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第六章 とある星の光り方
二の幕 騒動のハジマリ
しおりを挟むさて、暁家にて暁家の門下生である桜小路鏡一狼は顔をしかめている。
彼の現在の生活拠点である暁家の、師の和室に呼び出される時は大体、目の前に師が座っている。
そしてそこは大体が真面目な話をする場である。
通りすがりの千明はまた面倒なことを押し付けられたのだろうと察した。
「俺が……ですか?」
「お前がこういうことに一切の興味がないことは分かっている。しかし、世間はそうはいかん」
どっしりと碁盤の前に座る師は現在九段。
鏡一狼は父の内弟子であり暁家門下生である。
そして近来将棋に比べれば地味だと言われ続けた囲碁の棋士だ。
桜小路七段。
タイトルをもう一つ取り四段から一気に七段に上がったのだ。
元々、四段の中でも規格外と言われていたから驚かれはしたが納得もされた。
そんな彼は困った顔をしている。
「そりゃまぁ、おやっさんの頼みですから……応えない訳には行きませんが……」
そう言う彼の表情は珍しく困惑していた。
リーグ戦において自らの師を前にしても、同門を前にしても、あれだけ無表情、無情に囲碁を打つ青年が。
「何を渋る。確かにお前の経歴は少し変わっておる。それを洗いざらい話せとは言わん。いつもの通り、にこやかにあしらえ」
「そう言われましても……」
「一年でプロに、二年でタイトルホルダー、三年で本因坊、しかも高校生とくれば世間は」
黙っていないだろう。簡単な記者会見はした。新たに目指すは名人。正しく流星のような速さで囲碁界を駆け上がった青年は高校生だ。
普通、中学の間にプロになった場合は進学しない者が多い。
しかし、彼は何とか、単位を補習でカバーしつつ、高校生として学校に通っている。
色々な事情があり小学生の頃から暁家で面倒を見てもらっているが、それら学費含めて全てを賞金で清算したのだ。
まさかそのためにタイトルホルダーになったのかとも思ったが、問えばそうだと言われた時に千明は何と言えばいいか分からなかった。
鏡一狼は優秀な碁の棋士だった。
そして、優秀な家族だった。
彼がどう思っているかは分からないが、千明は鏡一狼を兄当然として慕って来たつもりである。
数分の時が経った。和室には時計がないので日の傾きにより判断する他ない。
「……分かりました。正直、気は進みませんが」
彼はにこやかに微笑む。まるで深い湖面のような翡翠の瞳。
柔らかな茶色にさえ見える髪は、ばらんに上へげられていた。容姿に見合った身長はスーツさえ着こなす。
確かに、あまり表へ出すべきではない。
無表情な少年は美しい好青年に成長した。
「お前、あのダサい眼鏡は掛けないのか?」
「あれは仕事外の変装用です。本因坊戦と同じような髪型の方がいいでしょう。皆、馬鹿にしますけど、実用性あるんですよ」
彼は都合上、囲碁の仕事と学校とプライベートでそれぞれ風貌を変えている。
鏡一狼曰く変装、らしい。
「そうか、そうか」
「着替えます」
そう言って彼は立った。
仕事があった日は大抵、鏡一狼は帰ってくると風呂に入って寝てしまう。
そして夕飯になるまで目が覚めないのだ。制服で試合もすればいいと思うだろうが、何でも煙草の臭いが移ることを最も懸念しているらしい。
制服と仕事着はわざわざ別にしている。
例え同じシャツでも、別のYシャツに着替えるぐらいだ。
一回風呂に入って出てくれば完全にオフモードで髪はさらさらと下に降りて戻り、ただのシャツに部屋着のジャージを着る青年だった。
まるで別人のように。
彼はそのままふらふらと千明の部屋にパタンと入る。
しばらくして、千明はふらふらと和室に顔を出した。
「なんだ、帰ってたのか」
千明から返事はない。
ヘッドホンから音量大のロックが聴こえる。
父は強引にそのヘッドホンを引っ張った。
「返事は!」
「……ただいま」
「飯、七時だからな。鏡一狼を起こせ」
「鏡一狼さんなら勝手に起きるだろ」
「お前は……」
「起こしても悪いし、静かに宿題しまーす」
と、ヒラヒラと片手を振って自分の部屋に戻った。
扱いが間違っている、と叫びたそうな父の顔を背に廊下を歩いた。
姉の朋子、千明共に囲碁に全く興味がなく、才能もなく、それなのに何故か鏡一狼を長兄と慕っている。
千明なんて部屋がないという理由で鏡一狼と同じ部屋だが文句一つ言ったことがない。
幼い頃は二人して自慢のお兄ちゃん等と言ってべったりだった。
それは今もあまり変わらないのかもしれない。
二階の部屋に入ると鏡一狼は既に千明のベッドの上で健やかに寝ていた。
普通、自分のベッドに他人が寝ている、というのも嫌なものだが鏡一狼との付き合いは長い。
