アスタリスクを五線譜に*

kisaragi

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きらめくのは星か花火かその瞳

第一小節 星と花火の違い

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 合宿後、藤堂吹奏楽部は大きく変化した。

 皆が音楽に対して真摯になった。自分の苦手から逃げなくなった。
 あれだけの事を言われて何も思わない訳はない。
 そして悔しいことに言い返せない。有無を言わせない圧倒的実力が響一にはあった。ただ元々の性格でその実力が凄いと自分で思わないタイプだと宗滴は思っている。

 朝倉 宗滴は響一とは中学からの知り合いだ。
 確かに中学の時はもっとのびのびと吹いていたしその時からずば抜けて巧かった。中学最後の大会でどこの高校に行くのか聞いたぐらいだ。結局は音楽とは無縁の共学の普通科で『マジで!?』と驚いたら不審者を見るような目で見られた。

 部員たちは皆で早朝に待ち合わせ何も言わずとも学校で練習するようになった。

 今まで誰も言えなかったこと。言いたかったことを全て響一が言い、そして言うだけでなく常に実行していたから。

 上手くなりたいのなら、この人を真似するしかない。
 響一に指導を頼むと『楽譜、曲、指揮者。百回別パターンで聴いて見て分からない所があるならもう一度来い』とだけ言った。

 大抵の部員はやはり悔しいのだが妬みはもう無く。見てろよ、やってやる! という心境らしい。


 連休後、柚姫は少し怠そうにしていた。やはり疲れが出ているのか。いつもの理科室にいるので飴を数個持ってアイリスは柚姫に渡す。

「ありがとう! アイリスちゃん!!」

 彼女のクラリネットの音は高音がとても柔らかく美しい。そして構造の問題もあるのだが難しいとされる大きな音も出せるのだ。音階もクラリネットらしい素晴らしい音。低音も上手く、どこまでも丁寧だが故に体力的にキツイだろうと思う。

「頬、痛くない?」

 アイリスは頬を指差し尋ねる。

「うん。大丈夫だよ。クラは低音も音量は大きくないし。……代わりに鬼テクニックだから指が痛いよ」

 と、指には幾つか絆創膏が巻かれていた。
 彼女の演奏に問題は無くとも合奏に問題があればやり直し。とにかく反復練習。それでも文句を言わないのが柚姫と海だ。

「でも蓮華先輩は凄いね。最近、ずっと私を無視していたクラの先輩が教えてくれって来たのよ」
「……マジで!?」

 柚姫は頷きながら飴を含んで可愛い表情をする。

「んー、ん? これ……」
「砂糖と果汁だけのやつ。つるってしてるだろ?」
「そうそう、分かる! これこれ! ゴツゴツは口が切れて良くないの。でも海君それしか持ってないのよ。喉飴じゃないの?」
「喉飴は食べ過ぎると腹下すんだって。喉には良いやつ」
「メーカー教えて!」
「良いよ。つか、ウチの商品だから葡萄味とマスカット味各種しかねーの。勘弁な」
「アイリスちゃんの家は商売熱心だよね」

 柚姫はクスクス笑う。

 そんな笑顔が理科室のグッピーの水槽のガラス面に映る。
 ぽこぽこと空気ポンプの泡の音が響く。柚姫は無意識にその音の音階を口ずさむ。アイリスも真似をすると音が入った最近現代文でやった『やまなし』の朗読になった。

