……せん」

「ますた、おなかいたい。いたい……」

 すぐに症状に現れ三人が苦しみもがき始める。

「くくく、あははははははははは」

 その様子をエルが邪悪な笑い声で打ち消していく。
 
「お前は……エルじゃないな!? 正体を表せ!」

 僕はただ一人、偽物のエルと対峙する。一体何者なのか。 

「正体? エルはエルですよ――――ご主人様」

 偽エルは身体を変形させて、今度はコクエンの姿に。
 同じ格好でフードを被り。炎を宿した手刀を向けてくる。

「なっ、姿を模倣する能力!?」

「ご主人様、死んでください」

 偽コクエンが、闇の炎を両手に纏い接近してくる。
 僕は転がり回避――できない。能力もコクエンと同じだ。

 僕とコクエンが、正面から戦っても勝負にならない。

「弱い弱いご主人様ですね、潔く死ね」
 
「くっ」

 少しでもダメージを防ごうと両腕を構える。
 片腕を失う覚悟で守りの姿勢に。手刀が迫る。

「させません……!」

「ちっ、しぶとい」

 僕の間に本物のコクエンが滑り込み、偽物を押し返す。
 炎と炎がぶつかり合って、周囲の氷が溶け始めていた。

「ご主人様、ご無事ですか!?」

「だ、大丈夫。ありがとう」

 この隙にアイギスの神盾を手元に持ってくる。これで僕も自衛できるぞ。

「私めの姿を借りて、ご主人様を害しようなど、許せない……! 決して許すものかっ!!」

「死にぞこないが!」

 毒を怒りで誤魔化しながら。コクエンが吠える。
 再びの数秒間の攻防も互いに互角。決着は付かない。

「……まさか、毒を受けても死なないとは。今回は随分と頑丈な人間だ」

 偽物も驚いた表情で、戸惑いを見せていた。
 コクエンたちが普通の人間ではない、【擬人化】だと知らないんだ。

 そして――今の台詞で相手の正体もある程度掴めた。

「コイツは今、僕たちの事を人間と呼んだ。つまりは魔物」
 
 人に化ける魔物を僕は知らない。これほど厄介な能力を持つのに。
 ライブラさんも知っていたなら、事前に警告してくれているはずなのだ。

 ライブラさんの知識にはなく。そして強力な模倣の力を持つ魔物。

「そうか。二十五階層フロアボスの正体は――自分の姿を持たない模倣する者ドッペルゲンガーなんだ!」
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