上 下
1 / 27

仮想世界の住人はアバターで生きてます

しおりを挟む
「ターゲット捕捉。レーザー光線を射出」


 高層ビルの立ち並ぶなか。ノウノ・キャロットは、逃げ回っていた。


 人がひとり通れるぐらいの路地裏に潜り込む。身体を横にしてカニ走りのように進んでいく。


 そんなノウノを、追跡ドローンが追いかけてくる。「ターゲット確認」と機械音をあげて、赤いレーザーを放ってくる。


「お、おわわわっ」


 路地裏を抜け出して、すこし太い道へと抜け出した。


 間一髪、レーザーを躱した。


 空ぶったレーザーは、ガラス張りの建物の壁に直撃していた。カフェか何かだったのかもしれない。
 中に居た人たちが、「おや?」という表情をしているのが見てとれた。
 しかし、建物に傷がつくことはない。レーザーが当たった壁には、ジジジ……とノイズが走るだけだ。


 ドローンは空ぶったことを気にも留めず、ノウノを追いかけてくる。


 ふたたびレーザー。
 今度は避けきれなかった。


 ノウノの膝あたりにレーザーが直撃した。激痛というほどではない。注射を刺されるような鋭い痛みが走って、思わず屈みこんだ。


「くそぅ。こんなところで死んでたまるか。ぜったいVDOOLになってやるんだからっ」


 後ろからドローンが迫って来ている。銃口らしき穴が、赤く光っているのが見えた。ふたたびレーザーを撃とうとしているのだろう。 

 
「どりゃぁぁぁ!」


 ドローンの高度が下がっていた。この距離だったら、届く。そう思った。ノウノは意を決して、ドローンに跳びかかった。


 ドローンのレーザーが射出される。躱せる。そう感じた。身体をひねろうとする。しかし、考えていたように身体が付いて来ない。首をひねって、辛うじてかわした。頬のあたりを、レーザーがかすめる。頬に注射のような痛み。ジジジ。ノイズの走る音。でも、届く。届くはずだ。


 ぐっと手を伸ばす。あぁ……。ダメだ。ドローンはまるでノウノのことを小馬鹿にするかのように、ひょいと後ろに下がった。
 ノウノの手が空中でクロールをするかのように、空を切る。


「くっ……」
 あと少し手が届けば……。


 やっぱりこんな身体では、VDOOLには届かないのか。


 時間の流れがゆっくりに感じる。自分の身体が重力計算に負けて、落下していくのがわかる。空。今日は雲ひとつない晴天。陽光を受けて、ドローンが銀色の身体をにぶく光らせている。


 ドローンはふたたび銃口を、赤く光らせている。見えている……見えているのに。頭では、わかってるのに。身体が追い付かない。ドローンはレーザーを射出した。


 ピュン、ピュン――と、レトロゲームみたいな嘘くさい電子音が響く。ノウノの額にレーザーが直撃した。


「ぐはっ」
 額に鋭い痛み。まるで空中を泳ぐかのように浮いていたノウノは、地面に叩き付けられることになった。

 
 仰向け。恒星がまぶしい。アスファルトの地面。背中が熱い。起き上がろうとして、寝返りをうつように身体を転がした。


 そんなノウノの背中に、ドローンがレーザーを撃ちつけた。


「痛いっ。痛いって! ギブ。ギブ!」


 ノウノがそう叫ぶと、ぶーっ、とまるでクイズに不正解したみたいな音が響いた。その音を受けて、ようやっとドローンは撃つのを止めてくれた。容赦のないドローンである。背中がチクチク痛む。


 うつ伏せに倒れ伏しているノウノの目の前に、青いウィンドウが現れる。


「株式会社エモーションより通達。ノウノ・キャロット。1次選考落選」


 ウィンドウの右上に出ているクローズボタンを押すと、ウィンドウが消えた。


「はぁぁ」
 やはりダメか。


 VDOOLの応募は、これで24社目である。株式会社エモーションは、今もっとも伸びている企業であり、トップ企業であるロジカルンを上回る勢いだという噂を耳にした。狙い目だと思ったが、高望みだったのかもしれない。


