アスタリスクを五線譜に*

kisaragi

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第二楽章 虹色オクターヴ

第十一小節 泡とうさぎと木星と♪

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 お風呂場の中はもうシャワーがお湯になり湯気と共に降り注ぐ。

 今更、俺はハッとして既に濡れた夏の制服の肩を掴んだ。

「すまない、良いんだ。大丈夫だから」

「はい。大丈夫です」

 アイリスの瞳は普段よりしっとり見えて、それでいて、アメジストの光に赤やオレンジの光が見えた。彼女は瞳を閉じて俺の唇に触れる。

 シャワーの音がうるさい。

 俺はもう全身ずぶ濡れで、雨なのか、お湯なのか分からない水が色々な所から流れた。

 そんなシャツに……とは思ったが彼女ももうびしょびしょだったので俺は強くアイリスを抱き寄せた。

 のに、唇はゆっくり離れる。

「ん……」
「どうした、熱いか……?」
「いいえ、すみません、もっと、ちゃんとお話を聞かなきゃいけないのに、興奮して……」

 アイリスは俺のネクタイをきゅっと引っ張る。

「ん、いい。良いから」
「でも……んっ」

 彼女は耳裏が弱い。そこに優しく触れる。そうすればそれ以上に期待したような上擦った声が響く。

「ひっ、ずるいっ……んぅ」

 甘く噛むと、耳はピクンッと痙攣し真っ赤になった。

 普段の、勇ましく、女から見ても男前で。
 そんな彼女がまた愛らしい表情できゅっと瞳を瞑った。

 頬は真っ赤だ。

 片耳を優しく弄くり回す。

「ん、綺麗だ……すごく」
「少し、落ち着きました?」
「ああ。言っただろう。始めてじゃないから」
「……そうなの」
「……少し、熱いな。お湯、止めるぞ」
「あっ、」
「?」
「うぅ……あの、先輩の家はお風呂も防音?」
「ん、それは……どうかなぁ。普通よりは響かないと思うけど」
「う……っぅうう、先輩のお父さんは……」
「一応、空気は読めるけど。好奇心も強い人だからなぁ」