「あのさ。込み入った話していい?」
「良いよ」

 柚姫はクラリネットを下ろしメンテナンスを始める。
 アイリスは実はその作業を見るのは好きだ。
 これは実は楽器や人によって個人差がある。

 案外、柚姫はクラリネットは雑というかサクサクメンテナンスをやる。重要な精密部分はしっかり。まるで海への扱い方を見ている気分だ。

 二人は理科室の木の椅子の上で向き合った。真っ黒の作業台に色取り取り(葡萄味)の飴を並べる。


「これ、すっごーい。葡萄の品種で味が別れてるのね」
「そう。大人になればワイン味も各種ある。土産物」

 二人は苦笑する。

「柚姫は祭り行く?」

 流石にセレスタンも空気を読んでその祭りの日は前後休みという名の自主練習だ。が、多分自分が行きたいのだろうとアイリスは思っている。

「あ、そっちか……んー、どっちでも良いかな。海君が原付持っててね。休みになるとツーリング行っちゃうの。花火も見えるし。ちゃんと二人用、ヘルメット着用、法廷速度ね。でも、やっぱり前いた族にも警察にも追いかけられちゃうからお祭りは私がいないと駄目かも」

 アイリスはぽかーんとした。
 海が元ヤンキーだとは知っていたが、はやりガチなのか。

「あの……チュッパチャプス各種持ってるのって……」
「ああ、あれは煙草の名残もあるけど。ほら、目付きが悪いから初見でびびらせないようにだね」
「柚姫は大丈夫なの? 絡まれない?」
「柚でいいよ。大丈夫だよ。海君喧嘩ちょー強いから一緒にいればね。でも病院送りにしないよう見張るけど」

 おかしくてアイリスは笑う。

「九条寺って柚姫に飼われてるドーベルマンみたい」
「なにそれー! 海君に言っておくね。そういや海君もアイリスちゃん嫌いじゃないんだって。サバサバしてて」
「春日先輩は?」
「んー、同族嫌悪っぽい。せっかく二人で立ってると絵になるのに。どっちもダルい~って感じで並ばれると愛想は……ね」
「あーね。……柚はさあ。浴衣着ないの?」
「うーん。中学で着たからどっちでもいいって感じ」
「それは勿体無い! デートしよう!! 花火大会前の休日。買い物行こう!!」
「ほえー! アイリスちゃんが選んでくれたら凄い可愛いの買えそう! いいよ! ……ってアイリスちゃんも行くの?」

 柚はマスカット味の飴を口に含む。やはり美味しい。

 しばらくしてアイリスは頷いた。

「セレスタン先生と?」

 首を振る。実際、柚姫は察していた。アイリスにはもうセレスタンに対して恋愛感情はない。しかし、ここはアイリスのペースに合わせる。

「蓮華先輩……」
「……そっかあ。好きなの?」
「……分からないんだ。尊敬と、ライバル心がごっちゃになって。きっと普通に恋愛しても楽しいんだ。けど、私、まだあの人のトランペットのライバルでいたい。混乱させているのは知ってる。優しさに甘えてるのも分かってる」

 アイリスは苦しそうな表情で泣くので柚姫はそっと頭を撫でる。

「素敵だね。私と海君は楽器がそもそも違うし。あれで私には本当、ごちゃごちゃ文句は言わない人だから。アイリスちゃんの気持ちも分かるよ。対等でいたいんだね」

 アイリスは声を上げず頷く。

「もーっと、深い話聞いていい?」
「いいよ」
「……初めてって……いつ?」
「ん、んー? 未遂は省いたら中三?」
「早ーーーーー!!!」
「そうなの? おフランスの方が盛んそう」
「そりゃ、人による。確かにチャラい、軽いのおおいけど。……やっぱ痛い?」
「そんなことは無かったかな。ほら、未遂期間あるし。海君手先だけは器用だからね」
「……うーむ」
「……避妊はするんだよ? って蓮華先輩なら大丈夫か。女系一家だって聞いたし多分上手いよ」
「分かってるわ! ってか、え? 何を? ……別に、本当、……」
「私、個人の意見は既に遅し、って感じ。……浴衣ね久々にいっちょ着ますか! たまにはちゃんとアピールしないとね!」