「くそっ」
 コブシを地面に叩き付ける。アスファルトの地面に、ジジジとノイズが走る。拳が痛くなった。それだけだ。


 気だるげに立ち上がった。帰ろう。株式会社エモーションには、何か挨拶でもしておいたほうが良いんだろうか? まあ、別に良いよな。落選してるんだし。


 ノウノはとぼとぼと大通りに出た。いままで聞こえなかった喧騒が、どっと耳に押し寄せてきた。
 大通りでは、いろんな人が行き交っている。ロボットの形をしている人。ゴミ袋の形をしている人。戦車の形をしている人。宇宙人みたいなヤツから、蟻みたいなキショい形のヤツもいる。
 各々のアバターである。かくいうノウノも人の形ではない。ウサギの着ぐるみみたいな形をしている。


「おい急げよ。女王が来てるんだって」「マジで? コンサートか何か?」「いや。ロジカルンが次世代アバターの販売を開始するから、それのお披露目だって」……。行き交う人たちの会話が聞こえてきた。


 女王が来てるのか――。


 見に行こうか迷った。べつに行くあてもない。考えるよりも先に、足が動いていた。女王がいる具体的な場所はわからなかったが、わざわざ端末で調べる間でもなかった。雑踏の流れに身を任せていると、女王のいる場所へとついた。


 女王とは言っても、べつに王権神授説のうえに顕現しているわけではない。あだ名だ。トップ企業ロジカルンの広告塔。看板VDOOL。この世界において、もっともフォロワー数が多く、彼女がなにか呟けば、それが世界中にまたたく間に浸透する。だから、女王。


 女王は、壇上に居た。


 ひときわ高いところから、まさに女王よろしく、群がる民衆を睥睨している。紫色のロングヘアー。一本一本が繊細になびく。端正な顔立ち。計算され尽くした美しい四肢。紫色の髪の毛を基調にした、青と白い軍服のようなものを着ていた。まるでスポットライトのように、陽光が女王に向けられていた。


「女王。最強のVDOOL」
 と、ノウノは独りごちた。


『VDOOL』というのは、企業の広告塔インフルエンサーのことを言う。


 我が企業には、これだけのアバターが作製できますよ、というアピールになる。悪い言い方をすれば、マネキンである。が、ただのマネキンではない。大量のフォロワーがつく。金がうなるほど入ってくる。世界からチヤホヤされる。誰しもが憧れる存在だった。


 ごらんください――と、男の声がひびいた。おそらくロジカルンの社員なのだろう。司会役だろうか。


「これが我が社ロジカルンの技術を駆使したヴァージョン3・0です。このバイナリー・ワールドにおいても、指先の神経までリンクしており、細かい作業まで難なく行うことができます」


 女王が、みんなの前であやとりをして見せていた。女王の指先が器用に動いている。やはりロジカルンはすごい。このバイナリー・ワールドのなかでは、思ったように動けないことが多々ある。細かい作業などは特に難しい。ノウノの身体なんて、ふやけたソーセージみたいな指が3本しかない。あやとりなんて、このアバターでは、出来そうにもない。


 私も、あれぐらいのモデルがあれば、さっきの試験だって通過できたのになぁ、とノウノは思った。


「それでは、VDOOLによる模擬戦を行ってみましょう。今回のヴァージョン3・0では意識モデルとのフェッチ速度も向上しており、またより滑らかな挙動を可能にしています」


 各企業は、自社のVDOOLを使って、他社のVDOOLとバトルをすることが多い。


 バトルはアバターの動きがよくわかるし、他社のアバターとの性能差も、目に見えてわかるからだ。
 配信映えもするし、勝てばフォロワーを獲得できる。むしろ、それがVDOOLの本業とも言える。
 まあ、早い話――
 企業の代表として、他社のアバターを粉砕するのがVDOOLの役目である。


「どなたか、この女王と手合せしたいと思う方はいらっしゃいませんか?」
 司会役がそう問いかけてきた。


 今回は模擬戦ということだから、他社とのバトルじゃなくて、この場で相手を見繕うらしかった。


 観衆がざわついた。
「どうするよ?」「お手合わせしてもらったら良い経験にはなるだろうけどさ」「どうせ勝てないし、惨めになるだけだよな」「俺もバックについてる企業があるから、勝手にバトルはできないわ」……とのことだ。


 ウサギアバターの胸裏にて、どくん、と心臓が高鳴った。


「私、やります!」
 と、ノウノは挙手した。


 ノウノのアバターは自作である。べつに企業のバックアップがついているわけではないし、負けても誰にも迷惑はかからない。勝てずとも見どころがあれば、ロジカルンから声がかかるかもしれない。24社も選考落ちしてきたのは、このときのためだったのかもしれない。ロジカルンは最強企業である。拾ってもらえれば御の字だ。
「おーっ」と、観衆からは拍手と声援がおくられた。