 俺は濡れて重たくなったネクタイを放り投げた。

「……天に祈ります」
「祈るのか……」

 それは行為を続行する、ということだ。

 ならばお湯は止めてしまわない方がいい。掛からないように蛇口をずらす。

 濡れたシャツごと腕を引っ張られて、よろめくと彼女に首に腕を回される。

「嫌?」

 吐息が湯気に混じり掛かる。

「まさか」

 そういえば、本格的にこういう行為に及ぶ回数は……今更いちいち数えないけど多くはない。

 やはり外国人は多い……と思う。

 毎回、毎回、誘ってくれるのはアイリスだ。確かに正確には付き合ってる……訳ではないけれど、これはもう唯一とほとんど同じ状況だと言っていい。

 最近やっと慣れた舌の交わる感覚。最初は実はちょっとビックリした。こんなにも生々しいのかと。

 彼女の舌は小さくて、赤くてちろちろしている。お互い、濡れているのを無視して抱き締める。

 彼女の夏の制服はしとしとで、下着が透けていた。

 それは、やはりとてつもなく綺麗で、舌を追いながら優しく髪をほどく。濡れて頬に付着する綺麗な銀色が美しい。

「ん、せんぱい、ぅ」

 彼女がちゃんと感じていることに安堵していると、ほどこうと伸ばした手にアイリスの手が重なり、キスをしながら一緒に強引に引っ張る。

 その時、同時に深く唇が重なった。

「んん、ぅ……やっぱり、せんぱい上手いです!」
「え、そうか?」

 そう言われても経験は多いわけがないし、彼女はアイリスだけだ。そんな彼女が良いと言うなら良いか、と優しくリップ音を立てると彼女は真っ赤になった。

「む、せんぱい、何か経験に基づいてるでしょ?」
「さすが。基づいてるよ」
「ちょ、っ、あ、教えてー!」
「ひみつ」
「そう言うと思った!」

 経験上、アイリスは急に激しく迫るより優しく、ゆっくり触れた方が喜んでくれる。

 そりゃあ、一応海外の……で研究したが、あまりの情緒の無さに完全に肩透かしを食らった。

 突っ込んで、アンアン。
 石壁に大きく脚を開いて衝いていた時も。頭を殴り、床に沈めて蹴っている映像も衝撃的過ぎて途中で映像を切った。

 彼女は本当に違う。

 綺麗で、もはや女神のような神性まで感じる。

 そういえば本格的な触れ合いはここの所ご無沙汰だった。

 このまま……とは思ったが、というか普通はそうするのだが、ちゃんとした用意がない事を思い出した。

「……せんぱい?」
「……えいっ!!」
「きゃっ……!?」

 俺は勝手に姉貴のボディーソープを使ってアイリスに泡を掛けた。

 これは、元から泡で出てくるタイプだ。

 またネットで買った商品らしく、良く泡が出る、とか、なんとか。

 泡で誤魔化そうという魂胆もあるが、姉貴を思い出して鎮めようという考えだ。その考えは成功する。

「ぺっ、口に入った!! 先輩わざとですね!!」
「そのセーラー服は夏服は襟は外れるんだ。下のシャツはシャツで洗濯出来る」
「ちょ、ちょっとー!」
「俺はズボンとネクタイは一度クリーニングに出すから、一緒に出しといてやるよ」
「……ここで逃げますか」

 泡もこのアイリスは可愛いけれど。

 残念だけれど、撤退だ。

 多分、今日はお袋が早い。
 風呂場の外には親父もいる。

「だから服は俺が出たらタオルを床に置いておくから、服はそこに置いてくれないか? 下着だけは姉貴に頼むから」

 アイリスは真っ赤な顔で答えた。むくれちゃって。そんな顔も出来たんだな。

「……わざとですね。……したくない、と……」
「そうじゃない。今はタイミングが悪いんだ。分かってくれ、アイリス」

 優しく頭を撫でて。頬に触れる。

 普通は絶対にここで引くなんてない。けれど、未熟な俺はそういう手立てしか思い浮かばない。

「……後で、色々何でも言うこと聞いてくれる?」

 俺はアイリスの額に頭をぶつけながら頷いた。

「親父が姉貴の服、選んでるだろうから様子を見てくるよ。ちょっとセンスがな」
「ん。今回は特別に許してあげる」

 濡れたシャツが引っ張られ、唇が重なる。

「お湯は好きにしていいから」

 浴室から出ると、大量のタオルに苦笑する。きっと親父だ。

 もう、脱いでしまった方が早い。

 シャツを脱いで、中のインナーも脱ぐとタオルの棚上に着替えが積まれている。

 黒いシャツに、落ちた緑の迷彩柄のスウェットは確か親父のだ。多分、焦って間違えたのだろう。

 サイズは大きいから着られるだろうし、問題ない。

 タオルで頭を拭きながら風呂場を後にすると、狭い廊下には親父がうろちょろしていた。俺はその頃にはすっかり落ち着いていた。
 まず、親父にお袋に言わないでくれ、と説得しないと。

「と……」
「とうとう、家に連れて来たわね」

 見上げなくても分かるが、ゆっくり見上げるとそこにはスーツ姿のお袋。

「……おかえりなさい」
「ただいま」

 後ろで親父が謝るような仕草をしている。

 良かった。危機回避能力よ、良くやった。

「で、彼女は?」
「風呂。姉貴の服、貸して欲しいんだけど」

 こうなっては白旗降参だ。

「ばーか。抜かり無いわよ。ちゃーんとアイリスちゃん専用の服があるんだから!」

 と、お袋は鼻歌を口ずさみながら風呂場に直行している。それを静かに見送って(障らぬ神に祟りなし)俺は親父と小声で会話した。

「……呼んだのか?」
「……まさか! 僕もびっくりだよ!!」

 少し疑わしい。
 そんな視線が伝わったのか、親父はあたふたと弁明する。

「だって、僕だよ!! アイリスちゃんの、女子高生の、可愛い、パジャマ……あっ! そのスウェット似合ってるね! 僕がきょーくんに買ったんだよ~!」
「……はははは、それで蹴り一回チャラです」
「あっぶね、このタイミングで渡して良かったーーー!! 実はそれ……」
「……ん?」
「必要、無かったならいいよ!!」
「……」
「あたっ!?」