 と、柚姫はチャイムの音で席を立ちアイリスに向かって袋入りの飴を投げた。

 アイリスは何とかキャッチする。

「それ、飴のお礼ね。飴カウンター! きっと葡萄味に合うよ! じゃあ、次のお休みに」

 と、柚姫は手をヒラヒラ振った。
 ああいう会話をしても厭らしさが全くないのが柚姫の凄い所だ。

 手のひらの中の飴はキューブで二つ入りの懐かしい飴、檸檬味だった。


 休日に二人でショッピングセンターに行き浴衣を選んだ。

 柚姫はまた真っ白なレースワンピースが似合う。麦わら帽子。カゴバック。サンダルだ。
「九条寺と来たの?」
「途中までね。海君、夏期講習行ってるから」
 アイリスは持参のペットボトルの水を少し噎せる。

「夏期講習!?」
「体育教師になるんだって。で、神奈川の大学に行きたいんだけどレベル高いって」
「そりゃあ……」
「意外でしょ。でも随分悩んだみたい。教師になりたいって良く言ってたし、言ってるけど、音楽は難しいし。音大って柄じゃないし」
「え? でもドラム巧いじゃん」
「それは知り合いに元々やってる人がいて教えてもらったの。その時はもうヤンキー辞めてたけど、どっち付かずな海君に色々教えてくれて」

 二人はそんな会話をしながらのんびりショッピングモールまでの道を歩く。

「その人は吹奏楽部やらないの?」
「多分。その人、スポーツやってるし」
「じゃあ、同じ大学?」
「分からないなぁ。二人して頭良くないから」

 柚姫も楽しそうに笑った。

「楽譜が読めればなぁ」
「そうなんだよね。今でもけっこう耳で覚えちゃってアバウトでね。パーカスの一茶君にぶちギレられてたよ。巧すぎて教えて欲しいのに分からないって言われたって」
「そりゃ、混乱するわ」

 二人で散策しながら街を歩く。
 しかし。しかしである。

 今の浴衣がセットになっているのは有難い。
 しかし、ショッピングモールの浴衣のデザインはちょーっと盛りすぎだろうと柚姫と二人で笑った。
 ごてごてのレースは可愛いのだけれど。
 柚姫もアイリスも髪の色は薄い。
 絶対に濃い色が良いだろう。

「柚はうさぎの赤」
「へ? 何でうさぎ?」
「柚っぽい。帯は黄色。柄が地味なら帯はそうでなくとも良いぜ。グラデ、レース」
「うわぁー!! 流石フランス人。アイリスちゃんは?」
「王道に濃紺と鯉の柄がいい。金魚でもいいけど……」
「じゃあ帯黄色でお揃いにしない?」
「いいね!」
「そういえば、小物類は買う?」
「ん。蓮華先輩が商店街の券持ってるからほぼ手ぶらで良いって」

 買い物の途中、二人はフードコートで休憩する。流行りのタピオカに二人で頼まずやはり苦笑した。
 時期的にはまだ早いのか混んではいないが新作は出ていていいところに、という感じだ。

「あー、金魚しか無かった」
「何で駄目なの? 金魚可愛いのに」
「……ヒレが……絶対に朝倉先輩がダブルツインテール言うぜ」

 それは言いそうで柚姫は流石に少し蒸せた。

「ふむ。ここのブリュレは上手いよ。ちゃんとカスタードが甘過ぎない」
「本当? 良かった!」
「でも柚の家茶道やってるんだろ? 何で買うの?」
「嫌だよー。あんな地味な色」
 柚姫は不満そうに頬を膨らませる。
「地味なの?」
「茶道で着る着物にも色々作法があるの。大体、地味な色で」
「へぇー」
「今度、家おいでよ。野点なら簡単に出来るし」
「ノダテ?」
「うん。色々あるの。簡略化って言えば良いかな」
「へぇー。抹茶って本当は甘くないんだろ?」
「そう。よく知ってるね!」