今更、嫌だとは思わないし、そもそも彼は寝る前には必ず風呂に入ってから寝る。
匂いに過敏なのは千明だった。
鞄を部屋の隅に下ろし、制服を脱ぐ。
今更だが、ブレザーというのは面倒な制服だと千明は思った。ネクタイを外して、シャツを脱ぎ、ハンガーに掛けるのも面倒だ。
「千明、おかえり」
「起きてたんですか?」
「寝かけてたんだよ」
もっそりと鏡一狼は起き上がって欠伸をしている。
「試合があったんですか?」
「うん、名人の門下生……息子だったっけ、中押しだったから早く終わった」
ズルズルと制服を脱ぎかけて面倒になった千明はそのまま諦めてベッドの真横に座る。
「相変わらず負けなしっすね」
「うーん、消化不良なんだよなぁ。最後まで打ちたかった」
「それって死体蹴りって言うんですよ」
千明は囲碁の知識がある訳ではない。
オセロとは違う、ぐらいにしかない。
それでも鏡一狼が鬼のように強いことは知っていた。
「それはもちろん分かってるよ。中々面白みのある勝負だった訳だ。けど、向こうが賢くも優等生だから途中であっさり」
「本当、最後まで打つの好きっすね。普通はさっさと終らせるもんでしょ?」
鏡一狼は少し癖のある、しかし艶やかな千明の黒髪で遊んでいた。夕暮れ時の光源により、千明の髪は黒が綺麗な濃い紫色へとグラデーションを作っている。
「だって相手のために最後まで考えた策略だよ。実戦したいし、抗ってくるような棋士が好きだよ。勝ち負けは結果だね。まぁ、負けないんだけど」
千明はもう一度、最後の力で制服から家着に着替えた。こうなると、もう宿題なんてする気は起こらない。
ネクタイは床に落ちたまま、自分のベッドに潜った。確かに、彼は強い。とにかくボードゲーム全般が鬼のように強い。オセロだろうが、チェスだろうが、将棋だろうが、その辺のプロより強い。
元々頭の作りが違うのだろうと千明は思っている。
しかし、そんな彼は無敵な訳ではない。
「こんなに早く終わるなら、帰って補習受ければ良かったのに、電車が遅れたんだ……」
「代わりに底無しの運のなさ」
幸運、というパロメーターがあるのなら彼は間違いなくゼロか、マイナスだろう。
「うるさい。おやっさんには厄介なことを頼まれるし、もう寝る」
モゴモゴと鏡一狼は寝返りして布団に潜る。
「ふて寝って何を頼まれたんですか?」
「……テレビ出演」
「あ?」
その言葉に千明はきょとん、とした。切れ目の、人から目付きが悪いと言われる瞳が大きく見開かれる。
千明の瞳の色は夕暮れの色とはまた違う、鮮やかな橙色の瞳だった。
まただ。最近、妙に増えた気がするのは気のせいではない。
そして、鏡一狼は夕食の席で自分が出るであろう番組を見せられて、ぽろっと摘まんだおかずをご飯の上に落とした。
「こら、行儀が悪いぞ」
「え、いや、えぇええ?」
霊的な物を扱う国民的バラエティ番組だ。
「マジで? 鏡兄あれ出んの?」
いつもテンションの低い朋子さえ食い気味で喜んでいる。
千明は、ふーん、と一言。
「何で俺が……」
「何でも、負けなしのお前の事情を霊的なパワーで探りたいそうだ」
そうきたか、と千明も関心する。
これは確かに鏡一狼が嫌がりそうな仕事だ。
彼は囲碁の棋士であるが、同時に陰陽師でもある。
「……絶対に今と違うと思わせよう」
と、鏡一狼は謎の志を立てていた。
「まぁ、鏡一狼さんのあの普段の……学ランに今時漫画のキャラでもかけないダサ眼鏡ならバレないでしょ」
鏡一狼曰くそれは通学用の変装、らしい。
「うるさい! 笑顔で座ってるだけですからね!特に面白くもないでしょう」
「なら、それはそれで次は呼ばれんだろうが。それでいいだろう」
「う、うぅう……」
そう言っていた割りには次の日の朝、鏡一狼は完全に仕事モードで玄関に立っていて、流石の千明もポカン、とした。
前髪は上に整えられて、仕事用のダークブルーのスーツをピッシリと着こなして、堅い表情で立つ桜小路七段。
「ネクタイの色、どうしよう」
「カラーシャツなら白でいいんじゃないですか?」
シャツはスーツより濃い色をしたダークグレイ。
見立てたのは千明の母親だ。
母は相変わらず、ファッションセンスにおいて秀でている。
その血は少しぐらいは千明にも流れているので、選んだ白のネクタイは間違いなく彼に見合う物だった。
鏡一狼は手慣れた手付きでネクタイを結び、最後に金色の五芒星が線だけで結ばれた平たいネクタイピンを差した。
確かに完全に別人である。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
千明はヒラヒラと手を振った。
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