 それで俺は何かを察して、親父の頭に手刀を入れた。きっと親父はポケットに余計なものを入れたのだ。

 男二人、ポツンと取り残される。

 聞こえるのはアイリスの悲鳴。

 しかし、すまぬアイリスよ。こうなってはお袋の天下だ。

「大丈夫。何かを持って行ったから着替えだと思うよ」

 と、のんびりした唯一を捕まえる。

「ちょっと、お袋にあの時の事は言わないで下さい」
「えー!!!!」
「お願いします! 俺と親父の秘密ってことで……」
「え……僕と、君と共通の秘密!?」

 俺は何度も頷いた。
 親父がこういう言い回しが好きだって事ぐらいは分かっている。

「手出し、口出ししていい。文句だって。むしろして下さい。俺、あの人苦手なんです。昔から」
「……そうなんだ……」
「昔から、口出しは一致超なのに教育はてんで駄目で」
「あー、そういう属性か……」
「今まで、のらりくらり逃げてたんですが、掴まりましたね~」
「でも、酷いよ!! きょーくんの音楽に文句言うなんて!!」
「……父さん……」
「分かった。きょーくんは僕が守る……!!」
「時期が来たらネタにしていいですから」
「え、いいよ、そんなこと考えないで……」

「いえ、もし他にも俺のような人がいたら、親父の漫画で元気付けられればそれでいいんです」

「……! 父さん、感動したよ!!」

 無意識に二人で両手を握り合う。

「また、何かされたら絶対に言ってね!!」
「……はい」

 これだけでもう充分心強い。

 そういえば、今日で期限の一週間。
 時計を見ると、その時計の針は止まっていて驚いた。

 コツコツ、と画面を叩いたけれど動く気配はない。
 俺は仕方なくその時計をゴミ箱に棄てた。

 その一連の動作を見ていた唯一は何かを察してまた何かを持って来た。

「本当はこっちがサプライズ。大学の推薦おめでとう」

「……父さん」

 小さな四角い箱から出て来たのは腕時計だ。あまりゴツくなく、紐の部分は皮だが文字盤や数字、秒針など所々に青と金色がデザインされていてシックなデザインになっている。きっと宇宙をイメージしたのだろう。
 その時計には小さく世界時計も着いていた。
 ブランド品ではないけれど、相当したはずだ。

「ほら、ずーっと重そうな時計、してたでしょう? 僕、音楽は分からないからさ」

 俺はそれを腕に巻いた。うん、悪くない。大きさも大き過ぎず。

 前々から思っていたけれど、この人はそういう着眼点には相当のセンスがある。

 きっとそういう部分が母と意気投合して結婚に至ったのだろう。

「ありがとうございます」
「良いよ! 似合ってて良かった。僕はきょーくんって宇宙みたいだな~って思うよ」
「え?」
「僕も宇宙も星も大好きだよ!」

 数分後、今度は困惑したアイリスの悲鳴が聞こえた。

「彼女には?」
「後で言います。……ってか言わないと後が怖い」
「分かった、そうしよう」

 どうやら唯一は徹底的に響一の味方でいてくれるらしい。
 今まで、そういう人はいなかったので純粋に嬉しい。

 思わず、こつん、と父さんの背中に頭を置いた。

「ど、どうしたの!?」
「ありがとうございます。父さんの誕生日って何時ですか?」
「一月一日!!」
「……マジですか!?」
「でしょ? だから唯一、なんだ」
「そうですか……」