 そして海はちゃんと夕方頃に迎えに来た。
 しかしまた窶れた顔だ。

「次は何?」
「モル濃度の計算」
「あー、あれはねー。難しいよね」

 よしよし、と柚姫は海の頭を撫でる。

「そちらさんは?」
「バッチリですよ! 浴衣だからね! 原付で来ちゃ駄目だよ!」
「あいよ。家から近いし大丈夫だろ? ……そっちのツインテールちゃんは?」
「誰だと思ってるんだ!! 恋人のデート邪魔するようなバカはフランス人じゃねーよ!」

 じゃ、とアイリスはさらりと去る。

 これで少しは相談の礼になっただろうか。アイリスは電車の中で考えた。

 確かに蓮華先輩は好きだ。

 けれど、まだ恋人にはなれない。ライバルでいたい。……ってそんなこと言われたら困るだろうなぁ、とアイリスは苦笑する。自分でもふざけるな、と思う。

 しかし困ったことに恋とは厄介だ。何処までも自分の理性が離れていく。

 これが恋。

 セレスタンへの気持ちは憧れ。

 アイリスにはもう分かっていた。引き返せない。
 宗滴のあの説法が甦る。良く、ああも真実のみを言ってくれたものだ。
 預言者なのか。本当にそんな力があるのか。


 花火大会当日、アイリスは随分髪型に悩んだ。

 寮の一室。勉強机、鏡の前。
 普段の髪型は大人っぽく見られるのが嫌でああなっている。こういう時は大人っぽく見られたいものだ。

 当然、ツインテールはない。

 響一は少し早い時間に河原を待ち合わせ所に指定した。時間きっかりは鬼のように混むそうだ。迎えに行くか聞かれたか、そこまでしてもらうのも悪いので断った。

 学校の寮から離れている訳ではない。
 しかし外に出て迎えを頼むべきだったと舌打ちする。

 とにかくじろじろ見られる。
 若いカップル、男の学生。誰でもだ。

 気にしていたらキリがない。
 アイリスがクールに去るのでよっぽどナンパはないがそれでもいる。

 男子数人で女子に絡む馬鹿。
 アイリスはフランス語で『死ね』と一言残し去る。

 日本語、分かる? 教えよーか? 連絡先教えてよー? どこ行くの? 道分かる? その黒くてデケー鞄何??

 しつこい。本当にしつこい。

「すまない。その人は観光で来ているんだ。行く場所も決まっているので案内は不要だ」

 その声は……。

「蓮華先輩……」

 また馬鹿にされる、と響一を庇おうかと思ったら男たちはあっさりとすごすご去っていく。予想とはまるで違う展開だ。

「何でぇ?」
「背が高いし。そこそこ鍛えてはいるし強そうに見えるガンの飛ばし方、喧嘩の仕方は九条寺に習った。大丈夫だ」
「何習ってるんですか……」
「防衛だ。中学で散々絡まれたから」

 少し呆れはしたが見直しもした。約束の時間より少し早い所を見ると迎えに来てくれたのだろう。

 そして意外にもオシャレだ。黒いシャツとカーゴパンツ、スニーカーだが細部、細部が洒落ている。ズボンのボタンのデザインが可愛い。黒いシャツはVネックでゆったりしたポロシャツ。襟はないのにポケットがある。そして楽器のハードケースと肩のポーチ。

「先輩、オシャレですね?」
「前に言っただろう。ウチは女ばかりだ。服は好き勝手にされる。俺は着れそうなデザインを選んでいるだけだ」

 そして筋トレが趣味と言うだけありシャツからはちゃんと腕の筋肉の筋が見える。

 アイリスのトランペットを持った。

「そういうのは……」
「いや、大丈夫。そうではなくて」

 響一のトランペットケースは肩紐と金具でリュック状になっていた。片手でアイリスのトランペット。まるで旅行客の様だ。

「悪いんだが一度楽器を知り合いの商店街の楽器屋に置いていいか? 売店で何も買えやしない」
「良いですよ。先輩に任せます」
「調律もしてくれるが。頼むか?」

 アイリスは頷く。

 イメージ通りの商店街にある洒落た楽器屋に二つのトランペットを預ける。こんなところにあったなんてアイリスは知らなかった。
 カウンターのご主人は眼鏡、白髪でいかにも楽器屋の店主らしい風貌をしていた。

