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魔女の安否
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手術中。
赤いランプがともっていた。
エモーションは意識モデルの治療もやっているということだった。エモーションの本社ビルの屋上に降り立つやいなやエダは気絶してしまった。
よほど無理をしていたのだろう。
そのまま救急隊に担架で運ばれた。
そして手術という運びになったのだった。
白い無機質な廊下だった。いつだったか、セキュリティ会社にしょっ引かれたときのことを思い出す。
白い長椅子が置かれていた。ノウノはそこに腰かけた。
となりにはクリナが座っている。
「ビックリしましたよ。エダさんが、あのエルシノア嬢だったなんて」
「私も、はじめて聞いたときは驚いたわ」
「ロジカルンも大変なことになってますね」
「ええ」
ノウノは端末を開けた。ディスプレイ。ニュースが流れている。「ロジカルンの不正」「問われる国の信用」「女王の失墜」……といったものだ。「魔女の目撃情報」「空を飛ぶ謎のVDOOL」……といった記事も見受けられた。
ノウノは自分のアカウントも確認してみた。
「現場でノウノさまの姿を見かけたっていう情報もありますけど」「ご無事ですか?」といったコメントが寄せられていた。
安否を知らせるために、何か反応したほうが良いんだろう。面倒だ。ディスプレイを閉じた。
「学園のほうは、どうなるんだろ」
と、ノウノはつぶやいた。
「どう、とは?」
と、クリナが応じる。
「学園を運営していたのもロジカルンじゃない? ロジカルンが解体とかされたら、学園もなくなるのかな――って」
「学園は、株式会社エモーションが継ぐことになっています」
「そうなの?」
「はい。VDOOLという文化がなくなるわけではありません。各企業が己の技術を誇示する場所は必要ですから」
手術中のランプは灯ったままだ。エダならば大丈夫だろうという謎の安心感が、ノウノの中にはあった。
とはいえ、すこし不安ではある。
一抹の不安が、ノウノの心に動揺を与えていた。
クリナは目を伏せたり、ノウノの表情をうかがったりしている。
ノウノの心境を慮って、話しかけて良いのか迷っているようだった。黙っていると不安になるから、話しかけて欲しい。
ノウノのほうから切り出すことにした。
「私、これからどうしようかなぁ」
「エダさんが完治すれば、学園に戻れば良いじゃないですか」
「でも、プレッシャーなのよね。300万人もフォロワーを抱えてるのは。贅沢な悩みかもしんないけど」
「技術者に移籍するとか?」
「いや、無理無理。勉強のほうがポンコツなのは、知ってるでしょ」
「私は、技術面に移籍するつもりです」
「そうなの?」
「やっぱり私はVDOOLとしては向いてないなぁ――と思ったので、株式会社エモーションの技術部に転籍することにしたんです」
「たしかにクリナは頭が良いもんね」
「頭が良いのは私よりも、ノウノさんのほうですよ」
「私?」
「バトルというのは、3次元把握能力が必要ですし、相手の動きを予測したり、自分の身体を動かしたりしますから、意識モデルが高度な計算処理をしているということです。勉強なんてただ、数式やらデータをいじくりまわしているだけですから」
と、クリナは自虐的に笑った。
「まあ、勉強ができることが頭が良いっていう表現は、古代人が作ったものだからね」
と、ノウノは返答した。
勉強ができるからといって、意識モデルが発達しているわけではない。でも、クリナが本当に言いたいことは、そういうことではないのだろう。
おそらくクリナは、技術部に転籍することを快諾はしていないのだ。なんとなく、そう感じた。
VDOOLとして活躍できなかった自分を恥じているのだ。本当は、優秀なVDOOLになりたかったのかもしれない。でも、VDOOLとしては活躍できないから、やむなく転籍するといったところか。
「クリナが技術部に転籍したら、VDOOLのアバターを作る側になるってことでしょ?」
「そうなると思います」
「クリナが作ったアバターは、きっと優秀になると思うよ。私を超えるようなVDOOLが生まれてきたりして」
「そう言ってもらえると、すこし元気が出ます。すみません。私のほうが慰めてもらって」
「いいの、いいの」
ふっ――。
手術中の明かりが消えた。
「あ」
と、ノウノはつぶやいた。
「無事に終わったのでしょうか?」
「さすがに緊張するわね」
と、ノウノは長椅子から立ち上がった。
大きく息を吸う。
もし、この世界がすべて計算のうえで成り立っているというのなら、偶然や奇跡といった概念は存在しないことになる。
エダが死んだとしても、無事に完治したとしても、それは起こるべくして起こることなのだ。
ノウノがこれからどう生きるかも、すべてはすでに定められているのかもしれない。
昔。とある科学者は言った。
世界が物理法則に従っているのならば、あらゆる出来事は、予測可能である、と。
しかし、その発想は、脆く崩れることになる。
量子力学という、物理学では説明のつかない世界が現れたからだ。
しかしそれは現実世界の話である。量子力学の不確実性を、このバイナリー・ワールドはどこまで計算しているのだろうか。