 俺は妙に納得する。

「きょーくんってそうやって甘えるんだね。後は彼女にしてもらいなよ」
「はい。さて、我らが女帝が怒る前に行きますか」
「……また、一緒にアニメの観賞会しようね」

 その言葉に俺はただ、頷いた。


 悲鳴は浴室ではなく、リビングだ。
 父さんと二人でこそこそと様子を伺う。

「先に僕が行こうか?」
「いや、向こうは俺がご所望だ」

 そういう時は素直に行くべし。

 リビングに広がる光景に俺はただひたすらポカンとした。

 テレビもあるリビングにはソファもある。そこのソファにちょこんと座ったアイリスと左右に姉貴とお袋。

「ちょーかわいい!! 何で、こんな可愛い子、隠してたのよーーーー!!」
「マジエンジェル!! あ、天使バージョンもあるから着て~!」

「あ……あの、ありがとう、ございます……」

 アイリスは何故かウサ耳が付いたフードタイプの寝巻きを着せられていた。

「でも、私? 自己紹介が途中で……」
「何でー? 知ってるわよ!! 私の娘のアイリスちゃん!!」
「妹のアイリスちゃん!!」

 お袋と姉貴に挟まれ、頬やら胸やら好き放題、やりたい放題だ。

 確かに似合っているし、可愛いけれど。意外とクールな所があるアイリスには中々の苦行だろう。

「どーよ、かわいいでしょ?」
「かわいい!!」

 当然のように親父は即答する。

「お前に聞いとらんわ!!」

 俺はアイリスにペットボトルのミネラルウォーターを渡す。

「うっ、せんぱい……」
「うん。かわいい」
「……四面楚歌!!」

「いやいや、違うのよ。アイリスちゃん、響一と一緒にこっち並んで座って」

 ショートパンツまで真っ白だ。
 一応、ジーンズ生地だけれど。やっぱりスタイルがびっくりするぐらい良い。

 アイリスは恥ずかしそうにちょこちょこ歩いてちょこんと俺の隣に座った。かわいい、意外の言葉があろうか。

「うぅ、せんぱい……も、お似合いですね」
「そうか?」

 アイリスはこくこく頷く。きっともっと言いたいことがあるだろうから、後で聞いてあげないと。

 その時、パシャリ、という音がした。

「え?」

「あ、ごめん、ごめん。でも、きょーくん写真苦手なんだ。コツはこうして突然襲撃するんだよ」
「……それ、後で送って下さい」
「良いよ! ずーっと、アイリスちゃんを漫画に出したかったんだけれど、デザインに迷ってて」
「……え、私?」
「そうそう。もう、凄いんだよ! ずっと説明文だけだったんだけど。ネットのレビューが彼女ちゃんを出して! って。天使かウサギか女王蜂か、どっちにしろ白いイメージなんだ」
「……じゃあ、ウサギで……その写真下さるなら」
「へ、いいの?」
「先輩は熊だから……その」

 顔を真っ赤にして答えながら俺の後ろにアイリスは隠れた。それはもう愛らしく、家族全員を骨抜きにする。

「……で、響一。期限の一週間は過ぎたけど」
「ああ」
「唯一はどうする?」
「どうもしなくていい」
「……響一……」
「きょーくん……本当に!?」

 俺は深く頷いた。その言葉にお袋も頷く。

「……そっか。頼んだわよ!! アンタ、今日から親父よ!!」
「うっ、……それ、次の新話のタイトルにしよ……」

 親父は何処までもマイペースでそんな言葉に家族全員は脱力した。

 しかし唯一は何かあるのか、俺を真っ直ぐ見る。

「実は頼みがあるんだ」
「……え?」
「きょーくんのトランペットが聴きたいんだ!!」
「え、えぇええ!?」
「そーねぇ、良いわね! アイリスちゃんもいるし!」
「え、あの、私……」
「僕もギターなら出来るよ」
「へぇー……」
「選曲は二人に任せる」
「え……」

 姉貴とお袋はどうやらもう酔っぱらってるのか、興奮した様子で叫ぶ。

「お、良いねぇー! ってかこのワインうっま」

 確か、そのメーカーはアイリスの実家のワインだ。ラベルに見覚えがある。

「持ってたのか?」
「一応。雨だし、会えるかはともかく、先輩に渡しておこうと……思って……料理酒にも使えるし」
「そうか。悪い」
「いえ、私の誕生日には泊めて色々してくれたし……」
「何だか、誕生日パーティーみたいだな……」
「先輩は四月なのにね」
「アイリスは六月だしな。でも、きっと親戚に誰かいるよ」
「そうですね」

 蓮華家にも、俺にも。
 アイリスの実家にも、アイリスにも。
 誕生日パーティーを盛大にやる習慣は無かった。お互い、それとなくプレゼントを送ったり、相手を労ったり。それが共通していたのでこういう形になっていた。当時は忙しかったから、という理由もあるので俺もアイリスに何か送ろうと思案していた所だったのに。

「一緒に吹きます?」
「……良いのか?」

 アイリスは頷いた。

「曲は何にする?」

「え、私が決めるんですか?」

 親父とお袋、姉貴の視線はそうだ、と言っている。

「……うーん、じゃあ、木星……はどうですか?」
「うん、吹けると思うよ」

 アイリスはトランペットケースの上蓋の収納部分にあった楽譜を取り出し、二人に渡す。きっと俺が宇宙が好きだと知って覚えてくれたんだろうな。
 この曲、イギリスと関係がある曲だ。
 確かフランスとイギリスは歴史的に見ても因縁がある。それでも、この曲を選んでくれたのだ。