「おやまぁ、またべっぴんさんだ。大丈夫、話は聞いてるよ」
「お願いします」

 小さな喫茶店のような店だ。流れるジャズのレコード。アイリスが店から出てもキョロキョロしていると響一は苦笑する。

「大丈夫。この日はいつも暇なんだよ。皆、花火を見るしここから花火も見える」
「中々お洒落じゃないですか」
「そうかもしれないが、年に一度、毎年あればな……」
「そういうものですか?」
「普通はそうだろ」
「……普通?」

 優しい顔で店主は頷いた。

 夕暮れ時の道を歩く。
 確かに、まだ時間ではないのに人は多い。女友達。家族。カップル。

 風は温く湿度は少し高い。

「暑いか?」
「いえ、ただ、空気は……」
「人が多いからな。……前々から思ってたが君は人混みが苦手だろ?」

 アイリスは素直に頷いた。するとバックから小さいペットボトルが出た。お礼を言って受け取る。

「どうする。俺が知っている場所は人が居ないし近い」
「え?」
「朝倉の親戚の敷地で石橋のちょっとした場所だ。河の流れもあるしここよりは涼しい。普段は朝倉がサックスの練習に使うんだ。今日はイベントで居ないから」
「大丈夫です。屋台、見たい。たこ焼きとかき氷、ラムネと梓のクレープ」
「それだけか?」
「他は先輩が選んで下さい。私は何故、梓がクレープ屋なのに料理音痴なのか研究します」
「分かった、それは確かに不思議だ」

 妙な間になった。
 こういう時、大体響一は何かを思い出して考えていることが多い。何かは気になる。
 けれど、まだそんなに気安い関係ではない。
 甘い色声で、と言うのも無駄な人だ。
 そんなこと気軽には出来ないし響一はそんな簡単な人ではない。

「そうなんですね。先輩って朝倉先輩と仲良いですね」

 少し羨ましい。とまでは言えない。

「まぁな。なんだかんだ付き合いは長いし。付き合っていると段々どうでも良くなるんだ。変なヤツだし、大人びてるし。気さくに見えるだけなんだよ。実際相当曲者だぞ」
「……その片鱗なら見ました」
「何かされたのか?」
「いえいえ、そんな人じゃないでしょ? 半端に蓮華先輩に関わるなって説法されただけです」
「アイツの言いそうな事だ」