いずれにせよ、起こることはすべて受け入れよう、とノウノは決めた。
赤いランプがともっていた。
エモーションは意識モデルの治療もやっているということだった。エモーションの本社ビルの屋上に降り立つやいなやエダは気絶してしまった。
よほど無理をしていたのだろう。
そのまま救急隊に担架で運ばれた。
そして手術という運びになったのだった。
白い無機質な廊下だった。いつだったか、セキュリティ会社にしょっ引かれたときのことを思い出す。
白い長椅子が置かれていた。ノウノはそこに腰かけた。
となりにはクリナが座っている。
「ビックリしましたよ。エダさんが、あのエルシノア嬢だったなんて」
「私も、はじめて聞いたときは驚いたわ」
「ロジカルンも大変なことになってますね」
「ええ」
ノウノは端末を開けた。ディスプレイ。ニュースが流れている。「ロジカルンの不正」「問われる国の信用」「女王の失墜」……といったものだ。「魔女の目撃情報」「空を飛ぶ謎のVDOOL」……といった記事も見受けられた。
ノウノは自分のアカウントも確認してみた。
「現場でノウノさまの姿を見かけたっていう情報もありますけど」「ご無事ですか?」といったコメントが寄せられていた。
安否を知らせるために、何か反応したほうが良いんだろう。面倒だ。ディスプレイを閉じた。
「学園のほうは、どうなるんだろ」
と、ノウノはつぶやいた。
「どう、とは?」
と、クリナが応じる。
「学園を運営していたのもロジカルンじゃない? ロジカルンが解体とかされたら、学園もなくなるのかな――って」
「学園は、株式会社エモーションが継ぐことになっています」
「そうなの?」
「はい。VDOOLという文化がなくなるわけではありません。各企業が己の技術を誇示する場所は必要ですから」
手術中のランプは灯ったままだ。エダならば大丈夫だろうという謎の安心感が、ノウノの中にはあった。
とはいえ、すこし不安ではある。
一抹の不安が、ノウノの心に動揺を与えていた。
クリナは目を伏せたり、ノウノの表情をうかがったりしている。
ノウノの心境を慮って、話しかけて良いのか迷っているようだった。黙っていると不安になるから、話しかけて欲しい。
ノウノのほうから切り出すことにした。
「私、これからどうしようかなぁ」
「エダさんが完治すれば、学園に戻れば良いじゃないですか」
「でも、プレッシャーなのよね。300万人もフォロワーを抱えてるのは。贅沢な悩みかもしんないけど」
「技術者に移籍するとか?」
「いや、無理無理。勉強のほうがポンコツなのは、知ってるでしょ」
「私は、技術面に移籍するつもりです」
「そうなの?」
「やっぱり私はVDOOLとしては向いてないなぁ――と思ったので、株式会社エモーションの技術部に転籍することにしたんです」
「たしかにクリナは頭が良いもんね」
「頭が良いのは私よりも、ノウノさんのほうですよ」
「私?」
「バトルというのは、3次元把握能力が必要ですし、相手の動きを予測したり、自分の身体を動かしたりしますから、意識モデルが高度な計算処理をしているということです。勉強なんてただ、数式やらデータをいじくりまわしているだけですから」
と、クリナは自虐的に笑った。
「まあ、勉強ができることが頭が良いっていう表現は、古代人が作ったものだからね」
と、ノウノは返答した。
勉強ができるからといって、意識モデルが発達しているわけではない。でも、クリナが本当に言いたいことは、そういうことではないのだろう。
おそらくクリナは、技術部に転籍することを快諾はしていないのだ。なんとなく、そう感じた。
VDOOLとして活躍できなかった自分を恥じているのだ。本当は、優秀なVDOOLになりたかったのかもしれない。でも、VDOOLとしては活躍できないから、やむなく転籍するといったところか。
「クリナが技術部に転籍したら、VDOOLのアバターを作る側になるってことでしょ?」
「そうなると思います」
「クリナが作ったアバターは、きっと優秀になると思うよ。私を超えるようなVDOOLが生まれてきたりして」
「そう言ってもらえると、すこし元気が出ます。すみません。私のほうが慰めてもらって」
「いいの、いいの」
ふっ――。
手術中の明かりが消えた。
「あ」
と、ノウノはつぶやいた。
「無事に終わったのでしょうか?」
「さすがに緊張するわね」
と、ノウノは長椅子から立ち上がった。
大きく息を吸う。
もし、この世界がすべて計算のうえで成り立っているというのなら、偶然や奇跡といった概念は存在しないことになる。
エダが死んだとしても、無事に完治したとしても、それは起こるべくして起こることなのだ。
ノウノがこれからどう生きるかも、すべてはすでに定められているのかもしれない。
昔。とある科学者は言った。
世界が物理法則に従っているのならば、あらゆる出来事は、予測可能である、と。
しかし、その発想は、脆く崩れることになる。
量子力学という、物理学では説明のつかない世界が現れたからだ。
しかしそれは現実世界の話である。量子力学の不確実性を、このバイナリー・ワールドはどこまで計算しているのだろうか。
いずれにせよ、起こることはすべて受け入れよう、とノウノは決めた。
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