「えっと……うん、大丈夫、コード分かるよ。あれ、お姉ちゃんは?」

「私、楽器出来ないのよー」
「じゃあ、歌う~?」
「冗談。私は音痴なので観客です」
「写真、撮って!」
「任せて!!」

 と、姉貴は何処からか酒のツマミを取り出した。お袋は既に観客気分で。

「あ、クラシックの方か。じゃあ、僕低音ね。ベース持ってくる」
「え……音楽、分からないって……」
「吹奏楽の音楽、はね! やっぱり、その辺って違うじゃん?」

俺は密かに感動した。
だって普通、ギターもベースも弾ければそれはもう音楽が出来る人だ。

それなのに、この人はそれを振りかざさず。ただひたすら俺に合わせていたのだろう。


「主旋律は……」
「当然、先輩です!」
「……はい」

 こうして、ふんわり演奏が始まった。

 姉貴は家の照明落としたり、お袋の酌したり。何だかんだ、実は良く働くのだ。

 俺は何も考えず、好きに吹いた。
 大丈夫。アイリスがいるから問題はない。

 家族に聴かせるのは随分久々だ。

 俺もこの曲、というか『惑星より』は好きだ。小型の音楽プレイヤーに全部収録されているぐらいは。

 どうかと思ったが親父のベースも中々達者だ。

 やっぱり、思いっきり吹けると気分が晴れる。選曲もいい。

 それにアイリスは随分と表現力が増した。

 あの時、進路の会話をしたのが切っ掛けだと思う。何かが吹っ切れたのだろう。

 完全な合奏には少し楽器が足りないが、それでもちゃんと曲になった。

 曲が終わると、お袋と姉貴の雑な拍手と共に電気が点く。

「へぇー。響一って上手いのね~!」

 そんなお袋の言葉に、唯一とアイリスが勢い良く立った。

『超絶巧いんです!!』

「こりゃまた綺麗なハモり。アイリスちゃん、泊まってく?」
「え、はい。いいんですか?」
「おっけー、おっけー! たまには女たちで料理するからさ。アイリスちゃんは響一の部屋に居なさいよ」
「っ、手伝います!!」
「有り難いけど、お客様だしね。プレゼントも貰っちゃったし。響一」
「おー」

 慌てるアイリスにそっと耳打ちした。

「お袋に逆らうべからず、だ。話、聞くから」
「……はい」

 久しぶりだ。
 久々に、家族に演奏を聴かせてもいいか、と思えた。

 俺は思わず、アイリスを抱えながら部屋に籠ってドアをパタンと閉めた。

「びっくりした……」
「ちょっ、びっくりしたのはこっちです!!」

 腕の中にいるアイリスからぴょっこり、うさ耳が出る。

 真っ白なもふもふと、茶色のベルトが付いたショートパンツ。そして何故かニーハイ。微妙にコスプレ感を回避している。

「かわいい……」
「これもお父様さんが選んでくれたらしいですよ。なんだ。センスある人じゃないですか」
「ああ、実はセンスはある人なんだ。けど、ああ言わないと親父が勝手に姉貴の部屋に入ることになる……それはヤバい」
「……不味い、んじゃなくてヤバい、んですね」

 俺は頷く。

 女の部屋に勝手に入るべからず。

 これは姉、妹を持つ全ての人間が守るべき鉄の規則だ。

 家族とてプライバシーは重要だ。

 アイリスは俺の部屋にまたちょこんと座っている。

 でも、やっぱりちょーと怒ってます、という表情だ。可愛い。

「よし。話を聞こう」
「何で、何で、何でお母さんにちゃんと言わないんですかーーー! いいお母さんじゃないですか。最初はびっくりしましたけど、お風呂上がりの私見て速攻で捕まりました」
「だろうな」
「……それで、大丈夫だった? って……」
「お袋……」