 響一は呆れた顔で頷いた。

 屋台の連が見えて来た。たくさん種類がある。響一は鞄のサイドポケットから券を取り出した。

「同じ屋台で違いってあるんですか?」
「もちろん。選出は任せてくれ。正し企業秘密だけど」

 と、券を千切ってアイリスに渡す。


 梓のクレープ屋は繁盛していた。響一が並んでいるのでアイリスは影で観察する。
 少し明るい屋台。

「あー! 蓮華先輩だー! お一人ですか?」
「いいや」

 響一はアイリスに渡されたメニューのメモを渡す。スイーツの名前は響一には楽譜より難解だ。

「あ、ウチのオススメ、いちごパフェです。いちごはとちおとめなの。お父さん、知り合いだからサービスね!」

「あいよ!!」

 奥で声がした。所謂、梓はカフェの店員で父親がシェフなのか。納得する。


 石橋の上は人がほとんどおらず穴場だ。ただ少し暗いので響一は鞄からキャンプ用の組立式ランタンを手摺りの上に置く。

「先輩は用意が良いですね」
「本当、ウチの女どもは通販が好きでな。色々買うが使わない時もある」
「気持ちは分かります」

 アイリスはクレープを食べるのに忙しそうだったので響一は知り合いの屋台のたこ焼きを数個口に運びラムネをこんっと開封する。

「お、上手い」

 多分、ラムネの開封の話だ。響一は片手のたこ焼きをアイリスに横流す。

「おいひい。せんぱいは商店街の知り合いが多いですね?」
「母が若い時、そこらじゅうでバイトしていたから」

 以前とは違って響一は穏やかな表情で母親の話をした。

「お母さん、嫌いじゃないの?」
「そう思う時もあるけど。もう距離感が分かっているから。家族とはいえ、彼女も女で他人だからな。合わない所に合わせない術を学んだ」
「それは……少し寂しいです」
「慣れたさ」

 アイリスはこん、と響一の肩に頭を預けた。黒いシャツにさらさら銀髪が流れる。

 響一は仏像のように動かない。

「ねぇ、先輩って私に期待しています?」
「いいや」

 響一はバッサリ切り捨てる。アイリスは少し驚きショックだった。

「全く? 全然? これっぽっちも?」
「まだ部活の先輩後輩の範疇だろう」
「へぇー。先輩は後輩とこんなことしょっちゅうするんですか?」
「するか!! 一応、これでも気を使ってるんだぞ」
「……知ってる」
「……あ?」

「知っています。ねぇ、その壁。壊して良いですか?」

 アイリスの瞳が爛々と光って見える。これが分からないほど響一は愚かではない。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! いや、君は後輩として、接して良いんだよな?」

 案の定、響一は混乱している。当然だ。

「そうなんです。私、先輩のことが好きです。でも、私は先輩のライバルでもいたい。だから……今はまだ付き合えない」

 アイリスのラムネを持つ手が震える。石段に置かれたかき氷の氷が溶けて既に水になっていた。
 響一は神妙な顔でラムネのビンの中のビー玉を揺らした。

「俺はどうするべきだろう」

「あの……私のこと、嫌いですか?」

 アイリスは決心して聞いた。

「……好きだ」

 随分、響一は穏やかな声と視線で言った。

「え? 怒ってないの?」
「どちらかと言えば、心中複雑だ。なるべく君の好きにすべきだ。脈が無いのならさっさと振って欲しい。曖昧な方が困る。言っただろう。期待することは好きではない」
「私に……本当は期待してるの?」

 また渋い表情で頷く。当然だ。アイリスとて響一にあれだけ図々しく接して来たのだ。

「違うんです。私、先輩が好き。でも、今、恋人になってしまったら溺れる。甘えてしまう。そんな私は嫌です。まだ先輩のライバルでいたい。ちゃんと自分の力でトランペットを吹きたい」

 アイリスの銀髪が夜風に靡く。まるで錦糸のように。月よりも銀色だ。美しい、と純粋にそれだけ響一は思った。

「分かってる。狡いって。怒られて当然です。でも……好きです。先輩の手が。凄く」
「……手?」

 アイリスは涙目を隠すように顔を伏せ手で表情を隠す。耳まで真っ赤になっていた。

「触られるの……好きだ」

 それは困った。
 簡単言えば……かはともかく、つまり。付き合えないけれど性的接触は嫌ではなくむしろ好ましい、という事だ。

「……それは……君の気持ちに付いては俺はずっと待っていたら良いのか?」
「……え? 待って……くれるの?」
「シンプルでいい。期待も裏切られ慣れているし」
「裏切りません」
「……アイリス?」
「そこだけは絶対に。これは約束じゃない。契約です」

 アイリスは響一の手を取った。
 ここまで来て嫌らしさのない武骨な手だ。

「良いですか、絶対に。約束じゃない」
「契約だと」

 アイリスは頷く。

「普通は重いんでしょうね。それで小賢しく、ややこしい。けれど、だって先輩は簡単な恋愛も恋も性的接触なんて簡単にしてくれない」
「そうだな」
「それはある意味母親の呪いですね」