「それでは舞台に上がってください」
 と、司会役が言った。


 壇上にのぼる。下から見ると、たいして大きな舞台には見えなかった。実際に上がってみると、途方もなく広く感じられた。


 白い舞台。
 正面。
 女王が紫色の髪をなびかせて、ノウノのことを無感情に見つめていた。


 勝てない。それはわかってる。でも、せめて一発ぐらいは殴る。


「それでは、カウントダウンを行います」


 巨大なウィンドウが、空中に表示された。ウィンドウには「3」の文字が現れる。「2」「1」「GO!」。先に動いたのは女王だった。


 気づくと女王は目の前にいた。意表を突かれたということもあり、ほとんど目視できなかった。
 だが、反応はできた。


 女王が下から拳を突き上げてくる。ノウノは上体をそらして、それを躱そうとした。


 ダメだ。
 アバターが動かない。


 女王の速度に追いついていない。顎にまともに拳をくらった。身体が浮き上がるのがわかった。態勢を立て直そうとするものの、アバターが言うことをきかなかった。そのまま仰向けに倒れこむことになった。
「そこまで」と司会役がストップをかけた。


 え?
 終わり?
 あまりにも呆気ない。


「ま、まだ……」
 まだやれます。そう言おうとした。女王が、ノウノを覗き込んできた。「ザコ」。そうつぶやくと、脇腹を蹴りつけてきた。ノウノは転がるようにして、舞台から落っこちた。


 痛覚設定には上限が決められているはずだが、それでもけっこう効いた。


 左の脇腹に鈍痛が与えられた。転がり落ちた衝撃で、あちこち痛んだ。さっきの株式会社エモーションの選考のときに受けた痛みも残っている。


「次の挑戦者は、いらっしゃいますか」
 と、司会役はもう話を進めてしまっている。


「やっぱりロジカルンは凄いなぁ」「俺も次はロジカルンのアバターに変えようかなぁ」「よく言うぜ。そんな金ないくせに」「ロジカルンのアバターを買えるのは、社長ぐらいにならないとな」……観衆がそう呟いている。


 ノウノの話題にはいっさい触れられない。まるでボロ雑巾にでもなった気分だ。


 観衆のなかに落っこちたノウノは、おもむろに立ち上がった。瞬殺すぎて、悔しいという感情も沸いて来ない。ただただ惨めである。


 帰ろう。
 そう思ったとき、ノウノのウサミミが反応する言葉があった。


「やっぱり女王に勝てるアバターなんてないよな」「エルシノア嬢ぐらいじゃなくちゃな」「たしかにエルシノア嬢なら勝てたかもな」「女王もすごいけど、やっぱり俺はエルシノア嬢のほうが好きだな」「たしかにエルシノア嬢は凄かったけど、今は垢BANされてるんだろ」「違法なアバターを使ってたとかで」……。


 エルシノア嬢。


 この世界。バイナリー・ワールドにおいて、ロジカルンのVDOOLが常に、トップに君臨している。
 トップに君臨しているというのは、フォロワー数がいちばん多いということだ。フォロワー数の多さこそが、最強の証である。世界を従えるチカラを持っているということだ。


 しかし、一度だけ、ロジカルンのVDOOLが敗北したことがある。彗星のごとく現れたVDOOLだった。
 無名の企業が出したアバターモデルで、その名前はエルシノア。最強ロジカルンのアバターを上回る性能を見せつけたのだ。


 実際、バトルで女王を圧倒した。
 最強企業ロジカルンのアバターを負かしたのだから、大事件になった。


 ロジカルンはそもそも私企業ではない。独立行政法人という位置づけになっている。詳しい経営態勢はわからないが、国家の一機関である。そりゃ凄いものが出来る。その国家機関のアバターを、無名企業が上回ったのだから事件にもなるというものだ。


 エルノシア嬢は、またたく間に有名人になった。


 しかしほんの数ヵ月で姿を消してしまった。
 どうして消えたのかは、ノウノは詳しくは知らない。噂によると、違法なアバターを使用していただとか、エルノシア嬢のバックアップを行っていたところが、架空の企業だったとか何とか……。
 架空の企業が、ロジカルンを上回るアバターを制作できたのかという謎も残る。