「……はい! 私は響一とくっついてお話したいです!!」

 と、アイリスは俺のベッドにぽん、ぽん、と手を置いた。

 これで一体、何をご所望かは分かった。

 俺は立ち上がってベッドに腰掛けようとするとアイリスに飛び付かれた。

「ていっ!!」

 耳のせいでウサギみたいだ。

「良い人、だからだよ。話せばお袋はアイツに会わなきゃいけなくなる。それは酷だ」
「そうだけど……」

 大きな瞳が俺を真っ直ぐ見下ろす。そろそろ、腰を撫でると何かぽんぽんがある。……尻尾が付いていたんだな。

「おっ、尻尾だ」
「え? 本当だ。かわいいけど……柚に着せたい」
「似合うだろうけど、親父が喜ぶだけだぞ」
「……その光景が浮かびますね」
「きっと篠宮は違う動物だな」
「え~! 一緒にウサギ!!」
「それだと見分けが出来ないよ。……青い鳥かな」
「じゃあ、彼氏は?」
「キツネじゃないか?」
「あー……朝倉先輩かと思った」
「アイツはササニシキ」
「何で固有名詞なの……先輩に耳はないの?」
「要らないだろ……」
「要ります!! 熊要素黒シャツだけ!? って、こんな話はともかく、ねぇ。先輩、本当にいいの?」
「良いんだよ。……とにかく親父という味方も出来たし。……ただ、再婚なんて知ったら荒れるだろうから注意はしないと」

 ぽふぽふ、とアイリスの頭を撫でる。台所から不思議な匂いがした。これは……。

「ボルシチ!!」

 ぴこんとアイリスが起き上がる。

「へ!?」
「さっすが、分かってる!! ボルシチには赤ワインですからね!!」
「悪いな、アイリス。俺は呑んだ事は勿論無いけど多分下戸だ」
「大丈夫、そんな気はした」

 何をしようにも空腹を誘惑する匂いに二人で苦笑する。


「また今度な」
「ほーう。それは次は先輩から誘ってくれる、ってことですね!!」
「……っうっ……努力しよう。けれど、一回こうなると、これからもどんどん増えるぞ」
「良いですよ。楽しいし」

 アイリスは俺の上でぱたぱたと転がる。

「それに、響一が楽しそうだから良いです」
「そうやって……」
「でも、いつかマルコーに会ってやって下さいね。あれから何回かメッセが来て先輩の事気に入っちゃったらしくて」
「ああ」

 ころん、とベッドに転がるアイリスを捕獲して抱き寄せる。


「あの、えっと、あの人、……何て呼びます!?」
「親父の方がネーミングセンス良いから、考えて貰うよ」
「いつか、打倒しましょうね!! 絶対!!」
「……大丈夫。舞台はもう用意されている」
「……え?」

 仕方なく俺は戸棚から一枚の紙をアイリスに渡す。

「……え」

 それは全国大会の広告プリントだ。そこに記載されている審査員の項を指差す。

「……これ、アイツ」
「……うそぉおおおお!?! 超有名な作曲家じゃないですか!! 先輩、ある意味サラブレッドなの!?」
「結果的にな。けど、コイツは本当に厄介だぞ。俺が出る度に勝手に父親面してあーだ、こーだ評論して来る。それが直接結果に響くこともある」
「私と出会ったばかりの時、先輩の……あの無関心さはこれが原因か……」
「それもあるだろうけど、色々時の運が重なったな」
「悪い方向に……?」

「いや、君と出会えたんだ。悪いことばかりじゃないな」
「もー、そうやって」

「今の親父の方がずっといいよ。とにかく気は使えるし、余計な事は言わないし。後は女に囲まれた時、空気になる術さえ修得出来ればパーフェクトだ」
「何、それ……」
「因みに、マルコーも使えるんだぞ」
「ちょ、想像以上に仲良くなってない??」
「そりゃ、兄ちゃん呼ばれたらなぁ」
「何、話してんだか」

 それは秘密。というか知らない方がいい。

 最近は何故か、マルコーは俺を兄ちゃん、と呼び勝手に今までアイリスに近付いて勝手に彼氏面していた男友達の名前を列挙してくる。

 きっと情報提供してくれているのだろう。そいつらに姉に彼氏がいることを言いまくったそうだ。

 それは壮絶だったろうけれど、俺の知るところではないのでそんな彼らに合掌した。

「ふん、ふん!! この匂いは……もう出来ます! やっぱり手伝って来ますね!」
「ああ、俺も行こう」

「……先輩」
「……ん?」

「絶対に全国に行って、アイツぶちのめしましょう!」
「ああ」

 部活動に個人的事情を持ち込むな、なんて良く人に言えたものだ。一番、個人的事情で雁字搦めになっているのは俺自身なのに。

 けれど、少し。

 アイリスと出会ってから。

 その屈強な紐がほどかれて行くような気がした。
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