 響一はアイリスの言葉を否定しなかった。実際、そうだと思う。

「契約か……斬新な言葉だ」
「あ、だって、別に振りたい訳じゃないし……」

 アイリスの白い手先まで赤い。

「歌にもあるし。川に流されるように流されてやろう」
「……え?」

 その時、花火が射ち上がる。大玉。シンプルな金色の爆発。

 でもアイリスはあまり覚えていなかった。

 初めてキスをした。

 全ての人々が夜空を見上げる中で、勢い良く抱き締められた、と思ったらそのままだ。

 拒む理由はない。

 アイリスは響一の腰に手を回した。
 初めてだとか、もっと感情が色々あったのにどうでも良くなってしまった。

 促すようにアイリスは唇を薄く開く。

 次の花火の音は覚えていない。
 覚えているのは唇の感触と温度と響一の匂い。彼は深くて良い匂いがする。

 全身で感じる温もり。

 もう花火と夜空の星の違いも分からない。


 しばらくしてアイリスは小さな巾着から化粧鏡を取り出し身なりを直す。
 かき氷はもう水だ。

 皮肉にも檸檬味。

「……あの……上手くないですか?」
「え? まさか」
「いいえ。普通に……気持ち良かったです」
「それは……良かった?」

 帰りの夜道。アイリスはそっと響一の手を両手で取った。

「あー! トランペット、忘れた! 合奏しようと思ったのに。だから駄目になるんですよ!!」
「そうむくれるな。また、今度な」

 いつものように響一はぽん、とアイリスの頭を撫でた。

「……卒業までだ」
「……え?」
「契約のタイムリミット。それまでにはどうにかしてくれ。俺は、あまり曖昧な関係は好きではない。君じゃなければ無理だ」
「分かっています。半分先輩の地雷ですね?」

 響一は否定しない。地雷とは中々いい言葉を選んでくれる。

「その通りだ。家に母親の彼氏がいるのは結構嫌だし母親の性的な物も見たくない。実際、祖母がどうか考えたくもない」
「女性嫌い?」
「いや。そういう訳ではないんだが……好きでもない」
「私は……平気?」
「君はある意味、素直で正直だからな。表情豊かで感情も豊かで分かりやすいから。そういう所が好きだな」
「んー! おちょくらないで!!」
「まさか。真剣で必死で死に物狂いだ」
「……言葉のチョイス……」
「……今日の君は特別綺麗だ。髪型も良く似合っている」
「へへ。柚が着付けてくれました。浴衣の小物もたくさん貸してくれて」

 アイリスはくるりと回る。普段は二つに結ばれている髪が綺麗に流れた。不思議な人だ。普通は容姿についてあれこれ言われるのは面倒なのに響一に言われると妙に嬉しかった。

「そういえばアイリスの家はここからだと電車だな。混むぞ」
「……忘れてた」
「……ウチ、寄るか?」
「いいの!!」
「何もないが。トランペットは吹ける。俺の部屋は防音だし」
「えっと、ご家族は……?」
「半分賭けだな。姉は彼氏と出ていればいない。母もそうだな。姉と母が二人で行ったなら帰ってくる。別に君の寮まで送るけど……」
「行きます」
「しかし……」
「私は今日、先輩とトランペット吹く気満々だったんです! それで、告白する段取りだったのに!!」
「分かった」

 響一は爽やかな笑顔で苦笑する。しかし現実はそう上手く行かないものだ。何故トランペットを忘れたのだろう。

「ああ、この場所で吹きたかった。先輩も忘れないで下さいよ!!」
「それは悪かった。だが俺も必死で死に物狂いだった訳だ。トランペットを忘れるぐらいには」
「……そういう言い方はずるい」
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白雪の雫
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突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

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