 エルシノア嬢について、ノウノがちょっと詳しいのは、ノウノもエルシノア嬢のファンだったからだ。実はフォローもしている。こっちが勝手にフォローしてるだけで、エルシノア嬢からは認知もされていなかっただろうけど。


 今は、エルシノア嬢のアカウントは凍結されているようで、死んだように反応がない。


「ん?」


 膝裏に突かれたような感触があったため、振り返った。頭部がカメラの姿になっている小人がいた。ノウノはウサギの着ぐるみみたいな姿をしているが、そのノウノの膝あたりまでしか背丈のない小人だった。


 アバターに体格差はあまり関係がない。大きさにはある程度、規約があるけれど、アバターを交換すれば大きさはいつでも変化する。ここで言う、小人、というのは、一般的なアバターの大きさに比べて、小さいという意味だ。


 っていうか、頭がカメラの形になっていることに比べれば、身体の大きさがどうといった話は些末な問題である。


 カメラ小僧は、群衆をかきわけて抜け出して行く。振り向いて、手招きをしてくる。私を呼んでる? 女王のお披露目会はもう良い。帰ろうとしていたところだ。この場に居るのが恥ずかしいぐらいである。この場から離れる理由を見つけた気がして、ノウノはそのカメラ小僧に付いて行った。


 もしかして、株式会社エモーションの人が私のことを呼びに来たのではないか、と思った。1次選考落選は何かの間違いで、もう一度、選考のチャンスが与えられるのかも……と、淡い期待を抱いた。


 カメラ小僧はマントのようなものを羽織っており、身体部分がどうなっているのかは、わからなかった。もしかすると、身体はないのかもしれない。手抜きモデルなら、そういうこともありうる。


 高層ビルに挟まれた大通りを歩いて行く。陽光を受けて、ビルがまばゆく反射している。ほとんどの人が、女王にくぎ付けになっているせいか、人通りはすくなかった。
 女王の観衆からは、拍手の音が響いてくる。何かあったんだろうか? もしかしてまた挑戦者が倒されたのかもしれない。


「あ、あの……」
 と、カメラ小僧の背中に、ノウノは声をかけた。


 カメラ小僧は、株式会社エモーションとは、別の方向に歩いているらしかった。ノウノをどこに誘おうとしているのか、わからなくなったので、その小さい背中に声をかけたのだった。


「VDOOLになりたいんじゃろ」
 カメラ小僧は思ったよりも、透き通った声でそう言った。


「どうして、わかるんですか?」


「ここ最近の、VDOOLへの応募者を観察しておった。オヌシには見どころがある。意識モデルの処理速度は良い。ただモデルがポンコツなだけじゃ。もう少しマトモなアバターを用意すれば、オヌシは輝ける」


 つまり、スカウトか。
 ちょっと感動してしまった。今まで24社落ちてきた。どこも拾ってくれなかった。ようやっと見る目のある人が現れたのだと思った。


 いや、しかし待てよ――と、同時に警戒心もかまくびをもたげる。怪しい話かもしれない。


 仮想通貨をハッキングで奪われたりとか、アバターにウィルスを混入されたりする事件も世の中にはあって、ときには卑猥なアバターを見せつける事件などもある。このカメラ小僧も、マントをがばっと開けば、卑猥な姿をしているかもしれない。


「どこかの企業の方ですか?」


「うむ」


「企業の名前を聞いても良いですか? い、いや。疑っているとかではなくてですね。今まで私が応募した企業なのか気になって」


 不審者かもしれないが、もしどこかの企業の関係者だったら、疑ったことが失礼にあたる。しかし不審者でないかどうか確認しておきたかった。


「小さい企業じゃ。聞いたことはないかもしれない」


「でも、せっかく声をかけてくださったのだし、教えてください」


「クロディアス。ただの個人企業だ」
 と、カメラ小僧はつぶやくように言った。


「クロディアス……。それって」


 かつてエルシノア嬢をバックアップしていた企業である。冗談を言っているような口調でもない。
 しかし、その企業は存在していないはずだ。
 架空企業だったとか、噂を耳にしている。


「信用できないのも無理はない。しかし吾輩は、オヌシにおおきなチカラを授ける準備がある。もしも、女王を上回るインフルエンサーになりたいと思うならば、付いてくると良い」
しおりを挟む

処理中です...